第5話-A10 Lost-311- レア本!?
最近、思考が浅くて困ってます……
靴屋を出た俺達は、その足で近くの花屋を探すことにした。
そして太陽が45°に傾いた黄昏の景色の中探すことおよそ20分、
ナクルの街のとある大通りの交差点の角という好立地に店を構える花屋を発見した。
「リン、悪いが一人で価格調査をしに行ってくれないか」
花屋に着く手前で、俺は足を止めた。
「えっ、一人で、ですか?」
「ああ」
「せっかくここまで来たのですから、最後まで一緒に行動しましょうよ」
「俺もそうしたいところなんだが、そういう訳にはいかないことに気がついてな。
俺は見ての通り、容姿がこんなだからかなり目立つ。
二人で何気ない様子で店の中に入ったとしても、店の人に顔を覚えられるだろう」
「それが、私一人じゃないとダメな理由?」
「そうだ。
店の人に俺達が同業者だと知られたら、いや、既に知られているかもしれんが、
とにかく価格調査されたとなると、向こうもいい気分にはならないだろう。
こういう類の調査はバレないようにやる必要があると思ってな」
「……分かりました」
「ああ、正確な値段は覚えなくていいぞ。
大体の相場を知りに来ただけだからな」
「ところで、その間コウさんはどうするんですか?」
「ん、俺か?
そうだな、とりあえずこの街をぶらりと散歩でもしておこう。
どこに何の店があるのか知っておいた方が、なにかと便利だろう」
「それじゃあ、私は調査が終わったらその足で家に戻っておきますね。
コウさんは家がどこか分かります?」
「ああ」
「では、ここで一旦解散ということで」
リンは軽やかなスキップで店に向かって行ったが、
途中でくるりと向きを変え、また俺のところに戻ってきた。
「そうそう、これ、好きなように使ってください」
リンが差し出す手には、2000レルが乗っていた。
「そんな金を俺に渡して大丈夫か?」
「大丈夫、問題ないと思います。
なんというか直感的にですけど、コウさんは無駄遣いしそうな人じゃない気がするんです」
そう言ってリンは俺の手を出させて手の平の上にそれを乗せて握らせると、
好きなものを買ってくださいと言って、軽やかな足取りでで花屋に行ってしまった。
2000レル……俺が今欲しいものは数え上げればキリがない。
今着ている服は俺がこの世界に飛ばされる前から着ているもので、
一応洗濯はしているものの、毎日同じ服を着るのは飽きたというか、バリエーションが欲しい。
俺に割り当てられた部屋にはまだ何もなく、
食事やら作業やらが出来る俺用のテーブルとイスも欲しい。
まあ、衣類はどうかは知らんが、家具については2000レルじゃまず買えないだろう。
……。
いや、そもそも現実的に考えれば、
今この2000レルで買わなければならないものは決まってる。
財布。
ハダカの金を手に握ったままあちこち行くわけにはいかない。
気がつかないうちに指の間からするりと落っことすかもしれないからな。
だからまずはこの金で財布を購入するのが先決だ。
「財布かぁ〜、どこで売ってんだろ」
とりあえず俺も歩き出すことにした。
別れる前にリンに財布がどこで売ってるか聞いとけば良かったと内心後悔し、
手の中のお金を強く握り締めた。
街の建物のつくりは様々で、
木を使った建物、石を使った建物、レンガ質の材質が使われた建物などが林立している。
だが、それらは互いに主張し合うこともなく、見事に調和して美しい街なみを作り出している。
その街なみを見ると、俺の口から無意識のうちにため息がこぼれ出た。
「ちょいと、そこの方」
どこからか声がして周囲を声のする方をさりげなく向くと、一人のおばさんが俺を呼んでいた。
どうやら店に閑古鳥が鳴いていて、暇つぶしに客引きをしているらしく、
おばさんが立っている後ろの店に客はいない。
……無視するか?
いや、おばさんの人相を見る限りにおいては悪そうな人ではなさそうだ。
ところで話はズレるが、日本の最高裁判所には剣と天秤を持った女神の像が置かれているのだが、
実は外国の裁判所にも同じ天秤を持った女神の像が置かれている。
その女神の名前は失念したが、
とにかく日本と外国、それぞれの女神像を並べてみると一見同じように見えるが、違っている箇所がある。
“外国の銅像には目隠しがされているが、日本の銅像には目隠しがされていない”
ということだ。
女神が目隠しをしているのは、
その人(被告人)の見た目によらない公平な裁判を行う、ということを意味しているらしい。
実際の裁判でそれがきちんと守られているかは、
特に人種隔離政策が行われていたような国では疑問に値するが、
まあそこは今はメインの話ではないので略。
日本の銅像にわざわざ目隠しが省略されているのは一体何故なんだろうか。
俺にはどう考えても見た目も判断材料に入れて裁判を行うことを宣言しているとしか見えない。
極論を言えば、「お前、凶悪そうな顔してるから死刑」のような、
見た目による判断を日本は推奨しているようにしか。
もしそうでないと日本が主張するなら、銅像に目隠しをつけるべきだと思うね。
――さて、話は戻ってこのおばさんの客引きに乗ってみるか、無視するかの話だが……
そうだな……買うかどうかは別として、乗るだけ乗ってみるか。
店を見る限りここの暮らしも長そうだし、
寄り道するついでに財布がどこで売ってるか、聞き出してみるのがいいだろう。
「うち書物屋やってるんだけどね、新書が入ったからお兄さんちょっと見ていってくださんな」
「はあ、書物、ですか」
「好きな本があれば持ってきてちょうだい。
ここだけの話、値引きしてあげるから」
笑顔のおばさんに招き入れられて書物屋に足を踏み入れると、
本棚から溢れんばかりの本が目に入ってきた。
何も考えずに適当な位置に本が置かれている。
料理本の隣に小説が置かれているようなぐちゃぐちゃな有様だ。
本のジャンル分けぐらいキッチリやれよ……探しにくい。
「――ん」
俺が店の奥の古い本棚の前を通り過ぎた時、偶然に一冊の異常に太い本に目が止まった。
それを手にとって本に付いたホコリを息で飛ばしてみると、
陳列されてからかなりの年月が経っているらしく、紙がかなり汚れて変色している。
この本は魔法のハウツー本らしく、初心者から魔術師まで幅広く使えると歌い文句が書かれ、述べ3000ページほどある。
魔法かぁ……ファンタジーの世界に来たら一度は使ってみたいチートだけど……
この世界の人ならまだしも、異世界人の俺が果たして使えるのだろうか。
ぱらりと中のページを見ると、中の内容については問題はなさそうだ。
だが、もしこの本を買ったとして、結局できませんでしたっ、チャンチャン♪
になってしまえば、それはただのお金の無駄遣いで終わってしまう。
“無駄遣いする人には見えないから”と言ったリンの言葉が胸に響いて、
一度はこの本に興味が沸いたが、買うのをためらってしまう。
財布もまだ買ってねえし。
「ああ、その本かい?」
突然後ろから声を掛けられて、俺は思わずびくついてしまった。
べ、別に本を盗もうとか考えてねえからな?
「その本はねえ、確かに魔法のレパートリーは増えるけど、なにしろ高いからねえ。
この店を開いた時に初めて仕入れた本なんだけど、
結局開店から数十年経った今も売れ残っちゃってるのよね」
「はあ。ちなみにこれはいくらで?」
「十万レルね」
じゅ、十万レル……高けえよ。
俺の換算レートを信用して日本円に単純計算すれば15万円だ。
図書館ならば完全に禁帯出属性の本だよ、これ。
「この店もあんまり流行ってないし、古くなったその本が今後売れるとは思えないしねえ。
……折角だしその本、タダで売ってあげてもいいんだけど」
「えっ、いいんすか、そんなことして。
仕入れるのにも苦労したんじゃ……」
口ではそう言いつつ、俺は
ジャンル分けもまともにせずに本を置いてる書物屋が流行るワケがないと
突っ込みたいのをぐっと我慢している。
「売れそうにない、こんな分厚くて古い本を棚に置くより、その場所に人気の本を置くほうが店としてはいいのは目に見えてるし」
それが見えていてなぜ流行らない理由が分からない!?
「それに、ここでずっと寝かされてるより有効活用された方が、その本にとっても本望だろうしね」
「本だけに……か?」
「気がついた?うふふふふふ――」
書物屋が流行る、流行らないは別として、この話は悪い話ではない。
タダで貰えるんだからな。
本を持ち帰るにしても、今俺の手にはお金が握られている。
もし今受けとって行くにしても、
片手にお金、もう片手に分厚い本は腕が疲れるてもんだ。
お金をポケットに突っ込めばそれで終わりの話だが、
ポケットの中でチャリチャリと音を立てるのが俺には耳障りでどうも気に入らない。
「ところでひとつ聞きたいのだが、
この近くで財布を売ってる店って知らないか?」
「財布?」
「今ちょっと財布がなくて、お金をハダカで持ち歩いてて。
財布が欲しくてちょっと街をぶらついてたところだったから、せっかくだから聞いてみようかと」
おばさんは腕組みをしてうーんと唸った。
「財布、ねえ……財布、財布、財布――
……ああ、確かあそこで売ってたような、あれ、あそこじゃなかったかな?
いや、あの店だったら……ああ、あそこはもう取り扱ってなかったわね――」
「あの、軽く聞いてみただけですから、
そんな深く悩むような「あっ、あそこなら絶対売ってる!!」」
おばさんはポンと手を叩いて言った。
「この店の前の通りをいくと、大きな円形広場にたどり着くんだけど、
その広場でいつも露店やってる老人がいて、そこで財布を売ってるよ」
俺が今まで歩いてきた道に広場はなかった。
ということは、広場はこの店からリンの家とは反対の方向に進めばいいんだな。
「どうもありがとう」
「ちょいと、お兄さん、本は持って行かないのかい?」
店を出ようとした俺を、おばさんが引き止める。
「財布を買ったらまたすぐに戻って来る。
、本はその時に頂くことにするよ」
「そう、いってらっしゃい」
「店の場所を教えてもらった礼にはあまりに小さいが、
ここに来て思った感想を一つ。
書物屋、立て直したいなら書物はジャンル分けしたほうがいい」
「やっぱりそう思う?」
気がついてるのか。
だったらなぜやらない!?
「言っちゃ失礼かもしれないが、
探しものがあっても、こんな状態じゃ探すのに時間がかかる。
買う側からすれば結構面倒臭いぞ」
「私も結構な歳だからねえ、今から本の整理をするにしても、
身体が弱くなっちゃってるからなかなか億劫になちゃってねえ」
「まあ、本も貰ったし、暇があれば本の整理、手伝ってもいいんだが」
俺の言葉を聞くとおばさんの顔がホッとしたように緩み、
ありがとうと優しく手を振って送り出してくれた。
初対面の俺に親しげに話すその度胸、どっから沸いて来るのか不思議だ。
店を出た時、赤くなった太陽は地平線にしがみついていた。
言われた方角に向かって歩いて歩いて歩き続けると、ようやく目の前の視界が開き、大きな円形広場に出た。
大分遠出しちまったな。
おばさんはちょっと行けばすぐに着くようなニュアンスで話していたが、
それはどうやら飛んで移動することが前提だったようだ。
空はとっくに闇が覆い、見慣れない配列の星々がチラチラと瞬いている。
直径100メートルほどの大きな広場で、数々の露店が明かりをつけて営業している。
書物屋のおばさんの話によると、財布を売っている老人がこの露店の中に紛れ込んでいるはずだ。
いくら大きな広場とはいっても直径100メートル程の大きさだ。
その中でやってる露店ひとつひとつを覗いて歩けないわけではない。
ここはシラミ潰し戦法で探し当てるか。
ちょっと探すと、財布を売る老人の露店はすぐに見つかった。
しわしわの顔の老人なのだが、しわしわ過ぎて男なのか女なのかを区別することが出来ない。
歳を取ってくると中性的な顔になるという話はあながち間違いではないらしい。
「――いらっ……しゃい」
声を聞いてこの老人が男の人だということが分かった。
つうか、このじいさん大丈夫か?
なんか今にも命が燃え尽きてしまいそうな声なのだが……
ま、まあ、とりあえずここで露店をするだけの体力はあるようだし、余計な心配なんだろうが。
陳列されている財布は元の世界のそれと大して変わりはないが、
この世界の通貨はすべて硬貨のため、紙幣を入れるポケットはついていない。
あと、クレジットカードとかのカードを入れるポケットもついていない。
財布は硬貨の収容枚数確保のために、元の世界のものよりも少し分厚くなっていて、
手の平大ほどの大きさのものが主流になっているようだ。
「じいさん、この財布はいくら?」
気に入ったデザインの財布を見つけたのでじいさんに聞くと、二本の指を立てた。
「2000レル?」
「……200。
こんな財布ごときが2000で売れるなら、
わしゃ今頃こーんなちっぽけな露店じゃなしに
ちゃんとした立派な自前の店を持ってるじゃろうて、
フォ、フォ、フォ、フォ、フォゲホッゲホッゲホッ……」
「おい、ちょっとじいさん大丈夫か?」
「――ゲホッゲホッ……もう大丈夫だ、若者、心配かけたのう」
おいおいしっかり頼むぜ、じいさん。
咳き込んで肋が折れでもしたら大変だぜ、まったく。
それにしても、財布が200レルか……安い。激安だ。
「……安いな」
「わしが趣味で作っとるものじゃからのう、値段は安くて当たり前じゃよ」
「そうか、よし、貰って行こう」
俺はその財布を購入し、すぐに書物屋に戻って本を受け取った後、家路についた。
「コウさん、一体どこまで行ってたんですか?心配したじゃないですか!」
家に戻ってくるやいなや、帰りが遅くなったことでリンに怒られる俺。
しかし、俺の脇に抱えている本を見つけると、急に顔色を変えた。
「ちょっ、ちょっとコウさん!その本は一体どうしたんですか!?」
「書物屋のおばさんにタダでやるって言われたから貰ってきた」
「たたた、タダ!?
その本、魔法書ですよね?それをタダで?」
「あ、ああ、そうだが……」
「それ、庶民にはなかなか手に入らない高価な本だってこと、知ってます?」
「そういや、おばさんは十万レルとか言ってたな。
でも、数十年前の古いやつだし、紙は変色してるし、価値は下がってるだろう」
「かえってこういうのは古いほうが価値が上がるものなんです」
「そうなのか?」
「今の本に載ってるのは大衆向けのもので、誰にでもできるようなものです。
だから、難度の高い魔法はあまり載ってないんです。
でも、昔はそんなのが当たり前に載ってましたから、
情報源としての価値が高いんです」
「なるほど、ならば慎重に扱わねえとな。
それと話は変わるが、価格調査の方はどうだった?」
「あ、はい、うちが100レルで仕入れて500レルで売っていた花を、
あの店では300レルで売ってました」
「やっぱりこの店の値段は高すぎのようだな」
「そうみたいです」
「よし、うちはその店の定価の100レル引きの値段で売ろう」
「……ちょっと安すぎませんか?」
「いや、まずはこの値段で様子を見るべきだ。
値段を下げて、どれぐらい客足が増えるのか、試してみる必要があると俺は思う」
「コウさんは本当に客足が増えるのかどうか、不安とかは感じてないんですか?」
「俺はあまり不安は感じないな。お前は不安なのか?」
「不安ですよ、それは。
だって、今までギリギリ採算がとれていた価格のバランスを崩すんですから」
「安心しろ。
万が一価格を下げても客が来なかったら、俺には次の一手がある」
「次の一手……」
リンの声には不安がまだ残っていたが、それは明日になればすぐに消えるだろう。
なぜかって?
スーパーの特売品売場に群がるおばちゃんを想像してもらえれば、すぐに分かるさ。
「俺、ちょっと部屋に戻るから」
俺は魔法書を脇に抱え直して部屋に戻ると、
壊れたパソコンの前に座り、魔法書を広げてみた。
実を言うと、価格調査よりもこっちの方が興味があったりする。
いつ元の世界に戻れるか分からない。
もし二度と元の世界に戻れずにここで一生を過ごすのなら、
俺に空を飛べないというハンディがある以上、それを補う能力が必要になるだろう。
魔法が使えるかどうかは分からないが、本も手に入ったし、まあやってみる価値はあるはずだ。
だが、今日は結構歩いたから疲れたし、魔法の勉強をするのは明日からだな。




