第5話-B28 キカイノツバサ なんとなく
……何が起きたのか、すぐには分からなかった。
リンの声から数秒後、石や矢が降ってこなくなった。
突如変わった状況が飲み込めず、数瞬してようやく攻撃が止んだことを認識できた。
「止んだ?」
「……止んだな」
偶然かもしれない。俺にはリンの一言で攻撃が止まったように思えた。
風にざわめく木の葉の隙間から差しこむ陽光。のどかだが、反面この状況にミスマッチしている背景が、どこか薄気味悪くもあった。
しばらくの膠着状態。相手側からの行動の変化はなく、俺達は静かになってもなお、木陰に隠れてじっと息を潜めていた。
少しだけ様子を見ようと、恐る恐る幹から顔を出そうとした俺を、ロイドは引き締まった顔で引き止めた。
「まだ動かないでください! 攻撃の意志がなくなったとは限りません」
ロイドがそっと、手に持っていた剣を身代わりに、木陰から差し出して振るった。相手側の反応を、俺達四人は固唾を飲んで見守った。
「…………。」
何も起こらない。ロイドは剣を構え直し、警戒しつつ幹から顔だけ覗かせて、古族がいるであろう方向の様子をうかがっている。一瞬が長く感じられるほどの緊張。
「……あれは、古族の防衛隊の方でしょうか」
変化があったのは、どれぐらい後だったのだろう。感覚では二十分も三十分も変化がなかったかのように思えるぐらい長かった。
俺達もそっと顔を覗かせた。道に誰かがいるというシルエットは分かったが、ここからではよく見えない。
「私は彼らと話をしてきますので、みなさんは私の指示があるまでどうかこのままでいてください。いいですね? もし万が一のことがありましたら、私が何とかして時間を稼ぎますので、みなさんはその間に全力で逃げてください。特にグレアさん、頼みましたよ」
グレアはロイドと視線を交わし、黙ったまま小さく頷いて答えた。グレアは何を頼まれたのかはよく分からないが、彼女は頭がキレる。この緩衝帯を抜け出せるように知恵を働かせてくれという意味だろう。いざという時は俺も考えるぜ。もうすでに頭真っ白だがな。とりあえず、何かあったら深呼吸。そう、落ち着くんだ俺。
普段残念なロイドだからだろう。グレアの返答に頷いて歩いて行った彼が、いつもより格好良く見えた。
――さらばロイドなどとは、いくら深呼吸で落ち着いたとしても微塵も思ってはいない。
「皆さーん、もう大丈夫です!」
ロイドが出て行ってすぐ、彼の声が響いた。
俺は安堵の深いため息を一つついて、おそるおそる皆と一緒に道に出た。この短時間で棒のようになってしまった足をほぐすように歩く。
「その、どうも誤認だったみたいです」
俺達が歩く先にいるロイドは、苦笑しながらそう言った。一体何と誤認したんだよ。こちとら大怪我どころか下手すれば殺されていたかもしれないのだ。文句の一つ誰も咎められないだろう。
「誤認にしろなんにしろ、どういう経緯でそうなったのか納得いく説明はしてもらえるんだろうな――」
ロイドと対面するように立っている背の低い人間に目を向けた。
初めてこの世界の人間を見たとき――リンと初めて出会ったときのその姿以来の衝撃。それは間違いなく古族だった。
背中の白い翼に、太く長い尻尾。そして頭頂部の印象的な大きな獣耳。現在の世界における"人間"に"獣"を足したように見えるその姿。俺には、もはやキメラのようにすら見える。人に鳥と狐が合わさっているのが彼ら古族の姿、と言えば手っ取り早いかもしれない。
勝手に古族は中身が子供なだけで、見た目は人間と変わらないと思い込んでいただけに、まさかこんな姿をしているとは思わず、面食らって言葉の続きを忘れてしまった。げに衝撃に脆弱な俺の記憶力である。
「!」
加えて低身長で童顔な顔つき、間違いなく子供の姿であった。軽装の金属の鎧を身に纏う彼は、俺を見るなり顔を引き締め、鋭い目を向けて一歩後ずさった。
「こっちは襲いもしねえし敵意もねえよ。ただ説明しろって言ってんだ」
攻撃をやめたとはいえ、古族はいまだ俺に敵意剥き出しの状態だった。
これを本当に誤認攻撃と言えるのだろうか。そもそも今まで友好関係を築きあげてきたという古族とナクルの話が本当ならば、普通道を歩いているだけの人間を攻撃しようなどという判断はしないはずである。
敵意剥き出しという状況で誤認攻撃だというのはいささか無理がある。どう考えても俺には間違って攻撃したのではなく、彼らが俺達を攻撃しようと意図して行ったようにしか思えなかった。
そしてその推測は正しかった。彼は俺に向けて指を差して叫んだ。
「そいつは殺さないといけないんだ!」
彼の声が森の中に霧散する。本気で俺を殺す気だったようだ。尋常ではない語勢に、わずかに仰け反る。
次の瞬間、彼は腰に差していた剣を引きぬき、俺に襲いかかろうと一歩足を出す。ロイドがとっさに反応して、腕で彼の上半身を抑えた。ロイドよ、これは誤認攻撃といえるのだろうか。
「やめなさい! 彼は国の重要なお客様です!」
「ぅう……ッ! 離せ!」
急に暴れだした彼に、俺は自然と数歩下がって距離をとっていた。さっきの投擲武器の量、とても一人で扱いきれる量じゃない。他にも森に仲間が隠れているに違いない。
すぐ近くにいたグレアも周囲を素早く確認すると、彼の制止を振りきって暴れようとする彼と俺の間に立った。
「お願いだからやめてって! 悪い人じゃないから!」
リンが後ろに下がりながら言う。ロイドの静止を振り切ろうとして暴れていた彼だが、その言葉の直後は不思議と暴れなくなった。
「彼は悪い人じゃないんです。殺さないといけない人でもありません。むしろ彼は守らなければならない人です。」
大人しくなった彼をロイドはそっと開放した。説得を続ける彼女の後ろで、俺はさっき頭の中でふとよぎった、冗談のような考えが現実となって浮かび上がってきた。
「なぁ、グレア」
「なに?」
「もしかして、コイツらはリンの言うことには従うんじゃないのか?」
「なんで?」
「いや、さっきの急襲だって、俺達が散々『やめろ』って言っても聞かなかったのに、リンが言った直後に止んだだろ。今だってロイドの制止は聞かずにリンの制止で止まった」
「偶然でしょ」
グレアは鼻で笑った。確かに多少バカげてはいるが、今のところ、リンの命令だけ聞いている状態であることには間違いない。
その後、しばらくして周囲に隠れている仲間に出てくるよう声をかけると、総勢30名ほどの仲間が森から続々と現れた。画一的なデザインの軽装の鎧と、各々異なった武器を装備していた彼らは、居住区の防衛隊のうちの一小隊だという。防衛隊という言葉から、さっき道中で聞いていたあの戦争をするために結成された組織がルーツであろうことは想像に難くなかった。
「何故俺達――俺を殺さなければならないと判断した?」
幼くも成人しているというその姿を少年と呼ぶべきか、それとも男と呼ぶべきか。縦横に整列して並んだ、背の小さい防衛隊。その先頭に立った、さっき襲いかかろうとしてロイドに抑えられた自称小隊長の彼に問う。
「なんとなく」
「なんとなくで殺そうとするな……」
「だってそれしか言いようがないもん!」
私こと足立光秀、古族防衛隊によって「なんとなく」という理由により殺されかけました、まる。ふざけんな。
加えてまるで退行しているかのような答えにも納得いかない。確かに彼らは中身どころか姿も子供のままのようだし、その意味で見れば退行もクソもないかもしれない。
「みんなもそう思ったよね?」
彼は整列している部下に顔を向けてそう言うと、彼らはそうだと口々に言いながら頷いた。
俺の今の心境を端的に言おう。平然を装ってはいるが、内心ここぞとばかりに一人一人丹念にその可愛らしい顔を青アザで満たしてやりたい気分だよ。俺自身のポリシーに反するという理由もさることながら、相手が兵士で勝ち目がないため黙っているのが一番の理由である。それがなければ手が出ていたかもしれん。いや、絶対に出ていたね。
間違っても、殺されかけても反撃しない俺マジ聖人、などとは思っていない。むしろクズである。
状況をまとめると、一般の古族(ここではPとしておこう)が、ナクル市街地に用があり、緩衝帯を歩いていたそうだ。緩衝帯を抜ける直前、Pは俺が緩衝帯の前でカゴから降りているのを見て、底知れぬ恐怖を感じ、怯えつつも慌てて居住区に引き返した。Pの後に続いて市街地を目指していた古族たちは不穏な雰囲気を感じ、加えて慌てた様子でこちらに来るPを見て戻ってきたという。
居住区の入り口を見張る門番は、さっき出て行ったばかりの古族が次々と戻ってくる様子に異変を感じていたそうだ。そこにPが現れ、前述の内容と「人の形をした何かがこっちに来ている」と門番に通報。居住区防衛の当直だった当小隊が直ちに招集され、居住区に接近しているというそれを確認次第、臨機応変な対応をとることを命じられ出動、という運びらしい。
「だけど、そこの女の人の『やめて』っていう声が聞こえて、なんとなくだけど止めなくちゃいけないって思って、僕もみんなも攻撃するのやめちゃった」
「リンの声が聞こえていたなら当然俺達の声も聞こえていただろうに、なぜ攻撃するのをやめなかった……」
小隊長がリンを指さしそういうと、グレアは今ひとつ納得がいってなさそうな顔を傾けて、リンの方へ向けた。ロイドもメルも、俺も、自然とリンへと視線がいく。
「えっ、あの、私は特に何もしてない、です……よ?」
リンは困った顔で激しく手を振って否定した。
「なんとなく」で片付けるには、あまりにも恣意的な取捨選択があるように俺には思える。攻撃した理由、止めた理由は確かにあるのだろうが、それは彼らが認識していないか、隠しておきたい理由なのだろう。
ひいては、俺を最初に目撃した古族が、"人の形をした何か"などという日常ではありえない認識をするに至った理由についても知りたいところだ。
加えて、リンの声にだけ反応したという点も不思議だ。さっきロイドが静止した時もそうだった。少なくとも、彼らがリンに従わないといけないと思った理由に関しての「なんとなく」は、さっき目の前で目撃できたこともあって正しいような気がする。
「まあ理由については後でなんとかするとして、俺達は居住区に用があるんだが入れてはもらえ――」
「ヒトデナシは入れない!」
るわけないよなー……で、お前らの中での俺の認識は、Pと同じくやはりヒトデナシなのか。
「この方は国の大事なお客様です。これ以上の無礼はいくら古族とはいえ許されるものではありません!」
ロイドが珍しく声を荒らげた。こんなロイドを見るのは初めてだ。突然訳も分からず攻撃された上この発言。彼が声を荒らげるのは分かる。
「コウさんは悪い人でもヒトデナシでもないのに、ひどい言いがかりですね」
「よく分からんが、なんか独特の感性があるんだろう。それよりリン、一つ頼みがあるんだが」
「え、はい、なんですか?」
「小隊長に俺を居住区に入れるように頼んでくれないか」
「私が、ですか?」
「ああ」
単純に、リンのやめろという声を聞いて「なんとなく攻撃をやめたほうがいい」と思ったのなら、同様に入れてもらえるように頼めば、「なんとなく入れたほうがいい」と思ってくれるのではないかと思ったのだ。
「あの、私達もコウさんも敵じゃありません。味方です。だから、私達と彼を居住区に入れてくれませんか?」
「うーん、大丈夫だと思う」
「え?」
ロイドもメルもグレアも、頼んでみるよう頼んだ俺さえも口が開いてしまった。
そう簡単には入れてもらえそうになかった雰囲気だったのに、リンが頼んだら拍子抜けするほどあっさりOK出しやがった。
帰納的な結論を出すと、どうやら"リンが命令や頼み事をすると、古族はそれを受け入れる"という関係が成り立つようだ。その理由は不明。リンの不思議な雰囲気が、古族のそれと共鳴でもしたのかもしれない。
「入れてもらっていいのか?」
「うん。なんとなく大丈夫かなと思った」
理由までバッチリ当たってた。俺達は小隊に囲まれながら、居住区まで目指すことになった。これは護送されているということのだろうが、警護する意味での護送なのか、監視する意味での護送なのかはハッキリとしない。確かなのは、空気が張り詰めていることだ。個人的には雰囲気的に後者のような気がするが、真偽は聞いてみないと分からない。
とりあえず、なにか頼み事をする時はリンを介して行うようにしよう。