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ないがしろにされ続けた“サレ令嬢”の復讐

掲載日:2026/06/02

 豪奢な装飾が施された王宮の西翼。普段は来客用として使われているが、今は使われていないはずの離れの客室前を通りかかった時のことだった。

 重厚なマホガニーの扉が内側からガチャリと開き、甘い香水と微かな汗の匂いが廊下に漏れ出した。


「……ふふっ、殿下。また後で」


「ああ。愛しているよ、俺の可愛い小鳥」


 そこから姿を現したのは、シャツの胸元を大きくはだけさせた金髪の青年――私の婚約者であり、次期国王となるはずの王太子、エドル殿下だった。そして、彼の腕にすがりつくようにして出てきたのは、白磁のような肌を火照らせ、ドレスの襟元を乱した小柄な少女だ。

 廊下を歩いていた私、レティシア・フォン・アルバーツ公爵令嬢と、情事の余韻も生々しい二人の視線が、真正面からぶつかり合った。


「あ……」


 少女が小さく息を呑み、殿下の背後に隠れる。だが、当の殿下は悪びれる様子もなく、むしろ余裕の笑みを浮かべて肩をすくめた。


「おお、レティシアか。こんなところで奇遇だな。妃教育の合間の視察か?ご苦労なことだ。俺は少し、彼女と『休憩』していたところだよ」


 王太子としての品位の欠片もない言葉。背後に隠れた少女――最近王宮に出入りするようになった男爵家の令嬢リナの顔には、怯えの奥に「未来の正妃であるレティシアに見せつけてやった」という微かな優越感が透けて見えた。

 私は美しい扇で口元を隠し、完璧な淑女の笑みを浮かべたまま、優雅にカーテシーをして見せた。


「ごきげんよう、エドル殿下。あまり薄着で廊下に出られますと、お風邪を召しますわ。どうぞご自愛くださいませ」


 一切の動揺を見せず、ただ事務的にそれだけを告げると、私は二人の横を静かに通り過ぎた。

 角を曲がり、二人の姿が見えなくなった瞬間。


「……呆れましたわ。よりにもよって、あのように白昼堂々と」


 ポツリとこぼれた独白は、冷たい石造りの廊下に吸い込まれて消えた。私は扇を持つ手にギリッと力を込める。

 胸の奥を、ドス黒い泥のような感情が這いずり回っていた。それは決して「愛する人に裏切られた悲しみ」などではない。公爵令嬢としての『誇り』が土足で踏みにじられたことに対する、圧倒的な屈辱と静かな激怒だった。


 そもそも、殿下の浮気現場に鉢合わせたのは、これが初めてではない。今月に入ってからだけでも三度目だ。しかも、毎回相手が違う。私が密かに調べただけでも、子爵家、男爵家、準男爵家の令嬢など、片手の指では数えきれないほどの浮気相手がいることを把握していた。彼は身分の低い、自分を無条件でちやほやしてくれる令嬢たちを同時に囲い、気ままな逢瀬を楽しんでいるのだ。


 私にだって、昔から密かに焦がれている人はいた。だが、公爵家に生まれた娘として、王室に嫁ぐという重大な義務を果たすため、その淡い恋心には自ら固く蓋をして生きてきた。己の個人的な感情を殺し、来る日も来る日も厳しい妃教育に耐え抜いて完璧な婚約者として振る舞ってきたというのに。婚約相手である王太子だけが己の立場も義務も忘れ、本能のままに快楽を貪っている。


「……私だけが重圧に耐え、あの方は好き勝手に生きる。不公平にも程がありますわ」


 深い絶望と無力感が、重い溜息となって口から漏れた。

 いっそ、大勢の前で暴露と抗議してやろうかとも思った。だが、それが無意味な足掻きであることは、すでに身をもって学んでいる。というのも、ほんの一ヶ月前のこと。私は意を決して、殿下の目に余る素行について国王陛下や重臣たちに直訴したことがあったのだ。


『陛下。殿下のご乱行は、王室の風紀に関わります。お相手は何人にも及んでおり、どうか厳しくご指導を……』


 しかし、国王陛下は面倒くさそうにため息をつき、私にこう言い放った。


『レティシア嬢、男にはそういう時期もあるのだ。エドルもまだ若い、少しばかり羽を伸ばしているだけだろう。君という立派な婚約者がいるのだから、火遊びなどいずれ終わる。目くじらを立てず、広い心で包み込んでやりなさい』


 重臣たちも皆、同調して頷くばかりだった。彼らにとって、王族の男性が愛人を持つことは歴史上珍しいことではなく、「多少の火遊び程度で、国を挙げて結ばれた婚約が覆るはずがない」という判断だったのだ。

 正当な手段で訴えても、誰も私を助けてはくれない。女はただ、男の身勝手を耐え忍ぶことしか許されないのだと、その時私は痛感した。


 さらに苛立たしいのは、当のエドル殿下ご本人も、周囲の甘やかしを誰よりもよく理解していることだ。

 つい先日も、彼は側近に向かってこううそぶいていた。『どうせレティシアは俺に惚れ込んでいる。俺が少々他の女と遊んだところで、あの堅物で真面目な女が俺から離れられるわけがない』と。


(私が、殿下に惚れている?……本当に、冗談ではないわ)


 私は昔から、もっと逞しくて、骨太で、いざという時に頼りになるような……そう、筋肉質な殿方がタイプなのだ。あんなヒョロガリ殿下のどこに、惚れる要素があるというのか。

 だが、愛していないからといって、裏切られて平気なわけではない。「あいつは俺に惚れているから何をしても許される」と見下され、私の努力を蔑ろにされていることが許せないのだ。


「ええ、本当に癪ですわ。非常に、腹立たしいですわね」


 誰もいない廊下で、私はパチンと扇を閉じた。その鋭い音が、張り詰めた空気を切り裂く。

 怒り狂って婚約破棄を叩きつけるのは簡単だ。しかし、それでは「浮気された可哀想な令嬢」として同情されるだけ。アルバーツ公爵家の名前に傷がつくし、何より、エドル殿下が痛い目を見ないのが一番許せない。


(殿下には、ご自身の軽率さがどれほどの代償を伴うのか、骨の髄まで理解していただかなければ)


 そして、この火遊びを「若気の至り」と黙認して私に我慢を強いた王室と重臣の皆様にも、見て見ぬふりをしたツケを、たっぷり払っていただこう。

 私の唇に、自然と蠱惑的な笑みが浮かぶ。こうして、誰の血も流れない優雅な反撃の幕が上がった。


*****


 数日後、王宮の美しい温室で開かれた小さなお茶会。私がそこに招いたのは、先日廊下で鉢合わせたあの浮気相手――男爵令嬢のリナ嬢だった。彼女は最初、未来の本妻とも言える私から呼び出されたことで、嫌がらせでもされるのではないかと青ざめて震えていた。

 しかし、私は怒るどころか、極上の笑みを浮かべて彼女を歓待した。


「リナ様、先日はご挨拶が遅れて申し訳ありませんでしたわ。その髪飾り、とてもよくお似合いですね。……もしかして、エドル殿下からの贈り物かしら?」


「えっ……あ、はい。殿下が、私の瞳の色に合うからと……」


「まあ、素敵。殿下は本当にリナ様のことを愛していらっしゃるのね。婚約者である私には、そのような情熱的な贈り物をくださったことは一度もありませんもの」


 私が寂しそうに目を伏せると、リナ嬢の顔にパッと優越感が広がった。


「そんな……レティシア様は立派な婚約者であらせられますわ。私はただ、殿下の心のオアシスになれればと……」


「ふふ、優しいのね。でも……少し可哀想だわ」


「可哀想……?」


 私は同情に満ちたため息をつき、紅茶のカップを置いた。


「ええ。どんなに殿下があなたを深く愛していても、身分の壁がある限り、あなたが殿下の『正妃』になることは絶対に不可能なのですから。いくら愛されていても、所詮は日陰の身。殿下が私と結婚なされば、あなたは捨てられてしまうかもしれない……」


 リナ嬢の表情が曇る。先日廊下で見せた優越感は消え失せ、将来への生々しい不安が顔に表れた。


「……私はただ、殿下のお側にずっといたいだけなのに……どうすれば……」


 彼女の懇願を聞き届け、私は身を乗り出し、甘く囁いた。


「……一つだけ。たった一つだけ、誰もあなたたちを引き裂けなくなる方法がありますわ」


「え……?」


「”愛の証”ですわ、リナ様。あなたが王家の血を引く”証”をお腹に宿せば……王室も、決してあなたを無下にはできません。……殿下に愛されない私では、できないことです。殿下への愛を証明できるのは、あなただけかもしれませんわね」


「愛の、証……」


 呆然と呟くリナ嬢の顔に、みるみると欲望の色が広がっていく。その単純でわかりやすい表情を見ながら、私は彼女の頭の中で猛スピードで回っているであろう思考を、手に取るように推察していた。


(『殿下とレティシア様の間に愛はない。殿下はあの完璧すぎる公爵令嬢を抱く気はないらしいし、レティシア様ご自身もそれを望んでいないようだ』……ええ、その通りですわ)


 俯いた彼女の揺れ動く瞳が、徐々に生々しい野心を帯びていくのがわかる。


(『王太子である以上、殿下はいずれ必ず世継ぎを儲けなければならない。正妃となるべきレティシア様がそれを拒否し、務めを果たさないというのなら、その役目は他の女性に移るはず。もし私が殿下の子を孕めば、今のような秘密の愛人――聞こえはいいが、ただの都合の良い性処理要員――で終わるはずがない。公妾や側妃として正式に王宮に迎え入れられ……いや、殿下の寵愛すらないレティシア様をいずれ廃位に追い込めば、私が正妃の座に就くことだって……!』)


 身の程知らずな妄想に酔いしれているのが、その火照った頬と荒くなった呼吸からありありと伝わってくる。

 やがて顔を上げたリナ嬢の瞳に、爛々とした野心と情熱の火が完全に灯ったのを確認し、私は心の中で快哉を叫んだ。


「殿下を癒せるのは、リナ様だけかもしれません。……どうか今日お話ししたことは、ご内密に」



 ――そして、私の暗躍はリナ嬢一人にとどまらなかった。エドル殿下が手を出している別の子爵令嬢や男爵令嬢など、殿下が囲っている残りの令嬢たちにもそれぞれ巧みなお茶会や手紙で接触し、全く同じ言葉を吹き込んだのだ。「あなたこそが特別」「私ではあの方を癒すことはできない」「愛の証を宿せば王室も認める」。

 身分が低く、将来に不安を抱えていた令嬢たちは、皆一様に私の言葉に背中を押され、正妃の座という甘い幻を夢見て、エドル殿下との関係に並々ならぬ執念を燃やし始めた。


 一方のエドル殿下は、愛人たちが急に情熱的になり、自分を求めてくるようになったことに有頂天になっていた。「やはり俺は男として魅力に溢れているのだな。レティシアも文句一つ言わないし、俺の器の大きさを理解しているのだろう」と。何一つ事態の深刻さに気づかない王太子は、ますます調子に乗り、複数の令嬢のベッドを渡り歩く生活を謳歌し続けた。


*****


 そんなドロドロとした暗闘の裏で、私にはささやかな、しかし絶対的な癒やしの時間があった。それは、王宮騎士団の演習場での一時だ。

 公爵令嬢が騎士団を見学すること自体は不自然ではない。王太子妃教育の一環として、軍務や警備体制を知ることは必要だ。だから誰も不審に思わない。

 初夏の日差しの下、騎士たちが剣を交える。金属音が響き、砂が舞う。鍛え上げられた肉体が躍動するその光景は、私にとって大変目に毒――いえ、目の保養である。実に健康に良い。いずれは病気にも効くようになるだろう。


「レティシア様。このような汗臭い場所で、何をされておられるのですか」


 野太く、しかし快活な声が響き、私は振り返った。そこに立っていたのは、王宮騎士団長のアレクシス・ヴァン・クロムウェル。身長は百九十センチを超え、分厚い胸板、丸太のように太い腕、そして歴戦の傷跡がわずかに残る精悍な顔立ち。まさに「歩く彫刻」とも言うべき、逞しい肉体の持ち主だった。


「アレクシス様。演習、お疲れ様ですわ。皆様の素晴らしい動きに見惚れておりましたの」


 私はなるべく上品に微笑みながら、アレクシス様の姿を視界の隅々まで堪能していた。


(ああ、素晴らしいわ……。あの鍛え上げられた大胸筋。軍服の上からでもわかる上腕二頭筋の隆起。エドル殿下のような細い枝とは次元が違う、まさに大木のような安心感……!しかも、汗を拭う仕草まで絵になりますわ!)


 私の内心の興奮など露知らず、アレクシス様は困ったように眉を下げた。


「レティシア様……その、出過ぎたこととは存じますが。最近、殿下のご様子が……あまりよろしくないという噂を耳にいたします。レティシア様が、お一人で悲しみを抱え込んでおられるのではないかと、騎士団の者たちも心配しておりまして」


 アレクシス様の言葉には、私への深い気遣いが込められていた。彼は不器用な男だが、義に厚く、誰よりも優しい。

 私は胸がキュンとするのを必死に抑え、少しだけ寂しそうな作り笑いを浮かべた。


「ご心配をおかけして申し訳ありません、アレクシス様。でも、私は大丈夫ですわ。これも公爵令嬢としての試練。……それに、こうしてアレクシス様とお話ししていると、とても心が安らぎますもの」


「っ……も、勿体なきお言葉です。私のような無骨な武骨者が、少しでもお慰めになるのであれば、いつでもお呼び立てください。この剣にかけて、レティシア様をお守りいたします」


 耳まで真っ赤にして跪くアレクシス様を見て、私は(なんて初心なの……!!ああ、今すぐこの広い背中に飛びつきたい!)という衝動を、扇を強く握りしめることで堪えた。エドル殿下への怒りなど、この筋肉の祭典の前では些末なことだ。私のモチベーションは、この美しき騎士団長の姿を目に焼き付けることによって、日々補充されていたのである。


*****


 そして、季節が変わる頃。私…いや、エドル殿下が撒いた種は、最悪の形で芽吹くこととなった。


「リ、リナが……妊娠した?」


 執務室で報告を受けたエドル殿下は、間の抜けた声を上げた。


「は、はい。男爵家より、正式に王家へ報告が上がりました。殿下のお子に間違いないと」


 側近の言葉に、エドル殿下の顔色が悪くなる。


「ま、待て、それはマズイ。ただの遊びだったのに、子ができるなど……いや、だが……俺の血を引く子だ。男児なら、俺の跡継ぎになるかもしれない。……まあ、何とかなるだろう。適当に金を出して離宮にでも住まわせろ」


 エドルはまだ、事態を甘く見ていた。しかし、悪夢はそれだけでは終わらなかった。


「で、殿下!!申し上げます!子爵家のダヌア嬢からも、ご懐妊の知らせが……!」


「なっ!?」


「さ、さらに!準男爵家のアンナ嬢、男爵家のミーリン嬢、ティコ嬢、ヒナ嬢……そしてドロシー嬢も、殿下のお子を宿したと、先ほどご実家から一斉に使いが……!!」


「な、七人!?」


 エドル殿下は椅子から崩れ落ちた。ほぼ同時期に、七人の愛人が妊娠。これは前代未聞のスキャンダルだった。

 王宮は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。事態をさらに悪化させたのは、愛人たちの実家である下位貴族たちの暴走だった。


「我が娘こそが殿下に最も愛されている!生まれてくる子こそが真の第一子であり、認知されるべきだ!」


「いや、我が家の子こそが男児に違いない!次期王の母となるのは我が娘だ!」


 彼らは自分たちの孫が将来の王になるかもしれないという野心に取り憑かれ、派閥を作り、他家を蹴落とそうと宮廷内で激しい権力闘争を始めたのだ。……まぁ、唆したのは私なのだが。

 昨日まで静かだった王宮は、下位貴族たちの醜い罵り合いと、暗殺の噂すら飛び交う伏魔殿と化した。

 これに激怒したのが、王国の根幹を支える高位貴族たちである。アルバーツ公爵をはじめとする重鎮たちは、国王の下へ怒鳴り込んだ。


「陛下!!これは一体どういうことですか!王太子の単なる色恋沙汰と黙認しておりましたが、まさか七人の庶子候補を同時に作るとは!」


「継承権を持つ者が乱立すれば、国が割れますぞ!下位貴族どもが身の程を弁えずに徒党を組むなど、王家の血統と秩序に対する重大な冒涜です!」


「殿下には、ご自身の血がどれほど重い意味を持つのか、王族としての自覚が決定的に欠けておられる!」


 王も重臣たちも、ここで初めて気づいたのだ。エドル殿下の浮気は、単なる「若気の至り」などではなかった。彼は「次代の王」としての危機管理能力が皆無であり、自らの下半身の緩さが国家の火種になるという想像力すら持っていなかったのだ。


「何とかせよ!この事態を収拾できぬのなら、王太子の座は……!」


 王の雷が落ち、殿下は完全に追い詰められた。

 陛下も重臣たちも、かつて私の直訴を無下に扱ったことを、さぞ心の底から後悔したことだろう。


*****


「レ、レティシア!!助けてくれ!!」


 青ざめ、髪を振り乱したエドル殿下が、私の私室に転がり込んできた。優雅に刺繍をしていた私は、冷ややかな視線を彼に向けた。


「……殿下。ノックもせずに淑女の部屋に入るなど、王族としての品位に欠けますわよ」


「そんなことを言っている場合じゃない!お前からも父上たちに言ってくれ!俺は騙されたんだ、あの女たちが勝手に俺の子供を……っ!」


 見苦しい言い訳を並べ立てる殿下を見下ろし、私はゆっくりと立ち上がった。


「騙された、と?殿下ご自身の意志で、彼女たちの閨に通われたのではありませんか?」


「そ、それは……だが、俺の正妃になるのはお前だけだ!お前ならわかってくれるだろう!?俺はお前を愛している、だからお前も俺を……!」


「愛している?」


 私の声音が、絶対零度にまで下がった。エドル殿下がビクッと肩を震わせる。


「殿下。あなたの問題は、浮気をしたという『不実』そのものではありません。王家の血が持つ意味を理解せず、無責任に庶子を作り、貴族社会に無用な派閥争いを生み出した……その『致命的な軽率さ』にあるのです」


「な……」


「統治者としての責任も、政治的な収拾もつけられない。そのような方に、この国を任せることなどできるはずがありません。王族としての教育を、忘れてしまわれたのですか?」


 私の言葉は、鋭い刃となってエドル殿下を滅多切りにした。反論の余地もない正論に、殿下の顔は屈辱と怒りで真っ赤に染まった。


「き、貴様……っ!!偉そうに御託を並べやがって!本当は嫉妬で狂いそうなのだろう!?俺が他の女を抱いたから、悔しくてそんな冷たい態度をとっているだけだろうが!!」


 自らのプライドを守るため、エドル殿下はついに声を荒らげた。


「どうせお前は、俺に惚れ込んでいたくせに!強がるな!!」


 自らのプライドを守るため、殿下は喚き散らした。しかし、私はただ哀れむような笑みを浮かべるだけだった。


「……惚れていた?私が、殿下に?」


「そ、そうだ!だからお前は……!」


「――自惚れるのも大概になさいませ、エドル殿下」


 私の口から出たのは、凛とした、氷のように冷たい声だった。


「私は婚約者としての務めは完璧に果たしてまいりましたが、殿下を『そういう意味』でお慕いしたことなど、ただの一度もございません」


「な……!?」


「大体、私が殿下のようなひ弱な方を好むとお思いですか?私は昔から……ひょろりとした殿方より、分厚い胸板と丸太のような腕を持つ、逞しい殿方が好みなのです。あなたにときめいたことなど、一切ございませんわ」


「そ、そんな……」


 絶句し、ワナワナと唇を震わせる殿下を見下ろし、私は扇をパチンと閉じて冷ややかに宣告した。

 殿下の死角で、侍女たちが拍手してるのが見える。お仲間(筋肉フェチ)かしら?


「私の婚約者としての務めは、これにて終了です。ご自分の蒔いた種なのですから、七つの家が繰り広げる骨肉の争いを、せいぜいその細い肩で受け止めてご覧あそばせ。

 七人の愛人と、やがて生まれるお子たちに囲まれて、どうぞ末長くお幸せに。……それが王宮の地下牢か、辺境の地の果てかは存じ上げませんけれど」


 私からの、完全なる決別の言葉。

 殿下は政治的な敗北だけでなく、「男としての魅力」でも完全に否定されたことを悟り、絶望に顔を歪めてその場に崩れ落ちたのだった。


*****


 その後、事態は急速に収束へと向かった。七人もの庶子候補を乱立させて国家に大混乱をもたらした責任を問われ、エドル殿下は王太子から廃嫡された。王位継承権を剥奪され、地方の小さな領地へ幽閉されることとなったのだ。妊娠した七人の令嬢たちも、王家からの厳重な監視の下、それぞれひっそりと暮らすよう手配された。私の暗躍は、誰にも知られることはなかった。


「あの時、レティシア嬢の忠告を真摯に聞いていれば……。我が王室の不徳の致すところだ」


 と国王陛下自らが頭を下げて謝罪してくださり、莫大な慰謝料とともに、私の自由な将来が約束されたのだ。

 騒動から数ヶ月後。初夏の風が吹き抜ける王宮の庭園で、私は自由の身となった清々しさを満喫していた。そこへ、規則正しい足音が近づいてくる。振り返ると、騎士団長のアレクシス様が、ひどく緊張した面持ちで立っていた。


「……あの、レティシア様。誠に不躾なことを伺うのですが。王宮の侍女たちの間で、妙な噂が流れておりまして……」


 彼は、耳どころか首まで赤くして、大きな体を小さく丸めている。戦場では鬼神のように恐れられる男が、まるで借りてきた猫のようだ。


「噂、ですか?」


「は、はい。レティシア様は……その、ひ弱な男よりも……分厚い胸板と、丸太のような腕を持つ、逞しい男が好みだと……」


 あの日、エドル殿下を断罪した時の言葉が、どういうわけか巡り巡って彼の耳に入ってしまったらしい。


「……もし、それが事実だとしたら?」


 私がわざと上目遣いで問い返すと、アレクシス様は意を決したようにバッと真剣な顔つきになる。


「……では」


 アレクシス様が一歩、こちらへ近づく。


「私にも、見込みがあると考えてよろしいのでしょうか」


「え?」


 間抜けな声が出た。

 いま、この方はなんと?


「長らく、貴女のことは敬うべき公爵令嬢であり、殿下の婚約者だと思っておりました。ですので、このような気持ちを抱くこと自体が不敬だと、そう考えていたのですが」


 彼の耳がまた、ほんの少し赤い。


「違うのだと知ってしまった以上、もう黙っているのは難しい」


 心臓がうるさい。

 嘘でしょう。夢ではないの。私は今、長年片想いしてきた相手から、とんでもないことを言われているのでは?


「騎士団長様、それは」


「私のような武骨者ですが……あなたをお守りしたい。もしよろしければ……私と、結婚を前提にお付き合いしていただけないでしょうか!」


 大きな声が庭園に響き渡る。私は目を丸くし、そして、堪えきれないように口元を覆って笑い出した。

(ああ、なんて愛おしい人。筋肉だけじゃない、この誠実さこそが彼の本当の魅力ね)


「……顔を上げてください、アレクシス様」


 私は一歩前に出て、彼を見上げた。


「噂は、半分本当で、半分嘘ですわ」


「えっ……?」


「私は『逞しい殿方』が誰でも良いわけではありません。……最初からずっと、あなたが本命だったのです」


「……本当に?」


「ここで嘘をついてどうするのです」


「いえ、その……」


 ああもう、珍しい。困っている。大柄で逞しい騎士団長が、こんなふうに狼狽えるなんて。可愛い。いえ、可愛いは違う。格好いい。けれど少し可愛い。


「レティシア様……!」


「ですから、これからは『様』ではなく、レティシアと呼んでくださいませ。……私の、逞しい騎士様」


 私がふわりと微笑むと、アレクシスは感動のあまり言葉を失い、不器用ながらもそっと私の手を取った。

 陽光の下で見るその表情に、私は改めて思う。ああ、やっぱりこの方が好きだ。

 王太子妃の座だとか、社交界の思惑だとか、面倒なものはたくさんある。これから先も、きっと簡単な道ではないだろう。けれど、少なくとももう、好きでもない男の隣で人生を消費する必要はない。

 それだけで、ずいぶん晴れやかな気分だった。


 こうして、王宮を揺るがした愛憎劇は幕を下ろし、したたかで完璧な令嬢は、ついに片思いの成就と、最高の筋肉を手に入れたのである。


めでたしめでたし、筋肉筋肉。


(補足)

王太子は廃嫡されましたが、スペア(王弟だったり親戚だったり)は割といるので、後継者には困りませんでした。

王宮側も、ちゃんと王族の種管理してないの愚かすぎる……。とも思うのですが、もちろん普段は避妊してます。だが、レティシアが令嬢たちを焚き付けちゃったせいで、こう、避妊具に穴をあけたり、頑張って妊娠するよう試行錯誤した末こんな感じになってしまいました。

失敗しちゃったとしても、平民下位貴族なら揉み消したり、他は公妾にしたりなどやりようはあるのですが、7人同時はちょっと、どうにもならなかったですね。ダメ押しに下位貴族を結託させたりね。怒らせた相手が悪かったですね。


設定甘めナーロッパなところはお許しくださいませ。

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筋肉は裏切らない
一瞬で14年後の7人の庶子による毒杯戦争が脳裏で展開してしまった楽しそう…
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