第6話-4 未来を決める主役は、俺じゃない。
壇に上がった俺の両脇に、盾を持った防衛軍の兵士二人が護衛に立った。俺より半歩前に立つ彼らは、聴衆が事件を起こしたときに俺を守ることが役割だと、事前に聞かされていた。
壇上から見る聴衆。広い屋内ドックの見渡す限りが、人で埋め尽くされていた。
人々の熱気がこもり、空気は湿っぽかった。俺が壇上に立つと人々はざわめく。
ここで仕立ててもらったものだが、要はスーツ姿だ。彼らにとっては見慣れない格好だろう。
俺の正装であり、考えがあってのことでもあった。
ダァン――
何かが荒々しく叩かれる大きな音がして、足下の壇に衝撃が走る。
屋内ドックの構内に数秒の間、反響がこだまする。
音の主は、司会進行はザグール。ナクル工業ギルドのトップである。彼は気が強く、早合点して話を遮るような人物で、俺が苦手とする相手だった。
彼は、槌で壇の隅を力の限り叩きつけたのだ。今の大きな音は、彼が槌で叩きつけた音だった。
「静粛にィ!」
ザグールは壇の下からその遠くまで響く声を上げた。さしずめザグールは裁判長、俺は出廷した証人か。
彼は気にもせず、俺にどうぞ始めろと言わんばかりの目配せをする。
生唾を飲み込む。演壇にマイクはない。自ら声を張り上げるしかない。
「俺は――領主ベルゲン様、工業ギルド様、ナクルの皆様の多大なる支援の末に、この飛行機械――飛行艇ができたことに、まず、深く感謝したい。
国賓としてこれまでにない歓待を受け、神都ラグルスツールへ招かれたこと。その寛大さと温かさは、たとえ住む世界が、しきたりが異なっていようと、世界共通で伝わる言語だと、俺は確信した。
俺は見ての通り、みなと違って翼を持たない。空を飛ぶことができない。招かれた神都へ向かおうにも、陸路がない。だからこの巨大な機械を――重力を否定する機械を、必要とした。
俺のいた世界が築き上げた叡智を分け与え、製作に携わった人々のたゆまぬ努力で、飛行艇が形になった。
これは俺のための飛行艇だが、きっと二つ目の、三つ目の飛行艇も、ここから生まれるだろう。
さて。ここにいる皆様方には、これまでにもう十分、この飛行艇の華々しく、賛美と希望で飾られた言葉が伝わったことだろう。
皆様方も、そろそろ疲れてきたことだろう。
だから俺は長く語らない――手短に話す。
だから、よくよく聞いてほしい。
これから語るのは、俺が果たさなければならない義務だ。
皆で考えなければならない、責務だ。
だからこそ。ハッキリと、語らなければならない。語らせてもらう。
これは猛毒である!!
使い方次第で薬にもなれば、容易に人を死に至らしむる猛毒である!!」
俺は叫んだ。
静まりかえった聴衆。俺の声が構内で反響する。そして揺り戻しのように、少しざわついた。
リンを見やる。ベンチに座る彼女と俺の目が合った。クラリとも目が合う。口を半開きにしてしていた。
「鉱石、衣服、工芸品、肉や魚、新鮮な果物や野菜、茶、花、手紙――飛行艇に乗せれば、今まで手に入らなかった豊かさが、きっとより身近になれるだろう!
しかし機械は残酷なまでに平等で、また使い手に忠実である。
良き隣人も罪人も、等しく刃物を扱える事実をここで改めて言いたい!
何を載せるのか、どう使うのか。人を喜ばせるのか、苦しめるのか!
すべてはそれに懸かっていると!
――ここは、間違いなくあなた方の世界だ。
そしてあなた方は、自由だ。
俺がここで何を言おうと、何をしようと、あなた方の自由を奪うことは決してできない!
未来を決める主役は、俺じゃない。あなた方だ!
だからどうかあなた方で、この力をどうするのか、決めてほしい。
目を、背けないでほしい」
クラリとリンの過去を思い出す。
……これは飛行艇の進水式である。関係のない話を混ぜ込むべきではない。
それでも、少しだけ。俺の言わんとしていることが、飛行艇の話だけではないことに、誰か一人でも気付いてくれることを祈って。
「しかしこれだけは告げる!
俺はこの街の、この国の、この世界の、為政者、人々が――風聞に惑わされず、自らの五感を信じ、考え、ときに自身や常識を疑い、自分のために、仲間のために、他者のために、異種族のために、自ら立ち上がり行動できる、思慮深く豊かな人々であると確信し、自らの叡智をこの世に分け与えたことを!
もしこれを身に余る過ぎたる力だと思うのならば、それもまた一つの叡智だ。
捨て去り、歴史の地層に埋めてしまうがいい! 俺も喜んで穴を掘ろう!
この飛行艇だけではない――そこから生まれた、いや、これから生まれる機械も同じことだ。
俺……俺達は、ロクでもないものを生み出してしまったと後悔するような、恨まれるような、蔑まれるような、そんな未来を求めてなどいない!
俺にここまで温かく寛大に接してくれた、聡明で理解あるあなた方なら。
俺の言わんとしていることを、痛みや苦しみ、埋められない喪失を経て、身をもって知るような愚かな人々ではないと――あなた方なら俺の拙い言葉でも、未来が伝わると、思っている。
機械は、技術は、力は、すべて自分の、そして他人の幸福の希求と維持のために存在することを、どうか忘れないでほしい!」
俺は張り上げた喉を潤すように、口をつぐむ。大きく吸って、息を整える。
「みな、頼んだ! ――この飛行艇の名は、TANONだ!」
俺の命名宣言と同時に、少し離れた場所から鉄が鈍く軋む音がする。事前の打ち合わせの通り、キール造船所の閉じられた水門のうちの一つが開かれたのだ。
TANONのいる乾ドックに、川の水がザーッと砂嵐のような音を立てて流れこむ。
俺はその音を聞いて、四方に礼をして壇上から降りた。
聴衆は俺の奇行に呆気にとられていたのか、静かなままだった。しかし思い出したかのように始めた誰かの拍手が、つられて広がる。
他の人はスピーチ用の原稿を持っていたようだが、俺は原稿を持たないことを選んだ。何を語るのか、キーワードは何か。それだけを覚えた。あとは一人きりのときに少しだけ練習をした。
それは語りかける相手は原稿ではなく、この世界の人々であり、俺自身だったからだ。
「驚いたねぇ。こういうときは大抵、明るい未来を語るのが定石だと思うが」
ガルは前屈みになって頭を出し、ベンチから立ち上がりつつ言う。
「俺、実現不可能なほどにだいぶ美しい未来を語ったと思うが。出すぎたことを言ってるのは自覚している」
内覧から四週間の間にしていたこと。それは俺の中で、軍事利用されていく飛行艇に、どうメッセージを送るべきか、決断を下すこともその一つだった。
俺はあえて、現代世界での悲惨な歴史や過去の教訓を、具体的に語ることはしなかった。
俺が「異界から来た高度な文明を持つ知性体」のように振る舞えば、聴衆の彼らが、勝手に豊かさの代償に高い技術力に匹敵する高いレベルの知性を要求されているのだと、そういう理解を与えられるのではないかと思ったのだ。
実際伝わったかどうかは分からない。俺の世界の歴史の具体例を語らなかったもう一つの理由は、悪用法を伝えているような気がして気が進まなかったことだった。
責任逃れの演説だと言われても仕方がないとは思う。他にやりようがあるだろう、と言われるかもしれない。だから俺も考えた。
そのうえで、俺は思う。現状俺がとれるベストな解は、これだったと。
水で徐々に満たされていくドック。澄んだ川の水はドック内に散らばった木のクズや砂塵、小さなゴミが水面に浮かび、水の色がうっすら黄色に濁る。飛行艇を支える木製の架台が水に沈んでいく。揉まれた水から生まれた浮かぶ水面の白い泡は、架台の柱にまとわりついて回転する。
ドックの水位が上がり、飛行艇TANONはついに、架台から浮き上がる。
前後左右にゆらゆらと揺れて浮かびはじめた飛行艇。工業ギルドのメンバーの手で、ドックの両側から機首にかけた縄で引かれ、飛行艇はゆっくりとドックの外へ進んでいく。
「おいグレア、起きろ」
俺達は飛行艇に付き添うように後を歩く。その後ろ、少し開けて聴衆が追う。
飛行艇の操縦席には、ネルンとナドが乗り込んで座っているはずだ。
屋内ドックから見た外の日の光は、目を細めるほどに眩しかった。
飛行艇がドックの端、川の目前まで来たところで縄は解かれ、主翼の四つのプロペラのうち、内側二つがゆっくり回転を始める。
ブワァァ――急に回転数を上げたプロペラの轟音と同時に、後方の俺達に砂塵を巻き上げた強烈な風が吹き荒れ、砂埃が視界を薄黄色に染める。上着もズボンも身体に張り付くような風。思わず腕で目と口元を覆う。
クラリは小さな悲鳴を上げて、スカートを手で押さえこんだ。
飛行艇TANONは、キール造船所からクル川へ、自らの力で這い出ていった。
*
ベルゲンは、川に入った飛行艇TANONと、コウ達一行を後ろから眺めながら、腕を組んでいた。
……あれは、十七の若者ができる演説ではない。
つい数週間前に、私が彼から飛行艇の技術の利用を引き出す説得に使った言葉を、私の論理を、こうも容易く吸収して、彼は自らの論理に組み込んでしまった。
そのうえ、彼は演説で原稿を読まなかった。おそらくそれなりに練習はしたのだろう。
ガルという老齢の傭兵の助力があったのかとも思ったが、彼は途中、「俺」と言いかけて「俺達」と言い直した。自分の言葉で紡いでいるようにも思える。
私が彼との書面でやりとりする言葉の選びがときおり見られ、それは彼の言葉らしいと思った。
なによりあの演説は、飛行艇をどう使うかの責任の所在を明らかにした。民衆に訴えかけるようでいて、私に釘を刺したようにも受け取れる。
世間知らずで未熟なところはあるが、やはり彼は化け物なのだ。
単に彼が優秀なのか、異界では普通なのかは分からない。
彼に脅威があるとは思えないが、ベルゲンにとって、できるだけ我々の陣営に置いておきたい人物であることは、間違いなかった。