第5話-B31 キカイノツバサ 魔法のおやつ
結局――クラリを連れ帰ってきてしまった。
リンは「何とかしてやりたい」の一点張り、クラリからも泣きながら懇願されてはたまったものじゃない。
ロイドが俺の肩を持ち、リンに冷静な判断をと促してはくれたものの、熱くなったリンのこと。放っておけないと頑なに主張して聞き入れない。
本人が護衛を希望していたこともあり、結局折れちまった。
居住区から帰ってきた俺達は、エントランスで解散、一旦自分の部屋に戻ることになった。特にリンは色々と疲れてしまったようで、メルに心配されながら戻っていった。ロイドもまだ仕事があるという。
「クラリは俺についてこい。本当に雇うかどうか判断する」
「…………。」
クラリはこくりと頷いた。
迎賓館の階段を登る俺の横を、クラリの資料が入った封筒を片手に持つグレアが並び、その後ろをクラリがついてくる。グレアが持っている資料は、施設から受け取ったものだ。
クラリは俺のことが怖いのか、距離を置いてついてくる。土で汚れた白い服がかなり痛々しい。
連れ帰ってはきたが、クラリはまだ仮採用の身。採用するかどうかの判断は、これから俺の部屋で行う二次試験で決まる。
リンは雇うか、連れて行くかのどちらかにさせてやりたいと言っている。助けたい気持ちはよく分かるが、どう考えても本来の目的を違えている。
万が一のときは、助けたい人を盾にして自分が生き残るという不思議な結末になるが、リンはこれを理解して言っているのだろうか。してないだろう。
まったく、リンは自分が何をやろうとしてるのか分かっていない。
……理由はともかく、リンは採用の判断をしている。あとは俺次第。
雇うことが本当にクラリのためになるのか、そして彼女を採用する価値があるのか。書類といくつかの質問で見極めなければならない。正直難易度が高過ぎてできる気がしねえ。
「ふー……」
静かにため息を吐いた。これからやることは、一人の人生を間違いなく変える。それでも俺が最後の砦になってやらなければ、クラリを余計に不幸にする結果を生むかもしれない。
部屋の前に着くと、大人しかったクラリが声を上げた。
「ここ……」
「ああ、俺の部屋だ」
「正確には、コイツが借りてる無駄に広い部屋ね」
「入ったらすぐ試験を始める」
緊張している様子のクラリを尻目に、グレアは黙って書類の入った封筒を小脇に挟み、ドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。解錠音。
「グレア、さっき受け取った書類を出してくれ」
俺はスーツの上着を脱ぎながらグレアに言った。防衛隊の襲撃で、上着は砂埃にまみれていた。外に出かけるときはいつもこのスーツ。また明後日に工業ギルドへ行く予定なのだ。早いうちに洗濯してもらわないと。
「応接室使わないの?」
「こっちのほうが雰囲気出るだろ」
「なんというか……あんた偉そうね」
「実際名目上はお偉いさんだぞ? それも最上の扱いをされる"はず"の国賓だ」
「あらそうだったの。初耳だわ」
「嘘つけ」
上着を畳みながらグレアにツッコむ。彼女は小脇に抱えていた封筒を執務机の上に投げ置いた。書類の入っている封筒が音を立てて机上を滑る。
さすがグレアである。机から落ちるか落ちないかのギリギリのところでバランスを取って静止したかのように思わせつつ、不意打ちのごとくバランスを崩させて机から封筒を落とすコントロール能力が。封筒の中身が飛び出て床に散乱した。
「書類出した」
「ぶちまけただけだろ」
「でも書類は出たじゃない」
「おまえなぁ……乱雑なことするから、クラリがビビってるじゃねえか」
俺は見た。封筒が音を立てて机に着地した音と、書類をぶちまける音に反応してビクついたのを。今もまだ毛も立ってるままで、目も見開いたままだ。
「まったく……クラリ、コイツの悪行は気にしなくていいぞ。ちょっとイタズラ好きなだけだ。クラリがここに来てくれたことが嬉しくてつい俺にイタズラしちまったらしい」
「相当無理があるわね」
「てめ、誰のせいだと思ってんだ」
お前が粗暴なことをするから、俺がフォローしてやってんだ。
畳んだ上着をグレアに押し付けて、床に散らばった書類を拾い集める。順番に並べ直しだ。本当なら一喝してやりたいところだが、緊張しているクラリをさらに萎縮させてしまいそうだった。ったく、グレアは何がしたい。
……あれか、クラリにも恒例の意地悪な洗礼を浴びせようという魂胆か。このテリトリーは私がボスだと威嚇する動物とやってることまんま変わらねえ。
クラリは両手を握りしめ、眉をハの字に不安そうな目つきで俺を見る。今のがかなりストレスになってしまったようだ。俺は努めて笑顔でクラリに話しかける。
「クラリ。あまり気にするな……つっても気になるか。なんにしろ慣れてもらうしかない――じゃ、そこの机の前に立ってくれ。試験を始める」
クラリを執務机の前に立たせ、俺は椅子に深々と腰掛ける。いい具合に椅子が軋む音がした。
「さぁて。まずは俺の神都への移動に伴う護衛という命がけの仕事に名乗り出た、君の勇気と心意気に感謝を」
「アダチ、あまりイジメるんじゃないよ」
「お前が言うな、お前が!」
まったく、誰のせいでこんな雰囲気にさせたのか。
「まあお固いことは抜きにして、書類の内容が事実かどうか確認するからな。俺が一通り読み上げるから間違っているところがあったら言ってくれ」
クラリについての情報が書かれた資料をめくる。
グレアは俺の上着を抱えて、その様子を黙って見ている。傍観することにしたようだ。
「えー、フルネームがクラリ・クリグラスタ……女性、年齢は13」
まだ子供じゃないか。一瞬そう思ったものの、備考欄に親切にも注釈がついていた。古族は平均して10歳で成人し、慣習的に15歳で親離れするらしい。つまりクラリは成人。少し変わった文化だ。
失礼な話だが、居住区にいた古族はみな同じくらいの年に見えるもんだから、クラリみたいなあどけない容姿でも結構年くってるんだろうとか思っていた。ちなみにクラリ、地球年齢換算で91歳。
「えーと経歴……出生時に母親が死亡、父親が男手一つで7歳まで育て上げるも、難病で他界、以後孤児院で生活を始める。12歳のとき財政上の理由で孤児院が閉鎖、以後本人たっての希望であの施設に住み込みで働くようになる、と……波瀾万丈だな」
「…………。」
「で、後方支援隊の? 医療科、武器補給科、他複数の資格ありとな……」
こんな幼い身体して医療系か……幼いのは古族の特徴ゆえ仕方ないが、なんだか想像がつきにくい。一応資格持ちらしいので、道中で病気になったとき、助かる確率が上がりそうだ。
備考欄には"成績は優秀で突出した才能を持つ努力家である"と書かれている。他にも、幾つもの資格を持つのはかなり難しいことだとも。
「こんなに資格をとった理由はなんだ?」
「……イジメられたくなかった」
「そうか」
クラリは俺とは目を合わせず、俯いたまま呟く。そんな姿から、再び俺は視線を書類に戻す。
イジメられたくないと、なんとか周囲に自分の存在を認めてもらおうと、一心に努力をし続けた結果が、俺の手元にある。クラリの様子に嘘偽りが入る余地はない。
正直、この少女を見直した。これほどまでに努力家で成果を上げているなら、前に出せずとも雇う価値はあるだろうと、今の俺は結論づけた。
「備考にもよく頑張ってたって書かれてる」
「…………。」
「クラリ…………施設ではあんな事言って悪かった。お前の頑張りを否定するようなこと言っちまって。クラリ、よく頑張ったな」
鼻をすする音がしたかと思えば、クラリの目に涙が浮かび――また顔が歪んだ。
「おいどうしたいきなり」
次にクラリが声にしたのは、涙を浮かべた理由ではなく慟哭だった。広い部屋にクラリの泣き声が響く。部屋のドアは閉めてある。声が外部に漏れることは、近くを通りかかられる以外ない。それどころか、ここは隅部屋だし、隣はグレアの部屋。まず聞こえない。
「…………。」
何もしてないのに突然泣かれちゃ、俺も訳が分からん。
そこでグレアに目で理由の推測意見を求めた。俺の顔はよっぽど困惑の表情を貼り付けていたらしい。彼女が――明後日の方を向きながらではあるが――すんなりと俺の要求に応える程には。
「頑張りが認められて嬉し泣きでもしてるんじゃない?」
クラリは涙で袖を濡らしながら一度頷くと、声を上げてその場に崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまった。そうか……今まで我慢して溜まっていたものが、タガが外れて今ここで全部出ているのか……
このままでは試験が続けられない。かと言って、このまますぐに泣き止むとは思えなかった。というのも、クラリが施設で懇願してきたとき、その気持ちが落ち着くまでにかなり時間がかかったのだ。今回もそうなるだろう。
俺は机にそっと書類を置いて、椅子から立ち上がる。執務机を迂回して、クラリの前でしゃがみこむ。赤く充血しはじめた目が俺を見上げた。
「試験は一旦ここで休憩にする。ちょっと応接室で茶でも入れよう。グレア、茶を頼む」
「アダチが入れてやったらどう?」
「俺はコイツを部屋まで連れて行く。お前は仕事しろ」
給金二割減らされたから、私がする仕事の量も二割引きでいいよね。そんな軽口を叩きながら、グレアは給湯室へ向かった。それは自分のやったことが跳ね返ってきただけに過ぎない。……まさかお茶の量から何まで二割引きで出すつもりじゃあるまいな。
クラリを立たせて隣の応接室に連れ込んだ。自分の部屋の応接室は使ったことがなかった。ただ単に使う機会がなかったから使わなかっただけだが……自分の部屋なのに新鮮な感じがする。
「まあ座ってゆっくりしておけ」
クラリをソファに座らせる。使ってない部屋なのに埃っぽくないのは、きっと誰かが――グレアが掃除してくれているからに違いない。アイツは仕事したりしなかったりで、いったい何がしたいのやらさっぱり分からん。俺はテーブルを挟んで反対側のソファに腰掛けた。
「……なぁ」
「ふぁい……」
辛かったら言わなくてもいいが、と前置きした上で、施設ではどんなことをされたのかと聞くと、クラリはさらに一層激しく泣き声を上げた。
「殴られた! 制服捨てられた! 階段から落とされた! 武器の標的にされた!」
「武器の標的って、よく怪我せずに済んだな……」
矢継ぎ早に答えた内容は、凄惨だった。イジメている下賤な連中はクラリのことを何と思っていたのだろうか。
イジメを傍観者の立場で遠巻きに見ていた――中学の俺。その延長線上にあるのが今の俺だ。だから、いかにしてクラリをイジメようとしたのか、いじめてない奴らはクラリをどう扱ったのか、言わずともある程度の想像はついた。
想像できない奴は、きっと幸せな世界の中で生きてきたのだろう。運の良い世界の中で生きてきたに違いない。
「ここ……」
「やられたのか?」
クラリは髪をかき分けて、側頭部を俺に見せた。ソファから身を乗り出して近づいてみると、横一文字に切り裂かれたような、生々しく大きな傷跡があった。
「うわ……ひでえな。何でやられた? 弓か?」
それは同情でもなく俺の本心からの言葉。
俺の質問にクラリは石と答えた――石ころでこんな横一文字の切り傷ってできるものなんだろうか。武器で狙うのは、もはやイジメでもなんでもない。ギリギリ外れたから良かったものの、殺人未遂の領域だ。防衛隊の襲撃で使われたような武器で狙われたんだと想像すると、背筋の凍るものがある。あれと同じ勢いで投げられた石に掠ったのかもしれない。
「言われたものと、ついでに頼んでないものまで用意して――」
「おいグレア、ちょっとこれ見ろ」
お盆に花茶といくつかのお菓子を持ってきたグレアに、クラリの傷跡を見せた。瞬間、グレアの眉間が難色を示す。
「これは?」
「石でやられたんだと」
グレアはお盆をテーブルの上に置き、ぐっと近寄ってまじまじと傷跡を眺める。
「これ、やられたの最近でしょ?」
クラリは大きく頷いた。回復魔法での治療は、自然治癒と見た目はあまり変わらないが、クラリの傷跡周辺の髪の毛が短く切れているので判別ができたという。きっと石が斬ったのだろう。
「傷を治療しても、髪の毛までは修復できなかったみたい。頭を切れば大量に血が出るし、それどころじゃなかったのもしれないけど」
「こりゃ、必死で嘆願するのも分かる」
こんな酷いことをされていたんじゃ、誰だって抜け出したくなるに違いない。クラリはよく耐えていたと思う。
あの時、リンがこの子を見つけなかったら、一体どうなっていただろう。また同じように石を投げられて、今度は当たりどころが悪くて死んでいたかもしれない。
けどアダチ。グレアはお盆に乗せた花茶と、何種類かのお菓子を載せた皿をテーブルに並べながら言った。
「もしこの子が護衛に合わなかったら、施設に戻すんでしょ?」
「……そうなる、な。できれば、そんなことがまかり通るようなところには戻したくないんだが。しかしグレア、頼んでない菓子まで用意するとは、どういう風の吹きまわしなんだ?」
「その子にちょっと悪い気がしただけ」
そっけない態度で答えた。さっきの資料の件でクラリを萎縮させてしまったことか。嗚咽を漏らしながら鼻をすするクラリに、自分のハンカチをそっと差し出したグレア。普段から素直でいればいいのだが……彼女は本当に何がしたいのだろうか。
当のグレアは、皿を並び終えると、汚れた上着を洗濯に出すと断って応接室から出ていってしまった。
クラリを戻せばまたやられることはほぼ間違いない。クラリが迎賓館にいることは施設中に知れ渡っているはずだ。目立ってしまったことで、エスカレートする可能性だってある。現状でも十分酷いというのに、だ。クラリを戻せば、いつか必ず再起不能になることは間違いなく、地獄の中に再び戻すのは心苦しい。避けてやりたい。
「クラリ、食っていいんだぞ」
「ぐずっ……うん」
片手で涙を拭い、もう片方の手を伸ばし、クッキーをそっと掴む。口元に運ばれたクッキーは、湿った音を立てて半分にかじり取られた。
「おいしいか?」
クラリは頬張りながらまた大きく頷く。
「……俺のこと、まだ怖いか?」
ためらいなく首を横に振り、早々と2枚目に手を出す。本当においしかったと見える。
俺も手を伸ばし、一枚口にした。グルメリポーターのような語彙力がない俺にはありきたりな表現しかできないが、素朴な甘みが効いていて、うまかった。
俺の様子を伺いながら、バクバク食べていくクラリ。時折むせ返って、俺に慌てなくてもお菓子は逃げねえぞ、などと言われながらも、皿の上の残りを減らしていく。気がつけば、いつの間にかクラリの涙は収まっていた。
「ホントうまそうに食うな、お前。俺の分も食っとけ」
そんなにお菓子は要らない気分だったこともあって、3分の2ほど残っている自分の皿を、クラリの前に差し出した。その言葉に反応してか、狐耳がぴくつく。クラリは小さく目を輝かせて俺を見る。一瞬遅れて口が笑った。
ところが、クラリは俺の皿には手を付けず、自分の分だけを平らげたところで食べるのをやめた。
「とってもおいしかった、です」
「俺のがまだ残ってるぞ?」
「あとでまた食べたくなった時のために、とっておき、ます」
にぃーっ。満足げな笑顔――まだ少し涙の跡を残したままの、そんな表情に、不思議と俺の妹――美羽の笑顔が重なった。美羽とは似ても似つかないような顔をしてるのに。
なんにせよ、早くも俺はクラリに信頼されはじめたことは確からしかった。