第5話-A9 Lost-311- 花屋に軍靴って……
今回は文章をじっくりと熟成させたので、品質はかなり上がってるはずです。
数日が経ち、俺は花屋の仕事に慣れてきた。
そして、仕事が慣れてくるにつれて、あることが分かってきた。
この世界には薬局のような店がほどんどなく、
通常は花屋が薬局の機能を担っているということだ。
俺がそれを知ったのは、数少ないある高齢の客から花を買ったついでにちょっとした世間話になり、
その中でこんな薬はここでは売ってないか、と質問されたからだ。
その客の質問の答えるため、
リンに薬もここに置いてあるのかと聞くと、まだ花しか取り扱っていないという。
「ところでリン、どうしてうちは薬を取り扱わないんだ?
やっぱり特別な資格がいるとか、何か事情でもあるのか?」
昼、客がいない店の中で、店番をしていた俺は暇になって、
店の会計用のカウンターに腰掛けて、同じく暇そうにあくびをしているしているリンに聞いてみた。
「本当は、そういうのも売りたいんですけどね……
別に薬を売るのには資格は要らないんですが、
薬って値段が高いのでなかなか手を出せないんです。
まずは花だけ売ることに専念して、それが軌道に乗ったら、手を出してみようかな、と」
「それにしちゃ、客があまりにも少な過ぎないか?
朝から店やってて、実際に買って行ってくれた客の数は片手で数えられる程しか来てない」
「それ、言わないでくださいよ……私だってずっと気にしてるんですから」
ここの花屋の立地は悪くはない。
人通りの多い道に面している花屋だから、店の前を通り過ぎる人はかなり多い。
人の数の点だけを考えれば、この店は繁盛してもおかしくないはずであるが、
何故か客はこの店に見向きもしない。
店の中はいつも清潔だし、売られている花の質もクレームが来るような粗悪品ではないし……
一体何が原因なんだろうか。
「リン、ちょっとこの店の収支がどうなっているのか知りたい。
見せてくれるか?」
「あ、はい、ちょっと待っててください」
しばらくして、店の奥へと消えたリンが、洋皮紙を持って戻ってきた。
リンから受け取った収支表はすべて平仮名で書かれていて、
漢字混じりの日本語に慣れている俺にとっては非常に見づらい。
平仮名を覚えたての小学生が書いたようだ。
まあ、文字はきちんと整っているが。
リンの話によると、この世界には漢字は存在せず、
文字を書くときは平仮名で書くのが常識らしい。
そもそも平仮名って漢字をベースにどんどん形が崩されて出来上がったもののはずなのだが……
そこら辺の文字の成り立ちの順番についてはさておき、店の収支表を見ると、
店が繁盛しない理由が一瞬で分かった。
「リン……100レルで仕入れた花を500レルで売ったって、そりゃ誰も買わねえぞ」
レルというのはこの世界での標準通貨で、
日本円に大体の値段で換算すると、1レル=1.5円程らしい。
らしい、というのは、同じものでもこの世界と俺の元いた世界との価値観が違っているため、
正確なレートを求めるのが難しいからで、正確なレートは俺にも分からない。
例えば、元いた世界では家電量販店にでも行けば、
A4の普通紙が500枚300円程で売られていた。
この世界では洋皮紙ではない、普通の紙そのものは存在するものの、
量産技術がまだ発達していないらしく、ハガキサイズの紙が1枚150レルと、
俺からみりゃ法外にしか見えないような値段で売られている。
紙の値段は極端な一例だが、たいていこんな感じなので、正確なレートが割り出せないのだ。
「だって、それぐらいの値段にしないと、私達が食べていけないですよ!」
「いやいや、俺からすればこの値段での販売は完全にボッタクリ同然の値段、
今まで僅かながら客が来ていたというのが、これを見ると奇跡的に思える」
「じゃあ、どうすれば良いんですか?
これより値段を下げたら生活が苦しくなってしまいますし、
このままの値段でも客は一向に増えないし……」
「いや、下げるべきだ。それも大幅にな。
リンは需要曲線というものを知っているか?」
「じゅようきょくせん?」
「まあ、簡単に言うと、値段が下がれば客は増え、値段が上がれば客は減る。
これを一目で見やすくグラフ化したものだ。
とりあえず、このことだけを頭に覚えておいてほしい」
「グラフっていうのがよく分からないのですけど……
とにかく、値段を下げたら客が増えるって本当ですか?」
「いや、本当も何も、もし同じ商品が二つの店で売られていて、
ある店では200レル、もう一方の店では300レルで売られていたとしよう。
リンならどっちの店で買う?」
「う〜ん、やっぱり200レルのお店です」
「そうなるだろ?客は同じ商品ならなるたけ安くモノを買いたがる。
値段の下げ過ぎは禁物だが、今の値段で売れないのは当然だ」
「では、いくらぐらいまで値下げすればいいのでしょう?」
「俺は経営のプロじゃねえから知らん。
とりあえず、今日は早めに店を閉めて価格調査に出掛けるのはどうだ?
こんな馬鹿デカイ街だ、ちょっと探せば俺達の他にやってる花屋なんてすぐ見つかるだろう」
「でもコウさんは裸足じゃ……」
「あ……ああ、そうだったな、俺靴ねえんだよな〜」
そうだった。
リンとこの街に入ってきてから俺は店から一歩も外に出ていなかったせいで、
靴を持っていないことをすっかり忘れていた。
裸足で砂利道は、キツイ。
「もし良ければ、給料前払いということで、靴、買ってもいいですよ」
「おお、そうか。
じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらおうかな」
夕方頃店を閉めよう、という話になっていたのだが、
あまりにも客が来ないので、それよりも早く店を閉めることとなった。
この状態をなんとかしないと、
この花屋のシャッターが永遠に閉まったままになるのも時間の問題だ。
そうなってしまえば、俺だけでなくリンまで職なしの貧乏人になってしまう。
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この世界の人の靴は、革靴らしい。
靴屋に連れていってもらった俺だが、客やら店の人からの奇異の視線が痛い。
あからさまにではないが、商品を見る素振りをしながら流し目でこっちを見ている。
いや、俺が相当珍しいのは分からんでもないが、
なんというか、その、下手なんだよ、隠すのが。
俺に気づかれないように注目するのは、それはそれで嫌なのだが、
あからさまに流し目で見られるよりはマシだ。
リンは楽しそうに靴を眺めている。
「どんな靴が似合うのか、ちょっと想像がつかないので楽しみです」
「リン、俺を着せ替え人形かなにかと勘違いしてねえか?」
「いえいえ、人間として大事なモノが欠けているコウさんに合う靴というのが、
ちょっと想像できなくて。
それに、髪も目も黒というあまりない外観ですから、余計に想像しづらいんです」
「なんか、今の言葉の解釈を一部間違えると、
とんでもない言葉がリンの口から飛び出したことになるんだが……」
「え、私、そんなこと言いましたっけ?」
本人は気づいていないようだが、念のために一応注釈しておこう。
リンの言う「大事なモノ」とは、翼のことであり、決して例のアレではない。
「う〜ん、コウさん、こんなのどうですか?」
「ん?これか?」
リンから靴を受け取った俺は、見慣れない靴の構造に興味を惹かれた。
どうやら動物の革を染め上げて着色、それを靴らしく立体的に縫い合わせ、
最後の仕上げに靴の裏に厚さ2センチほどの摩耗に強い木を接着する、という作り方のようだ。
リンが持ってきたのは深青色に染め上げられた靴だ。
ちなみにだが、木には切り込みが入れられていて、
陸上選手がよくやるクラウチングスタート時のような極端な曲げにも対応できるようになっている。
靴の裏に触れてみると、木は滑りにくい材質を採用しているらしく、
ゴムまでとはさすがにいかないが、多少の激しい運動を行っても、
安定したグリップ力を保持してくれそうだ。
靴ヒモもきちんとあるのだが、
というか革靴で靴ヒモという組み合わせが、
デザイン的に自然に馴染んでいるから気にならないのだが、
よくよく考えればシュールだ。
靴ヒモは靴底の木に横から穴を開け、そこにヒモを通す構造になっている。
接着剤が弱いのを、靴ヒモでしっかりと締め上げて補強しているということだな。
総合的に見ると、作りもシンプルだし、耐久性は靴底が木ということもあって、かなり高そうだ。
「どうかしました?」
「ん、いや、靴の構造が気になってな。良く出来てる」
靴を試着してみるが、深青の靴はやはり俺には合わなかった。
「それじゃあ、これはどうですか?」
「緑色の靴は……さすがに勘弁してくれ。
俺は森の小人みたいなメルヘンな靴は性に合わない」
「そうですか……?
私にとっては、あなたの存在自体がメルヘンですけど」
「言われて嬉しい言葉じゃねえな……」
メルヘンという言葉を聞いて、周囲の客から微かな笑い声が聞こえてきた。
リンに対して「ナイスツッコミ!!」のような空気が店内を覆っている。
そうですよ、俺はどうせメルヘンな人間ですよ!
元の世界では羽根のついた人間が天使と呼ばれてメルヘンな物語を構成したように、
こっちの世界では羽根のない人間が何と呼ばれているのかは知らんが、
メルヘンな物語に出てくるんだろ?
……一旦落ち着こう。
変な開き直りをするのは良くない。うん。
周囲の客の反応は無視する方が俺の精神衛生上いいだろう。
いちいちこんなことに気を取られていては、この先が思いやられる。
しばらく店の中の商品を見て回ったが、俺の気に入った色のものは見つからなかった。
「ところで、コウさんは一体いくらぐらいの値段を予算にしてるんですか?」
「予算……俺は安いのでいい。
今、靴に贅沢をしたって、財布が苦しくなるだけだろう」
「靴は結構耐久性があるので、ちょっとぐらい贅沢をしてもいいと思いますよ」
「だとしてもだな……」
店に長居していたせいか、店主らしき50代ぐらいのメタボ系オッサン(もちろん翼付き)が声を掛けてきた。
「なにか、お探しですか?」
「靴を買おうと思っているんですけど、」
「ええ、ここは靴屋ですから」
「なかなかコウさんの気に入るものがなくて」
「お客様はどういったものをお探しでしょうか?」
「特にないんだが……この店で一番安い靴は、どんな靴かちょっと知りたい」
「一番安い靴、ですか……」
店主は少し悩んだような様子を見せ、
あまり人気のものではないのですが、と前置きをして言った。
「店の奥に靴の売れ残りが置いてあるんです。
どうしようかと処分に困っていて、それなら安く売れないこともないですが。
あ、もちろん品質は保証します。
靴の品質は俺の店が街一番だと自負していますから」
「ちょっと見せてくれないか」
「はい、どうぞこちらへ」
店主に誘導されて店の奥に俺とリンは入って行った。
「なにせ売れ残りの商品ですからねぇ、
お客様の気に入ってもらえるものはあまりないと思いますけど……」
店主はそう言って在庫と売れ残りの商品が置いてあるという部屋の中に通した。
棚が縦一列に整列され、その棚に埃が積もった靴が置かれてある。
靴を箱の中に入れて保存するという習慣が、この世界の人達には無いらしい。
「どうぞ、ご自由に見て頂いて結構ですよ。
赤い棚が売れ残り品、緑の棚が在庫品、青い棚が未陳列の新商品です。
青い棚の靴も、お気に召したものがありましたら、何なりとお申し付けください」
えらくサービス精神旺盛なオッサンだなとか、
靴とは何の関係もない、どうでもいい感想を抱きつつ、まずは赤い棚を見て回ることにした。
確かに、誰が見てもあからさまにダサ過ぎだろこれ、とか、
ちょ、なんちゅうテカり方してるんだ、ディスコってんじゃねーか、とか、
話にならない商品もあるが、マシなものもいくつか置いてある。
それは俺主観から見たマシなものではなく、リンの主観から見てもマシなものである。
「お、これ良いんじゃねえか?」
俺が手にとったのは元の世界ではテンプレなカラーの茶色の靴。
革靴ということもあって、なかなか渋い。
「その靴、軍靴ですよ?」
「え、リン、これ軍靴なのか!?」
「見た目は普通の靴と変わらないですけど、中に金属が埋め込まれていて、
剣のような鋭利な物が貫通しないようになっていたり、
重量物が足に落下しても足を保護するようになっているんです。
それに、ちょっと手を加えれば、いろんな属性が付けられるものです。
例えば、今この靴には“軽量化”の属性がついています。
店主さん、そうですよね?」
「さようでございます。よくご存知で。
ただ、この靴はちょっと軽すぎるようで、
バランサーとしての性能は低いのが一番の欠点ですね」
なるほど、確かに金属が埋め込まれている靴にしては異様に軽い。
これはデザインというより、高機能な靴と捉えた方が良さそうだ。
ところで、
「リン、バランサーって、何だ?」
俺は店主に聞かれぬよう、リンに耳打ちして聞いてみる。
この世界の人からすれば、バランサーの意味が誰もが知っている
常識的なことであることは、店主の口調から推測できた。
リンも俺が耳打ちで質問してきた理由を察して答えてくれた。
「私達が飛ぶときは、足でバランスを取るんです。
水平飛行している人間を想像してみてください。
足を伸ばせば、重心が後ろに傾いて、身体は上を向きます。
そのまま飛べば上昇か着地です。
逆に足を曲げれば、重心が前に傾いて、身体は下を向きます。
これは下降時の体勢です。
旋回時は別として、靴は足の先にありますから、その重さが重要になってくるんです。
とりあえず、コウさんには関係のないことですので、気にしないでください」
関係がないことと言われると、なんか寂しくなるのは俺だけだろうか?
まあいい。とにかくこの靴の最大のデメリットが俺に関係ないことが分かった時点で、
俺に残されたのはメリットだけだ。
(いくらか知らねえけど)安いし、デザインもよし、機能性、耐久性共によし、これしかないだろ。
「店主、この靴いくら?」
「えっ、ちょっとコウさん、よりによってなんで軍靴なんですか?」
「いや、なんか高機能だし、俺にとってはメリットの塊だから」
「機能性の高い靴は他にいくらでもありますよ?」
「それに、茶色の靴ってこれしかないだろ?」
「……それがいいなら私は反対しませんけど」
「で、店主、これはいくら?」
「うーん、そうですね、この靴はいくら売れ残り品といっても、
なかなか作るときに色々と手の込んだ商品ですからね、他の売れ残り品よりは高くなります。
大体1500レル、といったところでしょうか」
「よし、これに決めた」
「ホントに買っちゃうんですか?」
「これが俺なりの贅沢だ、別に文句はないだろう?」
「まあ、それでいいならいいですけど、花屋に軍靴って……」
リンはどうしても買う靴が軍靴ということが不満らしく、
ブツブツと何かをいいながら財布を取り出し、店主に1500レルを支払った。
そのまま靴を履いて店を出ても良かったのだが、
裸足で靴はどうも有名なあのオッサンっぽくてなんか気に入らなかったので、
ついでに靴下(200レル)も買って店を出た。
ちなみにだが、店主のオッサンの笑顔はプライスレスだった。当たり前か。
やっぱりまだ品質が足りないですよね……
一言感想やポイント評価していただけると非常に嬉しいです。
宜しくお願いしますm(_ _)m