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俳句 楽園のリアリズム(パート6-その1)

 この原稿が分厚い本になれば、ことにもふつうの詩の出てくる先のページに進むのを惜しむようにして、何度もおなじところをくりかえし読むほどにその本の効果があらわれることになるのですから、どのページでもいい、自分で調整しながら、好きなようにくりかえし読んでは自分の言葉の夢幻的感受性、つまり詩的想像力や詩的感受性や詩的感受性を当然の結果としてしぜんと育成させることができますが、3月末から投稿をはじめた本稿を読んでいただいているすべての方に3、4ヶ月でそれなりにでもふつうの詩を味わえるようになっていただけたなら、これはちょっとすごいことではないかと自画自賛したい気持にもなってきます。

 それでも、リアルタイムで一度だけ読んでいただいているだけではちょっと無理があるかもしれませんので、次の日曜日の新作掲載までの一週間、どこでもいい、好きなように読んでいただいて、これも当然の結果として、ご自分の言葉の夢幻的感受性を、いまの段階でもそれなりにご自分のものにしてしまうことをおすすめします。

 今回をふくめて4回目の、おそらくはじめてふつうの詩を本格的に味わうことになる(パート7-その1)は少し間隔をあけて投稿しようと思っていますので、まだ時間はたっぷりとあります。詩を読んでいつでも詩的な喜びを味わうことができるようになれたなら、それは、目には見えない一生の宝物を手に入れたのもおなじこと。そのことを、なるべく多くの方にうれしく実感していただけたなら、たとえ本にならないで終わってしまうとしても、ちょっと頑張って投稿しつづけてきたことにも意味があったと思うことができそうです。



 さてきょうも素晴らしいポエジーとの出会いを求めて俳句を読んでいってみよう。

 それにしてもぼくたちは幸せだ。ポエジーに出会うためにはうってつけの、ポエジーのためには世界一理想的な俳句という素晴らしい一行詩があるおかげで、だれでも簡単にポエジーを味わうことができるのだから。

 俳句作品でもってポエジーを味わい、俳句形式にぼくたちの詩的想像力や詩的感受性を育成してもらって、効果はそれだけに限らないけれどたとえば詩の読者になるために、生涯に、この本のなかのたったの700句の俳句を読むだけだとしても、俳句のある日本に生まれてほんとうにぼくたちはついている、と、心からそう思わないではいられないのだ。


  「ポエジー、美的なあらゆる歓喜の絶頂」


 俳句とはなによりもまず、あらゆる美的感情の源泉となる、幼少時代の絶対的な《美》で一句一句が充たされた、ほかのどんな芸術にも負けない「絶対芸術」にほかならないのだった。

 俳句のイマージュのほんとうの意味での作者とは、だれもが潜在的におなじものとして共有する「幼少時代」の宇宙的なたましい。そうして、俳句のイマージュの中身を作りあげるのは、これもまただれもがおなじものとして共有する「世界」の記憶だけ。


  「幼い頃のイマージュ、ひとりの子供が

  作りだすことのできたイマージュ、詩人

  がわたしたちにそれを作ったのはひとり

  の子供だといったイマージュは、わたし

  たちのために間断なく存続する幼少時代

  を表すものである。このイマージュはは

  るかな幼少時代の夢想と詩人の夢想(つ

  まり、おなじことになると思うけれど、

  ぼくたち俳句の読者の夢想)が連綿と継

  続していることを示している……



  淡雪に窓を濡らしてバスの来る



 ひとりの子供が作りだしたともいえるこの俳句のイマージュは、ぼくたちのために間断なく存続する幼少時代を表すもの。遠い子供のころ、淡雪で窓を濡らしたバスが来るのを待っていたことがあるような、そんな気のするノスタルジーを誘うこの詩的情景(イマージュ)は、まぎれもなく、はるかな幼少時代の夢想とそれを読んでポエジーを味わったぼくたち俳句の読者の夢想が、連綿と継続していることを示している、はず。このことは、そろそろどなたにも素晴らしく実感していただけるようになったのではないだろうか。


  「このようにして子供は孤独な状態で夢

  想に意のままにふけるようになるや、夢

  想の幸福を知るのであり、のちにその幸

  福はぼくたち俳句の読者の幸福となるで

  あろう……



  雨だれの音の向うに梅雨はげし



 俳句作品の背後に、ひとりの子供以外の作者はいらないというのがぼくの俳句に対する基本的なコンセプトだから、俳人が俳句でどんなに自己表現なんかしていても、ほんとうに申し訳ないけれど、そんなことは、ぼくにはどうでもいい。


  「言葉(パロール)の世界では、詩人が詩的言語のた

  め有意的言語を放棄するとき、心的作用

  の美化作用が心理的に主要なしるしとな

  ってくる。自己表現をのぞむ夢想が詩的

  夢想となるのだ」


 これは、この本のなかの700句を決定的に擁護する言葉となっているはず。


  「詩的言語のため有意的言語を放棄する

  とき、心的作用の美化作用が心理的に主

  要なしるしとなってくる。自己表現をの

  ぞむ夢想が詩的夢想となるのだ……



  ゆふぐれと雪あかりとが本の上



 俳句から作者の思いや個人的な感情を読みとろうとすることは、俳句の本質から遠ざかることでしかない。俳句で自己表現したいという一部の作者のやむにやまれぬ気持も分からないではないけれど、そのためには、もっと最適な短歌という詩型がこの日本にはほかにあるではないか。


  「この孤独の状態では、追憶そのものが

  絵画的にかたまってくる。舞台装置がド

  ラマに優先する」


 人間的なドラマの背景の舞台装置、つまり、世界の事物たちにスポットライトをあてて、世界そのものを主役に抜擢した、詩。それこそが、まさに、俳句という一行詩なのだ……



  日の入りしあとに秋雲むらがれり



 そうなのだ。いさぎよく自己表現を断念して世界を写生しただけのような俳句作品ほど、それだけ純粋なかたちで、一句が、心の美化作用、つまり詩的夢想の発現の場となっている、と、そう言えるのではないだろうか。


  「命名された事物はその名前の夢想のな

  かで蘇えるであろうか。すべては夢想家

  の夢想の感受性にかかっている……



  円く濃き新樹の影にバスを待つ



 俳句の場合は新樹とかバスとかの名詞がよみがえらせる〈事物のイマージュ〉やそれらが全力で協力しあって作りあげるこうした詩的情景(イマージュ)がしぜんとあらわになってしまっているからどうってことないけれど、たしかに、ふつうの詩とかで言葉の意味作用が作りだすもっと複雑で文学的な詩的イマージュをみつけだすためには、どうしても言葉の「夢幻的感受性」といったものが必要となってくるだろう。


  「俳句一句をもちいて、わたしは言語の  

  感受性にかかわる夢幻的感受性のテスト

  をしてみたい……



  卯の花の白か車窓にきらめきし



 この本をどれだけくりかえし利用していただいているかその個人差にもよるけれど、この、いまの段階でも、「夢幻的感受性」がご自分のものになってきたのを、うれしく実感されている方も少なくはないのではないかと思う。くりかえし読んできたこの本のなかの俳句が、そうした感受性をじっくりと確実に育成してくれていたからだ。


 イマージュをみつけだす手間なんかいらない。ほんの2、3の<事物のイマージュ>とそれらが全力で協力しあって作りあげる魅惑的なひとつの詩的情景(イマージュ)だけがむきだしになった、たつた一行の(バシュラールならこう言うかもしれない)ちょっと信じられないような、詩。それこそが、まさに、俳句という一行詩なのだ……



  雲晩夏家こまごまとその下に



  「いっさいの意味への気遣いに煩わされ

  ることなく、わたしはイマージュを生き   

  る……



  海と坂晩夏まぶしき港町

  


 俳句とはまったくちがって、短歌では、その作者や言葉の意味にこだわって、なんとしても作者の思いを読みとろうとするような、なんとも面倒くさい読み方をいっぽうでぼくは楽しんではいる。

 短歌は、一首の背後にあくまでも作者の息づかいを感じていたい。ある歌人のなつかしい〈人生の時〉を追体験して、ほんのかすかな心ゆらぎみたいなものから魂を揺さぶるような深い感動にいたるまで、そのときの歌人の心をそっくりそのまま共有したい。徹頭徹尾、その作者にこだわるのが短歌を読むということだとぼくは思っている。たんなるポエジーなんか俳句にまかせておけばいいんだ、と。それに、時間の彼方、自分自身の〈楽園の時〉を追体験するより、映画のなかの人生に触れるのとおなじでさまざな〈人生の時〉を追体験するほうがぜんぜん簡単そうだし。

 短歌は読みごたえがあって心魅かれる、この国だけにあるすぐれた一行詩だと思うけれど、文学的な重苦しさから完全に解放された気楽な俳句の単純なゆたかさ、絵画のような美しさもまた、最高だと思う。


  「詩的なるものの実存主義の主要問題は

  夢想状態の持続ということである。わた

  したちが詩人たちに要求することは、か

  れらの夢想を伝えてくれること、わたし

  たちの夢想を強固にしてくれること、そ

  うすることによって、わたしたちが再想

  像された過去のなかに生きることを可能

  にしてくれることである」


 まだ詩の読者とはいえないぼくたちにとっては、詩人のかわりに、ぼくたちの幼少時代をほとんど強制的に思い出させてしまう旅というものが、旅先で旅情にひたるたびにぼくたちの夢想を強固にし、夢想状態を持続させ、そうして、この本のなかの俳句を読むときにも、ぼくたちが再想像された過去のなかに生きることを可能にしてくれたのだった……



  海へ出る砂深き道花いばら



  「わたしたちの幼少時代はすべて再想像

  されるべき状態にとどまっている……



  南風(なんぷう)の吹き抜く二階兄の部屋



 いまさら旅になんか出なくたって、こんなふうに、多少ハンディはあったかもしれないけれど、一句一句の俳句作品をとおして再想像された過去のなかに生きることのくりかえしが、ぼくたちの詩的想像力や詩的感受性をしっかりと育成してくれているおかげで、この人生を根底から変えてしまうかもしれないつぎのようなバシュラールの言葉がぼくたちに親しいものになってくれるのも、もう時間の問題ではないかと思われる。


  「わたしたちはイマージュ、いまや思い  

  出よりも自由なイマージュに直面してい

  る……



  どの家の裏も五月の朝の海



  「イマージュをたのしみ、イマージュを

  それ自体として愛する」


 言葉の「夢幻的感受性」がそれなりに育ってきたのをおそらくどなたにも実感していただけるようになったのも、俳句はもちろん、詩を読むだけで(一部の短歌もそうだけれど)人生に最高の喜びをもたらしてくれるこうした「夢幻的感受性」とは、だれもの内部に育ってきているはずの、ぼくたちの詩的想像力と詩的感受性が複合したかたちで存在する感受性ではないかと思われるから、だった。


  「俳句作品を読むことにより、夢想によ

  りイマージュの実在性が再現されてくる

  ため、わたしたちは読書のユートピアに

  遊ぶ気がするだろう。わたしたちは絶対

  的な価値として俳句を扱う……



  見て過ぎるのみの町並み鰯雲


  

 このような俳句による単純で奥深い「言葉の夢想」でポエジー(現象学的反響)をくりかえし味わっているそのことが、途方もない幸福が約束されたバシュラール的な書かれた言葉の夢想家になるための、最高に理想的なプロローグとなってくれるのは、やっぱり、まず間違いないことだと思われるのだ。


  「孤立した詩的イマージュの水位におい

  ても、一行の詩句となってあらわれる表

  現の生成のなかにさえ現象学的反響があ

  らわれる。そしてそれは極端に単純なか

  たちで、われわれに言語を支配する力を

  あたえる」


「世界への信頼の頂点である詩的夢想」と言っていたバシュラールは、その晩年には「世界が人間たいして提供するこうしたあらゆる供物を前にして……」というものすごい言葉を口にしている。


  「人間は夢想のなかでは主権者であるが、

  観察の心理学は現実の人間のみを研究す

  るので、王位を奪われた存在にしか出会

  わないのである」

  

 世界を信頼することと世界からの供物を受けとることとの、隔たりは大きい。その人生が終わろうとするころには、孤独な自分の世界のなかで、夢想によって彼は、まさしく世界に君臨するまでになっていたのだった。


  「わたしたちの幸福には全世界が貢献す 

  るようになる。あらゆるものが夢想によ

  り、夢想のなかで美しくなるのである」


 詩を読んだり普通とちょっとちがったふうに世界を眺めたりするだけで、つまり、夢想ということをするだけで、とうとう人類史上最高の幸福を実現してしまったガストン・バシュラール。


 つぎの言葉など、その自信と余裕の裏返しの表現といっていいだろう。つまり、詩人やボスコのような詩的な散文の作家は、書くという特別に昂揚した状態で夢想しているのであって、はたして彼らが他人の作品を読むときにもバシュラールみたいに嫉妬におそわれるほど上手に夢想することができたかどうか、ちょっとばかり疑問だと思われるから。


  「ボスコの書いたような文章を読んでい

  ると、わたしは嫉妬におそわれる。わた

  しはこんなにたくさん夢想しているのに、

  かれはわたしよりはるかに上手に夢想し

  ているのだ」


 この本で紹介させてもらうバシュラールの文章のひとつひとつには、ぼくたちが最高の幸福を手に入れたり最高のポエジーを味わったりするのに有効な、最高の、生きたヒントがあふれるほどふくまれている、はず。それらはこの人生がつづくかぎりいつまでも価値をもちつづけるはずの言葉なのであって、断じて、7、8回読んだきりでおしまいにしてしまえるようなものではないのだ。

 こうした言葉の存在さえ知らずに一生を終えてしまうひとのほうが圧倒的に多いと思うけれど、ほんとうの意味で人類が幸福になるために書き残された著作の、人類の宝物みたいなメインの部分を、ほかでもない自分自身を最高に幸福にするために、こんなにもどっさり自分のそばに置いて、この本を読むだけでぼくたちはそれをくりかえし利用できるようになったのだ。


 さて、きょうは、詩を読むだけで途方もない喜びの感情を味わうことができたバシュラールの「言葉の夢想」の、その幸福の秘密に少しでも迫ってみたいと思う。


  「詩人がさしだす言葉の幸福」


  「読書のよろこびと耳のしあわせ」


  「わたしはまさしく語の夢想家であり、

  書かれた語の夢想家である」


  「わたしの全生涯は読書生活である」


  「詩人に助けられて、わたしたちは無関

  心の眠りから目ざめる。しかり。こうい

  うものを前にしてどうして無関心でなど

  いられよう」


  「わたしたちは読んでいたと思うまもな

  く、もう夢想にふけっている」


  「わたしは読みながらあまりにも夢想す

  る。またあまりにも思い出にふける。読

  書のたびに、個人的な夢想の出来事、思

  い出の出来事に出くわしてしまうのだ」


  「詩人たちのイマージュについて全く素

  朴に夢想しながら、わたしは想像力のど

  んな小さな奇蹟をも受け入れた」


  「詩的夢想の誘いに各人各様に応じて、

  奥深い〈反響〉に身をまかせる、という

  ふうにありたいものである」


  「現代の詩的空間のなかには、どのよう

  にすれば入っていけるのだろうか。自由

  な想像力の時代が開かれたばかりである」

 

  「詩人を文字どおりとらえ、詩人ととも

  に夢想し、詩人が述べることを信じ、対

  象の影響下に、つまり世界のひとつの果

  実、あるいは世界の一本の花の影響下に

  世界をおくことによって、詩人からわた

  したちに提供される世界のなかに生きる

  ことは、なんとよろこばしいことだろう」


  「非―我が夢想する自我を魅了する。詩

  人が作りだしたイマージュを、読者がま

  ったく自己のものと感じることができる

  のは、そのようなわれわれのうちなる非

  ―我の作用なのだ」


  「イマージュの創造の過程をしらないた

  ましいのなかに、イマージュがなぜ同意

  の気持を目ざますのか。詩人はイマージ

  ュの過去をわたしたちにおしえてくれな

  い。しかしかれのイマージュはわたした

  ちのこころのなかにたちまち根をおろす。

  ある特異なイマージュが伝達できるとい

  うことは、存在論的にたいへん重要な事

  実である」


  「詩的イマージュは魂と魂の直接通い合

  う関係として、また語ることと聞くこと

  の歓びに浸る二つの存在の接触として、

  新しい言葉の誕生という言語活動の革新

  において特徴づけられるものである」


  「このように詩人の夢想のイマージュは、

  生のさなかに深く入りこみ、生の深層を

  拡大する。プシケの庭園に咲いたこの花

  をまた摘んでみよう」


  「詩的庭園は地上のあらゆる庭園を圧し

  ている」

 

  「しばしば思い描いたのは、気ままに散

  策する植物学者の自分であり、その読書

  のまにまに『詩の花』を摘む姿であった。

  蒐集されるイマージュが増えるにつれ、

  わたしは、自分が公平であって、どんな

  個人的なえり好みにも左右されることな 

  く、何もかも受容できるような気がして

  くるのだった」


  「わたしが夢想によって詩化された対象

  の例を求めたのは、もちろん詩人たちの

  もとである。詩人がもたらすポエジーの

  あらゆる反映を体験しつつ、夢想をつづ

  ける〈わたし〉はみずからのうちに詩人

  を発見するのではなく〈詩化するわたし  

  〉を発見するのである」


  「読もうというよき欲求をもつこと。た  

  くさん読みたい、くりかえし読みたい、

  いつまでも読みたいという欲求をもたね

  ばならない。それゆえ、朝から、わたし

  はテーブルの上に積みあげられた書物を

  前に、わたしは読書の神にむかって旺盛

  な読書のための祈りをささげるのである。

  『わが日々の餓えを今日もあたえたまえ

  ……』」


  「ああ、わたしたちの好きなページは、

  わたしたちにいかに大きな生きる力を

  あたえてくれることだろう」


  「新しいイマージュによって生命をあた

  えられることに同意するときは、だれで

  も古い書物のイマージュのなかに虹色の

  輝きを発見するであろう」


  「また新しい本はいかほどすばらしい恩

  恵をわたしたちにもたらすことか。若々

  しいイマージュを歌う本が籠一杯空から

  毎日ふってきてほしいものだ」


  「しかし、受けとるだけではまだいけな

  い。歓待しなければならない」


  「詩人によって創り出されたこの世界を

  前に、恍惚として見とれている意識はじ

  つにすなおにその扉をひらく」


  「詩人がわれわれに差し出す新しいイマ

  ―ジュを前にしたときの、あの歓び……」


 このういういしさはどうだろう。イマージュとポエジーに対するほとんどあこがれのようなこの純粋な欲求こそ、バシュラールの夢想の幸福の秘密だったにちがいない。


 またしても前置きがすっかり長くなってしまったけれど、それではさっそく鷹羽狩行の俳句作品の新鮮なイマージュでもって、夢想することで人類史上最高の幸福を実現してしまったバシュラールの、その幸福のおすそ分けをたっぷりと受けとることにしたい。

    

 5・7・5とゆっくり言葉をたどって、俳句作品がくっきりと浮き彫りにしてくれている詩的情景(イマージュ)の、その幸福に、ぼくたちもうっとりと身をゆだねてみるとしよう……



  摩天楼より新緑がパセリほど


  (つた)青く風たちやすき煉瓦館(れんがかん)



  「俳句がわれわれに差し出す新しいイマ

  ―ジュを前にしたときの、この歓び……



  金雀枝(えにしだ)や聖書をのせて石の椅子


  一本が鳴きたちまちに蝉の森

  

  

  「俳句がさしだす言葉の幸福……



  美しき五月の汗を拭はずに


  天の川妊(みごも)りてより白さ増す


  

  「わたしは読みながらあまりにも夢想す

  る。またあまりにも思い出にふける……



  金魚売過ぎゆき水尾(みお)のごときもの


  郭公(かっこう)や始発の駅の木の柱



  「詩的夢想の誘いに各人各様に応じて、

  奥深い〈反響〉に身をまかせる、という

  ふうにありたいものである……



  根もとより森林映し(うみ)の秋



  「ポエジーのあらゆる反映を体験しつつ

  夢想をつづける〈わたし〉は、みずから

  のうちに詩人を発見するのではなく〈詩

  化するわたし〉を発見するのである……



  葛の花トンネル口は風に満ち


 

  「読もうというよき欲求をもつこと。た

  くさん読みたい、くりかえし読みたい、

  いつまでも読みたいという欲求をもたね

  ばならない」


 とにかくいまは、たとえまだほどほどのポエジーだろうと、この本のなかの俳句を読んでは、そのもたらす喜び=快楽にたっぷりとひたっていただくことだ。快感を体験もしないで欲求だけが生れるはずもないのだから。

 こうしたポエジーに対する素朴な欲求こそが、だれもの心のなかに残存しているはずの「幼少時代の核」をしぜんとあらわにして、ぼくたちの詩的想像力や詩的感受性を生き生きと活動させ、ポエジーそのものをさらにレベルアップさせることにもなるのだろう。

 

  「わたしたちが昂揚状態で抱く詩的なあ

  らゆるバリエーションはとりもなおさず、

  わたしたちのなかにある幼少時代の核が

  休みなく活動している証拠なのである」




 はじめて私の作品を読んでいただいてなんのことかよく分からないところもあったあったけれどもう少しほかのものも読んでみようかなと思われた方は、作品一覧の(パート4)あたりにある(パート1・改)と、どうしてこうも旅というものにこだわるのかを理解していただくためにも(パート2-その1と2)を、とりあえず最初に読んでいただくことをおすすめします。あとは、どこでもいい、気軽に適当なところを開いて、気楽に好きなように読んでいただいて、次第にレベルアップしてくる俳句のポエジーをどこまでも堪能していただけたらと思います。

 

 俳句や詩歌に関心のある方には前例のない私の作品の真価が分かってもらえると思いますが、私の作品とこのサイトのほとんどのユーザーの好みには大きなずれがあるみたいで、いつも歯がゆい思いをしております。毎回このコーナーの後半でお願いすることにしましたが、本にしてもらうためには読者数の増加が必須みたいなので、サファリやヤフーやグーグルで「ヒサカズ(一字分空白)ヤマザキ」の作者名で検索していただければ掲載タイトルからこのサイトに入れますので、お知りあいの方とかに私の作品の存在をおしえていただけたなら、ご協力に心から感謝いたします。

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