第5話-B30 キカイノツバサ クラリ
ベンチから立って周りを見渡してみても、二人の姿は見当たらなかった。
「あの二人って――あ、メルちゃんいない」
「リンもな」
「どこ行ったんでしょう?」
「僕も知らない」
俺に続いて他の三人も、この事態を把握したらしい。ベンチから周囲を見回したり、立ち上がって数歩あるきまわってみたりしたものの、誰も二人の姿を見つけることはできなかった。
周囲の建物の死角に入り込んでいるのかもしれない。
「あいつら、どこをふらついてる」
「さあ。あんたのツレがなにか面白いものでも見つけたんじゃない? それか内緒話か」
「だとしても勝手にいなくなるなよな……」
「けどここに来たときは二人ともいたし、私達がここにいることは彼女たちも把握している。探し回らなくてもそのうち戻ってくるんじゃない?」
「グレア、もしリン様が誘拐されでもしたらどうするのですか。探すべきです」
楽観的なグレアにロイドの指摘が入る。
わざわざ誘拐犯の元にふらふらと歩み寄るほどバカじゃないと思うけど? グレアの正論にロイドの顔が曇る。
「だとしてもです。そこに目をつけられて誘拐される可能性だって十分にあります」
「施設の外ならまだしも、よ。私はここの警備を信頼してるけどね? 不用意に侵入できないよう結界が貼ってあるし、しかも古族の軍事施設で誘拐を働こうなんて輩は正気の沙汰じゃ――」
「皆さんちょっとごめんなさい!」
区長が両手を上げて話を止めた。
「だれかの声が聞こえた気がして……ちょっと静かにしてくださいです」
その願いに、二人はきょとんとした顔で黙り込んだ。精密機器のようにピクピクと獣耳が動く。俺には誰かの声なんて全然、グレアとロイドと、爽やかに駆け抜ける風の声しか聞こえなかったというのに。
これが古族が持つ実力なのだろうか。
「えっと、多分あっちの建物のうらがわに、さっきの女の人がいると思う――女の人が怒ってる声がします!」
「怒ってる? リンが?」
リンが怒ることは度々あったが、今回はいったい何があったのだろうか。
「ちょっと私が様子を見てきます」
「いや俺も気になるし、一緒に行く」
「じゃあ、私も」
「ぼ、僕が声の場所までつれていきます」
区長の先導で、結局全員がその声のする方へと向かった。
声の場所は建物の裏側なんてところではなく、もっと奥の遠く建物の入り組んだ場所にあった。人間ではまず聞き取れないような距離から声を特定できるその実力に、内心俺は驚いていた。
「どれがけ傷つくかも分からないせに、兵隊なんてやってるんじゃないわよ!」
俺がリンを視界内に捉えたとき、彼女はそう叫んでいた。メルの静止を振り切って、狐っ子兵三人に対して思い切りビンタを食らわせている。その近くにはうずくまって泣いている古族の女の子が一人。
「どうなの! 痛いでしょ!」
何があったリン。しかしどこか見覚えのあるような風景。俺達が来たことに気づいたメルは、リンを静止することをやめ、俺達のところへ助けを求めに来た。
「リン様を止めてください!」
「何があった」
「あそこの三人が、あの女の子をいじめてるところを見つけて――」
「それでブチ切れのご様子ってわけか」
「ならメル、彼女が納得するまで放っておきなさいよ」
「でもグレア……」
「その話が本当なら彼女のやってることは筋が通ってる。止める必要はないわ」
「う、うん……」
そういうこともあって、彼女がやり過ぎるようになるか落ち着くかするまで、リンの様子を遠目から見ることになった。
「……なあロイド。グレアが常日頃から俺のことをイジメてくるんだが、ビンタして叱ってくれねえかな?」
「手を上げるのは私の趣味ではありませんので、減給処分にして差し上げましょう」
「ちょ、アダチ!?」
その場で、今月のグレアの収入が二割引き宣言されたのは言うまでもない。
グレアは俺のことをじっと睨み、リンの近くで泣いている女の子を手を引いてきた。
「鬼の目にも涙、グレアもこれに懲りて善行を積むことを決意したか」
「うるさい! ちょっと可哀想に思っただけ!」
グレアが連れてきた女の子は、あの三人から暴行を加えられていたらしかった。白い服の腕に刺繍されているエンブレム。この女の子はもまた兵隊のようだ。
「ん」
「『ん』じゃねえよ」
グレアはちょっと恥ずかしそうにしながら、俺にその女の子を俺に突き出した。子供は苦手だが、仕方あるまい。その女の子屈んで話しかけることにした。
「……いじめられたのか」
その女の子は一回頷く。
「ゲスいな……ところで俺のことが怖いか」
また、頷く。
「そうか。俺はお前の味方なんだがな……名前は?」
彼女は自分の気持で精一杯のようで、名前を言う余裕はないようだった。
「まあいい。もうすぐすれば総監督がくる。あの三人もタダじゃ済まないだろうさ」
「何やってんだてめえらは!」
「ほらきた」
ちょうどいいタイミングで総監督アトロと、その部下と思しき古族と人間数人がやってきた。いじめは常習的だったのか、ここに飛んで来るやいなや、真っ先に吠えかかったアトロ。しかしよくここが分かったものだ。
アトロは現在進行形で叱りつけるリンに近づいた。
「お嬢様、あとは私の部下にお任せください。お見苦しいところを失礼いたしました」
「でも、まだ私言いたいことが……」
「リン様、お気持は分かりますが……どうか」
「……分かりました」
アトロとメルの静止に応じたリンも目に涙を浮かべていた。まだ色々言いたげだったが、これまで結構行ってきたのである程度満足はしただろう。
両頬に紅い紅葉をつけた三人組はその場で兵科と名前を聞かれ、部下に連行されていった。
「しかしリン。どうやってここでこの子がイジメられているのに気づいたんだ?」
「えっと、この子の泣き声が聞こえて……それで」
「お前も耳いいんだな」
リンは涙を両手で拭いながら答えた。俺には泣き声なんて全然聞こえなかったが。
「まったく、何度言い聞かせてもイジメの報告は絶えないもので……改めて、お見苦しいところ失礼いたしました」
「ところで、この子の名前は?」
「クラリさんです。この子はちょっと特殊な事情がありまして」
「事情とは?」
「元は孤児院の子だったんですが、孤児院の受け入れる子供が減ってしまいまして。それ自体は良いことなのですが、その結果孤児院に在籍する子供は彼女一人だけになってしまい、採算がつかないため閉院になってしまったんです。それで受け入れ先にここが選ばれたという経緯がありまして……それが原因でイジメの標的になってしまったようです」
「こんな場所じゃなくても他にも受け入れ先はあっただろう」
「『防衛隊に入って強くなりたい』との彼女自身の希望を通す形で選ばれたと聞いております」
「それでこの結果か……」
「性格も成績もいいんですけどね……彼女は後方支援部隊所属なので実戦経験はありません」
クラリというこの少女も、イジメられながらでも頑張っているようらしい。
「孤児院に帰りたい……」
泣き声の合間からそう呟いた声。相当に辛そうだった。俺も、リンも、メルも、ロイドもグレアも、相互に顔を見合わせては視線をそらす。
「ねえ、コウさん。この娘を雇うのはどうですか?」
「なっ、バカ言うなリン。ダメだんなこと」
「どうして?」
「雇える人数が少ない状況で、支援もそうだが前面に出て戦える人材が必要だ。彼女には実戦経験がない。一から育て上げるなんざ無理だ」
「じゃあ、コウさんはこのままクラリちゃんがイジメられるのを放置してろっていうんですか!」
「俺達はここに何をしに来た? それを考えてみろ、リン! 俺達は恵まれない子供を助けるためにここに来たわけじゃない」
ここで暮らすことを彼女自ら希望したのだから、自業自得と割り切るのは簡単だ。しかし彼女もまさかイジメられるとは思ってもみなかったに違いない。
リンの気持ちも分かる。だがそれとこれとは別問題だ。クラリが成績優秀で実戦経験もあるならば俺も文句は言わない。
「あと二人雇えるのだから、一人ぐらい後方の子を入れてあげてもいいじゃないですか!」
「それをよりによって古族にする必要はない!」
古族は一言で言えば万能型だと以前グレアから聞いた。万能型から実戦経験ゼロという大きなペナルティーを差し引くメリットはない。
古族の万能型を数値の二で表し、人間の特化型を一で表すなら、一+一よりも二+一の方が総合的な戦力と柔軟性が高くなることは間違いない。
「既に前衛にはブロウさんがいます! あれだけ強い人なら穴埋めだってしてくれると思います」
「襲われるときは常に多勢に無勢になるということを理解して言ってるんだろうな?」
俺とリンが言い合いしているのを誰一人として止めようとしないのは、これが必要なやり取りだからと考えているからだろう。
リンはクラリの肩に手を置いて言った。
「じゃあ、雇わなくていいです。その代わり、私達で引き取りましょう。そうすれば、コウさんも私も希望通りです。クラリちゃんもイジメられなくて済む。それでいいですよね!」
「何言ってんだお前は! 『可哀想なので連れてきました』って言うのか? 気持ちは分かるが、そんな金銭的な余裕はない。それにだ」
俺は息を吸い込んで吐き出すように言い放つ。
「道中で襲撃されて殺されるより、ここでイジメられてでも生きていたほうが、幸せになれるんじゃないのか?」
「コウさんはイジメられる辛さを分かってないから、そんなことが言えるんですよ!」
「…………!」
その言葉に触発され、俺の脳裏によぎったのは、テレビで報道されていた、イジメによる自殺した子供のニュースだった。自殺した子供はイジメに耐えかねて死を選んだことは間違いない。
俺は本格的にイジメられたことははない。あるのは傍観した経験だけだ。イジメとは、俺が思っている以上に凄惨で辛いものなのかもしれない。そうならば、さっき俺がした同情はきっととてつもなく薄っぺらいものだ。
――いや、"そうならば"じゃない。"そうなんだ"。
俺はイジメというものを見誤っていたに違いない。生きるのが辛くて死を選ぶほど、イジメとは辛くゲスいもの。それを理解するだけの知識を得ておきながら、理解しようとはしなかった。
「クラリ……すまなかった」
イジメに対する認識が甘かったことは、認めて謝罪すべきだと思った。
「コウさん、雇ってあげるか引きとってあげるか――」
「ただ、俺の意見は変わらない」
俺達は何をしにここへきたのか。それにブレはない。けれど。
「孤児院に帰りたい! ここをやめたい! もうイジメられるのは嫌だ!」
そう泣き叫ぶクラリの声は痛切で。
「イジメられるぐらいなら死にたい!」
なんとかしてやりたいと思う気持ちは、腐りきった俺にもあって。
「ここから出してくれるなら、助けてくれるなら、私はなんでもします!」
俺を見る怯えた目が、その言葉が、良心が、俺の目的を歪めにかかる。