第5話-A12 Lost-311- リンは何者?
今回はちょっと短いですが、大切な話だったりします。
「やっと一段落したな」
「ちょっとお茶でも飲んでゆっくりしましょうか」
それから約二週間後。
俺は朝のラッシュを共に戦ったリンと、
会計のカウンターに行儀悪く腰掛けながら、どこにでもありそうな平穏な会話をしていた。
「お客さんも知ってる顔が増えてきたし、ある程度常連さんはついてるみたいですね」
少しして、二階の台所から降りて、お湯を沸かしているので待っててくださいねとリンは言った。
「どうも」
価格改定してから日が経つにつれて、
“安価で良質な花を売る店”として評判になりはじめ、店を開ける前から人が並ぶようになりだした。
花屋は開店前から人が並ぶのがこの世界では普通だという。
価格改定した初日こそは俺もリンもその人の多さと迫力に驚いたものの、
二週間も経つと、だんだんこちらも慣れて、手際良く作業できるようになってくるというもので、
一人当たりの会計の時間も徐々に短くなり、
最近では、行列をさばき切るまで一時間かかっていた初日の、
約半分の時間でさばき切れるようになったのは、そのいい一例である。
だが、この店に朝から人が押しかけるのは、それだけの理由ではないらしい。
その理由というのが、まあ、俺なわけで。
つまり端的に言うと、俺の黒目黒髪翼なしの特異な外観を一目見ようと、
花を買う素振りをしながら、チラチラと俺を観察しに来るってことだ。
会計だって、俺とリンが二人並んでやっているのだが、
花の美少女(俺認定)であるリンよりも、
俺の会計の順番待ちの方が明らかに多いのが、それを決定づける証拠だ。
もちろん、観察される側になってしまった俺としては、
前から何度も言ってるが、いい気分ではない。
しかし、俺がいるから普通の店以上に人が集まり、
みんなが花を買っていくというメリットがあるという事実を考えると、
これもやはり我慢しなくてはいけないことなのだろうと俺は諦めている。
というか、ジェイミーとかいう奇妙な奴が、俺をエリア311に転送しなければ、
いや、俺がPCゲームをやろうなどと思わなければ、
いや、そもそもそれ以前にジョーがPCゲームにハマッてしまわなければ、
俺はこんなファンタジー全開な世界の中で花屋をやることはなかった。
もともとこんな異世界に転送されるという、
世間的に大惨事と呼べるような事態になるのには、
made by零雨と麗香の闇改造PCが必須だったことを考えると、
零雨と麗香の存在も必須条件だ。
そう考えると、俺がここにいることは様々な複合的な条件が重なった、
それこそ奇跡だという解答が俺の脳が算出したように、誰の目にも明らかなはずだ。
ステージ25から離れ、ここで暮らすようになることが俺にとって良かったのか悪かったのか、
この世界に来てはや一月が経とうとしている中で、次第に分からなくなってきているのは確かだ。
ここの生活にも本格的に馴染んできたし、
そろそろ俺もこの曖昧な気持ちに決着をつけなきゃならんだろう。
確かにここにはテレビもパソコン(あることはあるが……)もない。
だが、ここでのリンとの比較的平穏な生活は、ジョーやジェイミーなくして有り得なかった。
ここで中間試験があーだこーだ、大学受験があーだこーだと騒がれる事なく、
暇になれば魔法書を読んだり、空の雲の形が変わっていくのをぼんやりと観察したりと、
俺の理想だった自由奔放ゆったり生活が、ここではほぼ実現できているのだ。
これは俺の中ではポイントが高い。
しかし、元の世界にいるジョーやチカ、匠先輩、そして零雨と麗香の顔が見られなくなるのはデメリットとしては俺的にはあまりにも大きすぎる。
トラブルに巻き込まれてばかりいたが、それでも元の生活を手放したいとは思わない。
この世界で死ぬまで暮らしていくことを決意すること、
それは故郷を手放し、友人を捨てることを決意することを意味する。
そんな決断は、チキンな俺には到底出来ない。
甘えた野郎だと、俺は心の中で盛大に自嘲する。
俺は結局故郷という母体からいつまでも離れることの出来ない人間なのか、と。
しかし、もう一人の自分は重大なことに気がつき、それは違うと言う。
俺は本当はここにいるべきではないのだ、と。
“俺は零雨と麗香の管轄下にあるべきで、ELVESの管轄下にいてはならない”
問題は俺がどうこう感じているとか、そんな小さなものではなかった。
俺がこの世界にいることで、世界全体に悪影響を及ぼしてしまうのだろう。
どんな悪影響かは俺のクルミのような軟弱脳では想像することも出来ないが。
麗香は常々、この世界は言うところのコンピューターによるシミュレーションだと言っていた。
確かなんたらキューピッドの量子コンピューターとか。
キューピッド……あれ、そんなファンタジーな単位だったか?
まあそんな細かいことはどうだっていい。
(正しくはqbit)
とにかく、この世界はシミュレートされている。
そこに、想定外の存在、つまり俺が混じってしまった。
俺は……つまり……その……認めたくはないが……この世界では取り除くべきバグなのだ。
だから……俺はここにいてはならない。
「コウさん、どうしたんですか?」
声にはっと我に返ると、心配そうに顔を覗き込むリンがいた。
「さっきから頭を抱えて……悩み事ですか?」
「まあ、な」
「あまり悩みすぎると、身体にも悪いですよ」
「そうだろうが、人には大なり小なり、悩みを一つは持ってるもんだろ」
俺はそういうと、髪質で常に悩んでいたチカのことを思い出した。
あいつ、今頃何してるんだろうか。
俺のこと、捜してくれているのだろうか。
いや、それ以前に俺が失踪したことで警察をも巻き込んで大騒ぎになっているだろう。
もしかしたら大々的に捜査本部とか設置されて、メディアもそれに乗じて騒いでるかもな。
見出しはこうだ。
≦高校二年男子、密室で失踪?≧
“X月X日、良条高校に通う高校二年生の足立光秀(16)が突如として失踪した。
失踪の瞬間、同クラスの女子生徒と通話していたが、突如通話が途切れ、
その後何度電話しても通じず、不審に思ったその女子生徒が失踪者宅のマンションを訪問するも、反応はなかった。
部屋は争ったような形跡はなく――”
零雨と麗香なら自分達の素性がばれないよう、このように行動するはずだ。
そして、自らも俺を捜しに例のチート能力を使って世界中をくまなく捜索する。
ここにいる俺を見つけられるかは非常に疑問だが。
「それもそうですが……コウさんの場合はなんというか、深刻な感じがするんです。
……お茶、冷めちゃいますよ」
「ああ、悪いな」
俺は慌てて既に出来上がりって人肌の温度までぬるくなってしまっていたお茶を啜る。
この世界のお茶は葉っぱからではなく、花から作るらしい。
だから、この茶は緑色でも赤色でもない。
色は何を茶にするかによって変わるが、今回の場合は薄い紫色をしていた。
初めて茶を飲んだ時、元の世界では茶番から茶を作っていたとリンに言うと、
そんな青臭そうな飲み物はなんか嫌ですね、と苦笑いしてた。
「悩み、聞いてあげますよ」
「いや、これは誰にも言えない悩みだ。
言ったら……恐らく俺もお前も危険に晒される」
「……?
どういう意味ですか?」
「“消される”ってことだ。特に俺が」
「消される……?誰にですか?」
「それは言えない。
言った時点で危険に晒される」
難解そうな顔をして俺を見つめるリンだが、
どうしてELVESに消されるかもしれないなどとと言える?
零雨と麗香は世界の管理人であり、その存在を隠している。
同じように素性を隠しているであろうELVESにとって、
俺からその名が出ることはおもしろくないはずだ。
「それは……どうしても言えないことですか?」
リンの声には少しためらいがあった。
だが俺はリンを余計なトラブルには巻き込みたくない。
「逆に聞こう。命をかけてまで俺の悩みを聞きたいか?」
「そこまでは……」
「なら首を突っ込まないほうがいい。
ただ、一つだけ言うなら、俺はいつ消されてもおかしくないということだ。
世界の秩序を乱す元凶としてな」
「そこまで分かっているなら、私は聞きません」
リンの言葉はさりげなく、自然だった。
恐らくボーッとしていたら聞き流してしまったであろう。
“そこまで分かっているなら”……それはリンが何かを知っていなければ絶対に生まれない言葉だ。
だが、リンは俺が異世界から来たことしか知らないはずだ。
リンに顔を向けると、どこかと奥を見るような目つきで外の通りの人通りを眺めていたが、
リンの周囲にまとうオーラは、いつもの丁寧で優しくて明るいものではなく、
ネコの目ように鋭く、どこかに影を感じさせる。
「そこまで分かっているならって、お前、何を知ってる!?」
「さて?どこまででしょう?うふふふふ――」
「……悪い冗談はよしてくれ、俺は真剣に悩んでるんだ」
「冗談、ですか?
私は冗談を言った覚えはありません」
「じゃあお前は俺の何を知ってるんだ?」
「どこまで知っているか、それは秘密です。
……お茶、片付けますね
あと、その悩みに答えるなら、悩んでいるそれを言わないうちは、あなたは大丈夫ですよ。
それを口にしたら、あなたの言う通り、この世から消されるでしょうけど」
「リン……!!」
リンは俺の呼び掛けを無視して、空になったティーカップを二つ、盆に載せると、
すたすたと二階に上がって行ってしまった。
リン……お前は一体何者なんだ?
結局俺に残ったのは、リンが何者であるのかという疑惑と恐怖、
それからこの世界の異物である俺はこの先どう振る舞えばいいのかという不安だけだった。
リン、いつでもいいから、今のは冗談だった、ただの悪ふざけだったと言ってくれ。
しかしその願いも、リンの今の様子を見ているとそう簡単には言ってくれそうになかった。