第5話-B49 キカイノツバサ そこにいるだけ
燃えさかる造船所の建物前でわだちを止める。雑多なものが焼ける苦い臭いがする。建物の前には人だかりができ、周辺一帯は火炎の熱線でジリジリとした熱を肌から感じる。十分もいれば喉が渇きそうだ。
「あちゃー、派手に燃えてるねぇ」
屋根から飛び降りて早々、ブロウルはそう口にして空を見上げる。
俺も見上げると、炎の光で下から照らされた白い湯気と黒い煙が、風に流されながら昇っていくのが見えた。
グレアと同時にわだちから降りる。
何をしているのか、造船所の敷地の奥の方から、男たちの掛け声が聞こえる。
荷台に置いた荷物を取ろうと後ろを向いたところ、クラリがカゴを俺に差し出した。
「荷台にあったよ」
「サンキューな」
「コウちゃ!」
車を停めるなり、俺に気づいたザグールが、肥えた身体を揺さぶって駆け寄ってきた。
「火事の状況は?」
「ダメだ、燃え広がっとる」
ザグールは頭を振った。
「あの船のマストに雷が落ちて柱が吹っ飛んだらしい。俺は見とらんが、離れたとこから作業しとった者が言うとった」
「けが人と行方不明者は?」
落雷からここまで火災が広がるまでには、それなりの時間があったはずだ。火の手が大きくなる前に安否確認はできているだろう。
俺の予想にザグールは首を振って答えた。
「誰がケガしたと話は耳にしとらんし、誰が居たのかも分からん」
この時間帯に作業する予定について、ザグールも俺も聞いていない。その場に居合わせたメンバーの話によれば、遅れる飛行艇計画と船舶の改修依頼を気にして自主的に作業をしていたということだった。
「いくら仕事が遅れとったとて、こんな天気でもやるのはバカタレじゃ、バカタレ!」
半ば発狂気味に声を荒立てるザグール。
昔から恐ろしいものベストフォーといえば地震、雷、火事、親父の常連であり、今ここにその恐怖の七十五パーセントが結集しているわけだが、どうにもこう、緊張感はあるが恐ろしいとは感じない。色々ありすぎて俺の感覚が鈍っているのだろうか、それとも、ただ疲れで感度が勝手に下がっているだけだろうか。
どっちにしたって良いものではない。
息を吐く。
緊張の欠如から取り返しのつかない結果になる確率がある以上、心して動かねば。
近隣の住民こそ、自宅に延焼せぬよう、井戸から汲み上げたり魔法を使ったりして、火災の熱で乾いた部分に水をかけている。もともと雨が降っている。延焼する可能性はゼロではないにしろ、通常時よりは低かろう。
「飛行艇は?」
「ああもうダメだ! あの燃えてる船の隣にあるが、火勢が強すぎて危なっかくして近づけん!」
奥から聞こえる男たちの声は、船乗りが飛行艇を挟んで反対側のドックで修繕を終えた船を類焼から守るために、船を水のない川に退避させようとしている声らしい。
その船はすでに積み荷を船に運び込んでいるそうで、中には自衛用の火砲のための発射薬やら爆薬やらも含んでいるらしい。造船所が爆薬で木っ端微塵になっても、俺達も彼らも得しない。
モノがモノだけにザグールも船の移動を認めたというわけだ。
ザグールから火災と飛行艇の状態を聞いていくと、この惨事の詳細が次第に明らかになってきた。
民家が火元の火災の場合、その密集性の高さから風に煽られ燃え広がり、都市ナクル全域をも呑み込む大火に発展することを恐れ、政務院はナクルに住む魔術師たちに働きかけ、消火活動にあたらせるという。
しかし今回に限って言えば、造船所の敷地内での火災であり、被害はそう大きくないだろうと政務院は見積もってか、魔術師への出動要請はされていないようだった。
「どこで燃えようと、飛び火したらその時点で試合は決まるんだぜ……」
火災に関する事例研究の蓄積が俺の世界ほど足りていないのか、認識が甘いのか。
その両方なのかもしれないが、最大の理由は、出動要請がなされなかったのは宗教的理由という要素も絡んでいるかららしかった。
天変地異、災害は神様や超常的な権能を持った何かしらがやらかすものと、多くの宗教では信仰対象は違えど同一の解釈を持つのと同じように、神使信仰においても、このような災害は神使様の思うところがあってのものであり、その意志を尊重すべきだと、ある程度の許容を持って、「あるがままに」受け入れられるべきだと、そういう考え方が根底にあるようだった。
「ボス、どうするよ」
ひととおり話を聞き終えたところで、ブロウルが俺をそう呼び判断を促す。
神使様の思し召しに従って飛行艇を炭素の塊に変えるなんざ、受け入れられるわけがねえ。
ましてや神使が望んだ俺の神都行きだ、神使自身がその手段を潰すのは、俺に試練でも与えようとしていない限りあり得ない。
「手短に状況を整理する」
俺は持っていたカゴをブロウルに持ってろと手渡す。
カゴから羊皮紙と羽根ペンを引っ張りだし、インクに漬ける。
「俺達の第一の目的は、飛行艇とその資材を守ることだ。そして造船所がこれ以上の被害を受けて完全にその機能を失えば、飛行艇の製作にも大きな影響が出る」
パンパンと乾いた破裂音が聞こえてくる。こうしている間にも延焼は続いているのだ。
造船所の敷地を模した長方形と、火災を示す炎の簡素な絵を描く。羊皮紙の上を走る羽根ペンの軌跡に、雨粒が落ちてインクが滲むのを、三人は覗きこむ。
「第一の目的を達成させるだけなら、飛行艇の移動で済ませられるだろうが、修繕を終えてトンズラの用意ができてたお隣さんとは違い、こちとら至るところに固定具で艇体をガッチリ固めて工事中だ」
飛行艇を模した「士」の記号を炎の隣に、そしてさらにその隣に、退避中の船を模した五角形を進行方向の矢印付きで書き記す。
「つまり動かせないってことね」
「そうだ」
グレアの解釈を首肯して続ける。
「飛行艇の現在の状態について、まだ確認できていない。すでに隣からのもらい火を受けて、こんがり焼けている可能性も十分にある。まずはブロウルに飛行艇がどうなっているか、状況を確認してきてほしい」
「なるほど任せろ!」
「待て!」
クラリにカゴを預けてすぐさま動き出そうとするブロウルを声で制止する。
「話は終わってない。お前が偵察から戻ってきても、俺達がここにいる保証はない――飛行艇が無事にしろ黒焦げにしろ、あの炎をどうにかしないことには、いずれ焼け落ちることは変わらん。クラリ、お前なんか放水できそうだな」
持っている資格を石に例えるなら、それだけでピラミッドを建設できそうなほどの多彩な能力を持つクラリ。ましてや魔法に関して言えば、人間よりも扱いに長ける古族である。水の塊をぶっ放せそうな気がして尋ねる。
「水は出せるけど、クラリの魔力だとあの火を消せるほど持たないよ、たぶん」
「突然の無茶振りに応えてくれるだけでも上出来だ」
「魔法書みたいなものがあれば、クラリももう少し上手くできるかも」
ブロウルから渡されたカゴをチラ見して、彼女は知ったような表情で俺を見上げる。
「いいぜ、その本はお前にくれてやる。大事に使え」
まさか貰えるとは思っていなかったのか、きょとんとした顔でカゴの中身と俺との間を視線が二往復。
まともに魔法が使えない俺よりも、有効活用できる人物が手に持って使っておくべきなのだ。
「クラリはその本で効果的な消火方法を、グレアはこの周辺で安全に放水できそうな場所を探してくれ」
「分かったけど、アダチは?」
「俺はクラリと一緒にお前らが待ってくるのを待つ。ここで俺ができることはまだない」
俺は空を飛べないし、魔法が使えるわけでもない。火災をただ眺めるだけという役割。もどかしすぎるが、今は耐える他にない。
「はいよ!」
「できるだけ早く戻ってくるわ」
二人は同時に飛び立っていった。
「二人が戻ってくるまで、荷台にいるぞ」
「はい」
クラリとともに、幌の下で雨宿りをすることにした。
寝床からここまで勢いで来てしまったが、さて俺はこれからどうしたものかと、いまさらになって頭を抱えることになった。
火災の明かりが荷台の中まで浸透していて、クラリは中で本を読むことに不自由はしなかったし、今しがた書いた図を眺める俺も苦労はしなかった。ページをめくることで、何かが得られるかもしれないクラリと、簡素で雑な図が描かれただけの紙ペラ一枚を眺める俺。どう考えても俺のほうが居心地が悪かった。
「っ、ああ」
いかん。知らずのうちに目を閉じかけていた。
確かに、荷台の中は熱で心地よい暖かさというか、むしろ熱いくらいあるが、こんな状況下にあって堂々としゃしゃり出てくる睡魔はKYが過ぎるというものだ。
「なるぅ、眠いの?」
両手で頬を叩くと、その音に気づいてクラリが顔をこちらに向けた。
「正直言うと、一瞬意識が飛んでた」
まったく、努力の成果が水泡に帰すかどうかという瀬戸際で、よくも眠いなどと言えたものだと俺でも思う。
こういう時こそノルアドレナリン様の活躍の機会だというのに、在庫を切らしてでもいるのだろうか。
「……ごめんね、なるぅ。私が寝るのを邪魔したから」
「んなこと、もうどうだっていいよ」
単に、ブロウルもクラリもタイミングが悪かっただけなのだ。
誰も邪魔されず寝床についていたなら、こんな状態にはならなかったのかもしれないが、そんな可能性の一つについて今さら言及して、今がどうなるわけでもない。
身体が横になることを欲している。それだけは許されない。二人が頑張っている中、俺が一人眠りこけていると知れば俺の名誉に関わるし、みんなのやる気にも関わる。
「ねぇ、なるぅ」
座っていたクラリが、あぐらをかいて座っていた俺に身体を近づけた。
クラリの着ていた、レインコートよりも外套に近いその雨着から、ふさふさの尻尾が出てきたのに気づくのは、クラリに促されてからだった。
「尻尾を枕にしてて寝てていいよ。二人が来たら教えてあげるから」
「尻尾で寝る権利はあとにとっておく」
おおよそ罪悪感からきたのだろうその優しさを断って、俺の座るすぐ後ろにあった尻尾を手で押し返した。
「今が耐えにゃならん、ひょうえんわだからわ……」
両手を後ろの床に突いてあくびする。もはや今後のことを考えるだけの気力はなく、クラリが沈みこんだ表情をしていたことも分からなかった。
沈没寸前の俺のもとに、二人が戻ってきたのはすぐのことだった。
「いやマジでちょっとやべえよボス!」
風向きから消火しやすそうなポイントを携えて戻ってきたグレアに続いて戻ってきたブロウルは、そうわめいていた。
「何があった?」
ブロウルの様子からして飛行艇はもはや手遅れ、真っ赤なプラズマに包まれてしまっているものとは、すぐ推測できた。
間に合わなかったものは仕方がないかと、彼の一言で勝手に膨らませて解釈していた俺を、ブロウルは次の言葉で横殴りにかかった。
「飛行艇はなんとか形はあるけどくすぶってて、そんなことよりも、あの燃えてる船の船底に、ギルドの人間が一人閉じ込められてるってよ!」
そのときになってようやく、俺は周囲がにわかに慌ただしい雰囲気が広がっていることに気がついた。