第5話-A19 Lost-311- 見張りの男
「……ふう、やっと見つけた」
地下への入口を探して迷宮のような屋敷を歩くこと約20分。
時計を持ってないから、どれぐらい経過したかは正確には分からん。
体内時計ではそれぐらいかなという感じであるが、
廊下の窓から見える外の景色を見れば、まあそれぐらいの時間が妥当だろう。
で、今俺の目の前には一階から下へと続く階段があるってわけだ。
この屋敷自体既に廃屋敷と化しているため、足元にホコリがかなり溜まっていて、
俺が歩くごとにそいつが舞い上がって、喉と鼻を過剰に刺激し、地味に俺を不快にさせた。
「さてと……行くかな」
やっぱ警邏隊に任せた方がら楽だったかなとか、今頃になって後悔している俺だが、
もうそれはいくらわめいても後の祭り。
ここまで来ちまったんだから仕方ない。
こんな所、用はさっさと済ませて出て行くべきだ。
ここに長時間いたら肺炎にでもかかりそうだし。
この世界の医療レベルがどれぐらいかは知らんが、とにかく病気になるのだけは避けたい。
薬屋の機能付きの花屋があるぐらいだから、ある程度医療系は発達していると見ていいが、
どこまで発達しているかは不明だ。
信頼してないわけじゃないが、安易にこの世界の医療に頼るわけにはいかない。
地下への階段に足を踏み入れると、
地面にホコリがより一層分厚く積まれているのが足元の感覚を伝ってよくわかる。
音を立てて、いるかもしれない見張り役に気づかれてしまわないように、
そっと下りるよう心掛けているのだが、この世界の靴底は木で出来ているため、
どうしてもコツコツと足音が鳴ってしまう。
隠密行動をするなら靴を脱いで移動する方がいいのは分かってはいる。
だが、この足元のホコリの貯まり具合を見ると、どうもそうする気が起きない。
階段を下り切った場所から見える地下通路は真っ暗闇で、ひんやりとしていた。
俺の目が読み取ることが出来る情報の範囲は、俺の手元にあるランタンの光の届く範囲までしかない。
通路がこの先どこまで続いているのか、どのような構造になっているのか、
先が見えないため全く見当が付かないが、
この様子を見ると、まず地下には誰もいなさそうだ。
誰もいない、というのは敵が、ということであって、監禁されている人がいない、というわけじゃない。
「ここから先は少しぐらい気を抜いてもいいだろうな……」
あまり張り詰めすぎるとおかしくなりそうだ。
しばらく前に突き進んでみる。
というか、曲がり角も十字路とも遭遇することなく、
ただひたすらに真っすぐ延々と続く道を歩いているわけで、突き進む以外方法がないと言った方が正しい。
この地下構造を考えると、この通路は地下室への通路じゃないような気がする。
そうだな……これは屋敷本体とは別の建物に移動するための連絡通路か何かかもしれん。
誰が建てたかは知らんが、ごつい屋敷を建てるぐらいの財力のある人間であることは確かだ。
地上には花と緑の溢れる庭園を広げ、
屋敷と別の建物を繋ぐ通路は実用性を考え、
雨天時でも使用できるように地下に建設した、と考えるならばこの直線的地下通路も合点がいく。
コツコツと足音を響かせながら、
俺もこれぐらいの屋敷を建てるぐらいの巨額の資産を、
一度は手に入れてみたいものだ、などと敵がいないことをいいことに、
余裕しゃくしゃくで煩悩思考を巡らせていると、目の前に上へと続く階段が現れた。
後ろを振り返ってみると、俺が今まで歩いてきた道は暗闇へと続くばかりで、
下りてきた階段は当然だが見えるはずはない。
「ふう、終点か……」
一人になると独り言が増えるというが、それは間違いではないらしい。
現に俺はさっきからどうでもいい独り言を連発している。
階段を見上げると、どうやら階段の先は踊り場になっているようだ。
「うっし、行くぞ」
筋肉痛の身体に鞭打って、在庫僅少の精神力に火を付け、剣を持ち直す。
いや、俺みたいな凡人はこんなことするもんじゃないぜ、ホント。
体力的にも精神的にも疲弊するし、なによりもこんなことしても特に利益がない。
確かに周囲からは英雄扱いされたり、優遇されたりするかもしれんが、それは一時的な話。
国を滅亡の危機から救ったとか超人的偉業を成し遂げたなら話は別だが。
って、こんなことを考えてる俺って、相当現金な奴だな。いやらしい。
まあ一つだけ確かなことを言わせてもらえば、
こんなことをやっている俺はかなり運がいいからとんとん拍子で話が進んでいるわけで、
普通はこんなことしたら即敵に見つかって縛り上げられて拷問決定だ。
精神的に拷問をかけたいのならば相手を独房にぶち込んでおくのがいいらしいが……
って、なんか話がアヴナイ方向へ逸れたな。
うんちく話はさておき、まあ階段を上ろうじゃねえか。
「…………。」
なぜか俺の踏み出そうと上げた一歩目の足が異様に重い。
心の奥底で、暗闇の中突然現れた階段という環境の変化に怯えて、
これ以上先に進みたくないとでも思っているのだろうか。
ここまで来ちまったんだから進まねえと話も進まねえだろうが、俺。
こんな所まで来て怖くなって逃げ帰って来ましたとか、とんだ笑い者だ。
周囲からタマなし野郎と(実際のところそうなのだが)高い評価を受けること間違いなし。
誰も「助けに行こうと思っただけ立派ですよ」などと声をかける人はいないだろう。
何せ、自分からしゃしゃり出たんだからな。
あー、余計な意地を張らず、浩然たる態度を示して警邏隊に任せた方が良かったかもしれん。
重い一歩目を階段に乗せ、踏み締め、次の一歩を繰り出す。重い。
剣を持つ手に無駄な力が入る。
気休めにしかならないが、ふう、と小さくため息をついて気を落ち着かせる。
よくよく考えれば、俺って今、独房にぶち込まれるより辛い経験してねえか?
暗闇の中で単身、敵の敷地へ潜入し、監禁されている人を助け出す。
どっかのゲームでありそうなシチュエーションに置かれていながら、
正気を保っている俺は意外にもタフなのかもしれん。
……ただ単に疲労と緊張で心が麻痺してるだけ、ということも考えられるが。
もう一度ため息を吐いて、気を落ち着かせ、ゆっくりと階段を上っていく。
「…………!!」
階段を登り切った俺の目の前に踊り場に置かれた木箱に座る一つの影を見つけ、ドキリ、と心臓が一段と高く鳴った。
うっわ、マジ危ねえ!!
見張りらしき男が寝てんじゃねえかよ!!
今のため息とか聞かれてたら、笑い事じゃ済まされねえぞ!
いやに体格のいい男の先には一つの鍵穴のついたドアがあり、男の腰にはいくつかの鍵がぶら下がっていた。
俺は階段を下りて一時撤退し、混乱しかけの脳を冷却させる。
落ち着け、まずあのドアの向こうには監禁されている例の七人がいると思って間違いない。
そしてあの男は脱走の見張り役、ということだ。
幸運にもあの監視役は寝てしまっている。
こういう時はやっぱ男の腰から鍵を盗んでそっと解錠して逃がす方法で……ってレベル高けえな、おい。
そんな作戦、男が相当鈍くねえと出来ねえぞ。
とりあえず、五人衆を倒したあの戦法を使うか。
例の首に睡眠薬を注射するやつ。
速攻でこっちから奇襲をかけりゃ、相手もなす術なし、というわけだ。
あん時は一度に複数人を相手にせにゃならんかったから速攻は失敗したが、
今回は一人、しかも相手は寝ているときたもんだ。
難易度は確実に下がっている。
そうとなれば早速準備だ。
剣を収納し、吹き矢に睡眠薬を仕込み、それを手に持つ。
吹き矢の針は五人衆と戦った時に使った使用済針だが何か?
バイオハザード? んなこと知ったこっちゃねえ。
どうせこのあと御用になる訳だし、何かあったらどうにかしてもらえるだろ。
それより自分と監禁されている七人の身の安全の方が大事。
そっと階段を上り、男に近づく。
首に針を刺そうとしたときだった。
「ん……? お前、誰だ?」
……普通に見つかった。
重たそうに目を開けた男に、俺は驚いて刺すタイミングを失ってしまった。
何という不運。俺には潜入能力みたいな特殊能力はないのかね?
存在感の薄い零雨ならたやすくミッション成功だったろう。
それよりもこの状況をどうするかだ。
男が針を見つける前に、さっと手を後ろに回す。
「え……あ、ああ、俺はコウっていうんだ。
レンからコレクションの七人を連れて来いって言われて来たんだが……」
咄嗟に思い付いた嘘。
五人衆の一人のレンの名前が出てきたのは本当に幸運だった。
男はレンという言葉を聞いて安心したらしく、親しげに話し掛けてきた。
「……新入りか? 俺の名前はアッシュ、よろしく頼むぜ?」
握手を求められ、利き手に持っていた針を背中で持ち替え、握手。
犯罪者相手に何やってんだ、俺。
「ああ、よろしく」
「お前、どうして俺達の仲間になったんだ? 親睦ついでに聞かせてくれよ。
俺はあれだ、遊びに明け暮れてたら偶然レンに会ってな、
『一対一で遊ぶのは飽きただろ?
俺ら、もっと楽しい遊びしてっから、お前も俺らの仲間になっちまいなよ。
生活も保障してやる』って言われて、入った」
「俺は……街でナンパしてたらレンに『面白いナンパをするやつだ』って気に入られて」
俺はどっちかというと硬派な方で、ナンパとは無縁の人生である。
「ハハハ、そうか、お前もレンか」
「それにしてもレンの奴、人使いが荒いのは相変わらずだな」
アッシュという男はそう言って笑った。
俺も笑っている顔を作ろうと表情筋を動かすが、笑っている顔が作れたかどうかは分からない。
だが、男はそんな俺の一時取り繕うための応急処置的な嘘を簡単に信用してくれたらしく、
うーん、と背中と翼を伸ばして身体をほぐすと、腰の鍵を持ち出し、それを鍵穴に突っ込んだ。
七人を出してくれるらしい。
俺は今まで円滑に物事を進めることができたことについては繰り返し強調しているが、
今回ばかりは俺一人ではうまく行くわけにはいかないことに気がついた。なにか?
ハッキリ言わせてもらおう。
俺はどうやってここまで来たのか、まったく覚えていない!
つまり、ここでアッシュから七人の被害者を救出することはできても、
地下通路を抜けた先にある迷宮屋敷から全員無事に脱出・逃亡できるという確証は、ない。
今ここ俺の手中にある針でアッシュを刺してもいいのだが、
ここで倒してしまうと、この屋敷の構造を知っている唯一の情報源を断ってしまうことになる。
「おら、お前ら、レンがお呼びだ、ついて来い!!」
俺への態度とは打って変わって荒々しい口調で呼びかけるアッシュに、俺は思わずびくついた。
本性のチキンっぷりが一瞬あらわになった形だ。
ああ、あの屋敷のトイレ見つけたとき、ちゃんと用を足しときゃよかった……
「え……えっと……「ゴタゴタ言うな!! 全員だ全員!! 分かったらおとなしくついて来い!」」
アッシュの命令に従って、監禁部屋からおびえた格好で次々と寝起きの少女が出てくる。
こいつら、若い女性ばかり狙って……卑俗な野郎だ。
今目の前で起きている犯罪行為に目を背けたくなるが、
現在アッシュの仲間ということでやらせていただいている手前、そこら辺の感情は押し殺さねばならない。
監禁されていた少女達は皆顔立ちも良く、垢抜けてはいるが、服はいたる所にほつれがあり、
食事も十分に与えられていないためか、揃って顔がげっそりと痩せている。
出てくる少女達は皆見慣れない顔の俺を見つけると、寂しさと落胆、恐怖を含んだ、絶望的な表情を見せた。
その表情は俺の腐りかけの心を動かすには十分すぎた。
「コウだったか、行くぞ」
「お、おう……」
俺がランタン片手に隊列の先頭にいるアッシュの隣に立つと、彼は首を横に振った。
「そうか、新入りのお前には分からねえんだよな。
いいか、“コレクション”の輸送方法は、監視役が二人の場合は先頭に一人、しんがりに一人だ。
コレクションを挟んで脱走を防ぐ形だ、覚えておけ」
「は、はあ……」
「ま、今回は俺が先頭に立とう。
この敷地に詳しい先輩が誘導してやる」
アッシュはそういって、俺からランタンを取り上げると、俺を最後尾に並ばせた。
どうせエスコートしてくれるなら屋敷の出口までエスコートしてほしいものだ。
「で、コウ。レンはこいつらをどこに連れて行けと言った?」
あ……そこまで考えてなかった。
やべ、行き先はどこにすればいいのだろうか?
「え……えっと……確か……え、エントランス、だったかな?」
「エントランスだぁ? ……はあ、レンの考えてることはわかんねえよ」
「コレクションにもたまには日光浴させねえと病気になるとか……言ってた」
「……チッ、まあ、仕方ねえ、ボスの命令は絶対だからな」
「レンがボスだったんすか?」
「お前、ボスが誰かぐらい覚えておけよ……ったく」
「……すみません」
それからしばらくアッシュとギコチナイ会話をしながら屋敷の中を歩き回った。
だが俺が実は単身敵地に潜入した工作員だということがバレやしないかと、
そっちばかり気になって話の中身はほとんど上の空、何も聞いていないに等しかった。
「ほらよ、ここがエントランスだ」
そして気がつけば、エントランス。
アッシュは俺に背を向け、ドアを蹴り破られたエントランスから見える暁の空を眺めてため息をついている。
「こんな早朝にコレクションを集めて、レンは何しようってんだ、まったく。
……コウ、そういやレンたちはどこにいるんだ?
夕べから出て行ったっきり姿を見てないが……うぐっ!!」
ここまで来ればもうアッシュは用済み。よって、たった今俺が針を刺させてもらった。
アッシュの首筋に、プスッと睡眠薬。
それを見た少女達が口々に小さく悲鳴を上げた。
アッシュは背後から俺に押し倒されて地面に横たわって、俺をにらみ付ける。
「コウ……お前、裏切ったな……」
「まあな。素人にしちゃ、なかなかの名演技だったろ?
あ、あと、お前の今の質問、ここまで誘導してくれた礼に答えてやる。
お前の仲間は今、警邏隊に身柄拘束中だ。仲間の始末は俺が誠意を持ってやらせてもらったぜ」
「……始末? ……お前、何者だ?」
「うーん、強いて言わせてもらうならば、『しがない花屋の店員』ってとこだな」
こいつ、針を刺されて弱ってきたのは確かだが、なかなか眠りに落ちない。
刺すとこミスったか?
まあ、薬は効いてきてるみたいだし、しばらく放置すりゃ勝手に寝てくれるだろう。
「ああ、それとアッシュ。一つ忠告しておくことがある。
実はだな、悪いが今俺がお前に刺した針、これお前の仲間に刺した針の使い回しでね、
針に付いていた血液経由で感染症とかがうつったかも知れねえんだよな。
体調が悪くなったらそん時はそん時で。
一応俺から餞別のエールを送っておく。『頑張れ』」
相手を倒したことで緊張がほぐれ、勝ち鬨を上げんと言わんばかりに
やたらとアッシュのことをボロクソにけなした俺は、開放感に満ちていた。
ようやく大仕事が一段落したぜ。
改めてアッシュの顔を覗いてみると、それは既にただの寝顔と化している。
うし、あとは、脱出するだけだ。
俺は立ち上がって、呆然と立ち尽くしている少女達に目を向ける。
彼女達は俺を怖がってか、目を合わせようとしない。
こいつらにかかった恐怖による心理的束縛を開放してやらねえとな。
「さてと、お前達。
今の会話を聞いてくれたと思うが、監禁上等の変態野郎はこの通り、俺が始末させてもらった。
と、いうことはだ、もうお前らを監視する奴はもういねえってことだな。
そういうわけで、お前らは自由だ」
俺がそう告げると、少女達の顔がじわりじわりと実感を伴って明るくなっていく。
「でだ、ここで解散としてもいいんだが……腹へってねえか?
飯代は俺が奢ってやるつもりでいる。シャバの食いもんタダ食いしたい奴は付いて来い」
☣注意☣
使用済みの注射針を使いまわすのは細菌感染などの恐れがあり、非常に危険です。
絶対にしないでください。
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現在、新第1話の作成を同時進行で行っているため、更新間隔が伸びることが予想されます。
しばらく更新がないように見えても、作者側では必死こいて執筆しているので、ご了承願います。
遅くとも、週に一度のペースで更新する予定です。