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第6話-15 代理救済プロトコル 7 - I'll keep-alive with you

「じゃあ、俺達はわだちに戻る。リンちゃん、あとよろしく」


 ブロウルさんがそう言って、先に降りたガルさんに続いて飛行艇を降りていきます。


 予定が変わって、リンは飛行艇に残ってお前らの支援をしてくれることになった。

 飛行艇の外から、ガルさんが説明する声が聞こえてきます。曖昧な返事の声が聞こえてきて、グレアさんとクラリさんが飛行艇に乗り込んできました。


「リンよろしくですー」


 信号灯の取っ手を握って、振り回すように軽快に入ってきたクラリさん。ドタドタと靴音が木の床に響きます。続くグレアさんは、私に目を向けて一度眉を上下させるだけでしたが、彼女は私がここにいることを確かに認めてくれたのでした。


「緊張すると、喉が渇くよな」

「水ならそこにあるじゃない。緊張する以前に、ここ暑すぎるわ」


 操縦席に座るコウさんが、額で汗を拭いながらグレアさんに話しかけたとき、彼女は副操縦席に座ろうとしていました。

 グレアさんは、操縦席に差し入れていた片足を止めます。ジト目の彼女は、面白げに口角を上げて私を見つめます。


「おっと、川の水はどうだったかしら?」

「えっと……喉が痛かったです」

「だそうよ。アダチ」

「グレア。その物言いする相手はよく考えろよ?」


 グレアさんに軽く(たしな)めたコウさんは、操縦席から振り返ります。


「リン。すまんが、もう片方のサイドドアも全開にしてくれ。非常時にすぐ脱出できるように」

「はい」


 彼の言うサイドドアとは、飛行艇の左右両舷についている引き戸の出入口のことです。

 エクソアは即答して、残りのサイドドアを開けます。音を立てて戸を開けた向こうに、クル川の眩しい景色が広がり、ゆるやかな風が、熱気をまとった飛行艇の中の空気を外に押し流していきます。濡れた服が一層冷たく感じられました。


「涼しいですよー」


 クラリさんが両手で後ろ髪を持ち上げて、首の後ろに流れる風を当てます。私を見てはにかんだ彼女。尻尾がポフポフと床に何度も叩かれていました。


 "これが、飛行艇の景色……"


 川の水が飛行艇に打ち付ける小さな音だけの、こんなに静かで美しい景色に包まれた飛行艇が、もうじき惨劇の中心になるなんて。


"いいですか。絶対にコウさんを助けますよ――機会は一度きりです"


 いいえ、私がエクソアと協力してコウさんを救い出せば、惨劇は回避できるはずです。

 エクソアはグレアさんの座る副操縦席の真後ろにしゃがみこんで、近くの手すりを握ります。

 開いたサイドドアから見える大きな主翼。前縁についた大きな羽根――プロペラの一部が、ゆっくりと回転しはじめます。低く唸るような振動が伝わります。

 ついに、飛行艇が動きはじめるのです。


「クラリ、リン。桟橋から抜けたら教えてくれ」

「はーい」

「はい」


 コウさんはこまめな方向転換をしながら、繊細な手つきで、桟橋から少し距離を取りつつ、主翼の先に垂れ下がるフロートを桟橋にぶつけて壊さないよう、慎重に前進していきます。

 クラリさんは私と反対側のサイドドアの側――コウさんの操縦席の後ろに立っていて、桟橋はクラリさん側にありました。

 エクソアもクラリさんに次いで「はい」とは答えたものの、私がいる方のサイドドアから外を見ても障害物は何もありません。特にやることはありませんでした。


「なるぅ抜けたよー」


 クラリさんがコウさんに名付けた愛称で、主翼が桟橋を跨がなくなったと語りかけます。コウさんは、短く声を上げて返事すると、両翼のプロペラが回転を始めて、緩やかに加速します。

 回転するプロペラの振動が翼から機体に伝わり、私の足下の床を震わせます。機内で周期的に振動の波が大きくなりはじめます。


 "試験が本格的に始まったら、コウさんが飛行艇を扱う様子を、よく見ておいてください"


 もしコウさんを助けられなかったとしても、タダで終わるわけにはいきません。

 過去に戻るとしても、手ぶらで過去に戻るなど許されない。私の持ちえる力の全てを使って、できるかぎり多くの情報を持ち帰るのです。

 たとえ彼にとって初めてだとしても、私はコウさんに苦しい思いを何度もさせたくありません。


 コウさんの飛行艇は、川の中央のある地点で止まります。エクソアの視界を通して、グレアさんの座る副操縦席の背後で座りこんだまま、斜め後ろから見るコウさんの飛行艇の操作。とても慎重でした。

 

 死ぬほど難しいんだ、百点満点ってのは――

 過ぎた時間軸でコウさんが語った言葉。計画書を見せてもらったときのコウさんの様子を思い返します。

 私の心臓の脈動に力強さを感じます。エクソアが緊張しているのです。


 "エクソアさん。もしものときは……エルベシアの力を使いましょう"


 私は、私自身がエルベシアという種族であるということにひどく嫌悪感を抱いていました。いえ、今もそうです。私は種族の力を極力使わず封じてきたのです。

 私がエルベシアとして生まれ落ちず、ただの人間として生を受けたならば、迫害もなく、血を求め誰かを傷つけることもない、田舎の山村で暮らす普通の女の子だったのです。


 エクソアは私の語りかけに答えません。けれども、私の意思を聞いてくれているはずです。


「なるぅ。地上組から『異常ないか』って聞かれてるよ」

「ああ――問題ないと伝えてくれ」


 コウさんの背後のスライドドアから外を眺めていたクラリさんが声を上げてコックピットに顔を向けます。

 コウさんが反応してから、問題ないと答えるまでの間の長さ――普段より長く、悩んでいるような、決断したような口ぶりが印象に残ります。


 もし、悲劇そのものを回避する方法を私が知っていたなら、どれだけ幸せでしたしょうか。

 信号灯を操作する小気味よい音が響きます。コウさんの返事をそのまま、どこかへ送り返している様子でした。


「なるぅ、『前方の誘導指示に従え』だって」

「了解」


 いよいよ試験が始まります。コウさんの大きなため息がコックピットに響き、飛行艇の操作をはじめます。

 プロペラの音が少し下がり、グウンウン、グウンと共振する機体の振動周期が鈍く変化していきます。


 "エクソアさん。コウさんを助けるためには、まずあなたが無事じゃないといけません――頼みますよ"


 エクソアは、髪を整えるように右耳に触れます。

 それは過去に私がエクソアに質問したとき「はい」と答えた時の行動。


 ええ、分かっています。それは過去の時間軸の話で、今のエクソアの回答を信じるなら、その質問のやりとりは覚えていないはず。偶然重なった仕草です。

 私はそれでも、過去のエクソアが時間を超えて答えてくれたような錯覚を抱きました。そうであってほしいと、思うのです。


「クラリ、リン。どこか掴まるところ見つけといてくれ」

「はーい」

「はい」


 飛行艇の中で手すりを意識すると、いたるところにあります。私がいま握っている手すりは、グレアさんの木製の席の背面に掘りこまれるように作られたもの。

 エクソアは、コウさんの言葉で、手すりを握る手に力を込めます。


 …………。


 エクソアが身構えたものの、すぐ始まらない試験。

 私は覚えています。もう少しあとで笛が鳴り響いて、一拍遅れて飛行艇が動きはじめるのです。いまは、しばしの待つ時間です。


 エクソアがコウさんから目を離して、サイドドアから外の景色を眺めます。

 大きなクル川の中央にいる私達を見ようと、川の沿道や建物に大勢の人影が見えました。


 "エクソアさん、外よりコウさんを見てください。これは大事なことです"


 私がそう伝えると、エクソアが再びコウさんの方に視線を向けます。

 途中、クラリさんが、振り返って私と目が合います。彼女は信号灯を手に持ったまま私に微笑みかけます。


「大丈夫。なるぅは天才なのです」

「俺が天才だったらなぁ」


 きっと、おそらく私の表情が恐ろしい顔になっていて、それを見たクラリさんが怖くないよと言ってくれたのです。

 しかし続くコウさんの緊張した声色のぼやきが哀愁を誘います。

 エクソアはクラリさんに苦笑いを浮かべます。


「あっ! なるぅまた交信きた!」

「なんだって?」

「『神使のご加護のあらんことを』だって!」

「へぇ。そりゃどうも」


 私の弾劾裁判で神使様と会ったとき、コウさんを救えなかったと仰せになりました。本来、私が身投げなどしなければ避けられたかもしれない結末だったと。


 私は、コウさん救済の代理人。

 エクソアの檻に閉じ込められたままだけど、言葉も身体も満足に動かせなくて、すごく、すごく不自由だけど――それでも身勝手でも神使様の代わりにコウさんを救うために、頭も運も使えるものは全部使って、ここまで来たのです。


 "エクソアさん、背をグレアさんの席の背もたれに寄りかかる姿勢になってください。まずは私達が生き延びるためです"


 ピイィィ――


 エクソアが従って背もたれに背を向けるように、後ろ向きの姿勢になった直後、よく透き通る笛の甲高い音が聞こえました。

 試験開始の合図です。


「行くぞ!」


 コウさんの意を決した叫びが響き、プロペラが一気に唸り声を上げます。エクソアは生唾を飲み込みます。

 ゆっくりと駆けだした飛行艇。プロペラの音に混ざって、観衆の歓声が伝わります。


 徐々に加速する飛行艇。次第にサイドドアの外から、機体が水を掻き分けるズザザ、という音が聞こえてきます。

 さらに速度が上がるにつれ、今度は船底からゴゴゴと低い音が聞こえてきて、振動で機内のあちこちから金具が互いに当たるような音が飛び交います。


 その間、コウさんは操縦桿は軽く握るだけで、足下のペダルも踏むことなくただ足を置いているだけで、真剣な眼差しでただ前だけを見ていました。

 上下に小刻みに揺れはじめる機内。エクソアがサイドドア越しに外の景色に再び一瞬視線を与えます。

 遠く川岸の少し奥で、私達と並走しようと凄まじい速度で駆け抜ける物体――わだちの姿が見えます。いま、飛行艇はわだちを追い抜いていきます。

 私の記憶によれば、異常はここから――


 機体の上下の振動が大きくなっていくのを全身で感じます。始まりました。水切り石現象です。

 エクソアはコウさんに視線を向け直します。コウさんが操縦桿を前後に動かして、振動を抑えようとしていました。


「くそっ!」


 急速に大きくなる振動。コウさんが力んで声を上げます。

 跳ねた直後の低重力、内臓が浮く感覚。水面に落ち跳ね返されるときの叩きつけるような衝撃と、ゴッという水と激しく接触する音が交互にやってきます。


 ……怖い。過去の時間軸で外から見た飛行艇の水切りの動きは、中に乗ってみると想像以上に激しいものでした。

 エクソアは振り飛ばされないように、手すりを握る手に力を込めます。激しい揺れで、両手で掴めそうにありませんでした。

 エクソアは握った手すりに身体を引き寄せるように片腕に力を入れます。


 大きく飛び上がる機体。まるで飛行に成功したと錯覚するような滞空時間。エクソアはお腹に力を入れて息をとめます。川から離れて静かに感じますが、機体は傾き、機首が川面に向き――


「んああくそっ!!」


 コウさんの叫び声が聞こえた直後、それを掻き消すほどのすさまじい衝撃音。


 時間の流れがどんどん伸びていくのを感じます。

 グレアさんの背もたれに引き寄せていたはずの私の身体は、急減速した機体の力でさらに前へ叩きつけられるように押しつけられます。

 私の身体の慣性が強い力をもって、まるで肺を潰して絞り出すように息が噴き出されます。


「わぁっ!?」


 クラリさんも私と同じように、操縦席に座っていたコウさんの裏に押しつけられていました――たぶん、そうです。揺れる不確かな視界の中で、その輪郭に彼女の面影を見ました。


 同時にコックピットのガラスが砕ける音。大量の川の水が窓を突き破ってなだれ込んできました。私の脇や頭上を、川の水が機体後部へと駆け抜けます。


 機首を下にして倒立していく機内。急速に沈むコックピット。いまや床が壁に、操縦席が足場になり、水位は急上昇し、操縦席を飲み込んで私達の足まで浸かりつつあります。


 コウさん、グレアさんは足下――水中の操縦席。息がどこまでもつか。早く助け出さないと。


 ”早く二人の救出を――”

「ゲッホッ、なるぅ!! グレア――」

「クラリさん危ないッ!」


 クラリさんの声を遮って、エクソアが金切り声で叫びます。

 ふらふらと起き上がった彼女の頭上めがけて、人一人の重量はありそうな砂袋が、切り裂くように床を滑って落ちていく――試験前に私が座っていた、貨物を模した砂袋、それらが事故の衝撃で拘束が解けたのです。


 彼女がその運動神経で一歩のけぞったその場所に落ちた砂袋、ボッと鈍い音がして水を伝わる鈍い振動。私達に襲いかかる水飛沫を、腕で凌ぎます。

 さらに後を追って次々に落ちてくる砂袋。二つの操縦席の合間をすり抜けて水底に落ちていく。

 落ちてくる砂袋が邪魔をして助けに行けない。何もできないまま過ぎていく時間。

 容赦なく上昇していく足下の水。このままじゃ、私達まで溺れてしまう。


「……っ、」


 砂袋が落ちてこなくなってすぐ、波打つ水面の奥からグレアさんが上がってきました。

 両手をばたつかせて水面に顔を浮かべる彼女。エクソアの私が脇を抱えて引き上げます。ひどい嗚咽を吐きながら息を荒くする彼女。感謝の言葉をいう余裕さえありません。

 彼女を操縦席の背もたれの上に立たせます。薄暗い機内。川の水流に押されて、機体が軋みながら動く音。


 "エクソア! 早くコウさんを助けるの!"


「クラリさん! グレアさんを連れて脱出してください!」

「リンは!?」

「私はコウさんと脱出します! 頼みましたよ!」

「でも、」

「いいから早く行きなさい!!」


 叱りつけるように叫びます。

 水位は急速に上昇し、腰上ほどの深さまで迫っています。子供体型でひときわ小柄なクラリさんには、もう足がつかないほどの深さになりつつありました。

 クラリさんがここでできることは、グレアさんを連れての脱出以外ありません。


 私の身体を操るエクソア。大きく息を吸って水に潜り込みます。

 二つの操縦席の間から噴き上がる水流。押されて浮かび上がろうとする身体を、機体の掴めるところに手を掛けて押さえて打ち勝ち、潜っていきます。


 暗い水中、磨りガラスのように一面ぼやけた視界。舞い上がった砂と泥で頼りにならない視覚。操縦席にしがみついて、いるはずのコウさんを手を振り回して探します。


 ――いた!

 指先の感覚が、人肌の柔らかさを捉える。

 彼は水流に流されて脱出できなかったと、グレアさんは過去の時間軸で事故後に語っていましたが、身動きが取れないほど強い水流でもありません。これなら助けられる。

 エクソアは、水中でもがいていた彼の両肩を掴んで身体を彼に引き寄せます。


 口づけ。

 ゴン、ゴウン――巨大な機体が軋み、動く音。冷たい水中でひときわ低く響く。

 砂の粒子が静かに舞う薄闇の水中で、彼の温かい唇に触れます。


 吸い込んだ息を吐いて、彼に送り込みます。

 口元からこぼれたわずかな空気が舞い上がる。彼の荒い息に同調します。やりとりする空気が、どんどん虚無になっていく。苦しい。けどもそれは彼の苦しさを、私が半分引き取っているからです。


 ――大丈夫、だいじょうぶ。

 ここで失われるはずだった彼の命は、私が繋ぎ留める。


 コウさんを落ち着かせるように、エクソアはコウさんの後頭部を手で優しく叩きます。

 確信します。私は、この瞬間のために、未来から戻ってきたのだと。


 "このままコウさんを連れて、水面に上がれば助かる"


 私とエクソアが一心同体になった気分でした。

 自分自身にも言い聞かせて一抹の不安を拭うように、エクソアに語りかけます。


 息の半分を彼に残して、そっと顔を離します。

 操縦席の後ろの手すりを掴み、もう片方の手で彼の手首を握ります。


 エクソアが力をこめて引き上げようとしますが、彼の身体は糸が張ったように引っかかります。

 操縦席の足元――左足が歪んで潰れた機体に挟まれていました。


 どうして……


 川の水流に圧されて脱出できなかった――それが過去の時間軸で何度も聞いた、彼の死因だったはず。こんな話は聞いていません。

 私の知る未来じゃない。命を賭けてたどり着いた場所なのに。


 私が飛行艇に乗ったから、未来が、変わった……?


 動揺する私よりも、エクソアが早く動きだしました。

 挟まった彼の足を引き抜こうと、コックピットの計器の上に乱暴な足を乗せて踏ん張り始めたのです。


 そう、そうです。引き上げるだけで済むなら、私が助けに行くまでもなく、コウさんは自力で水面まで上がってくるはずです。そうならないということは、それを阻む何かがあるということ。

 一抹の不安の正体はこれだったのです。


 徐々に強くなる耳を圧されていく感覚。どんどん川底へ沈んでいるのです。

 私も息苦しくなってきましたが、このまま息継ぎで水面に上がると、私の身体では浮き上がってしまって、ここまで戻れるか分かりません。戻れたとしても時間がかかってしまいます。


 時間がない。

 両手で挟まった足を掴みなおします。水中で翼を広げ、振り下ろすように全力で羽ばたくと同時に、足を踏ん張って引き抜こうとします。


 コウさんの喉が詰まったような、苦しげな声が水中に響きます。コックピットの足元から血が流れ漂うのが見えました。ビクともしません。


 もう一度、もう一度――そのたびに彼から苦悶の声が漏れます。ごめんなさい。我慢してください。耐えてください。


 "エルベシアの力を使って! 常人とは比較にならない力が出せます。彼の足の無事はこのさい後回しです!!"


 私が何度エクソアに叫んでも、エクソアはエルベシアの力を使おうとはせず、繰り返し、コウさんの足を引き抜くことに集中していました。


 "お願い!! 私の言うことを聞いて!!"



 そのとき、私の肩をトトトトン、と誰かの手で小刻みに力強く叩かれます。

 エクソアがその方を振り向くと、手の主はコウさんでした。


 私を指差したその手が、親指で彼の後方、グイ、グイと水面を指差します。

 コウさんは自分自身に親指を向け、彼は首を横に振ります。


 ――ッ!!

 "エクソア! 彼の言葉を聞いちゃダメ!!"


 エクソアはすぐに彼の挟まった足に視線を向けて、足を引き抜こうと、これまでと向きを変えてグッと力を入れます。彼のつらそうな声が、水中を鈍く伝わります。

 まってて! なんとか、なんとかするから!


 "エルベシアの力を!! はやく!!"


 私の息も、そう長くは持ちません。

 彼が再び私の肩をトントンと叩きます。彼は私の肩に手を乗せたまま、ゆっくり首を振って、人差し指と中指を立てて交差させます。


「アアアッ――!!」


 直後、彼は私の脇に彼の腕を引っかけたかと思うと、彼の左足から私を強い力で引き剥がし、私を彼の操縦席の後方、水面に向かって押しやります。

 大量の水泡と共に響く彼の声。


 水面へ浮かびゆく身体。エクソアはかろうじて彼の操縦席に手を掛けて耐えます。

 コウさん。悪いですが、ここで引き下がるわけにはいかないのです。

  コウさんを死の淵から連れ帰る――それが私の意思。少しくらい苦しくたって。


 すぐに身体をたぐり寄せ、彼の元に戻りましたが、そのときには既に彼の意識はなく、身体が力なく水中で揺らめいていました。


 ドン、ドン――水中に響く鈍くも軽い衝撃音――彼の足を潰した歪んだコックピットを広げようと無我夢中で蹴ります。

 抜けて! お願い――後生だから! 足、抜けて!


 私の息も、もう限界でした。早く空気を吸いたい。息をしたい――生への衝動が全身を駆け巡ります。けどここで諦めたら。

 反射的に吐きそうになった空気。


 "苦しくても耐えるのよ!! 助けられるのは私達しかいないの!!"


 エクソアが手で強引に抑えます。すこし息が漏れ出ます。

 コウさんが突然動いたかと思うと、震えるように暴れます――痙攣。


 歪んで挟まった彼の足元を、再び苦しげに蹴ります。もう時間がない――けど諦められるわけないじゃない。

 もはや、蹴った感触がビクともしないのか、少しは動いているのかさえ確認する余裕もなく。


 "諦めちゃダメ!! 頑張るのエクソア!!"


 喉を鳴らすように悲鳴を上げるエクソア。五感を共有する私も、その苦痛を全身で感じます。


 ゴボッ――……


 "あなたの演じる「リンネ・エルベシア」は絶対に諦めたりなんか――"


 必ず生きてここから――……





 ――俺は神や仏の存在など信じたくもないが、天使を見たことはある。

 俺がこの世界の砂漠に落ちた日のことだ。


 空を飛ぶということが、生易しいモノじゃないことくらい知っていた。

 俺は最大限の敬意を払ったつもりだったが、世界はそれじゃ満足しなかったらしい。


 ロクに息を吸う余裕も与えられず、機体ごと川に頭から突っ込んで、いまや水の中だ。

 隣で溺れかけていたグレア。メイド服のスカートの端を手に絡ませるように握って引き寄せ、二つの操縦席の間から、後ろにあるはずの水面に送りだす。


 ……やっぱ、こうなるよな。


 ラダーペダルに置いていた足。歪んだコックピットに片足が、挟まって頑として抜けねぇ。こいつぁダメだな。

 すまねぇ。みんな。生きててくれ。


 そしていま、死を待つ俺の元へ現れた彼女。長い髪を水中に漂わせながら、俺の頭を抱いてそっと接吻を交わし、息を送り安らぎを与えてくれる。

 彼女はやはり、間違いなく天使だった。


いつも読んでくれてありがとうございます。


おまけのこぼれ話。

飛行艇。設計時点で「どんな壊れ方がありえるか」とか「壊れたらどんな影響があるのか」みたいなもの(FMEAとかFTA)を十分検討しておけば防げるもの(砂袋の落下とか)も一部あったんだけど、その概念を知ることは世界観上、まだ未発達なので仕方ないよね。

コウは現代知識チートできるけど、10代の高校生なので、そんな知識を持っているわけもなく。

(普通の中高生がそんな知識を持っている確率を考えたら、ね?)


それでも、不安を紛らわすためとはいえ、予算とか材料の制約の中で、故障を想定してシンプルな設計を重視してたり、試験前に機内総点検、手順再確認もした上で、脱出経路をあらかじめ用意してたりとか、彼は彼で相当優秀だと思います。

脱出経路のドアを開けていたから、浸水速度が速くて絶望的な展開になったんだけど。

他方それでクラリとグレアが脱出できて助かってるわけで……


リンもリンで、現地人ながら、離水試験で事故を起こす挙動を、学がなくても『どこかに変節点があるはず』って自分で考えに至るだけで相当ですよね。

言語化されたら『当たり前じゃん』って反応になりがちだけど。



では、次回の更新でお会いしましょう!ヽ(・・*

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