第5話-B34 キカイノツバサ ガラスの女王
「あーもうほんっと、ひどい目にあったわ」
「お前がごく普通にしてりゃ、俺は何もしねえよ」
夕方になり、俺達がギルドから出ると、グレアは開口一番にぶちまけた。相変わらずの反抗的な表情で俺を睨みつける彼女は、俺の返答に口を尖らせる。
普段から真面目にしてるならば、ウトウトしても「この計画の為に相当頑張ってくれててな」とお目こぼしの一つぐらい請うてやろうという気になるものだ、俺だって。
「……ちゃんと仕事してたし」
「お前に一つ言葉を教えてやろう。さっきのギルドでのお前の行動をな、世間では『サボる』っていうんだ。為になったろ?」
「はいはいご教授ありがとうございます」
こんなヤツに便宜を図る気になれるかという問いに対する答えなど、決まっている。
早口で畳み掛けるように言い放って、グレアは足を速めた。肩にかけているショルダーバッグが、速くなった歩調に合わせて大きな音を立てる。おうおうイラついてるな。諸悪の原因はお前にあるというのに、だ。ったく、これだから反抗期は。自分の反抗期を棚に上げ、周囲の通行人をじわじわ追い抜いていく速度で歩くグレアに黙って追従する俺である。
彼女が寝ることそのものについては、俺は別に構わない。極論、グレアが道端に寝転がって通行人に踏まれ蹴飛ばされようが、階段で寝て転がり落ちようが俺は別に構わない。……マジでそんな醜態を晒そうものなら全力で止めるかもしれないが、それも時と場合によりけり。何事もTPOだ。
一番問題なのは、俺が迷惑する場合なのだ。心証を悪くされたり、俺が不便するようなこと。それだけは断固阻止する所存である。
「俺だってお前みたいにグウタラしたいぜ」
「いいんじゃない? せっかくなら永眠するといいわ。すべての面倒事から開放される眠り。うん最っ高!」
「じゃあテメエはなんで生きてんだ。とっとと永眠しろよ」
「……ごめん」
「お前の将来が心配だ。失言一つでリアルに首が飛んだりしそうでな」
反抗期であるが、怒るとすぐ萎縮するのはいつもの彼女である。早足だった歩調も、語勢と共に失速。いつもの速さに戻った。
立場が上の人に対して暴言ばかり吐いてると、適当な罪を着せられて処刑されそうな気がするが、この世界ではそういうことはあるのだろうか。
「親でもないのに何心配してんの」
「腐れ縁の首が飛んだって聞いて飯を食えるほど俺は図太くねえし。それと一つ。俺はそのときが来るまで死ぬ気はないぞ。すくなくとも、元の世界の土を踏めるまではな」
……グレアは仕事をしていない。事実。それどころか、今回の件は俺のやることをさりげなく妨害しているようにさえ感じた。妙な茶々を入れたり周囲の空気を悪くするようなことをしたり。頭の回転が速いグレアならば、直接的ではなく、外堀を埋めるような間接的な形で妨害をしてきてもおかしくない。だが、何のために?
仮に妨害しているとして、その思惑に結びつきそうな手がかりは、俺には心当たりがない。
加えて不思議なのは、グレアが必ずしも妨害に徹しているわけではないということだ。先日の護衛選考で、俺がリンと一緒に席を外したとき、グレアは俺の代わりに選考してやると自ら名乗り出た。飛行機は駄目で、護衛を選ぶのはいいということなのか。
別の考え方をするならば、妨害していることを悟られないようにするための行動なのかもしれない。反抗期の影響なのかもしれない。あるいは――
「お前は、俺が神都に向かおうとしていることについて、どう思ってる?」
「……別に。」
――俺が考え過ぎてるだけなのかもしれない。
頭の悪い俺にはどれが正解なのか皆目検討がつかないが、グレアを敵に回すことになるならば、相当面倒臭いことになりそうだということだけは分かる。胃に穴が空くぜ。
グレアはつまらなそうな声で答えた。本人に直接聞けば分かるかもしれないと思ったが、何か某を企てているとするならば、教えてくれるはずはない。
…………疑うのはよそう。理屈と膏薬はどこへでもつくのだ。一度疑いだしたら、誰も信用できなくなる。互いを疑い、腹を探りあう関係なんざ、俺は望んじゃいない。イタズラに神経をすり減らすに過ぎない。そしてなによりグレアに失礼だ。
彼女は大きなショルダーバッグを重そうに抱え直す。ジャリッ。中の大量のガラスが一斉に音を立てた。
「グレア。出掛けるたびに大量のガラス板を持ち運んでるようだが、それなんなんだよ」
「さあ。お守りか何かじゃないの?」
「それがお守りだとしてお前は神様から一体どれだけのご利益をかき集める気だ」
まるで他人のことのように話すグレアの様子は、やはり通常運転。がめつい。大量のお守りをバッグの中に詰め込んでまで得たい幸運とは一体なんだ。
お守りと彼女は言うものの、これは細い路地に立地する店で買われているものだ。当時の店の人の様子からして、グレアはいつもあそこで買っているらしいことは分かっている。
お守りとは、つまり神使の加護を得る為ものであることは容易に想像できるが、それならばお守りは本来、教会が売り出すのが筋だろう。むしろ教会の主な収入源の一つになっていてもおかしくない。
もしグレアの抱えているそれが本当にお守りならば、教会ではなく、なぜ宝石屋が売っているのだ。
「ていうか、このあいだ言わなかったっけ? 『使わないほうがいいもの』って」
「確かに聞いたが全然使ってる様子ないし、置いてきたらどうなんだよ。どうせ今日も寄り道するんだろ? 置いてきたらどっか寄って買ったものもカバンに入れられる」
「そうね。こんなもの持ち運んでると無駄に肩が凝って仕方ない。あんたの言うとおり、こんなものは置いてきたいって、心の底から思ってるわ」
「じゃあ置いてこいよ」
「…………。」
特に何も考えず俺は答える。グレアはそれに返すことはなかった。自分の懐中時計を少し見つめると、彼女の目はあっちの店へ、こっちの店へと、すでに寄り道モードになっていた。
俺はギルドで色々話したり、普段以上に頭を使っていたこともあって、少し疲れていた。まぶたが少し重い。頭を空っぽにしてボーっとしていたかった。彼女の好きなようにさせて、どこかの店に食いついたらどこか壁を借りて目を閉じよう。
通い慣れ始めた、迎賓館とナクル工業ギルドを結ぶ道。その一つの大通りの賑わいの中を歩く。この道をあと何回歩けば飛行機は完成するのだろうか。少し気が遠くなりそうだった。
グレアはめぼしい店を見つけて近寄るものの、今日はなぜか店のものを一瞥するだけで、店の品物に手に取るような事はせず、そのまま通過。食いついて店に立ち入る気配がない。それに彼女は不思議と時計をしきりに気にしているようだった。
重大懸案事項発生――俺、寝れぬ。
「どうした、今日の買い物はやけにあっさりしてるな」
「うん、まあ」
「時計も気にしてるようだが、メイド仲間と待ち合わせでもしてるのか?」
「…………。」
珍しくグレアは答えをはっきりさせずに濁した。答えた声色からは、何か迷っているような印象を受けた。答えを濁すことは今までにもあったが、今回のように自信なさげに濁されるのは初めてだった。表情も明るくない。気が付くと、グレアに合わせる俺の歩調が異常に速くなっている。なんだ、なんなんだ?
グレアは下を向いて、わずかに唇を動かしている。何か独り言を呟いているのが聞こえた。
何かあったのか? 混乱しはじめた頭でそう聞こうとした瞬間、グレアはゆっくり前を向いて俺に言い放った。ショルダーバッグのに手を添える彼女は、何かの覚悟を決めたようだった。
「私は最初にあんたと会ったとき『あんたは私をクビにできない』って言ったよね。その理由を教えてあげる」
「いきなりなんだよ」
その声は、言葉を濁していたさっきのグレアとは、まるで別人のように凛としていた。俺が横目で見る彼女の表情も力強く、迷いは完膚なきまでに駆逐されていた。
――ねえアダチ、現在時刻の反対側には、何が映ると思う?
「現在時刻の反対側?」
俺は胸元から懐中時計を取り出した。懐中時計のフタを開け、文字盤を見る。何の変哲もないただの時計は、夕刻を指している。この時刻の裏側。針を鏡のように反転させればいいのか?
時計を裏返したその面には、豪華な装飾がなされているだけで、惑星が横一直線に並んだら特殊なギミック的な何かが発動する感じの機能が搭載されている気配はない。
再び裏返して文字盤を上にする。凹形のフタの内側に、一瞬何かが映った気がした。
見えたときの角度に戻す。目の下の傷が特徴的な男の顔。ん、見覚えがある。
「!」
次の瞬間、グレアが突然空気を切って振り返った。直後、金属同士がぶつかり合う甲高い音と鈍い音が耳をつんざく。
グレアが刃渡り20センチほどのナイフで、振り下ろされた剣を受け止めて……る? え、え?
「おい……この女ただもんじゃねえぞ」
「無防備だとでも思った? バーカ」
1メートルほどの刃を持つ剣を振り下ろした男。さっきフタに映った顔の男だった。
「LINK!」
男が剣の軌道を逸らして体勢を整えると、再びグレアに向かって剣を振り上げると同時に、彼女は素早くバッグから何かを取り出し叫ぶ。数秒前と状況が一転、理解が追いつかないまま俺の身体は反射的に目をつぶり、上半身が刃から逃れようと身体を傾けた。
重いものを落としたような音が聞こえた直後、俺のすぐ近くで何かがガラスを引っ掻く音が聞こえた。
俺達と男の間にあったのは、2.5m四方はあろうかという巨大な魔法陣が刷り込まれた、自立する透明な盾。まるで壁のようだ。その盾の向こうで、剣を振り下ろした体勢の男。盾には剣の軌跡か、白い傷が弧を描いている。今更ながら状況が飲み込めてきた。最悪だ。
「まったくヒヨッた頭じゃ襲われてることすら理解できないの? 襲撃体験は人生何度目よ?」
「マジかよ……」
「ぼーっとしない! 敵は複数ハイ前方!」
周囲にいた一般人が悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
グレアは機敏な動作でバッグからガラス板を取り出し、前方に投げナイフを扱うかのように投げつけた。前から俺達に迫ってきていた見知らぬ紳士の額に直撃。ガラスの板は上に跳ね、落ちたと同時に音を立てて割れる。
グレアは男の怯んだ隙にもう一枚のガラス板を放り投げた。放物線を描くガラス空中で垂直に立って静止したかと思うと、鈍い音を立ててもう一枚の巨大な盾と化した。
"使わない方がいいお守り"の意味をようやく理解した。不測の脅威からグレア自身、そして俺の身を守るために、彼女は常に肌身離さず、重いガラスを持ち運んでいたのだ。
"あんた護身になるもの持ってる?"
"いや"
"丸腰で出かけるなんて、あんた死にたいわけ?"
"別にスラム行くわけじゃないだろ。ここらは治安も良さげだし"
彼女はその後も何か言っていたが、それがなんだったのかは思い出せない。脳裏に浮かんだのはこのやりとりだけだが、このやりとりだけもってしても、間違いなく"手ぶらで出歩くことへの警告"だった。口酸っぱくは言われなかったが、警告はされた。そして俺はそれを受け流した。
「アダチもなにか武器持って!」
「手ぶらだぜ」
「死ね!」
そしてその結果が、これだ。グレアに死ねと言われた。
本能が身の危険を感じ、周囲の時間の流れが遅くなる中で、俺は後悔するしかなかった。
俺達から逃げていく一般人の流れに逆行して俺達に向かってくる、目立つ動きの人間が左右からも一人ずつ。前後左右。少なくとも
計四人。それぞれ凶器を持っているような雰囲気だ。
それに気づいたグレアが左右、そして上にも盾を展開した。4人はガラスの箱の中に閉じこもっている俺達に近づくことはできない。そのことを確認したグレアは、ため息をつく。
俺を睨んだ。「護身具を持っていったほうがいいって忠告したよね。なんで持ってないの?」と言わんばかりの鋭い視線。怖ええ。グレアを怒らせると超怖ええ。
「……悪かったって」
仲間のうちの一人が剣の柄でガラスを叩いた。びくともしなかった。数回叩いたが、ガラスは割れる気配はない。
「このガラス、あんたらの力で叩き割れるほどヤワじゃないんだけど」
怒気のこもった声。やっぱり機嫌が悪かった。
主は忠告したのに聞く耳を持たず、複数人からの襲撃を受け、その上ぼーっと突っ立って状況を認識できない主を一人で守る。機嫌が悪くなることはあれど、決して良くなることはない。
「おい!」
最初に襲いかかってきた男が声を荒らげ逃げ始めると、彼らは一斉に背を向け、翼を広げ逃げだした。
「バカじゃないの」
今まで俺とグレアの盾になっていたガラスが歪んだ。滝から流れ落ちる水のように振る舞い、それが球状に変形すると、最初に逃げた男を不気味な急加速で追う。球体は高度を上げ始めていた彼との距離をあっという間に詰めると、男の腕と両足に絡みついた。
ガラスはそこで固まったらしい。男はガラスの重量でバランスを崩したが、絡みついたガラスは落下を許さなかった。結局男は絡みついたガラスの力で引き戻され、両手両足に加え翼まで拘束された状態で俺たちの足元に転がった。
……まだ心拍数も落ち着かぬ状態の中、このガラスの魔法は飛行機に使えそうな気がする、などと妙な余裕とハングリー精神が脳裏をかすめた俺であった。
「こんなことしておいて逃げおおせると思ってるなんて、正直驚いたわ」
グレアは床にうつ伏せで転がっている男の前まで歩み寄り、屈みこんだ。
「なぁグレア、他に逃げた奴は?」
聞くとグレアは顔だけ振り返って、いつもの鋭い目つきを俺に見せ、言葉をまくし立てた。
「なんで私が全員捕まえるとか面倒臭いことしないといけないわけ? 私はあんたを守るだけ。主犯の男を一人捕まえたんだから、後は仕事すべきところがやればいい話でしょ?」
彼女は立ち上がり、足で男を仰向けにひっくり返す。男の反抗的な目つきが顕になる。
「捕まった気分は?」
グレアの言葉に反応してか、男は小さく舌打ちした。
「ガタイのいい男が4人も束になって、年頃のか弱そうな女の子に負けちゃった気分は?」
グレアの煽りを受けて、男は黙り込んだまま、顔だけが次第に赤くなっていった。
体を捻らせ拘束を解こうともがくが、グレアのガラスはびくともしない。
「そのガラスはそんじょそこらのガラスとは違うの。分かる?」
男は何か言いたげに口を動かした。それを聞き取ろうとグレアが一歩近づいたその時、男はタンをグレアの靴に吐き捨てた。
グレアは靴についたのを見た瞬間、すさまじい嫌悪感を表情で示し、反射的にその付着した部分で男の顔に一発蹴りを入れた。生半可な力じゃなかった。男の頭は激しく揺さぶった。
「アンタの口は唾を吐くことしかできないの? なんならここで下顎ぶっ飛ばして水も飲めないようにしてやってもいいんだけど?」
「グレアやめろ」
俺は彼女の腕を掴んだ。
静かな言葉だったが、正直この発言にはビビった。いくら言うことが過激なグレアであっても、ここまで直接的な言葉を口にすることはなかったし、この非常な状況下でのその言葉は俺に現実味を抱かせ、その光景を想像させうるほどの語気を伴っていたからだ。
「分かってるって」
彼女は冗談を本気にされて興醒めだわ、とでも言いたげな目をして、そっと腕を振り解いた。
「後でコイツには色々白状してもらわないといけないんだろうし。けど」
「けどなんだ?」
「私達を命の危険に晒してくれた、そのささやかな仕返しぐらいはしてもいいでしょ?」
そう言ってグレアは、さっきとは比べ物にならないほどの力で男の顔に蹴りを入れた。おそらく彼女の本気だろう。
男の顎は無事だったが、代わりに歯が一本、口から元気に飛び出した。他人の口から歯がぶっ飛ぶシーンは創作ではよく見かけたが、リアルでは初めて見た俺であった。