第5話-B64 不可侵の怪物 リンネ・エルベシアの告白 4
――つづけます。
私は声を上げて大泣きしました。
人の気配がして目を向けると、男の人が私に弓を構えていました。目が合うと、彼はお前が最後だと口を歪ませました。彼が誰かは、百五十人ほどの小さな村です。分かっていました。
私はどうして家族が殺されなければいけなかったのかと問いました。彼は、私に洗脳されて気が触れていたからだと言いました。エルベシアを擁護するなど正気の沙汰ではないと、そう言ってのけたのです。
彼は、お前の命はここまでだ、弓を引く腕がそろそろ持たないと言いました。
このまま射抜かれて殺されても構わないと刹那思いました。でもその瞬間、お父さんと、お母さんと、ロンが私に「生き延びろ」って、そう言ったのです。
私が生き延びたとして、私のために死んだロンと、同じように殺されてしまった両親は、どうすればいいのでしょう。神使様の元へ還った家族を、どうしてくれるのでしょう。
「放てばいいじゃないですか」
私が彼に言うと、彼は矢を放ちました。
同時に、私は村に家族の死と、これまでの仕打ちの代償を払わせるべきだと思いました。
「――弟を、家族を返してください」
反射的に放たれた矢を掴みました。力みすぎて矢が手の中で折れました。
彼は、私を怪物だと言って腰を抜かしました。彼は震えていました。また、私の翼が黒くなっていたのです。私はそれを都合がいいとさえ思いました。どうしても、やり返して落とし前をつけないと気が済みませんでした。
私が、いったいどれだけ村のために尽くして、罵倒されようと嫌がらせをされようと居場所をなくされようと耐えてきたのに、最後に家族と家に火をつけられてまで耐えるほどお人好しではありませんでした。
一言でいえば、私はキレたのです。
弓が使えないと分かるやいなや、一転命乞いを始めた彼に詰め寄って、短剣で首を跳ね飛ばすのは容易なことでした。
家の中にはもう一人、剣と松明を持って、家の中に火をつけて回っていた男がいました。
私は彼の名前を呼びました。彼が振り返ったところで、私は首をはねた彼の頭を投げつけました。今まであれほど畏れていた村人が、受け取ったものが何かを知るやいなや、底も浅くいとも簡単に奇声を上げる様子に、嫌悪感を抱きました。
彼は私にバケモノの本性を露わにしたなと言いました。本性を露わにしたのはあなた達の方だと言いました。
彼は両手に剣と松明を持って、襲いかかりました。すれ違いざまに足払いをかけて転んだところを、短剣で心臓のあたりを貫きました。私でも驚きました。身体が勝手に戦いを覚えているようでした。とにかく、男が持っていた剣を奪って、玄関へ走ったのです。
お父さんは、私の部屋の前で、お母さんは食卓のテーブルの上で殺されていました。
許せませんでした。
家を出ると、燃え上がる家の明るさと外の冷気が身にしみました。
外には多くの村人が武装して集まっていました。家から出てきたのが私だと知ると、群衆は少しずつ後ずさりをはじめました。
そんな中、殺せと声を上げる女性の声がしました。いつも良くしてくれた向かいの家のおばさんでした。いつもの彼女と、あのときの彼女、どっちが本音だったのかは、今となっては分かりません。
ただひたすら悔しくて悲しくて、私を守ってくれる人はもういないんだと、もう戻れないところまで来たんだと思うと、いっそのこと、皆も道連れにしてやろうと思ったのです。
この時に、私は大人しく殺されておくべきでした。私は生きてちゃいけなかったんです。
それから、武装した村人も、見つけ次第手当たり次第に殺していきました。
大人が何人も束になってかかってこようと、勝手に動く私の身体に誰も勝てませんでした。赤子の手をひねるように、殺せたのです。
そのうち、殺していくことが面白くさえ思えてきました。誰も私を殺せない。飛び道具なんて少し体を動かせば簡単に躱せました。魔法も、少し跳ねるだけでした。
こんな弱い人達に、私は産まれてからずっと、頭を低くして卑屈に生きてきたのです。
お湯と水を同時に浴びているような、変な気持ちでした。冷静に、私は魔力に制限があるから、魔法は使えないと考える一方で、爽快感と興奮で頭の中がいっぱいだったのです。
村には物理結界が張られていました。私が逃げられないように囲い込むための檻だったのでしょう。とても都合が良かったです。誰彼も、物理結界を解除しない限り村から逃げられないのです。
自ら追い込むような結界をどうして張ったのか、それは集会所に押し入ったときに、そこにいた長から言われました。
「お前のような怪物を他所様の居る所へ放っておく訳にはいかない。村の全てに代えてでも、ここですべてを終わりにする。お前がどれだけ人を殺そうと、お前は朝日を見ることができない」
何を言っているのか分かりませんでした。私にとってみれば、怪物は村の方なのです。
最後に、家の中に隠れている女子供に手をかけました。子供だけはと命乞いするお母さんを見て、失笑しか出ませんでした。
同じようにして守ってくれた私の両親に手をかけた村の人間の言葉は、まるで同じように殺してくれとでも言わんばかりに聞こえたのです。
顔見知りの家に押し入れば、そこのお母さんに私の幼い頃に娘と仲良くした話をされました。
その仲良くした女の子が殺されるかもしれない話をしていて、どうして反対しなかったのだと問うと、皆口ごもりました。誰かが味方になってくれれば、私の家族は殺されずに済んだかもしれないのです。
「私はリンネがあんなことをするはずがないと思っていた」なんて、後からなんとでも言えるのです。そう思っているなら、そのときに行動を起こすべきで、そうでないならただの都合の良い言い訳にしか聞こえないのです。
ふざけたこと言わないで、そう言って切りつけてからのことは、もう覚えていません。
気がつけば、村には私の家が燃え崩れ落ちる音以外、誰の声もありませんでした。
この村には、もう私しかいないんだと思った瞬間、強烈な空腹を感じました。魔力を使い果たしたときの症状でした。
そして、そのときはじめて、私が何をしてしまったのかを冷静に理解してすぐ強烈な吐き気を感じました。
とにかく、私は手近にあったおばさんの死体から血を啜りました。死体からでも、十分魔力を得ることができました。
それから、少しの間座りこんで、身体に魔力が行き渡るのを待ちながら、これからどうするべきか考えました。
この村に留まることはできませんでした。殺してしまった村の長は、この結界の他に、何か別の秘策を考えていたようでした。村人がいなくなって、私一人だけになったとしても、村に閉じ込めておけば確実に殺せるような秘策です。
動けるようになってすぐ、私は村の結界に沿って飛んで、その結界を外しました。パズルのようになっていて簡単には解除できず、手間取りました。
長が何を考えていたのか、なんとなく見当がつきました。ここは山村です。
それから、手近にあった状態のいい荷車を奪って、各家々を物色して、宝石のような、小さくてお金になりそうなものを優先的に載せて、食料や、それから容器にありったけの血を集めました。血まみれの服も脱いで、髪も洗いました。
服は、草むしりしていたときに会った、あの女の子たちのものを頂戴しました。色や柄が好みじゃないだとか、そんなことは言ってられませんでした。
いつ最後の秘策が発動するのか、分かりませんでした。最後の秘策が発動する前に、手早く荷車を引いて出なければいけませんでした。さもなくば、命こそは助かれど、その後に困ることは明らかでした。
イタズラ小僧達のうちの一人の家に入って、部屋を物色していたときのことでした。彼は自室で、私に手をかけられて死んでいました。
死の直前、泣き叫んで何かを叫んでいましたが、なんと言っているのか分かりませんでした。
私は彼の引き出しを漁っているときに、くしゃくしゃに押し込まれた大きな白い布が出てきました。何かが書かれていて……それを広げて……私はなんて酷いことをしてしまったんだろうと……後悔しました。
"リンネは無実 俺達の英雄" と――大きく下手な字で書いてあったのです。
近くには "大人たちから、リンネを助けるための計画書" なんて安直な名前の紙も数枚ありました。
計画の決行日は、明日になっていました。
彼らは私のことを、ちゃんと見てくれていたのです。孤立無援だと思っていました。そうじゃなかったんです! 大人に抗ってでも、彼らは正しいことを貫き通そうとしていたのです!
――なにもかも、遅すぎました。私は彼らに手をかけました。悔いたところで彼らの命だけ都合よく戻ってくることなどあり得ないのです。
それでも、私は自分の命が惜しかったのです。私は卑怯で軟弱者です。スープを飲むときの覚悟なんて、もうできませんでした。
私は荷車に荷物を載せて、行くアテも決めないまま村を出ていきました。
しばらくして、村の方から地響きと轟音が聞こえてきました。大きく崩れた山の斜面が、一気に集落を飲み込んで流れていったのです。
私は、遠くの街に逃げようと思いました。荷車を引いて道なき道を逃げて、途中悪人に襲われながらも、なんとか荷物を守り抜いてナクルまで逃げ延びたのです。
そこで、今の花屋の家を買いました。村の家から盗んだ貴重品と引き換えにしてです。私がエルベシアだと知られないように隠す生活が始まったのです。
花屋なら、エルベシアの私でも血に頼らなくても済むお薬が安く手に入ると思ったのです。
そんなお薬は、取り扱いどころか、どうやって仕入れるのか、そんなものがあるのかどうかさえ定かではないことは、花屋を始めてから分かりました。
でも、私にはどうしてもその薬が必要でした。村人から集めた血には限りがあるのです。
花屋をしながらの生活は、村での生活とはまったく勝手が違って、花のお値段の付け方一つさえ分かりませんでした。
最初こそは、私の店で買ってくれたお客も、次第に誰も買わなくなってしまいました。
日に日に、お金も血も少なくなっていって、床に眠ると、あの夜のことが夢に出てうなされました。
常々死にたいと思って、いっそ死んでしまおうと思うたびに、いつも裁判所の夢を見るのです。
私のしたことを懺悔すると、青くて長い髪の美しい女性が一人、両肘をついて手を組んで、私に話しかけるのです。
「それでも、あなたはこの世に必要な存在なのです。有象無象のことは、貴女の糧にして忘れてしまいなさい」って。
そんなこと、できるわけがないじゃないですか!
私はせめて、そんな怪物の囁きに屈してはいけないと思いました。
それである日、ナクル近くの砂漠へ片道ぶんの食料だけを持って、死のうと思ったのです。
夜になって、どこか適当なところで寝ようと思いました。そこに、砂漠に珍しい花が一輪咲いているのを見つけたのです。
夜の砂漠はとても寒いと聞いていました。けれども、少し冷えるかなという程度で、不思議と寒さを感じない夜でした。
今晩はここにしようと思って、腰を下ろしました。しばらくすると、空が急に青く光り輝いて、なにかが舞い降りてきました。
砂漠に生えていた花を摘みとって、光が舞い降りた方へ向かっていきました。
そこでコウさんと出会ったのです。
飛べない彼を見て、私がなんとかしてあげなきゃと思ったんです。大量殺人犯の最後の人助けにはいい機会だと思ったのです。最悪、彼が悪人だとしても、もう私には関係ありませんでした。
それで、彼を私の家に連れてきたのです。
しばらくして、コウさんがここの生活に慣れたら、私は姿を消して、彼に私の全財産を渡すつもりでした。
幼少期以来の、私にとっては初めてに等しい、気さくに話しかけてくれる彼は、私にとって一番大切な人になりました。彼と一緒にいる間だけは……辛いことも一瞬だけ忘れることができたんです。
それでも、計画通り私はコウさんの前から姿を消しました。辛い選択でしたが、これ以上生きてたって辛いことがあるだけなのです。私と一緒にいれば、いつか私の種族のことがバレて、私の家族がその憂き目にあったように、コウさんまで攻撃されてしまいかねないのです。
街をさまよい飛んでいると、途中変な男の人に追い回されましたが、それは好都合でした。私の魔力が尽きてしまえば、私はそこでおしまいなのです。
けれども、生きていたいという気持ちも、この期に及んでもまだありました。
結局、また死ねませんでした。
コウさんが助けてくれたのです。
私が死のうとしていたことなんて知らずに、彼は勝手が分からないこの世界で、懸命に看病して、最善を尽くしてくれていたのです。
家族以外で、私にここまでしてくれる人は、コウさんが初めてでした。
こんな過ぎた生活を私がしていいのか、不安になりました。私は人殺しです。
私の種族が知られれば、この生活なんて、いとも簡単に崩れてしまうでしょう。それでも私はその生活の温かさにしがみついて、「まだ生きていたい」なんてことを思ってしまったのです。
それから、私とコウさんは迎賓館暮らしになりました。
迎賓館に血なんて持ち込めませんから、私は定期的に家に帰って飲んでいました。けれども、それも底をついてしまって、誰にも打ち明けることもできず、割り当てられた部屋でじっとしていることしかできなかったのです。
コウさんに色々誘っていただきましたが、お断りしたのは、動き回って魔力を切らせたくなかったからなのです。
――それでも、魔力が切れるその日は、いくら先延ばしにできても、避けることなどできるわけがありませんでした」