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【連載15年目到達】マジで俺を巻き込むな!!【はよ完結しろ】  作者: 電式|↵
キカイノツバサ ―不可侵の怪物― PartB

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第5話-B70 正義


 ノックもなく、ドアをゆっくり軋ませて俺の部屋に現れたメルの姿は、俺とブロウルを黙らせるには十分だった。

 下唇を噛む彼女の紫色のメイド服、白色のエプロンが流血を吸い上げ、筆で擦りつけられたような血痕を彩る。


「…………。」


 …………。

 乱れた金色の髪にも赤褐色の血。

 彼女は現場を背負っていた。俯く姿勢から、彼女は取り乱した名残の色濃い顔を上げた。


「取り急ぎお願いがございます……お二方の治療にお力添えをいただきたいのです」


 ――メルが頼まれた言付けとはつまり、治療している当直医に、使いどころもなくあり余る俺の魔力を供給してほしいということだった。

 医者は、賓客の利用に合わせて迎賓館専属として任命されるものだった。つまり俺向けである。それが少しばかり厄介なことになっていた。

 というのも、俺に対する治療魔法が効かないこともあり、現代でお世話になっていたような、"原始的で特殊な"治療法に秀でた医者が選ばれていた。

 今はナクルの防衛軍から軍医が一名任命されていて、クラリと二人で治療しているとのこと。

 メルの説明は焦りからか飛ばし気味で、危うい脳内補完の上で話を理解した。


 俺に供給の話がくるということはつまり……二人の負傷の具合はそういうことだ。


「どうか、どうかユリカ(グレア)を助けてください――」


 いまにも俺を引きずって連れ出しそうになるのを抑えるように、早口で話すメルの足は震えていた。

 ここでグレアの名前が出るか――そうだよな、グレアと親友の彼女だ。形式上はリンの身を案じなければいけないのかもしれない。しかし心が気にかけるのは、親しい人間のほうだろう。

 

 そう考えて気づいた。自分自身も、リンのことばかり偏って考えていたこと。

 屋上で、眼前にして消えたリンの事実は焼きついて消えることはない。しかし証拠を見ていないグレアは、まだ質の悪い冗談でした、と言うことができるのである。もちろん冗談なら、それはそれでタダでは済まされないが。

 俺はグレアが墜落したことを、状況的にも、彼女の頭の速い立ち回りを考えても、おそらくまだ信じられていないのだ。

 

 彼女の依頼を断る理由などあるはずもなく、二つ返事で了承した。


「ブロウル、悪いがここに残って、俺に用がある奴の応対をよろしく頼む」

「お、おう。大丈夫か?」

「大丈夫だ」


 言い切って、メルと一緒に部屋を出た。

 二人の現状を否が応でも見ることになる。それに乱されない自信はなかったが、ここで予防線を張れば、そこに逃げてしまう気がした。

 つくづく情けない人間である。


「エントランスを出たところで、治療しています」


 早歩きで向かう彼女はそれ以降、硬い表情のまま何も発しなかった。グレアがどういう経緯で墜落したのか、一緒に行動していたはずの彼女は知っているに違いない。

 尋ねれば答えてくれるだろうが、できなかった。

 その経緯の全貌を知る前にエントランスに着きそうな気がしたし、なにより屋上でブロウルに問われたときの俺のように、その瞬間を思い出したくない気持ちがあるかもしれない。だからまだ気持ちが荒れている間は、尋ねるべきではないと感じたのだ。

 メルのまとう雰囲気に自然と圧されて、俺の心拍数も変わる。


 エントランス周りの階段を降りる。コツコツと二人の靴音が響く。混乱で怒声が混じって対処していてもおかしくないと思ったが、実際のところそうでもなかった。

 降りていくにしたがって、開け放たれたエントランスの扉の向こうから、クラリのかすかな泣き声が入りこんで、エントランスの空間に響いているのが聞こえた。


「見るなと言ったろう」


 三階に降りたところで、同様に外から聞き慣れない男の声がした。おそらく彼がメルの言っていた医者だろう。

 そう思って彼女に視線を移そうとして、視界から消えていたことに気づいた。

 振り返ればメルの歩みが渋くなって、俺が彼女を置いてきぼりにする形になっていた。初めは俺が速すぎたのかと思ったが、彼女の歩みに合わせれば、俺の部屋を出たときよりも足が鈍くなっていた。


「大丈夫か」

「……はい」


 大丈夫なはずがないだろと、俺自身にツッコミを入れる。何もなければそんな変化は起こらないのだ。


「私もユリカの傍に――」


 彼女の葛藤に何も言わなかった。

 なにか気の利いたことの一つでもできたなら良かったのだが。


 わだちの車庫代わりにしていたエントランスは、何も置かれていなかった。

 開け放たれた扉から、足元に対流する夜風の流れはひんやりしていた。わだちの姿も出てすぐのところに見えた。

 荷台の幌の中で、蝋燭のランタンが吊り下げられて、そこに人影が見えた。


「来たか」


 エントランスを出ると、嫌な匂いが鼻をかすめた。

 吐瀉物と下痢、口臭のような謎の変な臭い。悪心が最大になる比率でブレンドしたような生理的嫌悪感を捉える。一歩ごとに強くなる。思わず寝かせた人差し指を鼻元に当てた。


 クラリとその男は、マスクをしていなかった。彼は十中八九(じっちゅうはっく)メルの言う医者だろう。二人はマスクはなくとも、白衣のようなものを着て、荷台の両脇で白いシーツの上から寝かされた二人の中央に座りこんで治療していた。

 俺の立つ足元には、土に血痕や粘液のような何かが滴り落ちた跡があった。その元を辿ると大量の血を吸って変色した地面。


 ――唇を噛む。俺が当事者の出来事だ。これが関係のない第三者の巻き起こした事件であれば、どれだけ楽に立ち向かえただろう。

 リンとグレアを視界の中央に入れることは、俺にはできなかった。


「慣れてないなら怪我人の方を見ないほうがいい」


 クラリの声、惨状、臭い。全身の感覚器官から責められている気さえした。


「汚れてもいいように上着は脱いでくれ。その上から、これを」


 面長で細目、口髭を生やした彼は七十歳代に見えた。

 彼はしゃがみこんだ状態から、器用に足先で折り畳まれた白衣を俺の前に押し出した。

 両手がひどく汚れていてな。その老人はよほど集中しているのか、こちらに脇目も振らなかった。

 クラリはグレアの治療をしていた。彼女の無造作な足元に見える靴を見て判断した。


「お召し物を」


 そう言ったメルに上着と、その下のシャツを預けた。下の方は……ズボンを脱げば肌着。夜風も冷えていたし、着替えの用意にも時間と手間がかかる現状、これは諦めてそのまま着ることにした。下着の上から白衣を着る。


 白衣は冷たかった。それは、冷蔵庫のような夜風に冷やされたことだけが原因ではない。

 既に汚れていた。よく分からない汚物が、白衣に楕円形のシミを作っていた。異臭の放つ粘液の水分が腕や首元に触れる。この白衣に意味などない気がした。荷台の上で大事に置かれているくらいなら、まだわだちの下で土埃にまみれている方がずっとマシだった。


「気分が悪くなったら、それを」


 息苦しい。ねばついた唾液が喉に溜まる。目を回して吐き戻しそうだ。頭の血管を鼓動が貫く。俺が俺から抜け出してしまいそうな浮遊感。

 エスパーのようなタイミングの言葉に木製のバケツをちらりと覗けば、空虚で満たされていた。


 胸につかえたこの気持ちを、胃の中のものと一緒に吐き出してしまえば、少しは気が楽になるだろうか。


 ……最低だ。


 ブレねぇ俺。さすがだクソ野郎。

 普段から性格偏差値四十台の曲がった根性はダテじゃない。こんな状況でさえ、彼女たちを助けようとしながら、その原因を作った代償から逃れようとする、惨めな負け犬根性。腐臭がする。


 どこに行くつもりだ。

 痺れる感覚で煙に巻いて消し去ろうとする俺を、爪を立てて握りしめた拳で掴んだ。

 都合のいい理屈をこね回して、もっともらしい理由をつけて、先延ばしにして、俺は今まで逃げてきたんじゃないのか。

 そう自覚してさえ、俺はまだ逃げようってんだ、なぁ――


「ぶッ――!」


 加減の知らない拳骨が右頬を貫く。大した根性だよなぁ。

 周りは俺のことを責めることなどできないだろう。事実として、実績として、そういう予防線を俺は張ってきた。飛行艇開発の忙しさ、疲労、人助け。助けることに失敗した俺を、みな、ブロウルのように守ってくれるだろう。心地いいよな。彼女が勝手にやったことだと、みんな認めてくれる。


 だがな、俺の言葉と行動は俺が一番よく知っている。誰に慰められようと、俺の真意を知るのは俺しかいない。彼女がSOSをずっと送り続けた相手は、他でもないこの俺一人なのだ。

 なにが正義なのか、分かっているはずだ。正論、好きだろお前?


「グッ――」


 リンは過去の自分のしたことに百年以上苦しめられながら、それでも人知れず常に向き合っていた。

 俺はどうだ。たった数分も向き合えていない。嫌々見せつけられて喚いているだけだ。なっさけねぇ。彼女たちの心配よりも自分のことばかり考えてるだろ。


 ――逃げるな。これは(みそぎ)だ。


 白い、囁き未満の言葉で戒めた。

 俺はやってきた結果を認めねばならない。


 三人が怪訝な様子で、今していることから意識を逸らす。

 肩をほぐすように一息つく。


「俺なりの喝の入れ方でね」


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