第1話-20 計算式の彼女 True
嵩文と神子上は黙りこむ俺を気長に待ってくれた。今でこそこんな言い方だが、その時は恐怖と警戒を解くべきなのかどうなのか、俺の中では大論争が巻き起こっていた。神子上が必死こいて俺を説得にかかったというのもある。いくら論争を繰り広げても、結局目の前で起きていた現象は俺の記憶から消えることも、夢から目覚めることもなかった。ただそこに事実としてあったという、動かぬ証拠がテーブルの上に散らばっているばかりだった。つまり、俺はこのオカルトじみたこの現実を受け入れるしかなかったのだ。
「お前らがどういう目的でこんな俺と接触してきたのか、理由を聞かせてほしい」
俺がおもむろに口を開くと神子上はホッとした表情で答えた。
「私達は本来物理的に存在しない、管理システムであることはさっき言ったよね。この世界は物理シミュレーションプログラムによって動いてる。私達はそれを管理、調整をして、場合によっては壊れたプログラムの修理もする。自分の管理領域に脅威があれば、それを取り除くのが仕事」
「脅威とは何のことだ?」
「ウィルスとか、癌といえば分かりやすいかな」
「つまり俺ら凡人はお前らのお陰でのうのうと暮らせてると」
「そう。私達がいなければこの世界は成り立たないの」
「そりゃご苦労なこった」
「それで、なぜ本来存在しないはずの私達がここにいるのか、という問いなんだけどね」
現実味のなさは相変わらずだが、今さら否定するわけにもいかない。俺の隣という至近距離で話す神子上の表情は真剣だ。
「私は壊れたの」
「……おい」
ストレートな表現でわかりやすかったが、これを誰が突っ込まずにいられようか、いや、誰も突っ込まずにはいられない。そんな大事な役目を背負っているのに壊れるって死活問題じゃねえか。ファミレスで頬杖ついて「おいしい?」とか言って微笑んでる場合じゃねえぞ神子上。
「私だけじゃない。管理している世界に関する大切な情報も消えてしまったの。なぜ壊れたのか原因はわからない。でも、壊れた部分の修復は最優先課題だということは分かる?」
「サルでも」
「不思議なことにその消えた情報はこの世界に集中しているの。無傷の零雨ちゃんはその情報をもう一度作り直すためにここに。私は自分自身の失われたプログラムを作り直すため」
「自分自身とは……」
「つまり感情を制御するプログラムとか、その他色々」
「そりゃまた大層な名分を持ってこちらにいらしたわけだな」
「それで、私達は人間の姿を借りてここにいることになったの。私達は人の姿をしてはいても、そこで生活するにはネイティブな人間の手助けがいる」
「んでもって俺がその当たりくじを引いちまったわけか」
「そう!」
片手でゲッツする神子上。それを見て内心貧乏くじを引いちまったと思った俺である。
「俺にそんな大役は務まらん。足が震えてチビリそうだ」
さっき実際に1,2滴チビってしまったということは内緒である。
「難しくないよ。足立くんは私達を普通の女の子として扱ってくれるだけでいいの」
「普通って言ったってなぁ……」
「大丈夫。人と話すことができて、約束を守れる人なら誰でもできるから」
それから神子上による話が延々と2時間以上にもわたって続いた。長時間にわたって大量のことを説明されたので、俺は覚えやすいように一つ一つを簡潔にまとめることにした。
・この世界はシミュレート世界で、この宇宙全体で一つの世界である。
・本物の世界はコンピュータの外にあると考えられるが、実際のところは不明。神子上によると「外の光が一切入らない部屋からは、外の景色は見えない」だそうだ。
・平行世界は存在し、今はステージ1から30まであり、各ステージに一つの世界があるらしい。
・ステージとはシミュレートの段階のことで、数字が高くなるにつれ、ハイレベルな世界になっていく。最初は0次元(点)、次に1次元(線)、2次元(平面)、3次元……と段階を踏んで進化しているそうな。つまり、ステージ25=25段階目のシミュレート世界、というわけだ。パラレルワールドが3次元とは限らないということだ。
・USERという、このコンピュータの設計者がいるらしい。世界の創造主といったところか。
・シミュレートの最終ステージは42で、USERがステージ43以降は存在してはならない、と指定したらしい。コンピュータの性能に限界があるからだろう、と神子上は推測している。
「他に何か聞きたいことはある?」
神子上が一通り話を終えて言いった。
「ある。 400字詰めの原稿用紙に聞きたい事書いて積んだら、エベレストどころか対流圏を軽く突破するぐらいある。まず、おまえらはどこの所属なんだ?」
「最初にも言ったけれど、私たちは管理システム、管理人ね。システムはステージ0に分類されているの。さっき世界はステージ1からステージ30まであるって言ったよね。つまりステージ0には世界がない。私たちが動作するのに必要なものしかない」
「必要なものというと?」
「各ステージのデータとか、私たちが存在するのに必要なメモリとか、私たちをアップデート、つまり強化するためのプログラムとか」
「やっぱりアップデートとかあるのか」
「うん。この子、嵩文零雨はS0-v1.7f。ステージ1から25までを基本的に管理しているの。私はS0-v3.0a。今はステージ30までしかないけれど、最終的にはステージ25〜ステージ42まで管理する予定になっているの。私と嵩文さんの違いは、人間的な柔軟な思考が可能かどうか。感情の有無とかも」
「どうりで嵩文が仏頂面なわけだ」
「でも、嵩文さんは本当に優秀だよ。安定性最重視の管理プログラムで、私が生まれるずっと前からいるの」
「v1.7とか、v3.0っつーのは、バージョンってわけか」
「そう。だから彼女の古さがよく分かると思う。その後のアルファベットは、ステージ0以外のステージに行った回数。嵩文さんはfだから、バージョンが1.7の状態で6回行ってるの。私はaだから、初めて」
話を聞いた限りでは、どうやらaが1回目、bが2回目、cが3回目……と続くという法則性のようだ。なるほど、あのファミレスでの“先輩”というのはこういう意味だったわけだ。
「あなたに理解できるように話しているから、ステージ0には実際、アルファベットとか、文字なんて概念が存在しないっていうことは覚えておいてね」
まあ何も知らない俺が、いきなり言葉抜きの概念だけで理解しろ、なんてのは無理な話なわけで。噛み砕かれた表現にしてもらえないと、おそらく誰も理解できるやつはいない。抽象概念をそのまま理解できるのは、人類が天変地異か何かでもうワンランクぐらい進化してからだろう。
「他に何か質問はある?」
「嵩文の理由はよく分かったが、なぜお前さんのプログラムの修復にこの世界に来たのかが、よく分からん。別にここじゃなくとも平行世界があるなら、感情を持つ動物は他にもいるんじゃないのか?」
「確かにそうだけど、ステージ25が、今の私を作らせる理由、つまりアップデートの理由だったから。私の失ったプログラムが、なぜ私に必要だったのか、その理由が見つかれば、そしてそれを元に自分でプログラムを作り上げて修理すれば、私は失われたプログラムを補ったことになる」
聞いた話じゃ、どうやらプログラムのバックアップ(緊急用の予備)は用意してないらしい。それ以前の基本的なところがなってない気がするのは俺だけではないはず。
「それじゃ、失われたプログラムの理由が見つからない可能性があるだろ。100%回復するかどうか怪しいんじゃないか?」
「うん……それは、仕方ない」
神子上はこの指摘をされることが一番恐かったらしく、声が一気にトーンダウンした。この点についてはあまり触れないでおこう。神子上は声をやや強引に元の調子に戻して言った。
「私がここに来たのはそれだけじゃない。感情を持たない嵩文さんが、変なことをしないように見張る監視役ってのも私がここに来たもう一つの理由。彼女も同じように私を監視してる」
神子上はまた、さっきとは微妙に違う、やや機械的な笑顔を見せる。まあ、大層な話で。まさしく、「世界を飛び回る」とはこの2人の為にあるようなものだと俺は思った。この質問コーナーの雰囲気を持っていかれないように矢継ぎ早に質問を飛ばす。
「これが一番の疑問なんだが、神子上。なぜ嵩文は俺を執拗に追い回した?」
それを聞いた途端、神子上から表情が消えて黙り込んだ。この質問だけはウヤムヤにすることはできない。急に重くなった神子上の口には何か裏が絶対にある。神子上が俺のクラスに転入してお付き合いが始まるなら、ここはどうしても聞いておくべきものだ。
「なあ、どういうことだよ。俺の仲間にまで迷惑をかけたのは分かってるだろう」
「嵩文、なぜお前は俺を追い回した?」
神子上と追い回した本人に問いただすが、嵩文は俺の目を見るだけで一言も喋らなかった。なんでこの話題になると二人して黙りこむんだよ!
「おい、聞こえてるんだろ」
神子上が重い口を開けたが、それは俺の質問とは全く違う回答だった。神子上の口から上がったのは4人の名前だった。女子大生K。Kの友人のT。同じくKの友人I。そして大学1年生のS。みなテレビで連続失踪事件の当事者として報道されていた、聞き覚えのある人物だった。その4人の名前を挙げると、神子上はゆっくりと語りだした。
「あの時、私が『私は絶対に被害者にならない』って言ったの、覚えてる?」
「ファミレスのあれか」
「例え話。AさんはBさんと口論になった挙句、Bさんを殺してしまいました。その現場を影から見ていたCさんとDさんがいました。数日後、Aさんは人里離れた場所で自殺しているのが発見されました」
「…………。」
「この中で被害者になれないのは、A~Dさんのうち誰?」
「Aだろ。どんなことがあろうと、Aは加害者のままだ」
「それを今回の事件に当てはめたら、どうなると思う?」
ある人が街中で包丁を振り回して暴れれば、被害者になりえるのは、その近くにいる人達だ。しかし、包丁を持って暴れる本人が被害者になることはない。神子上はそう言いたいのか? そうだとすると、「絶対に被害者にならない」という発言ができるのは――――
「――――嘘だろ?」
「最初、私達は大学生として生活するつもりだった。大学生としてここに来た私達は、Kさんに目をつけた。あなたと同じように、ここに呼んで、今あなたが座っている席に座って、あなたにしているのと同じお願いをKさんにしたの。ほら、そこに彼女の髪の毛が引っかかってる」
神子上は俺の座るイスの背もたれの付け根を指さした。ウェーブがかった茶色の長い髪が一本、そこに引っかかっていた。これがあのテレビに出てたKの……考えるだけでまた悪寒が走った。やはりこいつらは危険だ。早いところ話を切り上げて逃げるべき。俺はそう確信した。
「私達がKさんをこの世から消したのは、私達にとって不本意なことだった。好きで消したんじゃない。やむなく消すしかなかったの。Kさんは私との約束を破った」
「約束?」
「これからあなたにもお願いする約束。『私達の正体は誰にも言わないで』。そういう約束。私達の正体が公になることは争いを生む事になる。世界中の人間が私達の持つ“特殊な権限”欲しさに寄ってくるから。私達はそんなことを望んでいないし、そうされるためにここに来たわけじゃない。でもKさんはメールで私の話をおもしろ半分で友人に送ってしまった」
確かにそういう“特殊な権限”を持った人間がいれば、そこに利用価値を見出して大儲けしようと考える輩は必ずいる。だからといって犯罪に手を染めていいわけじゃない。
「だからKを殺したのか」
「Kさんは死んでいない。彼女はここより文明レベルの低いステージ27で生活をしてる。一種の異世界トリップをさせたの。彼女がメールを送った二人の友人、TさんとIさんも同じようにステージ27へ連れていった。巻き添えみたいな形になっちゃったけど、仕方が無いことだった」
神子上の口調は穏やかだった。人としてやってはいけないことであるはずなのに、神子上を責める気は起きなかった。同時に再び沸き上がった警戒心もなぜか薄まってしまった。
「それじゃあ4人目のSも同じように、ということか」
「彼は違う」
俺の間違った理解に神子上がすかさず言葉を挟んだ。
「彼はそれ以前の問題だったの。最初、彼の方から私達に話しかけてきた。その時私達は協力者探しを再開したばかりだったから、彼の話しかけに応じたの。彼は連れていきたい場所があるって言って私たちを車に乗せた」
「知らん人の車に乗るって……お前らもずいぶんとお人好しだな」
「車はどんどん人気のない山へ入って行くから聞いたの。『どこに向かってるの?』って。そしたら人気のない獣道で車を止めて『降りろ』と言われた」
「強烈な犯罪臭が……」
「彼が車を降りた途端、いきなり私達を襲ってきたの」
男気が間違った方向へ行ってしまった末路だな。
「それで、どうしたんだ?」
「暴れる彼を車の中に押し込んで、車ごとゴビ砂漠の中心、地下5mに転送してあげた」
「……鬼畜だ」
世界の七不思議にいつの間にかまた一つ、失踪者の車が遥か遠く中国大陸で発見されるという新たな謎が加わっていたらしい。というかそれは完全に犯罪じゃないのか? 確かに現実ではそうそう有り得ないことだから立件するのは非常に難しいだろうが……。
「鬼畜と言われても仕方がないとは思う。でも法律の遵守と世界の安定、どちらが大切か。それを天秤にかけたとき、私は彼らを脅威として処分するしかなかった。元々私は人間じゃないけどね」
「……つまりもし俺がうっかり口を滑らせたら、その時点で俺はこの世とおさらばということなのか?」
神子上は目を閉じてゆっくり首肯した。…………俺の死因は心労でポックリというのが決まった気がする。
「そうせざるを得ない。私達はこれ以上、協力者探しで失敗することは出来なかった。私がしたくなかった。だから、今回は慎重に協力者を探すことにしたの。そしてあなたが零雨ちゃんの目にとまった」
「そのアタリが宝くじなら俺は今頃大金持ちだったろうな……」
「あなたがどういう人物なのか、情報が欲しかった。まず最初にファミリーレストランで零雨ちゃんがあなたと対面した。二日間の相席を通して零雨ちゃんは“知的レベルは通常の範囲内。生活に必要なビタミン類のバランスもとれた生活をしている。健康上の問題も見受けられない”と教えてくれた」
「健康診断かよ」
「すぐ病気になるような人だと私達が困るし、零雨ちゃんは人の感情を感じ取ることができないから、健康診断になってしまうのは仕方がないの」
「そうか。嵩文、ちなみに俺の寿命はあとどれぐらいだ?」
さっきからずっと黙っている嵩文にも発言の機会をと思い話しかけた。彼女は俺に視線をゆっくりと合わせた。
「……死ぬときに分かる」