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【連載15年目到達】マジで俺を巻き込むな!!【はよ完結しろ】  作者: 電式|↵
キカイノツバサ ―不可侵の怪物― PartB

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第5話-B71 汽水域


 午前二時すぎの空気は静水だった。

 迎賓館一階、エントランス最寄りの従者向けの小さな空き部屋。俺はライティングデスクの椅子を引っ張り出して座っている。

 背もたれも座面にクッションもない質素なものだが、それが今の俺にはちょうどよかった。

 ベッドにはリンが運びこまれていた。グレアは、彼女の自室に運ばれた。

 同じ条件の空き部屋ならまだ多くある。ではなぜ二人の対応が違うのか。察することができるだろう。


 リンは死んだ。

 墜落現場の第一発見者はメルで、俺が屋上で聞いた金切り声は彼女のものだった。

 彼女が最初に現場を見たときは、リンはまだ息をしていたらしい。慌てふためいて助けを求めている間に、いつのまにか息を引き取っていた。

 墜落後のリンに意識があったのかどうかは、今となってはもはや誰にも分からない。


 俺があの場に呼ばれたのは、間違いなく「リンを治療するため」だった。

 だが彼女は死んでいた。医者は確かに彼女を治療しながら、死んでいると遠まわしに俺に伝えた。

 医者は治療しながら俺に自己紹介したが、名前はもう覚えていない。混沌とした思考と感情の濁流に押し流されちまった。


 ……とにかくそこに意図があったのかは分からない。しかし結果としてグレアを庇うように下敷きになって落ちた彼女は、重力の猛威を一身に受けた。

 治療現場を汚していたのは、彼女のものだった。

 頭が割れ脳漿が吹き飛び、顔が崩れた。

 全身の骨は砕け折れて突き破れ、腹部は一瞬の圧力で風船のように破裂し、割れた皮膚から体腔(たいこう)内のものが飛び出る。


 即死でもおかしくない状況で、むしろ少しのあいだ生命を保っていられたことは、不幸な強運だっただろう、と彼は言った。

 もしそれがエルベシアという種族の生命力によるもので、意識もまだ残っていたとしたら――残酷な仮定はやめよう。

 彼女は亡くなった。


 グレアも相当な衝撃を受けて全身骨折の重傷を負った。意識はなかったが、リンがクッションになったことで衝撃が和らげられて、まだ十分助かる可能性があった。

 実際、クラリの懸命な治療もあって容体は安定している。


 では、あのとき俺は一体何のためにあの現場に呼ばれたのか。

 それは癒やすことに特化している俺の魔力でグレアの治療に加担することが一つ。

 そしてもう一つが「死んだリンの治療」、つまり遺体を損傷前の状態に回復させることだった。

 葬式を行うにあたって、リンとの最後の別れを、全身を包帯に包まれ、痛々しく歪んだ彼女の輪郭で終わらせることは、本人も参列者も望んでいないだろう、と。


 騙されたと思ったね。

 俺はまだリンが生きていて、助かる可能性があるから呼ばれたのだと思っていた。普通そうだろ?

 そのときは、場がそれどころじゃなかった。そこにいる誰もが、事態に真剣だった。

 医者の言うことは理解できていた。俺だって、まともに目を向けられないような遺体のまま彼女を放置しておくことなど耐えられなかったし、なんならどこかの時点で、医者と同じことをやれないかと頼んでいただろう。


 だが、そうじゃない!

 まだ生きていると思った。まだ助かるかもしれないと思った。そんな期待を持たせられてあの惨状と向き合ったときの、違和感。世界の反転。

 最初からそうだと言ってくれよ! 背後から撃たれて奈落に落とされるような感覚もなく、覚悟して臨むこともできた!


 ――はずだ、多分。


 ……分かっている。百点満点の理想論は、理想の世界でしか生きられない。現実的虚構に住まう俺達がいくら渇望して手を伸ばそうと、決して手中に収めることなどできない、無縁のものだ。

 医者とメルの対応は、ベストではなかったかもしれない。しかしもたらされたそれは、理想と現実の汽水域に住まう、ベストに漸近した(極限まで近い)ベターであり、ならばあの場でそれを求めることは俺のわがままで、すなわち誤りだ。


 それに、医者の言うこともあながち間違いではないらしい。この世界特有の現象がある。

 稀に死体が生き返ることがあるのだ。それをこの世界では「タマガエリ」と言うらしい。漢字で書けば「魂帰り」だろうか。あるいは「霊返り」だろうか。

 死後一、二日以内、不慮の出来事で死んだ人に起こりやすいもので、病死した人にはまず起こらない。

 タマガエリができるのは、死体が生き返りやすい状態であること、霊魂に生への執着がまだあること。これら満たされたときに稀に起こるものだと、経験的に知られている。


 ぐちゃぐちゃになった遺体を治療して、生前の状態に戻すことはタマガエリの確率をゼロからプラスに引き上げる。それは復活して助かるという点においては救済であり、れっきとした治療なのだ。

 俺が呼ばれたのは、タマガエリの確率を最大限に上げるために、膨大な魔力を使って可能な限りリンを復元するためだった。本来医者が束になって、魔力を分担してやるレベルのひどい損傷だと医者は言った。回復系魔力のバケモノの俺がいるからこそ彼一人で施すことができたのだ。


 それでも、リンは帰ってくることはない。

 自ら望んで向こう側へ渡った彼女が、残酷なこの世界に戻る理由などない。いくら身体を復活のために治療しても、生への執着がない彼女の心が、この世界に戻ろうと決意する確率には到底期待できない。

 どんなに身体を治療して確率を上げても、ゼロを掛ければ結局ゼロなのだ。

 そうさせたのは俺だ。だから俺は魔力を無駄遣いせずにはいられなかった。教室に戻れば自席が占拠されて居場所がなくなっているような思いを彼女にさせたくない。

 いまさらだが、だが、この世界に彼女の帰る場所の一つくらい、用意したっていいはずだ……


「…………。」


 目の前で灰色になる彼女。

 ときおり、息を吹き返したように手が、足が、表情が動いた。そのたびに、あるはずのないタマガエリを期待して、俺は冷え切った手を握り、彼女に白い手形を残すのだ。


 彼女のまぶたは下がりきらなかった。まぶたが開いていると、水分が抜けて目が凹む。気休めだろうが少しでも遅らせるために閉じきっていたほうがいい、と医者に言われた。

 腰を上げて、俺は手を伸ばして人差し指と中指で、半眼になった彼女のまぶたを下ろす。顔が冷たかった。

 手を離すと、折り跡がついた紙のような僅かな弾力が、俺の前でこっそりまぶたを持ち上げる。

 また、指でまぶたを下ろす。今度は開かないように、跡をつけるように下ろし続けた。


「ふっ……ふふっ――」


 指で彼女を目隠ししていちゃついているようで、その滑稽さに喉を鳴らすような笑いが出る。

 いまさら遅い。物憂げな横顔を見せる彼女も、難しそうな顔で本を読む彼女も、少し安心したような和らいだ顔の彼女も、もはやここにはいない。いないんだよ。

 なんで俺は、こんなことになってから、リンが死んじまってからしか、落ち着いて向き合う時間を作ることができないんだ――


「ははッ……」


 この世界で最初に出会ったはずなのに。

 この世界で初めて俺を庇ってくれた人なのに。

 行くあてのなかった俺に居場所を作ってくれた人なのに。


 ――なに一つ返すことなく、彼女は自殺してしまった。


「ぁあ……ぅああぁ――ッ!」


 俺はッ……! 彼女が信頼した唯一の他人だった!

 だがそれに俺は応えなかった――! 気づかないふりをした!

 

 リンがメイドと一緒にクッキーを持ってギルドに来たことを、受け流すべきではなかった!

 なぜか! 孤独が辛かったからだ!


 リンは俺を信頼して、俺を頼っていたんだ!


 俺が殺した! 


 彼女が死の間際に麻痺毒を飲んでいた! 死ぬのが怖かったからだ!!

 最期の最後まで……! 彼女が死を説得していた相手は俺ではない!


 彼女自身だ!!


「チクショウ! チクショウ! チクショォォォォォオオォオオオ――!」


 俺が溢れ出る理解と感情の濁流に飲まれてどれだけ号哭をあげようと、彼女はピクリとも表情を動かさなかった。


「あ゛ぁぁぁ――! 俺が悪かった! 俺のせいだ!」


「許さないでくれ……! 俺を責めてくれよぉ!」


 時間はいっぱいあった! 機会も掃いて捨てるほどあった!


「なのに俺は……逃げた……」


 両膝を拳で叩きつけても、残響。誰も俺を責めることはない。

 俯いた視界。目頭からズボンに滴り落ちた涙は、暗い滲みを作って吸い込まれた。


「なぜもっと慎重になろうとしなかったんだ――ッ!」



 事の一部始終を聞こうと廊下に立ったガルは、ドア越しに突然響いた彼の絶叫でノックする手を止めた。

 一階にコウがいるという話をメルから聞いた、という話をブロウルから聞いたのだった。

 又聞きほどアテにならないものはないが、情報源がそれしかない以上、足を運ぶしかないと決めて訪れればこれだ。


 子供の頃から今に至るまで、武器を片手に世界を飛んだ彼にとって、それは慣れたものだった――敵が、味方が、あるいは混乱に巻き込まれた民衆が、親しき者の死を嘆き懺悔する様子と、コウの声とが重なる。ガルはいつも傍目にそれを見やるだけだった。


 ドアの脇の壁に背を預けて腕を組みながら、彼の叫びを聞いていた。目尻にシワの寄った直線的な目が虚空の一点を眺める――俺はまだ人間だろうか。


 戦場で横たわる者にも家族があり、親の寵愛を受けた人間であると論ずることは、依頼遂行の障害にしかならない。

 傭兵はときに命乞いさえする彼らに刃を突き立てることが仕事だ。

 同情してはならない。さもなくばその隙に付け入られて骸となるのは己自身なのだ。そうして失った仲間も一人や二人ではない。


 冷徹になれなければ、そのうち病んでしまう。それで辞めたヤツらも併せると――親しかった二、三人を筆頭に数えたところで、ガルは数えるのをやめた。歳の近い生き残りを数えたほうが早いが、そうする気も起きない。

 傭兵業を生業にする者でさえそうなのだ。いかでか民衆に耐性を期待できよう。

 しかし、だ。傭兵の世界に身を置いて五十年以上――俺はいまだ人間を殺した(・・・・・・)ことはないはずだ。


 おもむろに腰に巻いたケースから葉巻を一本切る。このあたりでは取引の少ない貴重なグリーズ産――葉巻以外何もない田舎のもので、以前赴いたときに買い足したものの一つだ。恐らく神都行きのメンツの中で、グリーズを訪れたものはまずいない。


 彼が葉巻を口にするのは、もっぱら辛気臭い空気を浄化するときだった。

 明日は何もできまい。ガルが見知った者の多くがそうであったように、彼も例外ではないと見越したのだった。

 夜も更け、普段なら控える長い葉巻に火をつけない理由はない。


「エルベシアねぇ……」


 煙とともに吐き出される。

 からっぽ。何を信念にしてるかと問うたときの彼女の答え。

 空白の信念を持つ危うさを、ガルは若輩ゆえにまだ方向性を見つけきれていないだけだと思っていた。

 彼女がどこか異質だということは、メンバーの中で特に新参のガルも認識していた。しかし。シッポ(古族)、異界人、アホタレ、貴族の嬢さんと、なかなかメンツが濃い中では、むしろ没個性的だったことが、嗅覚を鈍らせた。彼もまた、陰気な大人しい少女くらいにしか思っていなかったのだ。

 彼はそれを認識しながら、コウのように己の失態だとは微塵にも思っていなかった。救急処置はともかく、そもそも当人主体で解決され乗り越えられるべき障壁であって、その介入はあくまで未熟な彼らへの親切にすぎない。

 ややもすると、ガルも彼らと大差ないのかもしれない。


「………。」


 エルベシアに遭遇したことは九十年の人生で一度たりともなかった。知らされるまで分からなかった事実を考えると、既に遭遇を果たしていたかもしれないが、とかく実際に交流したのは今回が初めてのことだった。

 軸のなさは種族の特質か、環境か、あるいは属人的な性質によるものか。判断がつかない。

 ブロウルから聞いた話じゃ、リンは故郷で問題に遭遇したらしいが――普通の少女が人を殺めた(・・・・・)とするなら、それで病んでしまうのも合点がいく。


 果たして真相は永遠に解かれることはない。

 しかしながら、エルベシアが殺しをする話は比較的耳に入ってくるが、彼女が自らの行いに苦しみ命を断ったのだとしたら、それは自分のみならず、世間もまたその内容に驚愕するだろう。

 ガルは思う。

 我々と同じように手足があり、翼を持ち、言葉を綴り、同じように生活することは知られていたが、心と能力だけは異質の怪物だと思われているからだ。

 たとえ心が我々のそれと変わらない事実が明らかになったとしても、たかだか例外一つで世界は変わりなどしない。ほとんどにおいて、無責任な文化的奔流が彼女を許容しない。

 つまり不都合な事実は過去との整合性を維持するために、暗黙のうちに改変され、抹消されるのだ。

 彼は生い立ち故に、その日常的展開について疑問を呈すことはない。


 ――俺を責めてくれよぉ!

 印象的に響くコウの声色に心を動かされそうになるのは、俺がまだ人間の範疇に留まっている証左か、あるいは――葉巻に未熟な赤光環。伸びる灰に視線。足元の絨毯。

 空中にとぐろを巻く紫煙。目を細めて吐き出した噴流は蛇を打ち消した。


 絨毯を汚すことは彼の本意ではない。彼はゆったりした足取りでエントランスの出口、差し込む月光に消えた。

 コウの声響く扉の前から、残された煙が静かに希釈されながら思念を主張する。


 夜は未だ明けない。


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