第5話-A21 Lost-311- 今されたキスは誰のキス?
ここでちょっとしたフラグが発生したりしなかったり……
とりあえず週1更新のペースは守られていますね(危なっかしい)
リンの身体を乗っ取った神使とおぼしき人物は、
周囲の叫びがまるで聞こえていないかのように平然としている。
俺には神使がどういう意図を持って行動しているのか、理解に苦しんでいる。
というか、俺も疲れてんだ……事の展開が早過ぎる。
少しぐらい休息を挟んでくれたっていいだろう?
この地獄の様相を呈した居酒屋で、俺は一体何をすればいいのか。
どんな行動をすればこの状態を脱出できるのか。
……分からん。
ただ一つ確かな事は、俺はなす術もなくうろたえているという事だけだ。
「優しい人……特別に教えてあげる、彼女の気持ち」
リンは俺の頬に触れていた手をゆっくりと首筋へと回し、ぐい、と俺を引き寄せた。
その直後、俺のの頬に柔らかくて温かい何かが触れた。
それは紛れも無く、キス。
ていうかファーストキス持っていかれ……
いや、確か俺のファーストキスの相手は黒板だったか……
音楽祭の記憶が一瞬走馬灯のように浮かんだが、今はそれどころじゃねえ、と頭を振った。
「神使さんよ……もう、人を苦しめさせないでくれ。
俺が悪かった。俺がリンに自分の正体を言わなけりゃ良かったんだろ?
言わなけりゃ、ここに居合わせた人を苦しめさせることはなかったんだろ?」
俺が正体をばらさなけりゃ、リンは神使と繋がることはなかったのではないか?
俺が異世界人だと言ったばかりに、
結果として姉さんやこの居酒屋に居合わせた人がこんなに苦しむことになったのではないか?
俺はリンの下で働くことになった時、
長い付き合いになるかもしれないから、
自分のことをよく知ってもらわにゃならんと思ってそのことを言った。
だが、神使にとって、その情報が広がるのは好ましくないことだった。
だから、リン以外の人物にその情報が広まった時、
神使はその情報を知った人物に、
これ以上情報が拡散しないよう、制裁の意味で苦痛を味わせているのではないだろうか。
「違う……知りすぎはよくない。
でも……無知もよくない。
私は……ただ、秩序を保っているだけ。
あなたは、優しい人。悪くない」
始めて神使がまともに喋った。
俺は頭痛に悶えていた人達の声が止んでいることに気がついた。
死んだのか?
いや、みな息はしている。生きている。
「神使、一体何をした?」
「記憶を消しただけ。他には何もしていない」
「記憶を……消す?」
「知ってしまっても、忘れてしまえば知らないも同じ。
人間を見守るのが、私の仕事。必要になれば手を出す。ただそれだけ」
「…………。」
「仕事は終わった。身体は“彼女”に返す。彼女に伝えて。『ありがとう』」
その途端、リンのバランスが崩れ、椅子から落ちそうになる。
俺はあわてて身体を支える。
……ったく、神使はただ仕事をしに来ただけだったのかよ。
というか、借りたならきちんと元に戻すとかして、きっちり後始末ぐらいしてから帰れっての……
リンは、寝息を立てていた。
俺はリンが起きる前に寝ていたように、カウンターに伏せさせた。
「……あれ?」
姉さんが起き上がった。
「なんであたし、こんなとこで寝てたんだろう? って、お客さん!?」
姉さんは床に倒れている客を見るやいなや、
大声を上げてカウンターを飛び越え、その客達の安否確認を始める。
「全員大丈夫みたいだけど……ちょっとあんた、うちの店で何があったの?」
姉さんが俺に向かって緊迫した様子で俺に聞く。
これが神使の仕業だとは……言わない方がいいだろう。
それを言ってまたリンが「知りすぎ」とか言って起き上がってきたら洒落にもならん。
「さあ……俺も気がついたら床に倒れていて――何が起きたのかさっぱりっすね」
「そうなの……
ああ、なんかちょっと頭が痛いわ……やっぱり風邪かしら?」
姉さんは手を額に当てて、熱はないみたいね、と言う。
それから七人の少女をはじめとする客達が続々と起き上がり、同様に軽い頭痛を訴えた。
まあ、殺されなかっただけマシか。
しばらくはなぜ床に倒れ伏していたのか、みな不思議そうにしていたが、
この店の中にその答えを知る者がいないと分かると、店内は再び賑わいを見せはじめた。
「姉さん、一つ聞いていいっすか?」
「ん、何か?」
「俺の“名前”、知ってますか?」
「いや、知らないわね。名乗られた覚えもないし……」
「姉さんは床に倒れる前の記憶、どこまで残ってます?」
「記憶?」
「ええ」
「えーっと、確か――あなたが帰ってきて、
お父さんに料理7人前を頼んだところまでは覚えてるけど、
そこから先は全く覚えてないわね」
「そうですか、やっぱり」
「それがどうかした?」
「い、いや、なんでもないっす。
ただ、俺も姉さんと同じところで記憶が途切れてたので、不思議だな~なんて」
「そう……」
姉さんはいったい誰の仕業かしらと首を傾げた。
まあ、考えるだけ無駄なのだが。
しばらくすると、例の料理7人前が出てきた。
カウンターに座る少女達の前にそれが置かれたわけだが、
誰一人としてそれに手を付けず、
その代わりに俺の様子をうかがっている。
「ん、どうした?
早く食わねえと、冷めちまうぞ」
「本当に、いいんですか?」
少女の一人が申し訳なさそうに聞く。
それはほかの6人の気持ちを代弁したものでもあるのだろう。
「遠慮はいらねえから、さっさと食っちまいな。腹減ってんだろ?」
そう言うと、ゆっくりと手にナイフとフォークを手に持って、料理をそっと口に運ぶ。
一口。もう一口。またもう一口。
食べるのに比例して、少女達の目に涙が浮かんできていた。
よほどつらい思いをしてきたことが、それを見れば一目でわかった。
いや、マジでよく耐えたもんだよ。
女は強いというが、それは間違いではなさそうだ。
……さてと、そろそろ俺は帰らにゃならんな。
花屋のこともあるし。
結局リンは食事は食べずじまいになってしまったが、それは仕方ないだろう。
「姉さん、ご馳走様でした」
「あら、もう出ていくの?」
姉さんは食事中の少女たちを見ながら答えた。
その寂しげな目線を見ていると、少女だからとか、そういうやましいのは抜きにして、
やっぱりこのまま放っておくのはどうかと思った。
「そうっすね、自分の都合を優先するのは無責任っすよね……
やっぱ、最後まで見届けることにします」
「その方がいいと思うわ」
彼女達全員の食事が終わると、
俺はリンをまた姉さんに預けて、彼女達を連れて警邏隊本部へと向かうことにした。
俺は本部へ行くのは面倒くさいし、
何より誤認逮捕されたこともあって、気乗りしなかったが、
警邏隊も彼女達から聞きたいことがあるはずで、というか事情を聞かなきゃならない。
そういうこともあるし、それに彼女達のうち誰一人として警邏隊本部の場所を知らないということも、
俺が渋々警邏隊本部へと足を運ぶ理由にもなった。
はあ、マジ疲れる。
やっぱ余計なことには首を突っ込まないほうが良かったぜ……ホント。
そういえば、神使が言っていた“俺に好意を寄せている彼女”って、結局誰?
俺は警邏隊本部への道を少女7人の隊列の先頭に立って誘導しながら考える。
脳内に該当する人物はいないのだが……
同じことをされた時、
世の中には該当する人物が多すぎて判らない奴もいるんだよな、多分。
あー、羨ましい。俺には一生縁のない話だろうけどな。
で、俺に好意を寄せている人物とやらは一体誰だ?
俺も男である以上、そういう恋愛話には多少なりとも、いや、正直ものすごく興味がある。
他人の話なら誰だろな、ぐらいの軽いノリで聞き流すこともできるのだろうが、
俺のこととなると話は別ってもんだ。
自分の好意を寄せている人物がいて、それが全く気にならない奴がいたとしたら、
そいつはよっぽどモテ過ぎていて、そういうのは「初心的な感覚」でしかないのだろう。
……なんか考えるだけで腹が立ってきた。
世の男性諸君は俺のこの心情をを分かってもらえるものだと信じている。
まあ、好意を寄せているということは相手は俺の顔を知っているわけで、
そう考えると人物は自然に限られてくる。
見ず知らずの女性が俺に好意を持っているとも考えることができるが、
そんなことを考えていたのではキリがない。
該当しそうな人物を洗い出してみよう。
俺に高価な魔法書をくれた書物屋のおばさん。
……これはさすがに年齢差がありすぎる。俺の年齢差フィルターによって一発で除外。
あのおばさんが俺に恋愛感情を抱いていると、
おばさんには済まないが、想像するだけでおぞましい。
では、今俺が誘導している7人の少女のうちの誰かなのか?
ううむ……彼女らとは会って間もない。一目惚れの可能性もないわけではない。
だが、人間は第一印象は出会った時のほんの2,3秒という一瞬のうちで決まってしまい、
それを覆すには時間がかかるという。
元いた世界の学者らが発見したこの理論がこの世界でも通用するかは分からないが、
もし通用すると考えると、
彼女達との出会いは、俺が「彼女達に危害を加える側」の人物として演じていた時である。
そうすると彼女らの持つ俺の第一印象は当然「危険人物」であり、
彼女達の頭では俺のそれが演技だったと分かっていても、その印象が簡単に書き換えられることはない。
もしかしたら、彼女達の中には、自分には分からない深層心理の中で
「今誘導して歩いているのも演技で、
私達を目的地とは違うどこか別の場所に誘導して危害を加えるかもしれない」
という恐怖心を持っているかもしれん。
というか、第一印象がそんなものだから、理屈的にはそうなってもおかしくはない。
つまり、短時間で俺に好意を持つためには、第一印象が好印象でなければならない。
この理屈からいくと、
今俺の後ろについてきている少女達が俺に恋愛感情を抱くことはないと考えた方がいい。
当然だ。
この二つの条件をクリアしてそうな人物に居酒屋の姉さんが挙げられるが、彼女は既婚者で子供も二人いる。
俺に恋愛感情を抱いていたとしても、そういう不純な愛はお断りさせていただく。
結婚したからには夫一筋で生きていてほしい。
そういや、この世界に来て出来た親しい人物って言ったら、リンしかいない。
ということは、まさかリン!?
い、いやぁ、まさかそりゃないぜ。
リンは俺を居候させている所謂大家であって、俺の雇い主でもある。
まさかリンが俺に好意を寄せることなぞあり得ん。
じゃあ、誰?
リンを除外して考えようとすると、該当人物がいなくなっちまうから困る。
……やはりリンしかいないのか。
リンが俺のことをそう思っていたとは……意外だ。
警邏隊の本部の建物前に到着した頃には、
太陽が明るく地面を照り付け、通りに人もちらほら見えるようになってきていた。
遠くのイーカ教会の塔の上部に備え付けられた大時計(こんなところに時計があるとは知らなかった)は、
午前7時を知らせている。
「それじゃ、俺はここまで送ったわけだし、あとは警邏隊の指示に従って行動してくれ」
「あの……本当に、ありがとうございました」
少女の一人がそう言って頭を下げると、それにつられるようにして全員が頭を下げた。
まあ、くれぐれも出頭と勘違いされて誤認逮捕されないように気を付けな。
そんな勘違いするような目と耳が節穴の警邏隊員はおおかた解雇されたと思うが。
少女たちが警邏隊本部の建物へと入っていったのを見届けると、俺は居酒屋へと足を向けた。




