第5話-A36 Lost-311- 赤い服の男
更新する度に記念記念と言っているような気がしますが、
昨日で「マジで俺を巻き込むな!!」略称「俺巻き」が連載一周年を迎えました。
この話は本当は昨日中に更新したかったのですが、時間に間に合いませんでした……
これからも俺巻きをよろしくお願いいたします!!
「よっこらせっ、イデデデ――」
背負い始めて三日目の晩、俺は今日の営業を終えてシャッターを下ろし、カウンターに山積みになった値札に向かい合って座っていた。事あるごとに言ってきたが、人を背負いながら一日中生活するというのは、少なくとも今まで特別運動していなかった俺にとっては過酷を極める。全身に及ぶ筋肉痛、特に足腰腹筋背筋と苦痛を隠したムリな営業スマイルの為にこわばらせた表情筋が痛む。顔面が筋肉痛っていうのは滅多にない貴重な体験だが、今の俺にとってはそんなのはただうっとおしいだけである。まあ、今の俺は当然として、今後想定されるいかなる状況下でも、俺は顔面筋肉痛を嫌ってるだろうが。そんなことよりとにかく今は誰か鎮痛薬くれと声高に叫びたい。近所に山か海があれば絶対に叫んでる。
「めんどくせえ計算ドリルは、とっとと終らせるに尽きるよな……」
売り上げの集計は基本的な四則計算で済ませられる。その気になれば小学生でもできる点においては、この作業は計算ドリルを解くのに等しい。まず同じ値段の書かれている値札を別々に分類して、掛け算。その後、出てきた数値を全部足して集計終了だ。最初期は一つ一つ馬鹿の一つ覚えで足し算していっていたのだが、案の定無駄に時間がかかるわミスが多いわで涙目。俺がここに来る以前の収支表を参考程度に見てみたが、リンも同じく馬鹿の一つ覚えで計算していたらしいことを、修正の多い紙面が雄弁に語っている。ここにも掛け算という概念はあるようなのだが、平民は経済的に学校には通わせられないのが現状で、九九を知らない人がほとんどのようだ。つまりはみな地道に足し算で頑張っているということだ。ところで、インドじゃ三ケタの掛け算も暗記させるらしい。そこまでできりゃもう人間電卓だね。
「とりあえず掛け算終了、後は足し算だけだな」
洋皮紙の隅に書いた計算結果の横に、五重塔のようなタワー型の足し算の筆算を書いた。パソコンが使えたら楽チン集計なんだがな……パソコンは俺の部屋の隅に放置プレイされている。電気もないし、そもそも内部に砂とか異物が入り込んでるから正にガラクタだ。言っておくが、だからといって捨てる気はない。
「すみません、誰かいらっしゃいますか?」
店のシャッターを叩く音が薄暗い店内に響き、俺は足し算の計算にペン先を宙で踊らせていた手を止めて立ち上がった。
「はい、どなたです?」
「誰かいらっしゃいませんか?」
俺が返事をしたのが相手には聞こえないらしく、しきりに叩く音が聞こえてくる。こんな時間に誰だよ。姉さんの声でもルーの声でもないが、男の声だということは分かる。つまりは花を買いそびれた客かなんかだろう。
「あいにくですが今日の営業は終了しました。
冠婚葬祭その他諸々の
花に関するご相談は営業時間中に承っておりますので、
申し訳ありませんが今日のところはお引き取り――」
最近覚えた営業セリフを口にしながら店のシャッターを開けると、赤い服を着た、30代後半っぽい高貴そうな男が一人ポツンと立っていた。金属製フレームの片目眼鏡に馬のような細長い顔が特徴だ。こういうのを馬ヅラっていうんだよな、確か。男の手に持つ鞄には、複雑な模様の刺繍が施してある。地上げ屋か? それともゴムひもの押し売りか? この男が俺の顔をまじまじと見つめて確認するような動作をしていることから、道に迷ってここのシャッターを叩いたわけではないことがうかがえる。きちんとした敬語を使ったほうが良さげな雰囲気の相手だ。
「うん、間違いない」
「アダチ・ミツヒデさんですね?」
「そうですが……」
顔なじみでもないコイツが、なぜ俺の本名を知っているのか――俺が本名を語ったのは、リンと初めて会った時と警邏隊に誤認逮捕で本部に連行された先での書類作成をしたときの二回だけ。それ以外に俺の名前を知りうるのは、記憶操作能力があるらしい神使ぐらいだ。ということは……恐らくこの男は書類を閲覧することができるであろう公的機関の人間だということが予想できる。
「……税金滞納ですか?」
今俺が考えつく最も現実的そうな訪問理由を呟くと、男は首をゆっくりと横に振った。
「いやいや、そうではありません。
あなたの店の納税額は今のところはゼロですが、
年始に一括して払って頂くので今は問題ありません。
あ、でも払うときはちゃんと払ってくださいよ?
理由なき滞納は重罪ですからね。
……今日はそれよりもあなたに大事な話がありまして、ご訪問させて頂きました」
「俺にか……」
「ええ」
この人の口調からしてこの人は公的機関の人間でほぼ間違いない。しかし俺に大事な話とはなんぞや? …………思いつかねえ。
「実はですね――」
「すみません、話の腰を折るようであれなんですが、あなた誰です?」
早速話を始めようとした彼に言葉を遮って、俺は質問を投げかけた。いくら相手がどんな人物か推測できていても、こういうのはきちんと確認しておく必要がある。どう見たってこの顔は泣く子も黙る将軍様って感じの有名人じゃなさそうだし、もしこいつが身なりのいいドロボーだったりしたら大変だ。
「申し遅れました、私は政務院ナクル支部に努めております、第9階級のロイドと申す者です」
彼は懐から名刺サイズの銀色の金属板を取り出すと、俺に渡した。どうやらこれが身分証明書らしい。金属板には平仮名が彫り込まれていて、金属板に傷一つ付いていないところを見ると、ロイドという男はこれを大事に扱っていることがよくわかる。俺の経験上、こういうタイプは几帳面な人間だと推定する。
「政務院……?」
「おや、政務院をご存知ないのですか?」
「ええまあ、つい最近ここに移住してきた余所者で。
政治なんかはめっぽう弱くて、もう全然っすね。
階級とか言われても、実感ないです」
俺は首を振ってそう言いながら金属板をロイドに返却して、苦笑。彼も同じく苦笑いして「それは困りましたねえ」と政務院についての概要を説明してくれた。
「政務院は国の政治を行う上で最も重要な機関です。
消火隊や警邏隊、公共設備の整備と拡張、軍事、外交などを一括して管理し、
第1階級、つまり最高責任者は国王陛下が担当しておられます」
最高責任者が国王か…………こりゃまたぶっ飛んだ組織の人間が来たもんだ。今の説明を聞くと、ロイドは上から9番目の地位にいるという理解でいいよな?
「つまりこの国の最高意思決定機関、ということで?」
「少し大げさですが、まあそんな感じですね。
もちろん、緊急で特別意思決定機関が設けられた場合は、二番目の機関になりますが。
特別意思決定機関は神使様が首長をお務めになられます。
いくら何でも神使様ぐらいはご存知ですよね?」
「もちろん、それぐらいは」
神使はいざとなれば国を動かす権力を握っているのか……そんなものを手にして一体何をするつもりなのだろうか。神使が権力に溺れているとは考えづらいし、そうしなければならない事情があるのかもしれない。
「……どうかなさいました?」
「あっ、あはは、いやなんでもないです、すみません。
で、あなたはその政務院の上から9番目の役職の人間、ということですね」
「政務院なんて大層な所で働いてますが、実質的には私はただの雑用係、ほぼメイドさん扱いです」
「でも9番目の役職って結構地位的には――」
「全然ですよ、私の机、部署の一番窓際の隅ですし。
お茶運んで、部署の掃除して、羽根ペンのインクが切れそうになれば買い出し。
宴会時には限られた予算で会場探しとレクリエーションでおもてなし、
それでも盛り上がらなければ上の階級の人間に対して土下座するのが私の主な仕事です」
「それは……ご苦労様です」
うわ~、切ねえ……渡る世間は鬼ばかりなんてドラマもあったが、今まさに俺の目の前にそれを身をもって体現してる人間がいる……俺の頭の中では、こういう人はなかなか昇進できない苦労人のイメージがあるんだが、実際のところどうなんだろう。
「まあ、給料はかなりいいので、私はこの仕事は好きですけどね」
「……そんなもんですか?」
「そんなもんです」
どうやら杞憂だったようだ。さて、ロイドのどうでもいいM属性が発覚したところで、そろそろ話を本題の方へ移しておこう。リンを背負っている俺としては、一刻も早く椅子に座りたい。
「ところで、あなたの背中のこれは一体何なんです?」
「はい?」
「いや、その、人を背負って……」
「ああ、これですか?」
案の定ロイドも背中のリンについて質問を投げてきたので急性魔力欠乏症の治療の一貫だと説明した。すると、彼はいかにも不思議そうな顔をして、はぁ~、そんな治療法があるんですか? と言う。
「試験的治療ですね。普通の治療法じゃ効かなかったので。
そんなことより、こんな所で立ち話もなんですから、
とりあえずお入りください。夜は寒いでしょうし」
「ああどうも。では、お言葉に甘えて、失礼致します――」
俺は店のシャッターを少し広げて中にロイドを中に入れ、シャッターをパタン、と閉めて施錠した。閉めた時の空気圧で、俺の近くの灯りがフラッとよろめき、煙を吐いて消えてしまった。中に入れたはいいが、どこに座らせようか。リンの部屋には机はあれども椅子はひとつしかないし、カウンターも椅子はひとつだ。俺の部屋は当然論外である。俺の頭と一緒でスッカラカンだからな。魔法でもう一度灯りに着火しながら考えるが、最適な場所が見つからない。二階の椅子をこっちへ持ってくるか、カウンターの椅子を二階に上げてリンの机で作業をするか、その二択だな。
「なるほど……アダチさんが貴族階級出身だったからこそ、
誘拐犯の逮捕が可能だったんですね、初めて知りました」
「はぃっ!?」
な、なんだって―!? と思わず言いたくなるような驚愕発言に驚いてロイドに視線を向けると、彼はさっきまで俺が計算していた集計用紙に目を通していた。ああ……掛け算か。たしかにそれだけ見りゃ、
掛け算ができる=学校に行ける=裕福な家出身=貴族階級
なんて図式にもなるわな。とりあえずロイドの推論は間違っているから訂正しとくか。面倒臭がって訂正せずにそのまま突っ切ったら、後々さらに大変なことになりそうな予感がプンプンする。政務院の人間なんだからなおさらだ。
「いや……俺は貴族じゃないですよ」
「…………えっ? じゃあこの計算は誰が――」
「俺です。
いつ覚えたのかはよく覚えてないんですが、
こっちの計算のほうが効率的だと思って勝手に始めただけで、学校も行っていません」
当たり前だが、学校とはこっちの世界のほうの学校のことである。今の発言は嘘っぱちだが仕方がない。
「あなた、頭いいんですね」
「いや……」
こんな計算、9歳のガキでも出来ますよ――と言おうとしたが、それはやめた。あまり変なことは喋らないほうがいいに違いない。余計なことを言って変に穿鑿されれば俺が困る。あと多分神使も。
「熱っ!!」
手に持っていた、つけたての灯りの炎に一瞬指が触れて触れた手を反射的に引っ込めて手を振った。いまのはマジで熱かった。灯りを壁にかけ、軽くやけどした手にハフーハフー、と息を吹きかける。ロイドは集計用紙から目を離し、今度は商品の花を見て回り、落ち着きますね~などと呟いている。俺がやけどしたのには気づいてないようだ。恥ずかしいところを見られてなくてよかったぜ。
カウンターで話を聞くかリンの部屋で話を聞くかの話だが、よくよく考えればカウンターは使用中だし、リンの部屋で聞くしかない。俺はカウンターの椅子を片手に、商品の花の匂いを嗅いでいるロイドに声をかけた。
「話は二階で聞きますから、上に行きましょう」
「ハイックショイッッ!!」
くしゃみで返事すんな!! 汚ったね!! しかも今のは花の匂いを嗅いだ際に花粉が鼻の中に入り込んで出たくしゃみだよな? ネタすぎる。 というか失敬の一言も言わずにこっち来やがったな。なんか、お前が雑用やらされてる理由がなんとなく分かったような気がするぞ。
「……こっちです。」
背負いながらでは遠慮したい、階段を登るという重労働をこなし、彼をリンの部屋へと案内した。部屋の灯りをつけ、背もたれの付いているリンの机の椅子に彼を座らせると、俺は持ってきた椅子をその隣に置いて座った。
「さて本題ですが、この近辺で発生していた少女の連続誘拐・監禁事件についてです」
「ああ、はい」
ロイドは机の上に鞄を置き、片目眼鏡を掛け直すと、真剣な表情を浮かべて一息つく。
「その事件について、あなたが犯人グループを拘束したというので間違いはありませんか?」
「間違いないです」
「それでは――あなたを疑うようで悪いのですが、
犯人らの使用していた隠れ家から被害者達を救出した後、あなたはどうしたのか教えて下さい。
あなたが本当に事件に関わったのかどうか確認したいのです。
当事者しか知らない事実を教えてください」
「あの後、彼女たちがあまりにも痩せていたので、
リンを、今俺が背負ってる子ですね、その子を預けていた居酒屋に連れて行って、
食事を奢ってやった後、警邏隊本部前まで送って別れました」
「その間に何か不思議な出来事はありませんでしたか?」
「急に頭が痛くなって、気がついたらみんな同じように床に倒れてたってことが」
そこにリンに憑依した神使が現れた話はしておかないほうがいい気がする。そこで俺も頭痛が起きて倒れた人間ということにしておく。これは……これでいいだろう。
「はい、そうですね。
お手数かけました、本人確認完了です。
あなたが事件を解決したという噂が街に広がっても、
噂には尾ひれがすぐついてしまいますからね」
彼は鞄を開けるとクルクルと円柱状に丸められた巻物みたいな羊皮紙が複数個、ヒモで一つに括られているものを取り出して、俺に手渡した。巻物みたいなものは数えると、1,2,3,4――――全部で7つある。
「これは……?」
「中を見てみれば分かりますよ」