第5話-B61 不可侵の怪物 リンネ・エルベシアの告白 1
「私の住んでいたグジュ村では、百五十人ほどの人が暮らしていました。周囲を山に囲まれた山村で、村の外れには小さな川がありました。洗濯や食事といった家事は、この川の水で賄われていました。
村では各々の家で自給自足をしながら、家庭ごとに村の仕事を分担してやりくりし、食事にも困らない安定した生活ができていました。
村の人々はとても温厚だったと聞きます。行商人の間で「あの村に寄れば厚く歓迎してくれる」と評判で、近くを通り掛かるなら寄っておくのが定番になっていたようです。
行商の人がもてなしの礼に少し安く物を売ってくれることもしばしばありました。
おすそ分けもしていたので、周囲の村や集落との関係も良好なものでした。小さくて娯楽もない村ですが、そんな余裕のある恵まれた村に、私は生まれたのです。
初めての娘が生まれたのを、シグモンド家の両親はとても喜んだと聞きました。村人も盛大とまではいかなくとも、私の誕生を祝ってくれたそうです。私のリンネという名前は、お母さんがつけてくれた名前です。
コウさんに、出会ってすぐの頃にお父さんが山で猟師をしていたと言いました。これは本当です。お父さんは猟から帰ってくると、すぐに赤子の私の様子を覗きに来たと、お母さんが言っていました。いつも夕暮れ時に帰ってくるので、見るのはお母さんに抱きかかえられた私の寝顔ばかりでしたが、それでもそんな顔を見てはいつも顔をほころばせていたそうです。
私が違う種族だと分かったのは、離乳期の頃でした。
離乳食を与えてみると、ビックリするほどすんなりと移ってくれたのよと、お母さんは言っていました。離乳食に移って数日が経つと、私は通常必要な量の倍以上の離乳食をとらなければ満腹にならない状態になったと言います。最初は「食欲旺盛な子」だと思っていた両親ですが、日に日に食事量が増え、必要以上の量を食べては吐き戻すようになったと言います。しかしそんな日が続いたある日、はたりと何も食べなくなってしまったそうです。
「食べ過ぎの反動でしょうな」
さすがにおかしいと、両親に呼ばれて駆けつけた村医者は、私を診察してそう結論づけました。医者は食欲が復帰したら、今度は食事量に気をつけるよう両親に忠告しましたが、三日経っても食欲不振は回復せず、それどころか私は眠ったまま起きなくなってしまいます。食べ過ぎではなく、急性魔力欠乏性からくる症状でした。
私が“災厄の子”、エルベシアだと分かったのは、このときでした。
普段、人は魔力を自分で生成しています。私は生れつき、それができませんでした。授乳期の私は授乳の際にお母さんから魔力を貰っていたので、症状が出なかったのです。
先天的に魔力欠乏の症状を患うのは、エルベシアの人間だけでした。私は何らかの手段で、外部から魔力を食事とは別に補給する必要がありました。
魔力は血液を伝って全身を巡ります。お母さんから魔力を得られなくなると、誰かから血を分けてもらい、それを口にするのが最も手っ取り早く、そして唯一生き延びることのできる方法でした。
言い伝えによれば、エルベシアは非常に情緒不安定になりがちで、厄介なことに超人的な身体能力を例外なく持っているということです。その性質ゆえに大量殺人を犯すこともよくあると聞きました。
“殺人鬼の卵がいる”と、私がエルベシアと知るやいなや、村では大騒ぎになります。村の聖職者は、豊かで温和な環境に恵まれておきながら、村人が、特に私の両親が神使様への日々の感謝を疎かにして高慢な心を持ったから、このような神罰が下されたのだと、酷く気分を悪くしていたそうです。その話をしてくれたのはお父さんでしたが、その話をしてくれたお父さんのほうが、そのことに対して気分を悪くしていました。
エルベシアだと分かってすぐ、集会を開いてこれからの私の処遇について議論が始まりました。まだ赤子の私は無力で、私の生誕を祝ってくれた近所の人たちも、一人の村人が呟いた言葉に同意して手のひらを返し、今のうちに殺してしまおうという話でまとまりかけていたそうです。
村としては、村自身の生活はもちろんのこと、行商人や近隣の村との関係の維持には、悪名高いエルベシアの存在は邪魔で、なによりもそんな「自らの心の弛みを体現したような存在」はつまり――他所様に見せられるものではない恥部だったのです。
村ぐるみで隠蔽すれば、赤子一人減ったところで誰も気づきやしない。
そんな中、当事者として集会に出たお父さんは、「人を殺めるような人間には絶対育てない」と、厳しい目を向けられる立場でありながらも、必死で説得しました。
村の人はこれまで――といっても、私に物心がついたときもそうでしたが――困りごとがあれば一致団結して解決していくのが、いつものやり方でした。
普段はその団結の力に助けられていた両親も、このときは少し怖かったと言っていました。説得しようとしても、多数がそう思っているのだからと言ってなかなか話を聞いてもらえず、それどころか勢いに乗った村人に、私のみならず両親の人格まで否定するようなひどい事まで言われたそうです。
たしか「蛙の子は蛙というが、ならば人殺しの親も人殺しだ」 そのようなことも言われたと、いつの時期かお父さんがポツリと口にしたのを覚えています。両親は人を殺したことなどありません。
それでもお父さんが腕が立つ猟師で、それほど大きくない野獣や魔獣であれば、殺したり追い払ったりできるほどの実力があったこと、今までに村への貢献がそこそこあったことが幸いしました。万が一の時は仕事道具で手を下すことができる。そんな理由もあって、幸いにも私は生きながらえることができたのです。
私は村の外に出たり、高いところを飛んだり、村の外から来た人間には会ってはいけないと、両親にきつく言われていました。それが、私がここで暮らすことが許されるために、お父さんが集会で交わした約束事の一つでした。
また、私の名前は「リンネ・エルベシア」に変えさせられました。
当時私はなぜそんな決まりがあるのか分かりませんでしたし、両親も教えてくれませんでした。漠然と「エルベシアだからできないんだ」って思っていました。
私が死んでも、私の顔を知る部外者がいなければ、村で隠蔽するだけで簡単に「最初からいなかった」ことにすることができるからだと気づいたのは、それからずっと後のことです。
私の幼少時代は、一番暖かい時代でした。そんな待遇があったとはいえ、当時は挨拶したら返してくれたり、私の話し相手になってくれたりする大人がまだ多くいたのです。
同じ年ぐらいの女の子たちとも仲良くなって、毎日一緒に遊んでいました。本物の道具を借りて家事の真似事をして遊ぶことが多かったです。普通の子のように扱ってくれて、普通の子と普通の子のように遊べたのです。
でも、友達の家で遊んでいるときは、料理ごっこをしようとすると、友達の親が必ず他のことに興味をもたせようと必死になりました。
今ならその理由はよくわかります。私に刃物を持たせることが恐ろしかったのです。私は両親から自分のことを聞いていましたが、自分がそんなことをするなんて想像もできませんでした。私の中では暴力は絶対悪でした。
しかしそれからは成長するにつれ、村人の私に対する眼差しは冷たくなりはじめます。今まで純粋な気持ちで遊び相手になってくれていた友達も、村の雰囲気を感じてか徐々に疎遠な関係になりました。気がつけば、十一歳。私の周りには誰もいませんでした。社会から隔離されたのです。まるで幽霊です。
「リンちゃんごめんね、お母さんがあの子は特別だからもう遊んじゃダメって……」
生まれて間もない獣の子は、小さく非力なのでよく相手にしてくれますが、成長していくと襲われる恐怖が勝って近寄らなくなります。私はまさにその猛獣扱いでした。村人たちは、いつか手に負えなくなる日が来るかもしれないと、危機感を抱き始めていたのです。
実際このとき、私は人の腕ほどの太さの木ならば、枝を折るようにポッキリと折ってしまえるほどの力がありました。みんなが恐れる怪物に、自分が変わっていくのを止められなような気がして、ただならぬ恐怖と不安を感じたのを覚えています。
次第に私に気付いていないふりをしていく大人が増え、しまいには誰にも相手にされなくなってしまいました。
泣いて帰ってきた私を、両親はいつも優しく抱いてくれました。
「お前は特別なんかじゃない。普通の女の子だよ。みんな、リンのことを勘違いしているだけだ。誤解が溶けるまでの辛抱だから」
お父さんは口癖のように言っていました。
私は、家族以外の人と話すとき、例え相手が誰だろうと必ず敬語で話すよう教えられていました。たとえ相手が生まれたばかりの赤子であっても、動物であっても、常に丁寧な口調を貫き通すよう言われました。口では普通の子と言っていても、村人からこれ以上嫌われることのないように、私は安全だと思ってもらえるように、常にご機嫌取りをするよう言われたのです。
そんな努力も虚しく、私は一人でした。村の子供は、親からもう私と関わるなと明確に釘を刺されていたのだと思います。事実、たまに私の遊び相手になってくれる子がいても、親がそれを見つけるとすぐに私から引きはがしました。帰りに通り掛かったその子の家から、激しい声が聞こえてくるのを昨日のように思い出します。村の子供が主体になって行う伝統的なお祭りですら、私の居場所は用意されなくなりました。
ことあるごとに、私はいつも泣いていました。普通の子でいられる幸せを知っているから、余計に辛かった。理由は分かっています。でも自分じゃどうしようもなくて、ただ愛想を振りまいて、帰ってこない挨拶をするしかできない自分が悔しくて。
村人みんながみんな、私に嫌悪に似た恐怖を抱いているわけではありませんでした。私の家の向かいに住むおばさんは、人目のないところでは私の頭を撫でたり、お菓子をくれたり、普通の子でいられたあの頃のままでいてくれました。表立ってそうしなかったのは、見つかれば暗黙的に村八分にされるからに他なりませんでした。
「リンちゃんは偉いねー おばちゃんは陰からだけど、リンちゃんのことを応援してるよ!」
おばさんは別れ際に必ず言いました。私を理解してくれる人がいる。その言葉はいつも私の心の支えで、それを聞くたびに、また頑張ろうって思えました。私が頑張れば、いつかは村のみんなも私を認めてくれるに違いないからって。
そう信じて村の仕事に自発的に手伝うようにしたのは、この頃からでした。恐がられることのないよう、人目のない場所で黙々と作業する私を、みんなは不思議そうな目で見ていました。
やりたくない仕事でも、首は絶対に振りませんでした。逆に、その「嫌な作業をしなくてはいけない誰か」という席に、私が座る居場所を用意してくれていることが、私を村人が受け入れてくれる証左だとさえ思っていました。
ちょうど母親が私のベッドの脇で聞かせてくれた物語の主人公のように、嫌な仕事でもしっかりこなしていけば、次第に認められて、また普通の女の子として戻れると信じていたのです。
今振り返ってみれば、都合の良い人間に成り下がっただけの話でした。