第5話-B35 キカイノツバサ 彼女の決断
「…………。」
晩。俺は隣人のドアの前に立っていた。
迎賓館最上階の突き当たりの部屋で寝泊まりしている俺の隣人たりうる人物は一名のみであり、その一人とはもちろんグレアのことである。
俺は彼女に呼び出されたのだった。
メイドが主人を呼び出して、しかも自室に来いなんて偉そうな口を叩ける奴は、俺が知る限りグレアだけだ。実に彼女らしいというか。世界中探し回っても、彼女以外見つからないだろう。
呼び出された理由は皆目検討がつかないわけではない。むしろ今日起きた襲撃事件パート2以外見つからない。
来るように言われたのは、例の拘束した男を誰かの通報によって駆けつけた、20名を超える大勢の警邏隊に引き渡した時だ。
「……ねえ。ちょっと言いたいことがあるんだけど」
「自衛対策の不十分については深く反省して――」
「今夜午後11時。11時になったら私の部屋に来て」
彼女は俺の言葉なんざ最初から聞いていなかった。彼女は自分の懐中時計の指す針を見ながら、俺の言葉が聞こえていないかのように自分の言葉を重ねた。
「待たせたな! 英雄は遅れてやってくるんだぜ!」
グレアの発言の直後に耳にした、空から降ってきた場違いな声に、俺たちを含めその場にいた人物が一斉に顔を上げた。
その声の主はパンツ一丁右手に弓。筋骨隆々な裸の上半身にX字の革ベルトで固定された矢筒と剣を背負う、まさに男の魅せ装備。相手の攻撃に当たらなければ云々以前に変質者であり、こんな姿で登場してくる人物と言えばブロウル・ホックロフト一人しかいない。
だいたい弓士は遠距離とか上空から援護する感じでスナイプするものなのだろうと俺個人としては思っているが、何を考えているのかこの男、鼻息を荒くして俺の目の前に降りてきた。
これが女の子だったら、サービスタイム突入と相成ったのかもしれない。だが現実は男である。
「ハァ、ハァ……同志がピンチだと聞いて飛んできたぜ!」
「帰れ!」
お前と一つにした志なんざこれっぽっちもないが、そのファッションは実に革命的だ。つか受け取り方によっちゃ、まるで俺がパンツ一丁で出歩く志をお前と共有している変態の中の変態に思われるじゃねえか。やめてくれ。
グレアは目を見開き、顔は引きつり、完全に引いている様子でこちらに顔を向けたまま少しずつ後ずさっていく。いや違う待ってくれ誤解だ……と俺は両手を振って否定したが、よくよく考えれば彼女は完全に俺の立場を理解して遊んでやがる。チクショウ、乗せられた。
警邏隊が現場で拘束された実行犯を本部に連行していったり、徐々に戻り始めた一般人から事件の目撃証言を聞き出したりしている目の前に、武装した変態が何の躊躇なしに彗星の如く現れたかと思うと、困惑する要人を同志と呼びフランクに接しはじめる。
どう考えてもこれは頭のイカれた変質者が要人の身の危険を脅かしているようにしか見えない。というか、これだけの人数がいながら容易に変質者を近寄らせてしまった警邏隊の失態はどうにかせねばということで、速やかに拘束されたブロウであった。
まぁすぐ俺が誤解を解いたわけだが、なんでお前はこいつを選んだと言いたげな白い目線が痛かった。
彼がこの姿で来たのは別に筋肉アピールをしに来たからというわけではなく、たまたまパンツ一丁になって自室で筋トレに励んでいたところ速報を耳にし、クライアントが死んじゃ報酬も出ねぇということで、パンツ一丁、上半身裸にX革ベルトという応急装備で向かったら結果的にこうなったという、一応常識的とも言えなくはない理由であった。
彼は語る。ズボン履いてる間に死んだらどーすんだよ、と。
「で、誰が同志をピンチに陥れてるって?」
「同志言うな」
ブロウはヤル気に満ちた顔で目をギラつかせ、左から右へゆっくり顔を動かして周囲に怪しい人物がいないかスキャンを始めたが、この時点で彼のスキャン網に引っかかる奴がいるわけもなく、結局彼のスキャンに引っかかったのは、店先で変態を警戒する女の子だけ。
そもそも契約は神都へ行くまでの道のりでの護衛であって、本来ナクル内での護衛は契約に含まれていなかったものだ。それにも関わらず、自分の意志で飛び出してきてくれた彼は賞賛に値するはずだが、彼の勇姿を見ると、どういうわけか素直にそうすることに抵抗感を覚えざるを得ない俺であった。
…………。
ブロウの話は今はどうでもいい。とにかく俺はグレアに呼ばれたのだ。
いつも一緒で二人きりになる時間はたくさんある。わざわざ時間や場所を指定せずとも、話があるのならそこですればいいと思ったのだが、彼女はそれでは納得しないようだった。
グレアは今日はいつもより早く夜8時に仕事を切り上げて出て行ったし、10時半頃まで廊下からバタバタする音が聞こえてきた。彼女が何か準備らしきことをしていることは確からしかった。
約束の時間の間に合うように準備するのは常識である。深夜という時間帯に呼び出され、それまでの空白の時間を、否応がなく予想通り暇を持て余していた俺は、約束の15分前から彼女の部屋の扉の横にもたれかかって、書斎にあった適当な本を読みながら時間が来るのを待っていた。
"わたし は かれ の あと を おう ため、てぢか に あった らんぷ を ひったくる ように して てに とり、かない に きゅうよう が できた むね を つたえて じたく を とびだした――"
「……ひらがな小説読みづれえ」
改めてカタカナと漢字の偉大さを実感する。いまだに慣れないのもあるかもしれないが、漢字カタカナ交じりの書籍を読むよりも時間がかかっていた。空白の開け方も適当だし、本音を漏らすとこの読みづらさはストレスに値するレベルである。
それでもないよりかはマシで、寛大な心を持てば時間潰しには最適であった。
ふと視線を感じて廊下を見渡すと、遠くの廊下でメルがワゴンを持ったまま、俺を物悲しそうな目で見つめていた。ワゴンには誰かが食事した後の食器が載せられている。
俺が空気を読まずにメルをガン見していると、彼女は俯き、ワゴンを押して視界から消えていった。にらめっこ勝利。
「……ん? あの辺は空き部屋だったよな」
深夜11時前ということもある。リンの付き添いであるメルが、彼女の世話を終えバックグラウンドの仕事をしているとすれば、この光景は不思議ではない。
しかしこの階で寝泊まりしているのは、俺とグレアだけだと聞いているし、俺はそう認識している。迎賓館が俺たち関係者以外に客人を迎え入れたという話も聞かない。はて、向こうの部屋に誰か居るのだろうか。もしいないのならば、メルはあそこで何をしていたのだろう。
メルがいなくなってからの廊下は俺以外誰の姿もない。まるで雪原にいるかのような静けさだった。
「時間か」
懐中時計の針は午後11時を3分ほど過ぎていた。時計の誤差のことを考えると、あと7分ほど待つべきか。いや。待って遅刻認定されるのも納得がいかない。彼女も時計の誤差程度は織り込み済みだろう。
「ふー……」
パン。乾いた音を立て本を閉じ、そのままゆっくり半回転。本を小脇に抱えてドアの前に立った。軽くおっさんのような咳払いをひとつ、ドアを三回ノック。最近いろいろ老けてきた気がする17歳である。
「入って」
「邪魔するぞ」
俺はドアを開ける。部屋に一歩踏み込むと、少し甘い匂いがした。
グレアの部屋は、もともと国賓をもてなす部屋ということもあって立派だった。
戸を開けて左側の壁に沿って、腰の高さほどの横に長い木製の引き出しが置かれ、その上にグレアと寄り道して買った雑貨や小物が飾られていた。……俺と一緒に出かけるようになるまで、ここには何も置かれていなかったということだろうか。
目線を少し上にあげると、壁に立派な刀剣や盾が飾られていた。刃渡り30センチほどの小さなハンディ三叉槍も飾ってある。俺の部屋には置いてないし、こんなものを買って帰った記憶はない。部屋のバリエーションの一つとして迎賓館が用意した備品なのか、彼女が趣味で購入した私物なのかは定かではない。
ただ、全体的に部屋の装飾は減らされていて、俺の部屋との差別化がなされていた。
部屋の奥のベッドに、グレアは腰掛けていた。彼女はメイド服を着ていなかった。薄ピンク色の綺麗なドレスと銀のティアラを身につけて座っている。彼女は俺と目線が合うと、顔を赤らめ恥ずかしそうに目を逸らした。
「なんだ、仮装大会か? それとも罰ゲームか?」
「……どう? メルちゃんたちに着せてもらったんだけど」
「…………似合ってんじゃね?」
「ありがと。」
勝ち気で高飛車なグレアだったが、頭でも打ったのだろうか。見た目と言葉遣いが普段と違うせいで、似ても似つかぬ別人に成り代わっていた。
気まずくぎこちない間が空く――どう対応すればいいのだ、俺は。どんな話をするのか、事前に聞かされていれば、気の利いた返しの一つぐらいはできたかもしれない。
「座って」
グレアは自分が腰掛けるベッドの左隣を手で叩く。俺は後ろ手でゆっくりドアを閉めた。
「鍵も」
振り返って静かに鍵をかけ、隣に腰掛ける。ベッドが軋む。
意図がつかめない。グレアが8時で仕事を切り上げたのは、おそらく今着ているのドレスの準備諸々に必要な時間だろう。計画的だ。
では、グレアは前々から今日実行に移すことが計画していたのだろうか。だとしたら、なぜあの襲撃直後という非常な状況下でわざわざ言う必要があったのだろうか。
呼び出したのは彼女。彼女が口を開くのを待つ。
「…………。」
「……アダチ。今までごめん」
「何のことだ?」
「私、メイド辞める」
「そうか……え?」
グレアはもう一度、ハッキリと、「メイドを辞める」。
俺の空耳なんかじゃなかった。襲われてちょっとエキサイトした影響で少し気分がおかしくなっているだけだ。冷静になってもう一度考えなおすべきではないのか。俺がそう言うと、彼女は静かに首を振った。
「前から決めていたこと」
辞めちまえだとか、クビにするぞだとか、俺は最初本気で言っていた。それがいつの間にか軽口の叩き合いの一部になって、その応酬を何処かで楽しんでいる俺がいた。憎いがどうしてか憎めない。そんな彼女がいるという日常に、ある意味幸福感を感じていたのは事実だ。もっともあまり信頼はできなかったが。
「もし私があのガラスの力に頼らなきゃいけない時が来たら、メイドを辞めようって」
「…………。」
グレアにとって、やはりあのガラスの魔法は特別なもののようだった。考えてみればそうだ。いつも俺と出歩くときは肌身離さず持ち歩いていたし、宝石屋でカードも見せてもらった。そのガラスの魔法について、特別な思い入れがあるのは合点がいった。
だが俺は首を傾げる。そのガラスの魔法は、自分の人生を左右するに値するほどのものなのだろうかと。
グレアはベッドに掛け直し、俺に姿勢を向けた。両手を足の上に乗せて、改まった格好で。
「私は、今までずっと偽りの名前を使ってきました。『グレア』は私の本当の名前ではありません。私の本来あるべき姿は、この姿なのです」
「いやいやいやちょっと待て。俺は、おとぎ話か何かを聞かされに来たのか?」
時折、アニメのコスプレをしている人がテレビに映っているのを見た覚えがある。彼らの服装は化学繊維やプラスチックなどの現代の工業技術の力を借りて制作していたと記憶している。独特の質感のようなものがあったのだ。
それに比べ、今俺の隣に座っているグレアの服装は間違いなく天然素材から作られたものだ。色合いは若干地味だが、それゆえに現実感がある。彼女の着ているドレスの繊維にしたって美しい。シルクのような質感である。もしかしたら本当に絹なのかもしれない。
ただ――
「私の本当の名前はバルザ・リー・ユリカ。元次期国王の結婚相手第一候補でした」
グレアの話す言葉があまりにもぶっ飛びすぎていて、このあと俺の知った顔が看板片手に突然部屋に乱入してきて「ドッキリ大成功」なんてやらかしてくれるんじゃないかと思うほど、まったく現実味が感じられなかった。
「……グレア。確率の話をしよう。まず俺の元いた世界からこっちの世界に飛ばされる確率はどれぐらいあると思う? 過去一万年、いや十万年のスケールで考えても俺しかいないと考える。仮にその事象が起こる時代が必然的に決まっていたとしよう。俺が飛んできた時代はな、世界の人口が70億人を突破している。その中で俺がこの世界に来たって言うことはだな、70億以上の玉が入っている袋の中に手ェ突っ込んで、どれがいいかなーなんて言いながら適当に玉を握ったら偶然俺の玉だった、というレベルなんだよ。もうこの時点で確率は≒0(ニアリーイコール・ゼロ)だ。そして俺は偶然砂漠のど真ん中でリンに助けられた。この助かる確率も極めて小さいと言っていいだろう。すでに生きているだけで奇跡のレベルなんだよ。末代までの子孫の大小ありとあらゆるラッキーを俺が根こそぎ前借りしたって足りないこと確実の奇跡だ」
「…………。」
「そういう前提があって、俺はここにいる。で、一国の元お妃さん候補がこんな砂漠に近い僻地の街でなぜかメイドをやっていて、偶然同じ街に来た俺と出会う羽目になり、その姿を晒すまでの付き合いになるまでの全体の確率はいくらだ? 常識的に考えてみろ。どっかの物語の主人公か何かで補正がかかってなきゃ、こんな神様でさえも当てるのが難しそうな確率に当たるわけがねえ。それともなんだ、俺のこの人生は物語にされるために生まれてきたとでも言うのか?」
「アダチさん。その、あなたがどういう境遇に置かれていたのか知らないけど、私嘘はついてないですよ?」
「じゃあなんだ、ドッキリじゃないとでも言うのか?」
「このタイミングでする必要がないでしょう?」
「…………。」
「…………。」
俺とグレアは黙って顔を見合わせた。
「……マジで?」
「マジで。」
グレアは俺から目線を外さず頷いた。
するってぇと、俺は何かの物語の主人公やってたということなのか。主人公やってるなんざ、うぬぼれもいいところで笑止千万な冗談だが、本当に俺は主人公役か何かをやっているとしても不思議ではないかもしれない。俺の横に座っているグレアが元お妃様候補だというこの事実を、俺はどうも現実として受け止めることが難しかった。ポンと言われてハイそうですかと納得できる適応力はない。
「どうして私はここにあなたを呼んだのか。率直に言いますと『頼み事を聞いてほしい』からです」
「頼み事?」
「はい。私はメイドをやめます。なので……私を……神都へ行くまでの護衛の一人として雇っていただきたいのです」
「正気か? 今までの安定した生活を切り捨てて、自らを危険の中に置くことだということだ。賢そうなお前が理解していないはずがない。刺激が欲しければ他の手段だっていくらでもあるはずだ」
「私は真面目です。正気。本気。危険は承知です。今まであなたにしてきた無礼も謝ります。あなたが望むならなんでもします。だから、私も連れて行ってください」
「突然そんなこと言われても反応に困る。決定権は確かに俺にあるが、リンにも認めてもらわなければ、俺は許可を出すことはできない。まずグレアがリスクを冒してまで護衛になることを希望する、その理由を聞かせろ」
「はい」
俺はまだ夢見心地の気分だ。グレアがガラスの魔法を使って襲撃を退けたこと、俺が今グレアの部屋にいること、そしてグレアがドレスを着て、護衛を希望していること。非凡なシチューエーションの連続だ。まだ俺はいつからか夢を見ているんじゃないかと思っている。途中でふっと意識が遠のいて、気がついたら何の変哲もない奇妙な朝と見慣れた天井がやってくるんじゃないかと思えてならないのだ。
そんな心境の中で、彼女は覚悟を決めたような表情を浮かべ、そっと口を開いた。