第5話-B48 キカイノツバサ キール造船所
グレアが普段の様子に戻ったあと、リンの様子が気になって部屋を尋ねた。あまり明るい顔をしない少し陰気な彼女は、俺から積極的に話にいかないと、ふとしたときにいなくなってしまいそうな、そんな危なっかしさがあった。
メルの話を聞いたグレアによれば、リンは最近じっとしていて、見方によっては体調が悪そうにしている時もあるという。それにしては最近食欲がついてきたとかで、何か病気を患っているわけではなさそうだと言っていた。
大した話はしなかった。ブロウルとクラリの仲が良いだとか、計画の進捗がどうだとか、最近困っていることはないかだとか、その程度のことである。
彼女があまり話しかけない分、話の主体が俺側になってしまうのはどうしようもなかった。
「毎度のことだが、何かあったら俺に頼ってくれ」
「ありがとうございます」
そうやりとりをして、俺は部屋に戻るためリンの部屋から出た。
元気ハツラツというわけではなかったが、グレアから話されたときに抱いたイメージほど、病的な感じはしなかった。
しかしやはりどうしても、彼女の敬語はなかなか抜けない。俺が国賓になる前からそうなのだから、彼女の標準語が敬語なのかもしれないとも思ったが、怒ると敬語ではなくなるあたり、やはり自分で意図して話をしているのではないだろうか。
「敬語で話されて困ることはないんだがな……」
釈然としないと思いつつ、部屋のドアを開ける。
今日のグレアの付き添いの仕事は、夕飯の提供を最後に切り上げてもらった。部屋には誰もいない。
そのまま身軽な服装に着換え、寝室のベッドに飛び込んだ。
「ぐえっ!」
驚くなかれと言われたとて、驚かざるを得なかった。なんとベッドが野太い声でそう叫んだからだ。
飛び込んだときに何かの上に覆いかぶさった硬い感覚があった。
そう、使用者が俺しかいないはずのベッドに先客がいたのだ。
「よっ」
シュバッと音を立てて自らその掛け布団から顔を出したのは、やはりブロウルだった。
むしろブロウルで良かった。至近距離で見た、この目を見開いて白い歯を見せびらかし、楽しそうににやける気持ち悪い男がブロウルでなかったならば、ベッド横にの引き出しに入れていた拳銃が火を噴いていたかもしれない。
「何しにきた」
俺は起き上がってベッドのそばに立つ。
おまけにこいつ、俺と寝る方向を逆にして寝てやがる。つまり枕に堂々と足を乗せている。このお兄さん、変なんです! とでも言おうかと思ったがやめた。
「クラリから聞いたぞ」
俺がベッドから降りろと言う前に、彼は足を上げて勢いよく上体を起こし、ベッドの上であぐらをかいた。
「鉄壁の女を泣かせたって?」
「あぁその話は、また後でお前らに嫌でも聞かせることになる。とりあえず寝かせろ」
そうだろうとは思ったが、予想に違わない理由で押しかけてくれる、分かりやすいやつである。
操るのは鉄じゃなくてガラスだが、鉄壁の女とは言い得て妙だ。
「なあお前とグレアってさ、できてんの?」
ブロウルが小指を突き立てる。
「ない。色恋沙汰ならお前らに話す理由がないだろ」
グレアはいつも仕事で俺のそばにいるだけで、仕事が終わりゃとっとと自分の部屋に引っ込んでる。
もっとも、一緒にいるところをいつも見ていたりだとか、寄り道して帰ってきたりだとか、今晩のような様子を目撃されたりだとかすれば、そういう関係に見えなくもない。俺だってその三点セットの情報を与えられれば、「六十五パーセントの確率でできてんじゃねーの」と答えるだろう。
だが俺もあいつも、そんな関係だとはまず認識していないのは、言わなくとも分かる話である。
「そうか。ならよかった」
「なにが」
ブロウルが意味深な言葉をつぶやいたように思えた。
んにゃ。ブロウルは首を振った。
「女を泣かせていいのは、結婚するときと、俺達の葬式に出てもらうときだけだぜ」
「分かったから早く帰れ。おやすみの時間だ」
腕組みをするブロウルの手を掴んで引っ張り上げ、ベッドから降りて立ち上がった彼を、部屋の外へ押し出す。
「グレアの相談なら俺がバッチリ乗ってや――」
「いいから部屋に帰れ。話の決着はとうについてる」
「あ、マジで?」
「おやすみ」
廊下まで押し出されたブロウルに告げて、扉を閉めた。
――ブロウルを雇ったことを、少しだけ誇らしく思う。あいつは最後まで俺達を見捨てないで護衛についてくれそうだ。
ベッドに潜りこもうとして、枕がないことに気がついた。
ブロウルが持っていったのだろうか。あいつが持って行くような素振りを見た記憶はない。
まあいい。疲れているから見つけきれないだけだろう。明日の朝探せばすぐに見つかるはずだ。
そのまま眠りの淵へ降りてすこししたとき、誰かに頭を叩かれて意識は急浮上。
「枕叩き!」
「今度はお前か! いつ入ってきたぶ!」
両手で高く掲げた枕を振り下ろした第二撃。
クラリが楽しげに再び振り上げようとする枕を右手でとっさに掴んだ。
「いつ入ってきた」
「んふふー、ブロウルが来る前から。ずっとベッドの下で隠れてたよ。気づかなかったでしょー」
「揃いも揃って、俺もそろそろキレそうなんだが。分かるか? 枕を返せ。寝かせろ」
クラリは枕を掴む手を振りほどき、それ抱いてベッドの縁に腰掛けた。
部屋の外の窓から稲妻の光が差し込んだ。雨もしぶとくまだ降っているようだ。
「今晩はなるぅと一緒に寝ようと思って。雷もちょっと怖いし」
「悪いがこのベッドは一人用だ」
雷なんぞより敵襲のほうがよっぽど恐ろしいわ。
掛け布団にくるまって背を向けた。無視して寝たふりをしておけば、そのうち飽きるだろう。
目を閉じて少しして、布団が暑くて再び目を覚ます。本当に少しだけ寝たようだが、ヤツが布団の中でモゾモゾしているしているあたり、十分も経っていないのだろう。
寝返りを打てば目の前に微笑むクラリの顔があった。どうやら本気で寝に来たつもりらしい。
「それとね、クラリはなるぅのお嫁さんになろうと思うのです」
「お前が大人になったらな。つか暑いわ」
「あぃっ」
躊躇いなくクラリをベッドから押し出した。
床に転がったクラリに掛け布団を上から投げ掛ける。このさい部屋から出ていかなくても構わん。睡眠不足で若干気持ち悪くなってきている俺を、ただ寝かせてくれれば、もうそれでいい。
「そこの床で寝るか、部屋に帰って寝るか選べ」
「クラリはもう大人!」
掛け布団から頭を出して言う。大人なら雷ごときで俺の部屋に来るんじゃねぇ。
タイミングが悪いんだよ、タイミングが。掛け布団がなくとも、再び横になって目を閉じれば、今の俺なら簡単に眠りにつける。
「アダチ様、一大事でございます!」
「お前らホントふざけんなよ!」
いつからこの迎賓館は雪山になったんだよ。
揃いもそろって眠りを妨害してくれやがって。起き上がると、驚くロイドの顔が見えた。
「――キール造船所で火災発生、との知らせを、受けまして……」
「は、火事?」
「原因は落雷だそうで」
こんな夜中にロイドが駆け込んできて起こすなど、彼の性格上ふざけた理由ではまずあり得ないことだ。
キール造船所――飛行艇の建造を行っている中核施設だ。
今の言葉は彼の悪質な冗談であってほしいと、実際、突飛すぎて冗談なんじゃないかと、そう思った。
「え、あー……それ現在進行形?」
「現在も延焼を続けていると」
「飛行艇は?」
「情報がないのでなんとも……」
「嘘だと言ってくれたほうがまだマシだぜ、ちくしょう」
眠気が木の葉のように吹き飛ぶ。俺はベッドを飛び出した。
火災発生時の避難訓練は日本で散々受けてきたが、造船所が火災に見舞われたときの対応まではさすがにマニュアルにない。
部屋のカーテンを開けて、市街地の見える外を見る。火の手はよく見えなかった。
確か造船所には、飛行艇に必要な資材も大量に置かれているはず。
「なるぅ、どうするの?」
「今から造船所に行く」
クラリの質問にそう短く答え、寝室を飛び出す。
造船所に行って何をすればよいのか、行ってもただ炎を見つめることしか出来ないんじゃないか。現実的な考えが冷静になれと諭す。
かといって、「もう寝るから明日結末を知らせろ」とはできん。
俺が、俺達が、何十日も掛けて、ない知恵絞って死にもの狂いで工夫しながら進めてきた飛行艇を、たかだか雷一発ごときで炭素の塊に変えられてたまるかよ。
一人着替える俺の目の前に立ち尽くすロイドに問う。
「グレアとリン、ブロウルにも伝えたんだろうな?」
「いえ、まだ」
「叩き起こしてこい!」
すぐさまロイドは部屋を飛び出した。
「クラリ、お前も部屋に戻って出かける準備をしてこい。終わったら俺の部屋に来い」
「はい!」
ここで消し炭になっちまったら、やり直しにまた費用と資材と時間がかかる。
なんとしてでも、たとえ飛行艇本体がダメになっていたとしても、その材料の木っ端一つでもいい、救えるパーツを救わねば。
着替えを終え、執務机の引き出しから長らく使っていなかった魔法書を引っ張り出した。
奥まったところに収納していたせいで、一緒に片付けていた他の書類やらハサミやらが床に転がったが、戻ってから片付ければ良い。
魔法書が使えるかどうか分からんが、クラリかグレアあたりが魔法に強そうだ。持っていく価値はあるかもしれん。
「他に何が要るか……筆記具もいるな」
現場では情報が錯綜しているかもしれない。被害状況の把握には必須だろう。授業に使っていた羊皮紙とボトルインクと羽根ペンを机の上に置く。
これを持って行くにはなにか入れ物がいる。一番下の大きい引き出しを引っ張ると、編みカゴが出てきた。
この前、工業ギルドで進捗状況の報告を受けていたときに、あるギルドメンバーの奥さんがお菓子を差し入れとして持ってきてくれたときのものだ。
カゴごと貰ったわけだが、まさかこんな使い方になるとは誰も予想していなかったはずだ。
「アダチ!」
背後から声がして振り返る。メイド服を着たグレアが立っていた。準備が早い。その服装が適しているのかどうかで言えば不適だろうが、それ以外に着るものがないのだ。
羊皮紙を一枚取り出して、机に置く。部屋の前に「先に造船所に行く」と置き書きをしておけばなんとかなるだろう。
「すぐに出る」
「造船所?」
「当たり前だ。飛行艇を守りに行く」
そう言ってカゴに荷物を放りこみ、早足で部屋の外に出た。
「全員揃わずとも、間に合った奴だけで出る。部屋の鍵を閉めたらエントランスまで来い」
「分かった」
グレアの返事を聞き終える前にカゴを片手に駆けだす。こうして走っている間にも延焼を続けているだろう。
迎賓館の、まるで造船所に行くなと言わんばかりに阻む長い廊下がもどかしい。
息を切らして階段を駆け下り、踊り場で靴を鳴らしてカゴを振り回し、一階のエントランスが視界に入った。
ロイドたちが入れてくれたのだろう。エントランスのド真ん中に、まるで展示されるようにして、わだちが鎮座していた。
「綺麗に片付けてくれたところ悪いが、入り用でな」
少し息があがって上ずった声で呟く。幌のついた後ろの荷台に、カゴを放りこむ。
「ふっ!」
エントランスの重厚感のある両開きのドアの片方に体重をかける。
両方の扉を開放すると、外の激しい雨が風とともに入りこんでくる。こんな雨でも火は燃え広がるのかよ。
エントランスの扉から出られそうだということを確認し、すぐさまわだちに飛び乗る。幸いにして、わだちの出力設定は変わっていなかった。
「アダチ、雨着!」
上から声が聞こえて見上げると、吹き抜けのエントランスの一番上から、翼を広げたグレアが降ってきた。
いつものショルダーバッグを肩から提げ、半ば飛び降りるように降りてきた彼女は、わだちのすぐ横に受け身をとって着地した。今の受け身は素人目に見てもプロっぽかった。
グレアはそんなことには気に留めず、すぐさま立ち上がって俺に雨着を差し出す。
「すっかり忘れていた」
「そんなところだろうと思った」
そう言ってグレアは隣の席に座り、俺と一緒に雨着を着る。
「他は?」
「誰も来てない。俺達だけだ」
先に着替えを終えた俺は、グレアが着替え終わるのを待つ。着替えを終えたグレアは、ショルダーバッグから何着か雨着を取り出してエントランスに落とした。
ブロウルやクラリの分だ。
「行くぞ」
ブロウルもクラリもリンも空を飛べる。恐らくすぐに追いつけるだろう。
グレアが頷く。前照灯を点け、アクセルを踏み込む。エントランスの上で、わだちがゆっくり移動する。
扉を超えた先の階段をそのまま乗ったまま降りる。段差を一段降りるたび、ゴッゴッと重厚な音を立て、クッションのないイスからの衝撃が骨盤に響く。
階段を下りきったところでわだちの様子を確認したが、この程度の衝撃ではびくともしなかった。
アクセルを思い切り踏む。後輪がゴリゴリと空転しながら加速していく。
庭園が両側に広がる道を突っ切り、正門まで近づくと、ヘッドライトで気づいたのだろうか、察しの良い守衛が正門を開放してくれた。
正門を走り抜け、さらにアクセルを踏む。
踏めば踏むほど期待に応えてくれるモーターが、これほどまでに頼もしく思えたことはなかった。疾風の如く走るわだちに乗って困ることと言えば、顔に当たる雨粒が痛いことくらいだった。
終始無言のまま、わだちが走る。
工業ギルドの建物正面の道を通過したあたりで、赤い光が見えた。
「まだ燃えてるな」
「アダチ。もし飛行艇がダメになってたらどうするの?」
「そのときに考えればいい」
突然、後ろの幌から音がして、わだちに衝撃が走る。
一瞬後ろを見ると、誰かが幌の上から顔を出していた。
「追いついたぜ」
「ブロウルか!?」
俺が前を向いたまま声をかける。おうよ、クラリは下の荷台にいるぜ、と声が返ってくる。
あいつ、走ってるわだちの荷台に飛び込んだのか。全く器用なやつである。
「悪いが目的地に着くまで幌の上で粘ってくれ」
「振り落とすなよコウ!」
「善処はする」
「まったく恐ろしいボスだな」
遠くに燃え盛る炎。疾走するクルマの天井にしがみつく筋骨隆々の若い男。この絵面はハリウッドの好みであることはまず間違いない。
さらに少し走ったところ、大きく火の手が上がる様子が見えてきた。
所々、この雨にも関わらず道に面する家々の窓から身を乗り出して燃える様子を見ている人が出てきた。
近づけば近づくほど、野次馬の数は増え、通りにも出てくる人が増えてくる。
「おいそこ道を開けろ! ボスが通るぞ!」
ブロウルが上から叫ぶ。彼の声に気づいた人々が道を空ける。ナイス。
目の前まで近づいたナクル工業ギルド所属のキール造船所。空高く燃える炎の正体は、どうやらドック入りしていた帆船のようだった。マストは斜めに倒れ、周辺にも火が燃え広がっているのが見える。
「なるほど、マストに雷が落ちたってわけか」
船の所有者には気の毒だが、今一番の心配は当然、飛行艇の安否である。