第5話-B46 キカイノツバサ わだち
暗灰色の夕刻の空が低く唸る。
「コウ、なんかまた雨が降りそうじゃね?」
「確かに。グレア」
「はいはい。アダチとクラリちゃんの雨着はあるから」
リンとメルを除いた俺たち四人は、工業ギルド建物前の入り口前に立って、道行く人達の様子を眺めながら、試作品の到着を待っている。
「あれ。メイドの姉ちゃん、俺のは?」
「知らないわ。あんたこの間、自分の部屋で雨着を乾かすって言って自分の部屋に持ち込んだきり、返してもらってない事実は知ってるんだけど」
「あ゛! ――いや、干してはいるんだけど、ぜんっぜん乾かなくて」
「ミスター ブロウル・ホックロフト。一つお尋ね申したいんだが、最後に雨が降ったのって三日前だったよな」
「あ、ああ」
「三日干しても乾かない雨着なんてあるのか?」
「デスヨネー」
都合の悪そうな顔とともに、ブロウルの嘘は簡単に崩れる。お前は正直に生きたほうが賢明だと思うぜ。
雨がちの日が多くなったナクル。ここ数日は天候が急変して土砂降りの雨が降ることもしばしば起きるようになった。
ベルゲンに通達された準備期限の七十日まで、今日で残り二十日。
ここにきて、飛行艇計画にて先送りにしていた問題が表面化していた。
必死の努力で進む日進月歩の進捗も、当初の七十日での出立は間に合わないという予想を裏切らなかった。最近は、俺もらしくもなく睡眠時間を削って頑張っているが、やはりどうにもならないものは、神使様でさえどうにもしてくれないらしい。
間に合わないことで起きる問題は二つある。
一つは、予定が狂うことだ。元々無謀な計画であることは、俺なんかよりも工業ギルドの連中のほうが、その開発規模、複雑さから感覚的に理解できるようで、当初からそういう想定で構えてやってもらっている。しかしそれ以外の、政務院等の行政は、七十日で予定を立ててしまっているらしい。なんでも盛大に出立式をやりたいらしい。数日中にこちらから事情を説明して、頭を下げねばならん。
政務院には、ロイドを介して間に合わないだろうと当初から言っていたのだが――早く完成させろという圧力なのだろう。
そしてもう一つ。こっちは頭を下げればどうにかなるとか、そういう問題ではないレベルで致命的な問題だ。
工業ギルドで飛行艇開発のために働くメンバーは、タダで働いているわけではない。自分の本業を差し置いて、飛行艇の開発を優先している。いくら飛行艇の予算からその費用が支払われるといえど、ベルゲンが用意してくれた費用は無限ではない。つまるところ、七十日目以降の開発資金がないのだ。
相当な大金が出ている。ベルゲンに期限延長は頼めるかもしれないが、開発資金のおかわりは頼めない。
どうにかして俺たちで開発資金を工面しなければならない。もちろん、花屋で稼いでどうにかできる額ではない。
「あ! 来たよ!」
俺の隣で道の様子をボーッと眺めていたクラリが、右を指差した。試作品のお出ましである。
「待たせてすまないな! これが試作品だよコウちゃん!」
「立派に仕上がったじゃないか!」
第三班班長こと、飛行機班/機械開発長(機械長)のナドは、彼の若い女の子の助手とともに、それに乗って俺達の前までやってきた。フランクな言葉遣い。白い歯を見せて自慢げな表情。停止する俺達の救世主。それが試験輸送車「わだち」である。名前は頼まれたので俺がそれっぽい名前を適当につけた。
「へっへっへ、俺達の職人技をナメてもらっちゃあ困るぜ」
「これはまた妙ちきりんな外観に仕上がったものね」
ナドの自信満々の発言を、グレアの無表情な脊髄反射がバッサリ斬った。
こいつは、いわゆるご家庭にある荷馬車を改造して自走できるようにした四輪テスト機である。
最新鋭の試作水冷モーターを一基、後部シャフトへ直結している。内部は中空構造の緑色の金属筒と、それに反発するためにモーター外殻に固定された、棒状の不触板を並べている。
ちょうど断面が二重丸になる構造だ。さらに、魔力を遮蔽する布を、敷き詰められた不触板の間に巧みに配置することで、回転を一方向のみに回るように制御している。
不触板は、不触石から不純物を取り除いた、鮮やかな朱色を呈する金属のような素材である。純度を高めることで、単位面積あたりの出力が飛躍的に伸びるのだ。
代わりに不触板の取り扱いは、自らの魔力によって反発して逃げないよう、全身を魔力を遮蔽する布で覆わなければならず、取り扱いが面倒になるのだが。
不触板という名称であるが、実はギルド内でそう呼ばれているだけで、この素子の名称はない。
そんな動力が、後輪をダイレクトにドライブするのである。
そんな構造であるがゆえ、この試作車は後退ができない。前進あるのみである。
ちなみに水冷の理由は、不触板の発熱の大きさからだ。改良型試作一号機のテストでは空冷としていたが、ナドの工房で連続運転を行ったとき、不触板があまりの高熱で割れてしまい、何度も破損した結果を受けてのものだ。
金属のようなと表現したのは、この割れてしまうという金属らしからぬ性質からだ。
不触石で制作したモーターは空冷でもそこそこ使えたのだが、不触板は出力と引き換えに発熱対策が必須の材料だということがこの一件で判明した。
この問題の対応として、不触板が剥き出しになっているモーター筐体円周に合わせた、バウムクーヘン型の水槽に水を入れて冷却させた。沸騰式の簡単な構造だが、この応急処置で長時間の高負荷運転に充分応えた。シンプルな構造ゆえ実現できる素早い改良。最高だ。
このモーターに、技術協力を快諾してくれたヘーゲル技師の監修の元、モーターへ供給するエネルギーの制御装置を開発。魔力を二段階で減衰する形の出力制御装置を搭載した。
というか俺が以前、ヘーゲルの元を訪れた際、不触石の浮上距離で魔力を測定するために組み込んだ減衰制御を行った技術を、そっくりそのまま転用したものである。
第一段で個人差のある魔力を個人ごとの倍率で減衰し、百パーセントの出力を均一化する。
そして第二段では、減衰された魔力を欲しいだけの出力にさらに減衰し、モーターに伝えるのである。
増幅装置ではないため、そもそもその百パーセントの出力に相当する魔力を入力できない場合、ロスを省けば当然ながらその状態で出せる最大魔力が百パーセントとなる。
よく考えたものだ。第一段がなければ、下手したらグレアやブロウルが五十パーセントの出力で運転すると考えたときの速度より、十パーセントの出力で運転する俺のほうが速いかもしれないのだ。
「ぜひ乗ってみてください。元は荷馬車です。多少狭いですが、六、七人乗ったところでビクともしませんよ!」
わだちから降りたナドは、さあさあと右手で俺の手を掴む。小指と薬指の欠けた、三本指の右手。以前ナドの工房に訪れたとき、クラリが右手のことに興味を示し、それに気づいたナドが失くした理由を答えてくれた。若い頃に自分の不注意で、材料を加工しているときに指を切断してしまったらしい。
今俺の手を掴む彼の手にも、生傷があった。
「みなさんも後ろの荷台へどうぞ! メイドさんはアダチさんの隣に!」
俺より年下の、一五歳くらいだろうか、助手の女の子も革手袋をはめた手を振りつつ、助手席から飛び降りた。
助手の名前は何だったか、ミネと名乗っていた気がする。金髪の腰まである長いストレートの髪。小柄な体格。
髪は短くないと危ないと思うのだが、どうしても髪を切るのは嫌らしい。何かがあっては困るのは間違いなく、ナドの工房内では、髪をまとめるようにしていると、以前工房に訪れた際、本人が言っていたことだけは覚えている。
はしご状のステップを上り、運転席に座る。右ハンドル。左側に助手席。アクセルとブレーキペダル。初段減衰率調整レバー。非常に分かりやすいシンプルな設計だ。
しかし、カーオーディオだとか空調だとか、そんな気の利いたアイテムはなく、それどころか速度計やタコメーターも非装備。ナンバープレートもなく、車検の記録もない。もちろんABSだのエアバッグだのシートベルトだのといった、気の利いた保安システムもない。おまけにドライバーは無免許ときたもんだ。
日本だったら、アスファルトの上を転がした時点で違法なシロモノである。
停止したままハンドルを切ってみる。大型バスにあるような、かなり大きいハンドルを装備しているが、それでも少し重たい。
ステアリングは、ハンドルの回転力をそのままクランク機構を通じて前輪へ伝達し、向きを制御する。スタンダードな仕組みだ。
パワーステアリングのような運転補助装備がないのが、ハンドルが重い理由の一つでもあろう。
ちなみに、このハンドルに配置された緑色の金属から操縦者の魔力を取得する。この金属も実は名前がない。
魔力を溜めておくような装置はないため、運転中に手放し状態になると、自動的にモーターの出力はゼロになる。
たとえ運転手が狙撃されても自動的に停止できる原始的なデッドマン装置ってわけだ。
……カラオケのマイクよろしく死んでもハンドルを離さないパターンは知らん。
ブレーキペダルを踏んでみる。特に車体に変化はない。
制動制御はワイヤケーブルで行う方式を採用した。ここは地味にカネがかかっている部分で、柔軟性のある、つまり純度の高い金属を使用しているのがその原因だ。純度の低い金属は脆くて切れやすく、ワイヤーには適さないのだ。
正直自転車のブレーキから安直に発案したものなのだが、わだちの構成部品の中で重量あたりの高価なパーツランキングの暫定トップスリーに入るとは思わなかった。日本円に換算するのは、品物の価値が異なるので難しいが、おおよそ二十万円ほどだろうか。そのコストを聞いた瞬間、今更ながら現代世界の大量生産が持つ壮大なパワーを実感したぜ。
考えてみろ。テレビを見ててなんとなく不意に「そうだ、ワイヤーを買おう」と思い立ったとしよう。そのままちょっくらホームセンターに行って五百円を差し出せば、長さはともかく多種多様な品揃えの中から、お好みのワイヤーを手軽に手に入れられるのである。わざわざ刀剣に使う原材料を買い上げて、職人に頼って作らせて完成を待たなくても良い。なんて素晴らしいんだ。
先端技術は何かとお金がかかるものですよ。ブレーキ機構の開発の手助けに入ってくれたヘーゲル技師は先日、目を輝かせて予算を頬張りつつ、まだ製作中のフレームだけのわだちの下に潜りながら言っていた。
「ふむ」
俺の魔力の量に対応する、初段減衰率はどれくらいが適正なのだろうか。
助手席にグレアが乗りこんできた。
グレアは正面を向いたまま、俺の周りにある入力装置を横目で興味深そうに眺める。
「使いこなせるの?」
「多分いける。加減速を間違えて事故ることはあるかもしれんが」
このスイッチは何だったかな。
ハンドルの下に装備されたレバーを倒してみると、前方に閃光が放たれる。魔力で点灯するライトだった。
カメラのフラッシュ並の閃光である。やばいやばい。慌てて元に戻した。
「あのさ、危ないと思ったら私飛んで逃げるから」
グレアは膝の上に乗せたショルダーバッグの中に手を入れながら言う。
「ぜひそうしてくれ」
とりあえず初段減衰率を最小に振っておくか。マックスにしたら、適正値を見つけるまでにわだちが分解しているのは間違いない。大型旅客機のスロットルレバーの形状に似せたそのレバーを、マイナス記号の彫り込みがある手前に倒す。
出力を大きくする方向へは、プラス記号を彫り込んである。
「そんなことよりもアダチ。この馬がいないのにひとりでに走る奇態な乗り物に乗ってる私が、民衆の注目を浴びているのが結構耐え難いんだけど」
グレアは言いつつ俺に雨着を広げて差し出した。空は今にも降りだしそうな色だった。雷の音も聞こえていたしな。受け取って羽織る。
「私達」ではなく、あくまでも「私」なところがグレアである。
「それも最初だけだ。乗ってるうちに慣れる」
「慣れたくないわ」
もっとも、いま注目を浴びているのは、さっきフロントライトを点灯させたからだろうが。
フロントライトは時間とともに弱くなっていきながらも、まだ光を放っていた。
開発資金の工面がつく頃には、量産型の注文が入っているだろう。俺達が旅立った後だろうが、ナクルは世界に先駆けてクルマ社会になるだろう、たぶん。
「なら後ろに乗り換えてもいいんだぜ」
操縦席の後ろは幌で覆われている。雨が降っても安心なわけだ。
実際、後ろからありがてぇ、ありがてぇと若き変態野郎の声が漏れてきている。
「いい」
グレアはそう言って雨着を羽織り、バッグを雨着の内側に抱えこんだ。結局、さっきの興味本位からなるフラッシュについて苦言を呈したかっただけらしい。
空に本物の閃光が走る。四秒ほど遅れて雷鳴が響く。音速が地球のそれと同じであるなら、距離は一千三百メートル程度だろうか。
「コウちゃん、せっかくだから迎賓館まで運転してみたらどうだ? ホントは造船所まで行って飛行艇の様子の説明でもしようかと思ってたんだが、この天気を見てると、どーもそれは賢明ではなさそうだ」
運転席のすぐ下まで来たナドが、運転席の床に両肘を乗せて提案してきた。
「いいのか?」
「歩いて帰るよりそれに乗ったほうが早く帰れるはずだ。いくら雨着があっても、濡れるのは少しに越したことはないだろう?」
「はは、まあな」
「それじゃあ、俺達は雨が降らないうちに飛んで帰るからな。取り扱いは大丈夫か?」
「バッチリ想像通りに仕上がってる。直感的に分かる良い設計だ」
返答に白い歯を見せたナドは、さらに親指を突き立てた。
「次来るときは必ず乗ってきてくれ。実際に走った後、どこかに問題が出てないか確認したい」
「了解」
「師匠、早くしないと帰れなくなっちゃうよ!」
ミネがナドの後ろから急かす。雨着は持っていないらしかった。
ナドは振り向いてミネの顔を一瞥し、顔を俺の方に戻した。
「じゃ、気をつけてな! くれぐれも潰すんじゃないぞ!」
俺のふくらはぎのあたりを二度ほど叩いて、二人は飛び去ってしまった。
空から大粒の水が一滴、頭に当たったのは、その直後のことである。
「行くぞ」
こいつを壊さず、安全に走行しなければならない。ここで暴走して事故を起こせば、クルマが普及する前に規制が大好きな方々が騒ぎだすに違いない。
アクセルペダルを思いきり踏み込んだまま、初段減衰レバーの開度をそっと上げる。
プラス方向へほんの親指の幅ほどずらしただけで急加速。数秒もしないうちに、一気に自転車の全力疾走で出せる速度に近い速さまでスピードが乗った。
アクセルを緩めて一定の速度域になる出力を模索する。回転数が車輪と同一で低速であることや、歯車などの部品を使っていないことが功を奏したのだろう、エンジンや電車のモーターような動作音がなく、静かだ。
すごい! ねえブロウル見て! 結構速いよ!
後ろからクラリの声が聞こえる。車体の後端から顔を出してでもいるのだろうか。
アクセルから足を離して、ブレーキを少し踏んでみる。少し効きが悪いかと思ったが、少し踏みこめばしっかり効く。
ハンドルも少し切ってみる。少し重いが、そのレスポンスに間違いはない。
運転に最低限必要な装置類に、不良は今のところなさそうだ。
「アダチ、どうしたの」
わだちの不審な挙動に気づいたグレアが尋ねる。
「ん、各装置が動くか点検しただけだ。しっかり動くぜ」
「くれぐれも通行人を轢かないでよね」
「わーってる」
少し進むと、進行方向が灰色に霧がかっていた。もちろん分かっている。あいつは霧じゃない。
「お前ら、雨に突っ込むぞ!」
後ろの二人にも聞こえるように声を上げると同時に、レバーを倒してフロントライトを点灯させ、それからフードを被る。グレアもフードを被った。
失敗した。この世界の雨着は、飛びながらでも着用することを想定して、フードが風で後ろに脱げないよう紐で結べるようになっているが、運転中に両手を離すわけにはいかない。走りだす前に結んでおくべきだった。
結局十秒足らずでフードが脱げる。
そのまま土臭い雨の中へ突っ込んだ。閃光と雷鳴が響く。
もうフードは諦めてとっとと帰ろう。アクセルを踏みこむ。
「結んであげるから」
俺のフードにグレアの両手が伸びた。
激しい雨が顔に当たる。雨粒が目に入らないよう目を細める。
「珍しく気が利くな」
「あんたの頭が濡れてると、ちゃんと仕事してないって私が怒られるから」
そう言ってグレアは俺にフードを被せ、キュッと蝶結びを完成させた。
「……そういえばグレア」
「なに」
「そろそろその仕事、辞めたらどうだ?」
「……どういう意味?」
「最後の護衛の枠を埋める用意ができたんだが、そいつは今他の仕事に就いているらしくてな」
グレアの方を見る。見慣れたぶっきらぼうな顔はそこにはない。座っていたのはユリカだった。
「悪い。返事を出すまで長らく待たせちまったな」