第5話-B6 キカイノツバサ 目指せぬ目的地
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しばらく後。グレアの顔は真っ赤に溶けていた。酒を普通に口にしてしまったグレアは、一杯飲んだだけで顔が火照った。一杯でやめて大人しくしておけば良かったものを、酒がうまかったのかは知らんが、景気よく飲みまくる暴挙に出て千鳥足。まともに立てないので俺の横に席を設けてもらい、今に至る。そうなってまでも止まらぬ酒にアル中で逝っちまうんじゃないかと、今度は俺が肝を冷やしている。酔ったグレアの酒癖は悪かった。
「こいつはどうしようもない男。隙あらば私から逃げようとするヘ・タ・レ」
「そんなこと言って大丈夫ですかな。後でひどい目にあっても、私は関知しませんぞ? ほれ、もう一杯」
「私ね、お酒はワインが一番好きなの。嗜む程度ね」
もう敬語のカケラすら見当たらない。それどころか過去の飲酒歴まで勝手にさらして自爆している。一方のベルゲンは、こちらもかなり酒がまわっていてそんなのは気にならなくなっている様子。その隣に立ち、一滴の酒も飲まず、従順に職務を全うするケトルが怖い。ベルゲンが覚えていなくとも、ケトルがこの一部始終を酔いから覚めた主に話すだろう。その時ベルゲンがどう思うかが予測できない。ベルゲンに不敬罪にでも問われたらと思うと手が震える。つうか、こっちがグレアを不敬罪に問いたい。俺権限で問わせろ。
食後のデザートが運ばれてくる頃には、さすがに俺も場の雰囲気に慣れて、おそるおそる感は抜けきれないものの、一応の常態会話は出来るようにはなった。自分の顔が青ざめているのは鏡を見なくても容易に想像できるが、アルコールが猛威を振るうこの席でそれに気づいているのはケトルだけだろう。グレアとベルゲンが大きな声でペチャクチャだべっているのを見て、いい加減やめてくれと思ってはいる。だがベルゲンもそこそこ楽しんでいるようで、不用意にやめろとは言えない。今のところデザートのフルーツに手をつけながら、事態の成り行きを見守るしか俺には選択肢がなかった。
「さて、そろそろ貴方を夕食会に招くことにした理由をお話したいと思います」
俺がデザートを食べ終わったのを見計らって、ベルゲンはワインの入ったグラスを回す手を止めて向き直った。
「いえ、これではこの話をするためだけに貴方をお呼びしたみたいですね。
国客がいらした場合は、もれなく夕食会に招いております。
他の方にも、招いた時にこれからしようとするのと同じ主旨のお話をしているのですが、あなたの場合は事情が少し特殊でしてね」
「はあ」
赤い顔のベルゲンは渋い顔をして首を横に振った。俺は淡いピンク色の花茶に口をつける。砂糖が入っているのか、やけに甘ったるい。
「この国へ訪問された国客は、王室よりシントへ招待されることが慣習となっています」
「シント?」
「神使様の住む都、神都ですよアダチ殿。正式名はラグルスツール。
三方を山に囲まれた高地に位置する自然の要塞都市。
私も政務関係で幾度か神都へ足を運びましたが、涼しい気候で年中過ごしやすく、活気があってとてもいい街です。
まあははっ、神使様がお住まいになる場所ですから当然ですが。
ケトル、これを彼にお渡ししなさい」
執事が持ってきたのは筒。それを直接渡しはせずにグレア経由で受け取る。直接渡せばいいものを、効率が悪い。この筒には見覚えがあった。前回見たのはまさしく昨日のこと。ロイドが命を授かったと、これと同じ筒から王命の書かれた紙を取り出していたのだ。
「中を見ても?」
「構いませんよ」
フタを外して中身を取り出すと、昨夜のものとは違う書式の紙が入っていた。
「例に漏れずあなたにも神都への招待状が届いております。
旅費などはすべて国が負担いたしますのでご心配なく」
ということは俺はこれからこの街を離れて、ラグルスツールとかいう街へ向け旅立つ必要があると、そういうことか。旅。いかにも面倒臭そうな香りのする言葉だ。できることなら王族一同、たまには国内旅行の一つでもしてほしいところだが、もちろんリアルにナクルへ会いに来いなんて偉そうに言える立場じゃあない。慣習ということだからこれを拒否する訳にはいかなさそうだ。
「しかし具合の悪いことに、ナクルはラグルスツールから最も遠い場所に位置する街でしてな。
どんなに急ぎで向かっても一月はかかる遠隔の地。
長旅になることが予想されます」
遠隔の地って、最悪のパターンじゃねえか。
「しかし、あなたも慣習に従って向かってもらわねばならないことはお分かりでしょう」
「そりゃあな」
半強制的で拒否権ナシなのだから、向かわねばならないのは渋々だが納得する。ベルゲンは執事に注いでもらった酒を豪快に飲み干してグラスをテーブルにたたき付けて注目を引いた。
「と! ここまでは他の国客にもお話する内容です」
「神都へ向かう以外にまだ何かあるのか」
「いえ。話はそれだけなのですが、とても厄介なことが一つ」
ベルゲンは机に両肘をついて手を組む。厄介なこと……一筋縄ではいかないこと。手のかかること。一番聞きたくない単語だった。一方のグレアはというと、ベルゲンが本題に入ってから俯いたままだ。まさかここで寝ちまったのかと横目で確認すると、意外にも机の下でせわしなく羽根ペンを走らせていた。酒で理性が飛んだわけじゃなかったのかと一瞬感心したが、ミミズが這ったような字になっているし、何がおかしいのかずっと笑っている。ダメだこりゃ。
「それで、その厄介なことというのは?」
「無いんですよ! 神都へ向かう手段が!」
神都への手段がない? どういうことだ? まさか旅費が工面できないわけじゃあるまいし、神都からの王命もきちんとこうやって届いている。行けないはずがない。
「失礼ですが単刀直入に言いましょう。
あなたは空を飛べません。それが問題なのですよ」
「旅するだけなら、飛べなくても陸路を使えばいいじゃないか」
「神都までの陸路は未整備。
陸を進むとなると雑草生い茂る森の中を進むことになります。
それで万が一賊や魔物と出くわしでもすれば、機動性の高い相手に平面を逃げ回るのは無謀というもの。手も足も出ないでしょう。
つまり陸路で行くのはほぼ自殺行為に等しいのですよ。
カゴに乗せて神都までという案も浮かびましたが、担ぐ兵士の体力が到底持ちません。
この問題をどうにかして解決しなければ、神都へ向かうことなど無理です」
江戸時代の人間は普通にカゴに乗って参勤交代やってたんだがな……やっぱ陸と空じゃ勝手が違うのか。
「……厄介だな」
「しかし事実上の王命が出ている以上、何としてでもこの問題を解決しなければならない。
何かいい案はないものかと困っているところなんですよ」
「あー、その言い方はつまり、一緒に考えてくれということか?」
「さすがアダチ殿! 話が早い! 協力していただけますか?」
協力するも何も、俺に関わることだ。本人が遊んでいるようじゃ筋が通らない。面倒だがぼちぼち考えるしかないだろう。
「名案が浮かべば書面で構いませんのでお知らせ下さい。
何か手伝えることがあれば協力しましょう」
「分かった」
「それでは、夕食会はこのへんでお開きにしましょう。
しかしまあ、こんな愉快な従者をしたがいになられて、さぞ楽しい毎日でしょうな」
「あはは……」
俺には嫌味にしか聞こえねえ。
「では、私はここで。帰りの見送りはケトルがしてくれます」
そう言ってベルゲンが一礼すると、絶妙なタイミングでケトルがエスコートを始めた。ああ、やっと終わったぜ、後味の悪い夕食会が。
帰りは兵士に囲まれる中、俺がグレアに肩を貸してやって城を出た。グレアは何が面白いのか城を出た瞬間、せきを切ったように大爆笑。俺の真横でおぼつかない足を動かしつつハヒーハヒー言いながら息継ぎしては笑うその姿。……悩ましい。
カゴは飛べない俺一人分しか用意されていなかったため、酒に酔ってまともに飛べないグレアと二人乗りをすることになった。昨夜パキっと音を立てたカゴだが、作り的には数人乗っても大丈夫だそうだ。
「席は一人分しかないからヒック、アダチが私を肩車で決定ね!」
「ひっくり返って落ちるぞお前」
「え~、男なのに肩車もできないの? アハハハハ――」
空飛ぶカゴの上で誰がそんなアクロバティックなことやらせるかよ。サーカスの見世物じゃあるまいし。
それでどうやって乗るかだが、椅子に座る年下の少女の上に金属の塊とまで言われる俺が座ることは、さすがににできない。気持ちとしてはよくも酔ってくれたなと重量級ヒップドロップの一つぐらいお見舞いしてやりたいのだが、そこはぐっと堪え、俺の膝の上にグレアを座らせることで落ち着いた。が、これで物理的にもグレアに尻を敷かれちまった。しかもメイドにだぞメイドに! 通常は立場逆だからな? 俺の心の広さに感謝してほしいね。
カゴ運び担当の兵士は重量がかなり増えたことに一切文句を言わずに担ぎはじめる。だが帰ったら仲間内でぐちぐち文句言うんだろう。俺が兵士なら絶対そうしてる。たった五分の帰り道だが、慣れない場所で慣れない人物とやばい状況の中で慣れないことをした反動は大きく、カゴに乗った俺は大きな荷物を抱えたまま寝てしまった。
次のお目覚めは実に気持ち悪いものだった。深層から浮かび上がってきた意識がまず感じたのは、うつぶせで寝ていた俺の下に敷かれている懐かしい感触。が、それ以上に気になるのは不快な蒸し暑さと上からの圧迫感、それと若干の酒臭。頬に何か液体が垂れているらしい。それを腕でぬぐってようやくわずかに目が開く。視界の半分が上から垂れ下がっている何かで隠れているが下に敷かれたものが何かはすぐに分かった。
(ベッドか、懐かしい……)
ベッドの上で人間らしく寝たのはいつが最後だったか。俺の記憶に間違いがなければ確か、異世界にぶっ飛ばされたXデー前夜だったはず。本当に久しぶりだ。
で。この圧迫感は何なのか。とりあえず頭の上に乗っているブツに触れる。ん、何だこれ。柔らかい。適当に押しやろうと力の入れやすい場所に触れた瞬間、手に液体がついた感触がした。
「って何なんだよこれェ!」
反射的に全身をねじらせると、その重りはふぅ~んと唸って転がる。軽くなった隙にベッドから飛び起きて立ち上がり、上に覆いかぶさっていたものを見下ろす。
「何でお前がここで寝てるんだよ」
どーみてもそこに転がっているのはグレアにしか見えない。グレアは口からよだれを垂らし、いかにもふぬけた顔して寝てやがる。……つうことは、頬と手についた液体ってまさか、よだれ?
「うっ、ちょっ、きたねっ!」
自分の着ていた服でゴシゴシ拭き取って応急処置。服装はスーツ姿のままで、一晩寝たおかげで、めでたくシワシワになっていた。
「うーん……」
グレアの眠りはまだ深く、唸って寝返りを打ち、ベッドに顔が沈み込む。背中の翼は力無く中途半端に広がる。
さて、ここはどうやら俺の寝室らしい。家具の配置は俺がいた寝室そのものだったし、なにより足元に干し草の破片が落ちていたからだ。俺が夕食会に出席している間に、誰かが干し草とこのベッドを入れ替えたようだ。
「まったく、ガキというかなんというか」
俺の制止を破って好き勝手に酒を飲むからこんなカオスになるんだ。一杯飲んだだけで顔が火照る身体でイケイケで飲みやがって、そんなことしてろくなことがあるわけ……
「――そうだったのか」
ようやく気がついた。お前も本当は酒が苦手だったんだ。だから飲むとしても「たしなむ程度」が一番いいと、そう漏らしたのだ。自分の限度は知っていた。それでも、酒を遠慮する俺に会場の空気が悪くならないよう、無理して俺の身代わりになってくれていたのだ。
「お前には悪いことしたな。会場で倒れなくて良かった」
少し前まではだらしなく伸びているように見えたグレアが、今は少しだけかっこよく見える。もうこんな危ないことは二度とさせない。
「年下の少女を身代わりにするとは、つくづく最低な奴だ」
自嘲の笑いすらこみ上がってこない。ごろんと寝返りを打つ無防備な雄姿の半身に布を覆った。自分で勝手に目覚めてるまでそっとしておこう。クビにしようなんて気持ちは俺の中にはもうなかった。本当、お前はすげえよ。
さて、よだれのついた顔と手を洗おう。着替えて朝食の準備だ。