第5話-A26 Lost-311- 雨の中で
翌朝。
水浸しになった台所の処理で深夜まで作業していた成果のかいあって、
なんとか台所の復旧が完了、
メシも食わず(正確には食えず)に眠りについた俺が起きたのは夜明け直前だった。
もうちょっと爆睡するかとも思ってたんだが……
体内時計はすっかり花屋営業仕様に切り替わってしまったらしい。
「……寒。」
ビショビショになった服を部屋干ししていたため、
寝るのは上半身裸という、なんともワイルドな格好。
別に筋トレとかしてないから、
残念ながら鍛え上げられた腹筋が見えるとかそういうことはない。
そもそも帰宅部所属だったしな。
……やっぱ零雨と麗香は俺のこと必死になって探してんのかな。
それとももうあれか? 諦めに入っちまってるか?
どーだろーな?
彼女らがまだ俺を必要としているならそりゃ探すだろうが、
まあ俺じゃなくとも、
代わりになりそうなやつはちょいと探せばいくらでも出てくるだろうし、
(なんせ合格率24%の試験、4人に1人受かるわけだし)
俺でないといけない理由もねえだろう。
ま、ここの管轄はELVESであって、
零雨と麗香の管轄下じゃねえのは明らかだし、
万が一俺を探してたとしても、権限的にここまで捜索の目が到達することは
ほぼないと思っていい。
「さて、と。さっさと今日の営業の準備しねえとな」
起き上がって窓を開け、
眩しい朝日を身に浴び――ることは、どうやら今日は無理らしい。
「……今日は雨か」
昨夜寝る前までは綺麗な夜空が広がっていたのだが。
まあ、雨はちゃんと降らねえと植物が枯れちまうし、
今までずっと晴れ続きだったし、農家にとっちゃ、恵みの雨ってところだろう。
雨は土砂降りというほどでもなく、まあパラパラって感じだ。
通りを歩く人々は、みなフード付きのローブを羽織っている。
遠目からじゃ分かりにくいが、ローブには撥水加工をしているらしく、
ローブの表面を水滴がつるつると滑り落ちて行く様子が見える。
ローブがいわゆるレインコートの役割をしてるわけだな。
窓から顔を出して通りを眺めてみると、
多くの店で開店準備に取り掛かっているのが確認できた。
真下を見下ろすと、入口で花屋の開店を待つ人々が既に並んでいる。
「まだ開店には時間があるってのに、こんな雨の中よく並ぶぜ……」
少し湿ってはいるが一応乾いた服を着て一階に下り、
店のシャッター前に立てかけてある金属棒を手に取り、裏口から表に回る。
とりあえず外で開店を待っている客を濡らすわけにはいかん。
「あー、すみませんね、開店までまだしばらく時間がかかるんで」
俺はその金属棒をオーニングにセット、展開させておく。
オーニングとは軒先なんかに取り付けられる可動式の日よけ、雨よけのことで、
庇のようなものである。
小洒落たカフェとかテラスによくついてるあれだ。
「ああ、わざわざ悪いね」
客の一人である白髪混じりの見た目50代のおじさんがフードを脱いで微笑んだ。
とりあえず微笑み返して会釈、
今のはちょっと営業スマイルっぽかったかなと若干反省しつつ、
店の準備とリンを起こすためまた裏口へと回る。
まず店の上司であるリンを起こすため、部屋に入る。
リンが寝入ってから少なくとも24時間以上が経過している。
いくら疲れていたとはいえ、それだけ寝ればもう十分のはずだ。
リンの机には、まだ手の付けられていない昨日の晩飯があった。
「リン、朝だ、もうそろそろ起きてもいいんじゃねえか?」
「…………。」
「リン、いくらなんでも寝過ぎじゃねえのか?」
「…………。」
「おい、リン!」
申し訳ないと思いつつ、リンの掛け布団を引きはがした。
が、未だ一向に起きる気配なし。
上から顔に水ぶっかけたら起きてくるか?
寝ている上からヒップドロップすりゃ起きてくれるか?
思うのはいいが、実行する勇気はベスト・オブ・チキンな俺にはもちろんない。
「……はぁ、やれやれ。リーン、起きろっ!」
俺がリンの頬を強く叩いても、起きるようなそぶりはない。
狸寝入りしている様子もなく、本気で寝てるのは分かる。
参ったな……でも寝過ぎには変わりねえしな……
その後いろんな手法を使ってリンを起こそうとしてみたが、
眠り姫にはなしのつぶて。
死んでるんじゃないかと冗談半分で脈と呼吸を確認してもみたが、
やっぱまだ生きてる。
リンの中で一体何が起きてるのか、
俺には分からねえし、どう対処していいかも分からん。
とりあえず、今日も店は午前中営業ということにして、
午後から居酒屋の姉さんのとこへ行って、相談してみるか。
姉さんなら事情を分かってくれてるし、
いやらしい話にはなるが、職業柄なにかしらコネも持ってるだろうし。
営業を昼までにして売り上げの計算を昨日の分も合わせてやり、
終わり次第ずたずたの黒ローブを来て早速出掛けたのはいいものの、
姉さんの店は閉まっていた。
今日は休みなのか? と思いながら肩を落としていると、
後ろから威勢のいい声が聞こえてきた。
「おい、兄ちゃん! こんな雨の中開店待ちかい?」
聞き覚えのあるその声に振り返ると、
そこにいたのは、昨夜声をかけた食料品店の店主だった。
あー、また面倒なのに捕まった……と俺は心の中で嘆く。
「お前もここの店の常連かい?」
「……常連、というか、この店には縁があって」
(お前もってことはコイツもこの店の常連なのか……やれやれ)
「ほう、まあここの店の女将は美人だし、
そういうとこで呑む酒はまた格別ってもんだ。
そうそう、店が開くのは大体日没後が多い」
「ああ、そうっすか」
(姉さん、そんなに美人か? まあ確かにブスじゃねえけど)
「そういや、兄ちゃん、一張羅はもう頼んだかい?」
「いいえ、まだ何も」
「そうか、今日、例の警邏隊員から教えてもらったんだけどよ、
お前さんの表彰が正式に決まったらしいぞ。
晴れ着は早いとこ用意しといた方がいい。
俺、いい服屋知ってんだ、どうだ、今から行ってみないか?」
「いや、今そんなお金持ってないんで……」
(うわー、一番面倒なタイプの誘い来たー!)
「いいじゃねえか、ちょっと見るだけでもさ!」
店が夕方開店ならば、確かに空き時間はあるが……
一張羅を買う金は財布の中にも、家にもない。
だいたい一張羅を買う金があれば、俺はまず真っ先にその金でベッドを買ってる。
「うちには一張羅を揃えるだけの金なんてないっすよ!」
「噂じゃ店は繁盛してるって聞いたが?」
「自分の寝具がないから床で雑魚寝生活っすよ?」
それを聞いた店主はいかにも「信じられん!」という顔をする。
「おい兄ちゃん、床で雑魚寝ってそれホントかよ!?
それリンちゃんだったか、もっと賃上げ要求していいと思うぞ、俺は!」
「いやいや、店の収支もついこの間までは自転車操業でしたし……」
「ジテンシャソーギョー?」
「あぁ……全収入と全支出がなんとか釣り合ってることっす」
「お前さんはなんか不思議な言い回しをするな。
この前は確か……ゴリラだったっけ?」
「ゲリラっす」
「俺も若者の流行語には乗ってるつもりだったが、まだまだ修業が足りんな、俺も。
って、25の俺が言うのもなんだが」
この店主、25なのか……若者って言われる歳の上限ギリ入ってる感じか。
いや、でも26がオッサンかと聞かれればなんか違う気もするよな……
やっぱ二十代までは若者で、オッサンって呼ばれんのは30過ぎてからか?
あ〜、でも30代でもまだ若者っぽく見える人もいるしなー、
そこら辺の線引きは見た目とかもやっぱ重要になってくるよな。
言っちゃ悪いが、二十歳にも満たないのに既にオッサン顔の人もいるし、
結局は残念ながら若者とオッサンの区別は見た目でしか判断できねえよな……
最近鏡とかで自分の顔見てないけど、疲労で老け顔になってたりすんのか?
16でオッサンは……勘弁だ。
「お〜い、兄ちゃん、聞こえてるか?」
「あの〜、俺いくつに見えます?」
「な、なにをいきなり……んー、22、3歳か?」
うん、学習した。
聞かない方がいいことも……ある。
「……俺、16っす」
「そうか、兄ちゃんは16か……」
「(老け顔の原因は)やっぱ疲労っすかね?」
「それも多少はあるだろうな。
老化の防止には何か運動するといいらしいが、何か運動してるか?」
「……いや、何もしてないっすね。店主は?」
店主は自分のやや肥えた腹を見て黙り込む。
「……………………。」
「………………………………。」
「……なあ兄ちゃん、もうこの話やめにしないか?」
「…………そうっすね」
なんか変な空気になったぞ、おい!
そして何故か生まれた店主との一体感と哀愁……
老け顔に見えるのはお互い共通の悩みだったんだな。
「でも店主、食品扱う店やってるなら、ポッチャリの方がいいっすよ」
「……そうか?」
「痩せこけた人がやってる店より、ポッチャリな人がやってる店の方が、
売ってる食べ物が美味しそうに見えたりしません?」
「…………確かに言われてみれば、そうだ」
「店主は今の体型でちょうどいいっすよ。
あまり太りすぎると身体悪くしますからね」
「それに、飛べなくなるしな――あっ、兄ちゃんすまん」
「いいっすよ、気を使わなくたって」
「…………。」
「…………。」
「……兄ちゃん、やっぱ一張羅は――」
「買えないっすよ……それに、今はそれどころじゃないんで……」
「なんだ、悩みでもあるのか?」
「あらっ、誰かと思えばコウさんとルーさんじゃない!」
声がしてその方を向くと、
姉さんとその長男長女が大小それぞれの布袋を抱えて立っていた。
子供は身体の割には大きな袋を抱えながら俺のことを指差して、
あの羽なしのお兄ちゃんだ、と姉弟で丸聞こえのヒソヒソ話をし始める。
それにしても、この店主の名前はルーっていうのか。聞き慣れない名前だな。
「何すか、その布袋」
「買い出しよ、買、い、出、し。
今日の営業に使う食材、お得意さんから仕入れてきたの」
「へえ、君達はお母さんのお手伝い? 雨降ってる中、偉いじゃないか」
店主改め、ルーは体を屈めて子供達に話し掛ける。
褒められた子供はんふふ……と袋の横から無邪気な笑いを見せた。
「それにしても、コウさん、ルーさんも、うちの店に何か用?」
「リンのことでちょっと相談したいことがあって」
「リン…………ああ、ずっと追い回されてたっていうあの子ね。
あの子がどうかしたの?」
「リン、あの時姉さんの店で寝ちゃったじゃないですか」
「ええ、寝てたわね」
「……あれから寝たっきり、一度も起きて来ないんすよ。
何度揺さぶっても、何度大声で呼んでも、
まるで冬眠でもしてるかのように、深い眠りについたままで――」
それを聞いた瞬間、姉さんの顔色が豹変した。