第5話-B38 キカイノツバサ 善意の契約
二度寝は至高の贅沢であるが、今日はなぜかというべきかやはりというべきか、寝ることができなかった。
予定通りグレアが布団を引っぺがすまでの間、結局俺は布団にくるまってグレアを連れて行くべきかについて悩んでいた。
確かに枠は2つまだ空いている。しかし人が人だ。神都にてグレアの訃報を聞いた両親は深く嘆き悲しむに違いない。危険を考えれば安易に許可を出すべきではないとはいえ、願いを叶えてやりたいとも思っている。どうしたものか。
一週間後、ストレスでハゲてしまった俺を想像するのはたやすい。早いうちに決着をつけて楽になりたい。
「だから、私はあんたのママじゃないっつーの!」
悩んでいることもつゆ知らず、グレアはいつもと変わらぬ様子で布団をひっぺがしに来る。眠れないなら起きてりゃいいじゃねーかという声が聞こえてきそうだが、直立状態よりも横になっている方が、物理的に安定していて楽なのである。
俺は何を血迷ったのか、今世では人間という苦行の権化とも言える生物を選んでしまった。今回の反省を活かし、来世は犬猫のように横になった状態で移動できる生き物に生まれ変わるつもりだ。ビバ怠惰至上主義。
「身分明かしても、相変わらずあんたを起こさないといけないなんて……っとにもう」
いつもの朝である。
朝食を済ませて、今日も工業ギルドへ向かう支度をはじめた。
昨日の襲撃で取り逃がした三人の男について、事件発生地域の所轄であった第一警邏隊本部からの情報は、まだ何も入ってきていない。国賓に対して危害を与えた者を捕まえておきながら、その報告を政務院ないし迎賓館に対して行わないということは、まずあり得ないことだった。
つまり三人は依然として逃走中であり、身柄を確保された主犯格の男の供述についての情報もないことから、堅く口を閉ざしていることも推測できた。
先ほど朝食をつつきながら「全員捕まえておいたほうが良かったんじゃないか」とグレアに言ったところ、「そこまでの余裕はなかった」と言われた。身の危険を考えると飯がマズい。
「誰かさんが自分の身を守る術を持っていたら、どうにかなったかもしんないけどさ」
「悪かったって」
以前リンから拝借した武器類は、迎賓館には持ち込んでいない。ここに来た時はドタバタしていて、そんなものを持っていく暇がなかったこと、こんなものが必要になるとは思ってもみなかったこと、そもそもリンの所有物であること。この3つがその主な理由だった。
武器を持っていたとて、実物の剣を振り回している奴と、授業で習った柔剣道と、どちらが実力があるかという話だ。たとえ昨日武器を持っていたとしても、あの時みたく不意打ちでもしなけりゃ勝てる気がしなかった。
そんなことを話しながら支度していたのである。
「アダチ。とりあえず――」
そのとき部屋に荒々しく響いた音はノックではなく、ドアに握り拳を叩きつける衝撃音。
「何事!」
自身の生存が危ぶまれることを本能の領域で察知するには、十分な攻撃性を伴っていた。振り向く速さは、その意志を超える。
「よっ!」
硬直する俺。身構えるグレア。バカーンと開け放たれたドアから顔を出したのは、ブロウル・ホックロフト、クラリ・クリグラスタの二名。
勝利宣言と言わんばかりに右手を高らかに掲げて振り、陽気な挨拶を発したブロウル。彼の背後からえびす顔を出しているクラリ。両者の間に流れる硬直した空気。
ブロウルの表情は一段したへ下がり、挨拶の手を止める。
「ん、少年どうした、また何かあったのか?」
「……ああ、ブロウル一味の襲来だ」
「あんたさ、もっと上品にノックできないの?」
ただのブロウルの馬鹿力であった。
まさかノックの仕方一つから教えてやらねばならぬ、というわけではないだろうな。朝から重い話で暗めの俺達と、陽気な彼らの温度差がシュールだ。
「ちょっと気合い入れてノックしたら、ヤバいぐらい響いちまってな。俺もちょっとビビったけど、なんというか、悪い」
「それで、どうしたんだ?」
気の抜けた息を吐くついでに言い、俺は椅子に深く座り直した。
ブロウルはクラリの手を引き、俺の座る机の前まで歩み寄る。
「昨日襲われたじゃん? 少年死んだら俺ら報酬貰えないじゃん?」
「まぁ、契約が白紙になるだろうな」
「そうなると俺ら困るじゃん? 敵来たら俺らボコボコにするじゃん? お前助かるじゃん? するってーと」
俺もお前も幸せじゃん? ブロウルは自身に満ちた表情で、空いているもう片方の手で机をトントン。2回叩いた。
今の発言から、「じゃん?」を抜いてみるといい。単語の羅列ができる。喋るゴリラの出来上がりだな。
「どうよ少年?」
「願ったり叶ったりだ。昨日逃げた残党は、また襲ってくるだろうかと、ちょうどグレアと話していたところだ」
ブロウルとクラリに守ってもらえるように頼みたいが、契約外だからと何か別途報酬を求められるんじゃないか。ブロウルが来る直前、俺はそんなことを考えていた。
金を支払うのが俺であれば、追加報酬だの何だのと話を自由に進めることができたかもしれない。
だが実際は、政務院と領主ベルゲンが支払うのだ。俺が契約を結んで、彼らに「契約を結んだからよろしく」などと事後報告とともに押し付ける行為は、どう考えても道理に合わない。
しかも一方的に施しを受けている身分である。勝手な行動を起こして迷惑をかければ、その代償を求められたときに困る。
「突然大勢で押しかけることになるが、昨日の今日だ。工業ギルドの連中も、ことの始終を知っているものもいるだろうし、話せば理解してくれるだろう」
ブロウルは、契約が白紙にならないようにすることに気が向いているようで、ここで「出発までの期間も、護衛として守る」という新たな契約を結ぶという発想には至っていないようだ。
ならば、思いつかれる前にそういう約束にして、後で変更できないように固めるべきである。
「迎賓館にずっと閉じこもってるとさ、だんだん暇になってくんだよ。筋トレったって、一日中できるもんでもないしな」
「だろうな。まぁ俺なら一日中ベットでゴロゴロしてても飽きないが」
「まるで寝たきりのおじいさんみたい……」
「ああよく言われる」
遠慮気味にクラリから頂いた辛辣なツッコミを、開き直りの笑みを作った顔面で華麗に受け止めた俺。鼻で笑うグレア。クラリに頷いて同意するブロウル。
「それに、そこのメイドみたいに街ぶらつきたいしさ」
「ん、何の話だ」
工業ギルドからの復路で、グレアに一定の自由行動を与えているのは、俺とグレアだけの秘密だったはずだ。
グレアが誰かにこのことを喋ったのだろうか。
グレアを見ると、彼女も同じく俺を見ていた。それも疑いの眼差しで。もちろん彼女の沈黙の問いに首を小刻みに横に振る。
「あれ、コーゼンのヒミツってやつじゃないのか?」
「その話はどこで聞いたわけ?」
ブロウルの話に、とうとうグレアが参加。彼女も情報の出どころが気になるようだ。
「お前は、グレアだっけ? お前らの帰りがいつも遅いから、通りすがりのメイドに『いつもこんなに遅くまでやってて大変だな』って話したんだよ。そしたらさ、『今の時間帯はお前が彼女に自由行動させてるはずだ』って。メイドも、赤服のおいちゃんも皆知ってるらしいぜ」
「……どこでバレたかな」
「政務院がギルドから出た時間帯を知って、それにしちゃ帰りが遅いってんで調べたら――ってそのメイドは言ってた。元から目撃されてて噂は立ってたらしいぞ」
「ほう……」
情報の出どころは分かったが、それ以上に、ブロウルにここまでの情報を覚えこませたそのメイドの手腕に驚きである。本人が聞いたら腹を立てそうな冗談である。
ブロウルはガチのバカというより、ヘラヘラ系バカの方が正しいのかもしれない。公衆の面前でありえない行動をしてくれたこともあるが、芯までバカというわけではないのは確かだ。
昨日の「ズボン履いてる間に死んだらどーする」発言も、今の話も、道理はちゃんと通っている。ただ、常識があるかどうか疑わしいことは否めない。
「俺らは護衛の仕事をする。少年は、対価としてグレアと同じように、俺らにも多少の自由行動を黙認してくれ。三食寝具付きの生活で、生活費が浮いてるからな。あんな事件もあったが、それでも街の治安は悪くない。対価として十分釣り合う」
「これは非公式の契約だ。グレアの自由行動は一応秘密になっているのと、書くのが面倒なので契約書もなし。俺と口頭で交わす個人的な契約という条件でどうだ」
「つまり口約束ってことだな。了解だぜ少年!」
ニッと白い歯を見せてブロウルが笑い、手を軽く振り上げる。
「信頼してるぜブロウル」
俺もそれに応じて右手を上げる。
パシン、ハイタッチのような握手を交わした。
「クラリも同じ約束します!」
「お、おう……クラリも、誰かがケガした時に頼むぞ」
さっきの握手は二人にした約束だと思っていたが、クラリは目を輝かせて執務机に身を乗り出し、同じ握手を求めていた。よっぽど迎賓館で暇しているのが辛かったのだろう。俺も手を差し出す。
「治癒魔法は得意です!」
バシィン! 机から身を乗り出した状態でハイタッチしようとクラリが意気込んだそのとき、彼女の身体が横転。握手に失敗。手を叩かれると同時に机から鈍い音。
「イッ……!」
手の骨が一瞬軋んだのではないかと思うぐらいに激しく。小さい女の子と言えど古族。想像以上のパワーだ。右手に襲いかかる凶悪な鈍痛に、反射的に左手を添えて丸まる。プッ、意地悪な笑い声が聞こえた。
「おい、二人とも大丈夫かよ」
「俺は骨が折れたわけじゃなさそうだ……気にしなくていい……」
俺が机の上に目をやると、そこにクラリはいなかった。
どうやらクラリは手を振り下ろしたときの反作用でバランスを崩し、机で身体を打ちつけたらしかった。器用なぶつけ方をしたものである。
「クラリも大丈夫です」
クラリはブロウルの差し出した手を掴んで立ち上がり、打ったらしい自分の後頭部をもう片方の手でさすった。後頭部を打ったということは、すなわち反作用で半回転したということになる。
クラリのハイパワーさは、零雨と麗香のどすこい油圧アームを思い出させた。零雨にショッピングカートでホームランされたあのとき。麗香に張り手でぶっ飛ばされたあのとき。痛い記憶である。
「ああ……クラリに言っておくべきことが一つあった。俺にその治癒魔法とやらは、まったく効かないらしい」
右手をプラプラさせながら告げる。
どういうことだと、ブロウルとグレアに問われた俺は、以前そういう魔法での治療を受けた経験があるが、全く効果がなかったことを話した。
「俺がこの世界の人間ではないことが、関係しているのだろうが……」
「クラリは魔法が使えないときでも、止血とかできるできることはいっぱい教わりました」
「なら大丈夫だな。では早速だが、出かける用意をしてここに来てくれ。いつも午前中に出てるんでな。急がなくてもいいが、ダラダラされても困る」
あい。ブロウルは応えて背を向け、ちっこいのも行くぞと付け足して、二人は部屋を出て行き、俺とグレアの二人だけになった。
「ふう」
机に両肘をついて手を組む。右手はなんともないが、後でアザができるかもしれない。
「……お前が神都についてくるということは、あの二人と行動を共にするということだが」
「分かってる」
「まさか人選を変えろとは言わないよな?」
グレアはひょいと机に腰掛け、振り向いて言う。
「言うわけないじゃん。あんたの勝手で選んでるんだから」
「少なくとも俺の人選に納得してもらえているということだな」
グレアは後ろ目で俺を見るだけで、答えなかった。
神都へ一人旅という選択をせず、集団で移動する機会を利用する。それは俺とその護衛を利用するということだ。俺があまりにも納得のいかない人選をしていたのなら、グレアのことだ。なにかと理由をつけて考えなおすよう迫るだろう。
「あの彼、非常識なことする割には、妙なところで常識持ってるよね」
「そうだな。自己中気味の快楽主義者ってところか」
「そんなのに走られても困るんだけど、まあ今のところ信頼できなくは……ない、んじゃない?」
「スパッと言い切れない気持ちは俺もよく分かるが、とりあえず信用しようじゃないか」
ブロウルとクラリを連れて街を歩き、向こうで仕事をして帰ってくる。単純な話じゃないか。出かける前には、俺も簡単な護衛用の武器が借りられないかロイドに頼めばいい。それだけのことで、心配すべきなのは再襲撃以外にはない。
……いや、今のは撤回だ。
マズい。心配しなければならないことが一つあった。それもできるだけ早く、可能ならば今からでも処置しておかねばなければ、万一また襲われたときに手も足も出ない重大事が。
俺は手を組み直してグレアに話しかける。
「……時にグレアよ」
「なに?」
「ブロウルとクラリの分の弁当を用意してもらえないか」
「クラリはともかく、あのバカは一週間くらい飲まず食わずでも衰弱しそうにないけど」
「俺にはあのテンションを維持するために大量の食料が必要に見えるが。頼むぞ」
「はいはい」
グレアは珍しく願いをすんなり聞き入れてくれた。
彼女は執務机からひょいと飛び降りて、担当のところに行ってくると言い、ふらりと部屋を出ていった。
連れて行ってもらえるかどうかの一件で、少しでも俺の心象を良くしたいがための行動だろうか。それとも、気を許してもらえた証拠だろうか。
とかく、腹が減っては戦ができぬ、ということだ。