第5話-B4 キカイノツバサ いきたかったから
薄々分かっていたことだが、俺はおはようからおやすみまで、常に誰かとべっとり過ごすというのは性格的に無理らしい。グレアの持ってきた薬で胃もたれの症状が改善されたのを良いことに、一人で休めそうな場所を探して部屋を抜け出しちまった。つまり今俺がいるのは迎賓館の前に広がる庭園の中。あたりを見渡せば七色の花。どう考えても花畑に俺は似合わないが、個人的には牧歌的で好きだ。好き嫌いを別にしても、一人になれそうな場所といえば、クソでかい迎賓館の内部構造を知らない俺にとっては、ここしか思い浮かばなかった。
「しかし、ああ見えてバカ正直なのは助かった」
さっきグレアと交わした会話のことを思い出して苦笑い。ちなみに、身辺のお世話担当であるグレアを、どうして部屋に放置してこれたのかについてだが、これが案外ちょろかった。まず、ロイドに叱られてテンション三割引きのグレアが執務室に戻ってきたところを捕まえる。それから「両手を使って一から順に一万まで数えてくれ。数え終わるまでここから動かず、喋らず、ただひたすら数えるんだ。こんがらがったらやり直しだ」と命令したら仕込み完了。あっさり抜け出せた。命令できるって便利だね。
「せっかくだ、ちょっと探検してみるか」
庭園の中をクモの巣のように敷かれている通路を適当に歩いてみることにした。本日は晴天なり。雲一つない青空に、さやさやと流れる風。世界のどこかで運動会でもやってそうな散歩日和だ。ここの庭園は迎賓館を取り囲むように作られているらしく、迎賓館の横に回ってみても、通路はまだ続いている。これだけ広ければ、維持にえらく時間と労力がかかるだろう。お疲れ様です。担当の人。それと一応足し算中のグレアも。
そのまま歩き続けて、昨夜迎賓館の門をくぐったのとは反対側、迎賓館の裏手に出た俺は、眼前に広がったその景色に圧倒された。
「庭園のメインはこっちか――!」
門から迎賓館までの庭園も相当な広さで、200m走を直線で測ってもまだ余裕があるぐらいだ。裏手に回れば通路は行き止まりだろうと踏んでいたが、この壮大さには度肝を抜かれた。目の前の光景はちょうど、オランダの風車を連想させる、だだっ広い花畑を映す観光地CMの映像に近い。ちょ、これ、維持費だけでどんだけかかってるんだよ。もちろん、これは住民の皆様から徴収した税金で成り立っているのは自明の事実。これが日本ならソッコーで箱モノの認定印が押され、国会で大紛糾を呼ぶことになるのは間違いない。
「パンフレットを持って来るべきだったな、こりゃ」
そんな気の利いたモノが置いてあるはずがないが、あったら手にとっているところだ。あまりの壮大さに行楽地でよくアリガチな、ここだけ別途入場料が取られるという仕組みなのかと券売所を探すも、当然見つかるはずはない。……そのまま入っていいよな?
迎賓館が丘の上になっているため見晴らしは最高。庭園が一望できる。迎賓館はデカいから、建物が見えるまでの距離なら行っても大丈夫だろう。帰りはそれを目印にすればいい。丘の上に立つ建物だから好き勝手に動いてもそうそう見失うことはない。移動可能範囲はほぼ全域といってもいいぐらいだ。庭園の終端は見えないがな。
遠くを見れば、花畑だけではなく草原や木まで植えてある贅沢仕様。ここで景色を眺めながらゆっくりするのも悪くはないが、遠くに見える草原に立つ大樹が一本、その下に寝転んでひなたぼっこはかなり魅力的だ。行くとしたらまず草原エリアだな。こんだけ広ければ、庭園のサファリパーク化も夢じゃない。
「俺の……マイ・ドリィィィーム!」
俺の理想郷が、ここにあった。
「一生このまま寝転がりてえ……」
草原エリアは思ったよりも遠かった。草原の中に立つ大木。その下で体を転がし、何も考えないまま、ただボーっと時間を流していく。暖かい日差しに汗がにじむ。田舎生まれの俺は、こういうスタイルが身に染みつくというか、馴染む。これから俺はどうなるのか、リンの体調はどうなのか、グレアをどう扱っていくのか――そんなことは横に置いて、非効率ながらも有意義な時間を楽しむ。俺の前世は草食動物で決まりだな。
「やっぱ人間、たまには大自然に帰るべきだよな」
人工的に作られた場所だとしても、そこに生きるのは本物の自然。その解釈で見ればここも自然の一つ。この広大さなら自然に大をつけてもいいだろう。一定時間ごとにリラックスの溜め息を空気中に放出して、木の葉の隙間から揺れる光に安らぎを感じる。午前の優しい光とそよ風が気持ちいい。
「うわっ!」
「うおお!」
突然、完全に一人の世界に入っていた俺の頭上から声が響いた。驚きのあまり声を上げ、本能的に縮こまりつつ半身を起こす。リンが何かを抱えて木のそばに立っていた。付き人の姿は見えず、リンも一人でここに来たらしい。
「ビックリさせるなよ」
「申し訳ありません。コ、アダチ様が驚かれるなんて、その、予想もしてなかったというか……」
「水臭い言い方だな、コウでいい、コウで。
いつもどおりの喋り方してくれねえと、寂しいじゃねえか」
「……そうですか。ではそうします」
リンは俺の隣に座りこんだ。彼女は抱えていたものを俺とは反対側に置いた。数冊の分厚い本だ。こんな樹の下で読書とは、陳腐といえば陳腐だが、リンがやるとサマになっているから何も言えない。一番上に置かれていた本を取り上げると、彼女は真剣な眼差しで最初のページをめくった。何の本を持ってきたのかと気になって俺も一冊失敬。その瞬間リンが小さく声を上げたが、気にせず目次を開く。なんていうことはない。ただの物語が書かれた本だった。
「わざわざこんなところで読書か」
「そうでもないですよ、飛べばすぐですし」
直後、彼女は気がついて謝罪の言葉を述べた。飛べたら楽だろうとは思うが、地上を移動することが常識の俺にとっては、飛べないのはさほど気にならない。俺が飛ぶとしたら……そうだな、死んだ時。これが最初で最後だ。
「俺、地上がデフォだから気にしてないし」
「でふぉ?」
初耳な単語に目を丸くするリン。毎回感じることだが、通じる言葉と通じない言葉が混在するのはある意味面倒だ。まあ、そもそも言葉が通じるだけ、まだマシか。第2言語を覚える自信と記憶領域の持ち合わせがない。
「デフォっつうのは、『標準』とか、『もともと最初からそうなってる』とか、だいたいそんな意味だ」
「なるほど。これで、私はまた一つ、あなたの世界の言葉を覚えたということになりますね!」
リンは納得したような表情を浮かべて、ニカッと微笑む。ただしデフォが通じるのは、世界の中でも日本人、しかもその中の特定の層オンリー。俺は別に語学教室を開こうってわけじゃない。詳細な使い方までは教えるつもりはない。
「ちなみに、デフォは短縮形。デフォのデフォはデフォルトだ」
「デフォのデフォがデフォ……? う〜、ややこしいです!」
今の言葉を解説してくれとリンがせがむ。が、繰り返す。詳細な使い方まで教える気はない。
「深く考えるなよ。こっちの言葉を覚えたところで、お前が得することなんかないだろ」
「自慢できるじゃないですか。異世界の言葉を教えてもらったって」
「そこでおしまいだろ」
「それは禁句です」
むっとした表情で口を尖らせる彼女を尻目に本を山に戻し、今度はそこからもう一つ下の本をとってみる。リンはどういったものを好んで読むのか、語学講座よりもそっちのほうが気になる。リン越しに手を伸ばして掴んだ本は、さっきの本よりもずっと重い。
「……法律?」
さっきの本とは比べものにならないほど、整形された文字組みと大量の目次ページ。この国の法律がまとめられたものらしい本であることは、その厳格さと内容を見れば明らかだった。本から顔を上げてリンを見やる。さっきとは一転、彼女は俺から視線を逸らし、バツの悪そうな雰囲気を醸し出していた。もしや、リンは本当はこれを読むために、人気のないこんな場所まで移動してきたのではなかろうか。読書なら自室でもできるのだ。
「リ〜ン、お前今度は何を企んでるんだ?」
ズボシっという効果音が聞こえてきそうなぐらい大きくびくついたリン。あ、今のはちょっと可愛かった。本人はいたってマジメにピンチを感じているらしいのだが、俺はリラックスのしすぎで少し感覚がおかしくなっているようだ。もしや、こっちが正常か? 困り顔のリンは、思いついたように言葉を並べる。
「ほら、花屋って、お薬も扱うのが普通じゃないですか。
今は扱ってませんけど、花屋がうまくいったらお薬も扱いたいなってお話、したと思います。
お薬って人の体に直接作用するものですから、扱うなら関連する法律も見ておかないとって思って」
「…………。」
「…………。」
何言っとるんだ君は。
花屋の住居のカギはロイドに預けてるし、店やり直すにしても仕入れから何からやり直しだ。いつかは戻るにしても、彼が花を全部お買い上げという大胆な根回しをしたことから考えるに、店をやり直すのは大分先の話になるのは予測がつく。それに。
「……何か、おかしいですか?」
「言動に一貫性がない。」
朝起きて早々“花屋の営業は自分ひとりでもやれるから”と頑固に言い張ったかと思えば、その日の夕方には一転、“一緒に連れていってくれ”とあっけなく店をたたんじまうし、そうかと思えば今度は“薬も扱いたいから法律をちょっとだけお勉強”と。しかも彼女の口から“薬に法律は要らない”と聞いたはずなんだが、聞き違いだったのだろうか。
リンに目を向ける。怒られた子供がよくやるような、困ったような落ち込んだような表情は依然として変わらない。
「……すまんな、さっきから勝手に本触って」
「い、いいですよ別に。ハハ、アハハ……」
その引きつった笑いは、自虐と自嘲を含んだ笑いに違いなかった。なんか顔を合わせる度に、俺はリンのことを追い詰めているような気がする。もちろん彼女の運の悪さと、隠し事が下手な性格(おそらく)も関係しているだろう。だがそれ以上に、俺のささいな興味が引き起こす発言がプレッシャーを与えているのではないか。
なんでもいい。とにかく本から話題を反らそう。
「ところでリン、夕べお前はどうして『連れていってくれ』なんて急に言い出したんだ?
実のところ、あんとき急にお前がそんな事言うから、俺面食らってたんだぜ」
「それは……」
リンは観念したように大きな溜め息を漏らして、最初のページだけが開かれているその本を閉じた。……言ったそばからミステイク。この反応は逸らすどころか、さらに踏み入った質問になっちまったらしい。あちゃー。
「それは……いきたかったから、です」
「行きたかったから?」
質問しちまった以上、話には合わせねばなるまい。エスケープルートが見つかり次第、さりげなくそちらへ話題を誘導しよう。人を追い詰めて楽しむ趣味はない。
「ただ、いきたいって心の底からそう思って、それで『行きたい』って」
「そうか」
「…………。」
「…………。」
……リンもリンでよく分からん回答をしてくれる。どうしてついて行きたいと言ったんだ? 行きたかったから。完全に短絡思考の循環論法だ。しかし今、そんなことは気にしない。別の話題を振るのが最優先事項。このままじゃこっちまでバツが悪い。
「またまた話題を変えて悪いが、お前は昨夜どこで寝た?」
「どこって、寝室ですけど」
「ベッドはあったか?」
「え、もちろん」
「俺の部屋、干し草だったぜ」
「え!?」
驚いた顔が俺の顔を見る。このまままじまじと相手の目を捕えてにらめっこ。俺が一息笑うと、リンも吹き出した。
「それ、冗談ですよね」
「これマジ。俺の専属メイドはグレアっつう奴なんだが、これが根性悪い奴でな。
“ワンランク上の生活”と称して出てきたのが干し草ベッドだ」
「コウさんは板の上で寝てたんでしたね。
今思い返せば悪いことしました。私のを二人で共用すれば良かったのに」
「ん? つまり年頃の男女が毎晩同じベッドで寝れば良かったと?」
それを聞くと、リンの顔が瞬間的に沸騰した。もちろん冗談だということは言うまでもない。
「ちょっと、やめてください!」
「ハハハ――」
「コウさんもコウさんで性格悪いです! 人の親切を茶化して!」
「悪い悪い。
確かにグレアの言うワンランク上というのは間違っちゃいないんだがな。
どうも扱いがぞんざいというか、不本意だがアイツにはいいように遊ばれてる。
まあ、俺もあっちの世界で、一人のバカ男を地味にいじり倒してたし、そのしっぺ返しがきてるとでも思えば……」
納得できるってものじゃねえ。俺はグレアほど酷くないぞ。ところで一人のバカ男というのは、もちろんジョーのことであるが、俺は程度というものをわきまえているつもりだ。グレアのような破天荒ないじり――もといイジメはしない。リンは向き直って真剣な表情を見せた。
「それでも酷くないですか?」
「まあな。アイツの親の顔が見てみたいぜ」
太陽の高さは今どれぐらいだろうか。時計を持っていない俺が時間確認に頼れるのは、腹時計と太陽高度だけだ。腹時計はグレアに狂わされたせいで使い物にならない。樹の下から空を見上げると、太陽より先に一つの飛翔体が見えた。親本人の顔ではなかったが、その娘の顔は拝むことができた。
「Enemy 1!」
突然叫んだ俺にリンが飛び上がったが、そんなのは気にせず樹の裏に隠れる。噂をすればEnemy 1。グレアだ。ちくしょう、1万数え終えるの早すぎだろ! ひとつ飛ばしで数えてたんじゃねえか? 奴がここに来たと考えられる理由はただ一つ。俺を探しにきたのだろう。
「リン。いいか、俺の話を聞いてくれ。
今からショートボブな金髪メイドがここらあたりに襲来する」
「金髪メイドって、グレアさんのことですか?」
「ああ、そうだ。
俺はこの樹に登って隠れておく。グレアに俺のことを聞かれたら」
察したリンはニコリとして答えた。
「知らないって答えればいいんですね!」
「頼んだぞ!」
実は、俺は小さい頃、よく面倒ごとから逃れるために木に登って隠れていたという実績がある。小学校に植えられた桜の木だったり、小さな公園の木だったり、実家の梅の木だったりとまあ、高さにビビりながら色々な木に登ってきた。なんだかんだ言って木登りスキルは染み付いている。経験的にこの樹は登っても大丈夫そうだ。
「よいこらせ……っと」
木のデコボコを利用して、高さ数メートルほどの枝に乗り、片腕で幹を抱える。俺が足かけるのは下から2番目の幹。一番下だと経験上低すぎてすぐ見つかるのだ。足場が丈夫であることを確認し、樹の枝に昆虫のごとく擬態。これでグレア襲来にスタンバイ完了。
「この樹は地雷じゃないよな。よし」
落ち着いたところで今いる樹の状況を目で確認する。まれに、登ろうとした木が毛虫うごめく地雷だったりするから木登りには注意が必要だ。直視し難い、「汝近寄るでない、刺すぞ」と無言の圧力をかけるような、毒々しい紋様のついた無数の毛虫がウニョウニョ這い上がってきていて、気がつけば全身毛虫状態。隠れるはずが絶叫アトラクションになったなんていう、シャレにならないトラウマも残っているからこの確認は欠かせない。冗談抜きで、奴らは何くわぬ顔して服の内側まで入り込んでくるからキモさ300%増量だ。
しばらくそのままの状態で耐えていると、樹の下で読書を始めたリンの元にグレアが気が付いて近寄ってきた。
「ねえ、ここの近くであんたのツレ見かけなかった? ダルそうな顔の」
思った通り俺を探しに来たか。ダルそうなとは、我ながらまた的を射た言葉である。二人の会話を上から見下ろしつつ、早いところ去ってくれと願う俺。リンは口裏合わせ通りの答えを返す。
「いや、見かけなかったですね。人探しですか?」
「アダチのバカ、私を置いてどっか逃げちゃったのよね。
そのまま居なくなればって思いたいところなんだけど、アイツとは運命共同体だからね」
「コウさんのメイドさんですか」
「そ。二枚目ならまだしも、地味と紐付けなんてたまったものじゃないわ」
地味男で悪かったな。
「言いづらいことですが、あなたちょっと口が悪すぎます。
そんなんじゃお仲間ができませんよ?」
「余計なお世話ね。私は一人でいい。もう誰にも振り回されたくないの」
「普段からそんな話し方じゃ、敵ばっかり作ってしまいますよって言ってるんです。
あなたはまだ、人の怖さを知らないんです」
「十二分に知ってる」
「それなら二の轍を踏みますよ!」
「そんなあんたは知ってるの?
知ったようなこと言ってるけど、私とさして歳は変わらない」
「年齢は理由になりません!」
会話だけ聞いてると、どっちがメイドなのか分からなくなった。ところで二人は何の話をしているのか。人の怖さが云々で言い争いを始めちゃっているが。グレアはともかく、リンが「人の怖さを知らない」などと言う心当たりはない。リンが言う人の怖さとは、先日の事件とは違った怖さを指しているように聞こえる。
それから一通り口論を交わすと、リンは大きく2,3回深呼吸して、再び落ち着いた口調で話しかける。おっと……
「ちょっと熱くなりすぎました。
とかく、彼を見かけたらあなたが探してたって言っておきますね」
「その必要はなさそうね」
これが夢でなければ、俺とグレアは目が合っている。ちっ、あっけなく見つかった。グレアは腕を組み、鋭い目つきで俺を睨む。
「……よぉ。元気か?」
「いつから? いつからそこに隠れてたの?」
「リンが来るずっと前からだ」
協力してくれたリンまで心証を悪くするわけにはいかなかった。リンが来る前からここにいたということにしておけば、リンの話に筋が通る。当の本人は意外そうな顔をしたが、俺の真意が分かったようで、グレアに気付かれないよう小さく頷いた。
「言ったよね? 私は厄介ごとが嫌いだって」
「……まあな」
「人探しって厄介ごとでしょ?」
「探してくれとも、隠れんぼやろうぜとも言ってない」
「あんたね、自分の身の程をもう一度確認してみたら?
一人でフラフラと好き勝手な場所に行けるような身分じゃないことぐらい分かってよね!」
「そうなのか」
「私はあんたと行動を共にしなきゃいけない。
どーしよーもないクソッタレ野郎が逃げ出したとなれば、取っ捕まえるのは当然のことでしょ?」
「ちょっと、その言い方は目に余りますよ!
彼はものすごく優しい人で、ただちょっと面倒くさがりなところは確かにあります。
けどクソッタレじゃありません!」
「リン、コイツ元々こんなヤツだから、なに言っても無駄だろうて」
リンの必死な擁護をありがたく思いつつも、その声はグレアには届かない。
「まずはそこから降りて。上から目線は超ムカツクんですけど」
「実際俺のほうが上だろ」
「いいから降りて。でないとまたありえない量の昼食出すわよ。完食まで部屋から出さないからね」
「へーい」
なにその贅沢な罰は。ズルズルと樹から降りたところでグレアに舌打ちされた。
「あんたには国賓としての自覚が足りない」
お前にはメイドとしての自覚が足りない。そっくりそのまま返すぜ。
「なに、わざわざ探しに来てくれた私に不満?」
「恩着せがましいな、お前」
「次から失踪する時は私も一緒だからね」
「駆け落ちかよ」
「あんたと駆け落ちするなら、死んだほうがずっとマシ。仕事だから付き合うけど」
もうやだこの人。メイド変更不可とか、それだけで罰だよこれ。グレアでないといけない理由があるらしいが、どうにかして変えて欲しい。切実なお願いである。このグレアの調子には、さすがに殺意が湧いてくるというものだ。
「ほら戻るよ。脱獄囚」
「イデデデ!」
俺の耳を掴んで引っ張ると、グレアはあ、そうか、とつぶやいてまた舌打ち。
「あんた飛べないんだったよね。走りなさい」
「何故に?」
「言うこと聞かないと、首輪つけて行動範囲を制限するよ」
「国賓のカケラもねえな!」
リンと目が合った。彼女は「またね」といった感じで小さく手を振る。リンは元気そうで何より。数日はリンはここにいられるだろうが、これからのことは分からない。本人を交えてロイドと3人で相談して決めることになるかな。
「グズグズしないではい、走る!」
「うえ~い」
とかくこうして、空飛ぶメイドに地上を走る国賓という、世界でも滅多に見られない珍光景が生まれたのだった。