第5話-B65 不可侵の怪物 レンズ越しの正義
「あのとき確かに、私は『こんなか弱い人たちに虐げられていたのか』とあっけなさを感じました。そして反撃に出た私に為す術もなく殺されていく様子を見て、愉快だとさえ思ってしまったのです!」
リンは一度に言い切り、ゆっくりと息を吸い込んで、自らの頭を冷やすように、落ち着ついたように、ぽつりと言葉を続ける。
「つまり私は、エルベシアが危険な種族だという偏見と差別を助長して、他人の物を奪って、一人のうのうと生き延びて……さらにはこんな人が羨むような生活をしながら、まだ意地汚く生きようと他人に手をかけた最低な人間なんです。殺されて当然なんです」
彼女の話は、俺がどうにか即席で何かアドバイスできるような範疇を超えていた。いや即席でなくとも、たとえ回答に三日の猶予が与えられたとしても、自信を持った答えを用意できる気がしなかった。
そもそも、俺が平和な国で培ってきたポケットに入りそうな物差しで測れるような内容ではなかったのだ。
「……しかるべきところで判断してもらうしかないんじゃないのか」
そう言うほかに答えが見つからなかった。
俺がいた平和で寛容な国でさえ、彼女の罪状を問えば、情状酌量など焼け石に水。強盗大量殺人、それも史上稀に見る凶悪犯罪で、執行猶予なぞ裁定のアウト・オブ・レンジであり、ブッチギリで極刑は免れないだろう。
ましてやエルベシアによる犯罪である。その偏見も彼女の罪をより重くさせるだろう。
つまり、司法に判断を委ねたとしても、俺の予想では結局のところ、極刑を免れないのである。
「だが、それでも俺はリンの味方だ」
リンは俺の命の恩人だ。彼女がいなければ、俺は砂漠をさまよい歩いて死んでいただろう。この世界で行きていくための衣食住を用意してくれたのは彼女だ。もっとも、その資本は村人から奪った財産だったが……
どうにかしてやりたい。その当時名前も知らないクラリのいじめを真っ先に見つけて庇うような奴なのだ。
何度でも言うが、理屈と膏薬はどこへでもつく。赤の他人が、「リンはずる賢く、あらかじめそんな人物だと演じ続けていたのだ」と、言おうと思えば言えるのである。
だが、俺はリンの実際の振る舞いを見ていた。俺は問いたい。いじめを庇う優しい人物を演じたいなら、庇ってそれで終わりにすればいい。わざわざ戦力になるかどうか分からなかったクラリを雇おうなどとは言わないだろう。
その前の選考会のときだってそうだ。彼女は戦いを眺めて娯楽にすることを嫌っていた。それだけじゃない。顔を青くしたので救護室まで連れて行ったのだ。いくら狡猾だとして、顔色に出る体調の変化まで演じきれるだろうか。俺の答えはノーだ。あの時の体調の悪化は、今なら説明をつけられる。彼女は場内で戦う人間を見て、自分の過去の行いがフラッシュバックしたのだろう。
そして、それは今のリンの顔色と変わりない。紫になった唇、蒼白の顔、速い呼吸、震える手。
極めつけは、罪の告白である。わざわざ自分に不利になる罪を告白する必要があるだろうか。
単純に考えて、リンの言動は一貫している。そして狡猾というには非合理的だ。
「何の役に立たない男でも、お前を庇うことはできる。幸いにして、俺を処刑するのはそう簡単なことじゃなさそうだしな」
リンが悪くないとは言えない。告白でそう語ったように、それは罪なのである。
クラリは俺を不安そうな表情で見つめ、グレアは冷え切った表情をピクリとも動かさなかった。
「あんたの言い分は聞いた。お涙頂戴の創作物語にしてはデキが悪いわ。それで、自分を罰してほしいってことだけど、残念ながら今ここであんたを罰するのは色々面倒になったのよ」
グレアは自分の爪を見ながら言う。興味なさげと言わんばかりである。
「最初にあんたがそこのモヤシを傷つけたときに、モヤシがやれといえば、名目は違えどあんたの希望通りそのまま処刑できたのよ。なんせ現行犯だし? 緊急性があったためやむなくって言えばそれで大義名分が通る。でも、それと今の話は別件になるわけ。リンネが単なる凶悪な一般市民ならまだしも、今あんたは国王から神都に呼ばれてる立場で保護対象。アダチと一緒で、そうそう手出しできないのよ」
そう言ってグレアは、リンが話した村の件についても、極力秘匿することを提言した。
ここでリンの告白についてバカ正直に対応したとすると、他人からすりゃリンのみならず、俺達に対する印象も悪く思える。すると、開発中の飛行艇の方にも何らかの影響が出る可能性があるのだ。
出立予定日に間に合わない開発状況、さらなる資金調達の必要性などを踏まえて総合的に考えると、他人の助けや協力が必要な現状での印象の悪化は、極力抑えておいたほうがいいというのがその理由だった。
そう――一言でいうと、「大人の事情」というわけである。
「そうだな……今は飛行艇を早く仕上げて神都に向かうことを優先させたい。リンは普段通りの生活をしてほしい」
普段通りに過ごせるほど神経が図太けりゃ、そもそも自分がしてきたことで思い悩んで告白するような真似はしない。俺の中でそんな言葉が返される。
「――分かりました。そうですよね、こんな忙しいときに……」
リンの自虐の言葉を俺は素直に否定できなかった。大変なときに厄介事が増えたという事実とその感情は俺の中に少なからず存在していたし、そして他人から見ても、俺がその感情を持つだろうことは分かりきっている。「そんなことない」などと言って、それを否定するほうがむしろ、リンにとって気を使わせてしまうような気さえした。
「とにかく今晩はもう遅い。お前らも部屋に帰ってゆっくりしろ」
俺がそう言うと、立ち上がったリンの二の腕のあたりをグレアが掴んで、部屋の出口へ向かって歩く。俺も廊下の扉まで見送りをすることにした。
「まあなんというか、打ち明けてくれたことには感謝してる。出来ることはあまり多くなさそうで申し訳ないが、できることはやるつもりだ」
俺の見送りの言葉を、リンは嬉しそうな悲しそうな、なんとも言えない暗い表情で応え、グレアと一緒に俺の部屋から出ていった。
「さて――」
俺の対応はあれでよかったのだろうかと思いながら扉を閉め、寝室に入る。
"――俺はお前のことを忘れてなどいないんだぜ。お前も部屋に戻れ"
そう言うつもりで、俺は寝室に入ったのだが、クラリは俺のベッドに腰掛けて俺を待っていたようだった。
「リンちゃん、どうなっちゃうの?」
「俺に聞くなよ」
それはこっちが言いたいセリフだ。
リンの話を聞いて、俺は自分なりの判断ができなかった。具体的な方策もなく、ただ"お前の味方になる"としか言えなかったのだ。
俺が回答に窮した一方で、グレアは客観的に状況を把握して、俺の立場でどうするべきなのか、すぐに方向性を示した。俺はそれを助け舟のごとく捉えて、ありがたく乗ったに過ぎない。
「ただ、アイツの話にウソはなかっただろ?」
クラリはその問いにコクリと頷いて、どうして分かったのと尋ねた。
「ツジツマが合ってたんだよ。言動も性格も。それで分かる」
クラリの隣に並んで座ることも一瞬考えたが、寝ることを優先してベッドの中に潜りこむ。それは、クラリに部屋に戻れと暗に示したつもりだった。
しかしクラリには伝わらず。うーん、と困ったように鼻を鳴らして布団に入り込んでくる。
「お前の部屋があるだろ」
「……寝てる間に傷が開いたら大変なのです」
「お前はそんな適当な治療しかできないのか?」
寝返りをうってクラリに背を向けて言う。彼女がそんな奴じゃないことは、彼女の資格が雄弁に語る。
俺が言いたいのはそういうことではないのだ。
「ね、念のため……」
「『念のため怪我が完治するまで一睡もせず、傷口を監視します』とでも言うつもりか?」
「そんなんじゃなくて!」
「俺は大丈夫だから一人で寝かせてくれ。な? 眠いときの俺は機嫌が――」
半身を起こして言い聞かせる。そのことはクラリも少しは分かってるはずだ。
クラリは数回瞬きをして鼻を鳴らした。
「二人とも壊れちゃうよ……」
「二人? どういうことだ」
俺が聞き返すと、クラリはリンと俺の名前を挙げた。
「リンちゃんがすごく怖かったのは、あれのせいです」
「あれってのは、さっきのリンの話か」
クラリが頷く。古族の他人の心を感じ取る能力。それが彼女に対する恐怖を感じさせていたのは、リンがエルベシアであることがまず一つ。古族はエルベシアに出会うと、どこかしらその威厳のようなものを感じ取ってしまうという。だが、エルベシアそのものが種族の1つではあるものの、その絶対数が少ない上に、出会うことは非常に稀。一生に一度会うかどうかも怪しいという。
それで、クラリがリンと出会ったときに感じたという恐怖のような感覚が、彼女がエルベシアだからということが分からなかったらしい。
「それよりも、クラリには分かったのです……リンちゃんがずっと、ずっと自分の心をイジメられてるんです」
「自責の念ってやつだろう」
「たぶんもっと強いです……その、リンちゃんをイジメてた人たちが、今もリンちゃんをずっとイジメてるような気がするんです」
それはトラウマとは似て非なるものなのかもしれない。過去の経験からくる本能的恐怖をトラウマ、現代風に言えばPTSDというのだろう。確かにそれもあるはずだ。だがクラリが言っているのは、それとは質を異にするもののように聞こえた。
言葉では説明しづらいが、親のような村人がリンの中にいて、彼らがリンを責め立てているとでも言えばいいのだろうか。そんな気がしたのである。
「一人で考えさせてほしい」
俺はリンの側につくことを決めたし、そう宣言した。ただ、彼女の告白の中で、一つ、不可解というか引っかかる点があった。村が仕掛けた最後の攻撃のことだ。
集会所いたという村長は、リンを仕留めきれたなかったときの最後の手段として、村のすべてを代えてでもリンを殺すと言い、そのあと村は土の中へ姿を消した。
よくよく考えてほしい。
村人が悪意の塊だとするならば、わざわざリンと一緒に村に残る理由がない。リンを残して逃げてしまえばいい。だがそうしなかった。村をまるごと覆うための結界を張り、その中に村人自らもそこに留まって、リンを閉じ込めようとしたのである。
俺はそれにどうしても悪意を感じ取れなかった。むしろある種の信念と団結さえ感じたのである。
「まったく、悲しい話だ」
そこから広がる星の数ほどある仮説の中から、しっくりくる一つの説にたどり着いたとき、自然とそう呟いていた。
村人はリンをエルベシアだからと恐れていたことは間違いない。次第に成長する彼女の扱いが分からなかったのだ。怪物のように見えただろう。怪物に服従するか、怪物を支配するか、その二択に村人は後者を選んだのだ。
リンを支配するために、村は恐怖で押さえつけることを選んだ。それは、意図してそういたのかもしれないし、本能的にそうしたのかもしれない。たとえ俺が村人だったとしても、正しい選択はできなかっただろう。
現に俺だって、最初はエルベシアのことを、殺人を好む凶悪な種族だと聞いたし、そうなのだろうと思っていた――実際は全く違っていたが。
その誤解が解けない中で、凶悪な種族に従うか、従わせるか。
選ぶとするなら、村と同じくきっと俺は後者を選んでいる。前者を選んだとて、自分の身の安全を保証できない。支配させるほうが安全に思えるからだ。
だがそれは間違いの最初の一歩だった。
そんなことなど最初からする必要などなかった。リンは変わっているところはあるが、善悪の区別だってついている。悪いことは悪いことだと言える奴だ。
俺はリン以外のエルベシアを知らない。もしかしたら、エルベシアの特質からみればリンは特別なのかもしれない。それでも種族としてではなく、リンはリン個人として、ちゃんと見てやる必要があったのだ。
やれあの国の人間だから、やれあいつはこんな人種だから、やれ奴らはあの宗教だから、犯罪を起こすに決まっている、人権などないと、何をしてもいいんだと――リンは言っていた。村の教会の人間はエルベシアが生まれた理由を不信心が原因だと言ったと。その話が本当だとすれば、村の正義である教会が差別を容認したり、攻撃容認に走ったりすることに違和感はない。
いずれにしても、それが村の犯した最大の間違いだ。
そして、それに自分たちの我慢や鬱憤を重ねてしまったのだろう。そうやってリンを乱暴に扱う様子を他人が見ても、それを咎める理由を持ちながら、リンの弟のロン以外、誰ひとりとして咎めることなく黙認したのだ。そしてそれは次第に村の暗黙の風潮になり、イジメ、迫害にエスカレートする。
そして、ついにリンが家畜を殺してしまう事件が起きる。村人は、これまで懸念していたエルベシアの力の一端を目の当たりにして、これまでこらえていた恐怖が現実のものとして一気に噴出したのではなかろうか。その力を自分達が支配できるか、そう考えたときに脳裏に疑問がよぎるだろう。
――果たして、彼女は自分達の支配に常に服従するだろうか。
今まで迫害してきた相手が素直に服従する理由や道理を、村人は確信できただろうか。結果はリンの告白のとおりだ。確信できていたら、リンを殺そうなどという話にはならないはずである。
そこからは、「火消し」と称した油を注ぐ作業の始まりである。
本来ならば、リンは賞賛されるべきだった。差別、迫害、嫌がらせ。そんな扱いを受けていてなお、いわば敵方の相手を助ける行動に自ら出たのだ。
親友を助けられた子供の目には、リンを蔑む対象として見ることができなかったはずだ。
真実を濁った目で見たのは大人たちで、力も影響力もなく、親の権力の庇護下にある子供にとって、それを覆す行動と勇気は並大抵ではなかったろう。
それでも、立ち上がろうとした。結局それらは何の成果も出せずに終わってしまったが。
村人はリンを殺そうとしていたが、それは完全なる悪意ではなかったのではないかと俺は思う。エルベシアは凶悪な種族なのだという噂を信じ、彼らなりの正義で、エルベシアという怪物と戦っていた。やったことは褒められたものじゃないし、その正義は歪んでいたように思えるが、俺にはそんなふうに感じた。
表現しづらいが、悪意を持ち合わせた正義とでも言えばいいのか、生々しい人間の正義みたいなものが感じられたのだ。
だからこそ俺は残念に思う。確かに容易なことではなかったろう。しかし和解の可能性はあったように思えるのだ。具体的にどうすればよかったのかと問われれば即答できない。
だが、リンの話のすべてが必ずしも本当ではなかったとしても、彼女の話から終始感じた空気が、その可能性の欠片を俺に見せるのだ。




