第5話-B20 キカイノツバサ 狼の策士 ~本能~
どこぞのコロッセオをそのまんまパクってきたんじゃないかと思わせる円形闘技場は、俺の目測で直径約100メートルほどの闘技エリア、つまりフィールドと、それを囲む形で観客を収容できる造りになっていた。フィールドでは飛び道具が使用されることもあるため、観客との間には2重の物理的な結界が張り巡らされているという。
俺達、つまり俺、グレア、リン、メル、ロイドの5人は、おわん型に配置されている観客席の最前列から3列後ろの2列をとった。前の列には、俺とその両隣にロイドとグレアの3人。後ろの列にはリンとメルの二人という配置だ。
最前列は確かに応募者の姿が一番近くで見えて迫力があるだろうが、手前に潜り込まれては見えなくなる。そこである程度近くてよく見えるこの場所を陣取ることにしたのだ。午前10時のことである。
「選考試合は1時間後の午前11時頃から始まる予定です」
「ロイドよ、なぜ1時間もの無益な時間を用意したのだ」
候補者の名前と経歴等が記された冊子を全員に配るロイドに文句。俺は無駄に待たされるのが嫌いなのだ。30分ぐらいはよしとしよう。だが1時間も待機する理由があるのかと。ロイドが俺に冊子を差し出した。お、サンキュ。
「同感だわ」
隣のグレアも珍しくロイドに苦言を呈した。
「もうちょっと細かい単位で計画できなかったの?」
「私服の護衛を配置する関係で、一般客が入場する前に座っておく必要があるのです。どうかご理解を」
「一般客って、貸し切りじゃないのか?」
てっきり俺は貸し切りでやるものと思っていたが、ロイドの言い方だと一般の人間もこの選考会を観戦することができるらしい。観覧席はこの時間はまだガラ空きで、座っているのは俺達5人だけ。見渡せば、2,3箇所で10人ほどの集団が集まって席をあちこち指を差しながら話をしている。他に人がいないことを考えると、彼らが護衛で間違い無いだろう。
「闘技場では1日ごと、詳しく言えば奇数の日に試合を開いております。観客は入場料を支払うことで観戦することができ、さらに追加で出場者のうち誰が勝つのかを予想してお金を賭けることができます。そうして闘技場が得た収益は、運営と出場者への報酬、一部は贅沢税として政務院が徴収します」
「貸し切りにすると赤字になると?」
「というより、今回のようなハイレベルな戦いはそうそう見れませんので、なかなかいい収入になるんですよ」
「へえ……」
ここでの娯楽はこういうものなのか。まあ人がいたところで選考できないわけではない。文化に触れるにはちょうどいい機会だ。
試合30分前になった頃から、一般客が入場してくるようになり、その数は開始時間が近づくにつれて加速度的に増えていった。
「もうすぐ始まりますよ」
「いや~1時間待ったぜ」
「始まる前からお尻が痛くなってきたわ」
「アッハハ……」
俺は首を回しながら、グレアは腰に手を当てながら言うとロイドは苦笑した。後ろの二人の反応がなく、振り返って確認すると、リンが死んだ目つきで遠くの空を眺めていた。
「リン、大丈夫か?」
「あ、はい気にしないでください」
俺が声をかけると一瞬遅れて返した。何を考えていたんだろうか。眺めていた表情から絶望的な感情が読み取れたように思えるが……
隣のメルはそんなことは気にも留めず、ロイドから受け取った冊子のページを眺めていた。メルが気にしていないところから考えると、こういうことは日常的なのだろうか。メルは紙面から目を離して俺達を見て首を傾げた。多分気づいてなかっただけだ。
選考会(一般からすれば豪華な試合に見えるだろう)前半は対獣能力の披露がプログラムされていた。一定時間内に檻から放たれた猛獣を無力化することが出場者に課せられた試練だ。
出場者は6種の獣のうち3種と対戦する。どの種類の獣が出てくるかは、出てからのお楽しみ。獣が入ってから約五分経つと、次の獣が入り、最後の獣が入って15分経過すると時間終了。最初は危険度の低い獣が放たれ、徐々に危険度の高い動物が放たれるという。時間切れになるか、用意された獣をすべて無効化、出場者がギブアップもしくは主催者側が危険と判断した時点で終了だという。うう、聞いてて地獄のシャトルランを彷彿させるな、これ。
「短時間で全部仕留めることができる人物が優秀ということになりますね」
「ギブアップなんて腰抜けな選択はまずできないわね」
「そりゃ選抜されてるからな」
闘技エリアに1人目となる30代ほどの男が入ってきた。湧き上がる歓声。筋肉隆々、まさに鍛えあげられた肉壁という表現が正しいだろう。片方を彼は堂々とした足取りでエリアの端に立つと剣を抜き、数回形式的な空振り、収納。たいそう気合を入れて臨んでいるらしことは、彼が剣を振ると同時に発する勇ましい声から十二分に感じ取れた。
「彼は剣士ですね。本業は傭兵業ですが、仕事がない時は自警団を率いているそうです。彼の自警団が巡回する地域の犯罪発生率は、他の地域に比べて低いことで有名です」
「正義感ブッチギリの野郎ってわけだな」
そういう奴ほどだいたい戦闘になると「こいつらは俺が引き止める!」などといった死亡フラグを立て、必死な状況の中で振り返り見せた笑顔が最後の姿と相成る気がするが……偏見は良くない。
男が両脇に帯刀している2本の剣のうち、1本をエリア中心に突き立てた。それから十数歩後ろに下がる。そのとき、3匹の狼らしき生物が入ってきた。「らしき」というのは、正式名称を教えてくれたロイドの声が周囲の歓声に紛れて正確な名前が聞き取れなかったためである。見た目狼だし、この際もう狼でいいだろう。
「入ってきて即戦闘ってわけじゃないんだな」
入ってきた狼は互いに一定の距離感を空けつつゆっくり男の方へ移動し、あたりを見回す。まあそれもそうだ。行く先々で出会った動物が常に凶暴化していたら命なんていくつあっても足りないわけで。
「試合前のエサに興奮剤混ぜてあるからね。ちょっと刺激したらすぐプッツンよ」
グレアは言った。確かに常に凶暴ではないとは言うものの、こういう時に昼寝されてはたまらん。もっとも、観客の歓声と声援の中、快眠できるほどの大物がいるとは思えないが。むしろ声も興奮剤と同じ効果をもたらすはずだ。
男も剣を構えながらゆっくり狼に近づく。狼2匹は男に気づき、男を正面に捉えて激しく吠え威嚇する。怯むことなく詰め寄る男に、狼は後退しつつその牙を男に向け姿勢を低くとった。
反射でギラついたのか。男が剣を持ち直したその瞬間、ついに狼の1匹が攻撃を仕掛けた。飛び上がった狼の牙はまっすぐ男の首を狙う。身を翻して避けた男に、連携しているかのようにワンテンポ遅れて飛び上がったもう一匹が襲いかかる。それを剣で薙ぎ払う。歓声が一段と大きくなった。耳が痛い。
「いや~やっぱり今回は格が違いますね! 通常であれば最後に出てくるんですが、一番最初とはこれからが楽しみです! お、いけぇっ!」
ロイド、俺らそっちのけでエンジョイ中。
四つ足で素早く地面を駆ける狼を2匹同時に相手するだけあって、なかなか決定的な一撃を加えることができない。翼を若干広げ、いつでも飛べる準備万端で戦う男、少々手こずっているか。このまま5分が過ぎると次の獣が入ってくる。早いうちに片付けないと、どんどん悲惨な状況になっていくぞ。
「セイッ! ハァッ!」
これで危険度の低い獣だというのだから世界は広い。獣2匹ぽっきりで世界を語るのは間違ってる気がするが、んなこた気にしない。観客は徐々に冷静になっていき、狼の吠え声と男の声がここに届くほどにまで落ち着く。
闘技場の壁に背を向けて後ろを取られまいとする男に、狼が2匹同時に助走をつけて突っ込んでいく。男は翼を目一杯広げて羽ばたき、フィールドに砂埃の煙幕を展開させた。乾燥した砂を利用したか。あの状況で機転が利くことは評価できそうだ。俺ならまず無理、さすがだ。用意してきた筆記具に記録する。
「ん? 一匹どこ行った?」
最初は3匹いたはずだが、今戦ってるのは2匹。フィールドを探すと、そいつはフィールドの中央に男が突き立てた剣の前にいた。突き立てた剣の根元に鼻を近づけ、匂いを嗅いでいる。狼はそのまま通り過ぎようとするも一旦引き返し、剣の前で後ろ足を上げた。ま、まさかこれは――
――マーキング!?
持ち主が他の二匹と死闘を繰り広げているさなか、素知らぬ顔で悠々と黄金の放物線を披露する。水分を吸った地面は、徐々に大きなシミを作り上げていく。……あの様子からするに、興奮剤が足りなかったか。
男はもういい! むしろあの狼を雇わせろ! 当然無理な相談だが、俺に心のなかでそう叫ばせるほどの何かをあの狼は秘めている。湧き上がる笑い。
「くそっ、あんなところに策士がっ!?」
男が狼を策士と叫んだおかげで、笑いはさらに広がっていく。その一瞬の油断を狼に突かれ、あわや押し倒されそうになる。持ち主に精神的なダメージを与えるだけでなく、弱酸性のそれは金属製の剣をわずかながらではあるが化学的に腐食していく。さすがは狼の策士、ヤツの士気を削ぐとは。本来は男を応援する立場なんだがね、俺。
結局、男はそれをきっかけにして3匹を無力化できたものの、期せずして笑い者にってしまったのに耐え切れなかったらしい。最初の威勢はどこへやら、倒した時点で音を上げた。同情するぜ。ギブしたから採用できないわけじゃねえし、わずかながらでも希望が残っているのが彼の唯一の救いであろう。
だが雇わん。
……動物だから、仕方ない。
今回はアニマルハプニングの回でした(^_^;)