第5話-B66 不可侵の怪物 無力な人間
――外から差し込む陽光で明るくなる寝室の刺激を受けて目覚めた。それと背中が暑かった。
昨晩、クラリとの話の途中で寝てしまったのだと気づいて、本日第一号のため息。
寝る直前、クラリと何を話していたのか思い出せない。
気を失う前にクラリに「おのれの部屋で寝ろ」と言うつもりだったが、言いそびれた。一人にさせてほしいとは言ったが、それじゃあ通じなかった。その結果、横向きで寝る俺の背中にクラリが堂々と添い寝しているわけである。
いっぺん蹴飛ばしてやろうか。寝起きの俺は概して機嫌が悪いのだ。俺は起こさぬよう、そっとベッドから這い出て立ち上がった。クラリはメチャクチャいい顔をして寝ていた――己の欲せざる所は人に施す勿れ、気が済むまでそうしてろ。
着替えを済ませ、いつもの執務机に座って、グレアが来るまで外の景色を眺めることにした。
まぶたはむしろ軽かった。目覚めが良かったのだ。
胸糞悪い夜を快眠でやり過ごした自分に罪悪感を感じた。別に悪いことではない。寝て明日に備えることは大事だ。
しかしそれでも、リンの話を聞いてなお快眠できてしまった自分が、昨晩俺がまるで彼女の話に何も感じなかったかのような、昨晩俺が感じた動揺がまるで幻想のような紛い物のような――「リセットされた朝を迎えることができた自分」が恐ろしい。
リンがエルベシアで、多くの人を殺し、略奪して生きてきたという事実を、まだ現実のものとして受け入れてないだけなのだと思いたい。俺は人間を辞める気はないのだ。
カチャンと音がして廊下の扉が開く。その方向に顔だけ向ければ、いつも俺を起こしに来るグレア。俺が執務机の椅子に座っているのを認めると、興味なさげな声色で「起きてたの」と言った。
「まあな。起こす手間が省けただろ」
「どうせなら他の仕事も全部省いてくれると助かるんだけど」
こんなやり取りは前にもした気がする。俺だってさっさと飛行艇から開放されて自由気ままな時間がほしい。本質的に求めるものは変わらない。
グレアはクラリのことを尋ねた。昨晩クラリが廊下に出ていくところを確認していなかったことを気にしたらしい。
そういうところの勘はなかなかに鋭いと感心しつつ答える。
「現在進行形で俺のベッドを占領してる」
「えぇ……あんな夜でもお盛んにしてたわけ?」
「昨夜俺がもうちょい元気だったら、あやつをベッドから蹴落としてたんだがな」
執務机越しにグレアと目を合わせる。互いにじっと顔を見つめる様子は、さながらにらめっこの様相であると我ながら思った。先に顔を背けたのはグレアの方だった。
「…………。」
「……お前分かってて言ってるだろ」
「そうね。懸垂五回程度の体力じゃ、女の子を蹴飛ばす筋力もないかしら」
「試してみるか? 着替える覚悟をして後ろ向いてみろ」
何事もない、普段通りのやり取りのように見えて、それは少し不自然な軋む音を立てた。普段のグレアなら、フヒッとでも言いそうな、煽るような表情を見せつけて俺の心をかき乱そうとしてくる。だが今の彼女はサラッと、無表情のまま顔を背けたのだ。
「……遠慮しとくわ。とりあえず朝食出すから」
グレアは俺の目の前にいつもの朝食を並べるが、劣化したプラスチックを擦り合わせたようなギコチナサが空気として漂っている。その原因が何であるかは述べるまでもない。
昨晩の影響を受けたのは、当然俺だけではないのだ。
「そういえば、面白い噂を聞いたんだけど」
話題転換と、グレアは金策に喘ぐ飛行艇計画に耳寄りな話だと前置きをした。
「ここの軍が飛行艇計画に興味津々みたい。特に物資の大量輸送の技術が気になるって」
「そうか」
軍隊で大量に輸送するといえば、人員、武器に食料だろう。やはり、軍事転用の懸念は現実のものになりつつあった。
こちらのフトコロ事情もおそらく先方は知っていると思われる。今知らずとも、そのうちすぐさま事情を知るだろう。
さすれば、彼らは取引を持ち込む可能性が高い。「どうだ、金や資材は援助する。だからその成果を共有させろ」と。
「覚悟を決めるときが来たってことか」
「覚悟?」
グレアが聞き返す。
彼女に屋上へ連れて行かれた夜のことが頭に浮かぶ。俺は今でも飛行艇のような過ぎたものは、この世界に悪影響をもたらす前に、一品限りのものとして用が済み次第破壊したいと考えている。
「理想だけじゃ物事は達成できないってことだ」
「ああ……」
俺の言わんことを理解したグレアが声を上げる。
不要な軍事転用は俺の望むところではない。だがモノがモノだけに直接軍に売らずとも、世に開放すれば遅かれ早かれ転用される。
たとえ契約だとか約束だとかで用途を縛ったとしても、それが尊守されるかどうかは怪しい。契約違反を起こしたとき、それを咎める力は存在し、機能するだろうか。
損得勘定のサイコロは正義の坂道を転がり落ちるものだ。どうせ転用と拡散は免れない。
現状、計画凍結もできず拡散を塞ぐ手立ても案もない。
ならば、どうせ拡散してしまうものとして、考えを切り替えて実のある選択をしておきたい。資金的にも、契約的にも。
「はぁ……」
まだ玄関から話が来たわけではないが、俺はすでに死の商人に片足を突っ込んでいる気分である。余計に憂鬱な気分だ。
「そこの扉を開けると神都のどっかの通りに出るなら、飛行機なんて要らないんだがな……」
俺はグレアの背後の執務室と廊下を仕切る扉を指差してぼやく。
もし出立に時間のかかる俺達に神使がしびれを切らせたなら、どっかのタイミングでやらかしてくれるかもしれない。ワンチャン狙ってみるか?
実在するかどうかも懐疑的に思われるほどに神殿で引きこもっているらしいじゃないか、神使様は。むしろお忍びで向こうから来てもらっても構わんのだが。寝てるベッドの横に立たれる的なサプライズでもなけりゃ大歓迎である。
立たれたら俺のリボルバーが文字通り火を噴く。さすがに寝起きのとっさの判断で、姿も知らぬ神使と敵襲を識別できる自信はない。
「諦めなさい。飛行艇は神都への移動手段で必ず必要になる」
飛行艇を軍事利用するかは、決めるべき人が決めてその人が責任を負うものであって、俺が関知することではないとグレアは言った。
グレアは知るはずもないだろうが、昔ノーベルというニトロオヤジがいてだな――
朝食を済ませて一息つき、そろそろ起こすべきかとグレアと話を始めたとき、クラリが寝室から眠そうな目をこすりながら出てきた。
「起きたか」
「んぅぅ……」
髪も服もぐちゃぐちゃなクラリは、喉を鳴らすような返事をしてふらふら歩いていったかと思うと、部屋のドアを開けて廊下へ出ていってしまった。
「あれは起きてるのか?」
「完全に寝ぼけてるでしょ。今あの子を支配しているのは帰巣本能だったりとか」
俺の部屋が巣だと思われていないだけ良いか。別に邪魔にならなければこの部屋にいてもらっても構わんのだが、クラリの性格を考えると、やっぱり何らかのちょっかいはかけてくると思って間違いない。
「ふっ、でも昨晩はそこの寝室がクラリちゃんと愛の――」
「そういえばお前も一度酔ってそこで寝たことがあったよな?」
「そんなこ……ぁっ」
思い出したか。お前が酔って俺によだれをかけた夜のことは忘れもしない。
これ以上クラリの話をすれば自分自身にも返ってくることをしっかりと認識してもらいたい。
グレアの赤くなった耳で、そのことを認識したことが伝わる。まあついでである。
「しかもお前の場合、クラリと違って俺の上に乗ってき――」
「はいはい私がわるぅございました! その話はもうやめ! しかも不可抗力だし!」
「不可抗力もなにも、お前が酒を飲まなかったら良かった話だ」
その後少しして、いつものように執務室にメンバーが集まるのを待ちながら、ナクル工業ギルドに出かける準備を始めた。
正直言って俺の部屋で異性が寝たなんて話は、今はどうでも良いことだった。
飛行艇の軍事転用の話でさえ、そんなことよりとさえ思わせるのが、リンのことだ。
あれだけのことを内に秘めながら我慢して、胸を痛めていたのだ。
一人部屋で静かに過ごしていたリンが、あんなものを抱えこんで苦しんでいたと知って、俺がなんとかするべきだと思った。
「うーす。ボス、今日はいつもより冴えないツラしてんな」
「うるせえ」
"なんとかするって、どうすんだよ"
昨晩の俺の言葉に対して、もう一人の自分が辛辣な質問を突いてくる。
どうしたら良いかなんざ悩んだところで、バカな俺にはなかなか答えが出せなかった。
「お、ガルじぃうーっす!」
「チッ、あぁぁ……ジジイ言うなブロウル、俺はまだ親父のトシだ」
「ガルじぃのじぃは親父のじぃだぜ」
「爺もじぃって言うの知ってるか?」
「ガルじぃはどっちも片足突っ込んでるから間違いじゃないぜ」
「もう一度言ってみろ若造?」
そもそも、俺はこれほどまでに困っていて、複雑で、明らかに助けが必要なのに、「大丈夫だから」と、身体的にも精神的にも限界に追いやられるまで一人で抱えこんでいた人間に出会ったのは、俺の浅い人生経験の中ではこれが初めてだった。
お袋も、美羽も、チカも、ジョーも、神子上も、ちょっとでも困りごとがあれば俺に全力でキラーパスというよりデッドボールに近いそれをぶん投げて巻き込んできたのである。
"彼女を孤独にさせない"
ようやくひねり出した一つの解は、結局これまでの解の焼き直しに他ならなかったが、とにかく俺は徹底して遂行することに決めた。
今まで俺は……そう、リンの自由意志を尊重して半ば受け身の立場からの行動を貫いていた。だが彼女の性格ではそれでは助けられないことが分かった。だからそれなりの対応に変えるつもりだ。
ただ、今から即実行とはさすがに空気が読めなさすぎるというものだ。
リンだって、今はこの変化した状況に適応するためのゆったりした時間が欲しいだろう。
そのための時間は、一日か二日ほどあれば十分かもしれない。
リンがエルベシアだということを知っているのは、俺以外にグレアと、クラリだけだ。
迎賓館に来て以降、今まで困ったことの大半はグレアに相談していた。だが今回ばかりは、彼女に相談は控えたほうが良い。
グレアはもともとリンと相性が良くなかったようだが、加えてエルベシアだと知って心理的に不安定な部分があるのではないかと思った。
控えめに言っても、グレアはエルベシアを差別的な目で見ていた。言動がそれを証明している。
今はどう思っているのか分からないが、昨夜は現状がわかるにつれ、彼女の態度が軟化しているように感じられた。
差別で頭が凝り固まっているわけではなさそうなのが救いだ。しかし俺がリンについて相談したところで、彼女がいつものコンピュータじみたというべきか、的を射た答えを返せるか分からないし、その相談で彼女の心をかき乱すのは俺の思うところではない。
「なるぅおはよー! ねえ聞いて聞いて、朝起きたらね、びっくり! クラリは自分のベッドで寝ていたのです!」
「おう、お前が戻ってくとこ見たぞ」
だから、この問題で俺がいま頼りにできるのはクラリだけだ。
クラリはリンの境遇に共感できるだろうし、なによりも幸か不幸か、昨晩俺が寝落ちする直前にリンのことを心配していた。
クラリなら、きっと俺の考えも理解してくれるし、彼女は人の心が読める。彼女の能力でなら、間違いない――
――本当にそれでいいのだろうか。
クラリを頼って、リンの求めているものを的確に差し出したとして、それはイカサマではないだろうか。卑怯というのではないか。
リンが自分の心を読まれたと知ったとき、いい気分になるだろうか。
「すまない……」
誰にも聞こえぬ小さな謝罪の言葉をひとつ。
……結局、俺という人間はリンの問題に限らず、ここぞというときに限って、誰かを頼らなければ問題一つマトモに解決できない人間なのである。
人ひとり、せめて仮初ですら自力で癒やしてやれない無力なこの人間を、俺はただ恥じることしかできない。
「全員揃ったな。そろそろ行くぞ」
当のクラリは、昨夜あの場にいた人物の中で唯一、いつもと変わらず元気だった。
彼女的には、リンのことを大丈夫だと判断しているのだろうか。少しばかり安心する。
――せめて、それが俺を心配した彼女の演技であったことを思い出せていれば。