第5話-B60 不可侵の怪物 本当のこと
俺の部屋は部外者の出入りができないように固く施錠され、応接室のソファに座ってもう一度リンと向き合った。さっきと違うのは、俺の隣にクラリ、向かい合うリンの隣にグレアが座っていることだった。
リンとグレアが戻ってくるのが遅かったのは、クラリの部屋から俺の部屋に戻ってくる途中で、リンが顔を青くして座り込んだためだった。
目覚めたときに聞いたグレアの暴力的な言葉を考えれば、戻ってくる途中にも何か言われたのが堪えたのかもしれない。
どうせ何か言ったんだろとグレアに問うと、肯定も否定の言葉も口にしなかった。だが案の定、バツが悪そうに目を逸らした。グレアがリンに投げつけたのだろうそれは、正論なのかもしれないが。
「――ビビらなかったといえば嘘になるが、怒ってねえのは事実だ」
「…………。」
「もっといい方法があったと思うが、気にすれば過去が変わるわけでもない」
黙ったままのリンに語りかける。
いい方法があったと思うのは、確かにリンの振る舞いもそうだったが、別に彼女に限ったことではない。俺も飛行艇計画につきっきりで、リンとあまり話ができていなかったし、グレアもグレアで、リンに投げた言葉が最善だったとは思わない。
「とりあえず、魔力を誰かから貰わないことには生きていけないということだが、これは俺でよければ構わない。幸いにして余りまくっている上に、飛行艇の動力に使う以外に使いどころがない」
誰だって痛いのは好みじゃない。しかし、砂漠での恩が返せるとすれば相応の対価だろう。
俺はグレアに温かい茶を用意してくれないかと頼んだ。俺も緊張してのどが渇いていたし、リンにとっても、緊張を和らげるにはそれが一番いいと思ったのだ。
「今日の業務はもう終わってるんだけど」
「そういやそうだったな。俺が淹れる」
確かに早朝から夜遅くまで労働していることを知っておいて、それでいて時間外の労働を頼むというのは、なるほど鬼のような頼みである。
俺がソファから立ち上がると、グレアも遅れて立ち上がり、手を突き出して俺を制止した。
「やっぱり私が淹れるわ。良くないことしたし」
テーブルの上の飲みかけのティーカップと、飲み干されたティーカップ。グレアはそれを両手に持って給湯室に入った。入り際、あんたに淹れられる花がかわいそうと言われた。なんだかんだ慣れてるのは麦茶と緑茶なんでね。
給湯室は、そこから聞こうと思えば俺達の会話は聞こえる距離にある。茶を作りながらでも話についていこうと思えば十分できた。
「ごめんなさい……」
「気持ちは十分わかった。俺も気づいてやれなくて悪かった。これからは俺が魔力を提供するから気にしなくていいし、これ以上謝ってどうにかなる話でもない」
リンはバツが悪そうにうつむく。
「…………。」
「……その、今更こんな事をいまさら聞くのはどうかと思うが――リンの得意不得意を教えてほしい。種族として何が得意か、その自己紹介のようなものだ」
俺とリンの間に広がりかけた気まずい静寂を、頬をかきながらその言葉で追いやる。
とにかく、エルベシアという種族にも、得意不得意があると思ったのだ。
例えば古族ならば、運動能力が高い、魔法が得意。見た目は幼く、それほど賢いわけではない。
俺はクラリの頭が悪いとは思わない。確かにアホっぽいことは言うし、言葉が足りないところはあるが、彼女には俺にはできない立派な知識と技量を持っているし、気の利いた返しもしてくれる。種族の傾向で全てを語れるわけじゃないが、かといって全く参考にならないわけでもない。
今まで知らずにいた彼女のことを、ちゃんと知っておくべきだと思ったのだ。
「その前に、どれくらいの間隔でどれだけの血が必要か、おおよそでいいから知りたい」
「…………。」
「いやそういう体質なんだから、躊躇してたって仕方ねえだろ」
「――一週間に一回、です。激しく動いたり、普段以上に魔法を使うとそれより短くなって……何もしなくてじっとしてて……二週間に一回くらい……です。量は、コウさんだと口に少し含める程度でいいと思います」
「なるぅあのね、魔力をいっぱい含んだ薬草があるって聞いたことがあって、それがあれば、なるぅが痛い思いをしなくてもいいかも」
「そんなものがあるのか」
隣に座っていたクラリは、遠慮がちに声を潜めて話に割りこむ。
魔力を含んだ薬草。それがあれば、俺は血を提供しなくて済むようになる。感染症にかかるリスクが下がるのだ。そんなものがあるのなら、その薬草を手に入れない理由などない。
だが、そう簡単にはいかないものらしかった。クラリは続ける。
「でもクラリは見たことないし、普通じゃ手に入らないと思うのです……」
「私の両親も、その薬草の噂を聞いてずっと探していました。でも、手に入れることはおろか、その薬草の名前さえ分からなくて……」
「クラリ、名前は知ってるか」
クラリは首を横に振る。
入手できるかというより、そもそも存在するのかどうかさえ疑わしい気がする。それでも、その薬草を探してみるのも悪くはない。
今こうして彼女と話をしていると、多忙な日常を送っている俺には、まるで遠い昔のように感じられるほんの六十日前の、ルーと交わした断片的な記憶が浮かび上がってくる。
エルベシアという種族のことを初めて聞いたのは、リンが急性魔力欠乏症で昏睡状態に陥ってしまったときのことだったと思う。ルーはエルベシアのことを……恐ろしいと言っていた気がする。確かに、リンに刃物を持って追い回されたときは恐ろしいと感じざるを得なかったが、それは別にエルベシアに限ったことではない。
ルーとグレアの言動を少し考えれば、この世界の人々はエルベシアに好意的な印象を持っていないことは想像できる。探し始めた時点で、迎賓館の中にエルベシアの人間がいるとバレやしないだろうか。
「……探すだけ探してみよう。俺も多少誤解していた面もあるが、エルベシアが肩身の狭い思いをしていることは理解した。神都行きのメンツと迎賓館にはどうしても知れてしまうが、不必要にそのことが広まらないよう努力しよう。薬草を探すには丁度良さげな言い訳も転がってる」
「……ごめんなさい。迷惑をかけて」
「なに、お互い様だ」
薬草探し――苦しい言い訳かもしれないが、膨大な魔力が必要になる飛行艇を利用すれば、「動力源になる人のための薬草」として説明できる。
ただ、探すこと自体はできるかもしれないが、薬草の購入のための資金の確保は、逼迫している予算事情を考えると、手が届かないかもしれない。
「話を戻そう。次は、リン自身のことを教えてほしい」
一呼吸して話を切り出す。
リンの目を見てそう言うと、彼女はまた俯いた。
「…………。」
「その、無理に話す必要は――」
「――私、ずっとみなさんに嘘をついていました……最低な女です」
ひとかたまりの無言に助け舟を出した俺の言葉に被せて、リンは淡々と力強く言った。まさに意を決した声色だった。
「私は、私には……聞いてほしいことがあります。聞けば、きっと私を軽蔑します……そうしてほしいんです」
俺は、今回このようなことを起こしたことで、リンは自己否定に走っているのではと思っていた。彼女の「軽蔑してほしい」という言葉と一緒に向けられた真っ直ぐな俺への視線は、そうではないらしいことをはっきりと表していた。
「私の本当の名は、エルベシアです。リンネ・エルベシアです。本当の名前を知られたくなくて、今までずっとリンと名乗っていました――」
ひどい、クラリが横で透明な声を吐いた。
名前にエルベシアを入れることがどういうことか、俺にも分かる。そんな名前をつければ、リンが自己紹介をするたびに、自分が隠したいと思っていても、種族のことが強制的に知られてしまうのである。エルベシアという名前からは、明確な悪意も感じられた。
以前、リンに自己紹介をさせようとして、リンが渋ってはぐらかしたことがあったが、こういうことだったのか。
ずっとリンと名乗っていたのは、本名の一部だったということだ。それが偽名の役割もしていた。なぜ、グレアのように、本名とは関係のない偽名を使おうとしなかったのだろうか。
「――私は村の皆を殺して、ここまで逃げてきました」
――いや、――……――ないが、もしそうだとしたら、今背負ってる子、恐ろしい子だよ。
――恐ろしいって……どういうことっすか?
――血塗られるような惨劇を起こすってところかな。
――お前さんだって、いつ暴れだすかも分からない、気難しいエルベシアのいるところには行きたくねえだろ?
俺の中でルーと交わした記憶の断片が、嵐となって深部から記憶の表層へ殺到し、忘れ去られていた言葉が再構築されていく。
続けられた罪の告白は、俺達のいる応接室と、隣接する給湯室の空間をも瞬く間に制圧し、その空気を凍らせるに至る。