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「な、なんだこの……複雑にして完璧な調和は……!」
公爵が動揺を隠しきれずにいる間に、すかさず二品目が運ばれる。
「二品目、冷前菜。『虹色野菜と水晶帆立のテリーヌ』です」
透明なゼリー状の層の中に、色鮮やかな七色の野菜と、透き通るような白さの水晶帆立が、まるでモザイク画のように美しく閉じ込められている。
前世のフレンチの定番だが、この世界の『清流の湧き水』と『海泡石のゼラチン』を使うことで、透明度が桁違いに上がっていた。
口に入れれば、帆立の甘みと野菜のシャキシャキとした食感、そしてコンソメゼリーの旨味が冷たく喉を滑り落ちていく。
「見事なカッティング……! ゼリーの硬さも絶妙……! ば、馬鹿な、このグランツ帝国に、これほど繊細な技を持つ料理人がいるなどと……!」
公爵は額に脂汗を滲ませながら、テリーヌをあっという間に平らげた。
レオンハルト様は、心底愉快そうにワイングラスを傾けている。(彼も昨日、味見という名目でこのテリーヌを三個も平らげているから余裕なのだ)
「三品目、スープ。『黄金雉のダブル・コンソメ』にございます」
運ばれてきたのは、琥珀色に澄み切ったスープ。
一口飲んだ公爵は、今度こそ声にならない悲鳴を上げた。
「ひぃぃっ……! な、なんと深い……! 黄金雉の骨と肉を限界まで煮出し、さらに卵白でアクを完璧に取り除かなければ、この恐ろしいほどの透明度と深いコクは両立しない……! 神の雫か、これは!?」
公爵はもはや、帝国の料理を貶すことなど完全に忘れていた。
スプーンを動かす手が止まらない。美食家の本能が、目前の料理に完全に平伏していた。
四品目の『銀鱗鮭のポワレ、濃厚ブールブランソース』で、皮のパリパリ感とバターの香りに悶絶し。
そして、ついにメインディッシュの五品目が運ばれてきた。
「五品目、ヴィアンド。『炎牛の極厚ロースト、黒い森のダイヤモンド(トリュフ)ソース』にございます」
私の最高傑作。
絶妙な火入れで中央が美しいロゼ色に染まった極厚の牛肉。その上からは、宮廷の地下に眠っていた芳醇な香りのトリュフをふんだんに使った、艶やかな漆黒のソースがかけられている。
ナイフを入れた瞬間、肉は吸い込まれるように切れ、溢れ出す肉汁がソースと混ざり合う。
公爵は、震える手で肉を口に運んだ。
咀嚼する。
一度。二度。
ポロリ、と。
公爵の片眼鏡がテーブルに落ちた。
そして、その恰幅の良い目元から、一筋の涙がツーッと流れ落ちたのだ。
「……おお……神よ……。私は今まで、何を知った気になっていたのか」
公爵は、祈るように両手を組んだ。
「この圧倒的なまでの肉の力強さ。それを高みに引き上げる、ソースの芳醇な香り。美食とは……これほどまでに、人の心を打ち震わせるものだったのか……!」
勝負あった。
クレーマー公爵は完全に陥落した。
プロジェクトは、完璧な大成功(大勝利)である。
食後の六品目、デザートの『雪林檎とバニラのミルフィーユ』を食べ終えた頃には、ヴァランタン公爵は完全に人が変わっていた。
先ほどまでの傲慢な態度はどこへやら、とろけるような笑顔でレオンハルト様に向かって深々と頭を下げたのだ。
「皇帝陛下……降参です。我が美食教国の完敗だ。これほど素晴らしい料理人が帝国にいるとは。条約は、陛下のご提示された条件で即座にサインいたしましょう」
「……ふふっ。公爵にそう言っていただけるとは、光栄の至りだ」
レオンハルト様は、帝王としての威厳を保ちつつも、その口元は隠しきれないドヤ顔で歪んでいた。(私の料理なんだから、私が一番ドヤりたいところだけど、ここは社長に華を持たせてあげよう)
「ところで、陛下」
公爵が、突然真剣な表情になって身を乗り出した。
「この料理を作ったシェフを、是非ともお呼びいただけないでしょうか。直接、最大限の賛辞を送りたいのです。……いや、もし可能であれば」
公爵の目が、ギラリと獲物を狙う鷹のように光った。
「我が国の最高位の爵位と、莫大な財産、そして専用の城を用意します。どうか、このシェフを我が国へ譲っていただけないだろうか!」
「は?」
レオンハルト様のドヤ顔が、一瞬で凍りついた。
扉の陰で聞いていた私もギョッとした。
(ええ!? 引き抜き!? しかも城付き!?)
前世のブラック企業で酷使されていた私からすれば、外資系からの超絶ホワイト&高給オファーである。一瞬、心が揺れ動いたのは無理もない。
しかし、私が何かを言う前に、バンッ!! と凄まじい音がダイニングルームに響き渡った。
レオンハルト様が、テーブルを両手で激しく叩いて立ち上がっていたのだ。
「……公爵。今、なんと言った?」
その声は、地底から響くような、絶対零度の冷気を孕んでいた。
彼の周囲には、目に見えそうなほどの漆黒のオーラ(殺気)が渦巻いている。
「ひぃっ!? い、いや、ですから、その素晴らしいシェフを我が国に……」
「断る!!」
レオンハルト様は、テーブル越しに公爵を睨み殺さんばかりの勢いで身を乗り出した。
「あれ(ルミナ)は、私の専属料理人だ! 帝国中の財宝を積まれようと、世界を半分やると言われようと、絶対に譲らん! あれの作る飯は……あれが作ったものは、この私だけのものだ!!」
「へ、陛下!? し、しかし、料理人一人でそこまで……」
「黙れ! 今すぐ条約にサインして国へ帰れ! 一秒でも長くここにいれば、公爵といえども無事では済まさんぞ!!」
条約締結直後とは思えないほどの、理不尽な恫喝。
あまりの剣幕に、美食教国の特命全権大使は震え上がり、「ひぃぃぃっ! わ、わかりました! サインしますから命だけは!」と泣きながら羊皮紙にサインをし、逃げるように帰っていってしまった。
……嵐が去ったダイニングルーム。
ポツンと残されたレオンハルト様は、肩で荒い息をしながら、乱れた髪を掻き上げた。
私はそろそろと扉の陰から姿を現した。
「……あの、陛下。いくらなんでも、あそこまでブチ切れなくても。せっかくの条約が台無しになるところでしたよ」
私が呆れたように声をかけると、レオンハルト様はビクッと肩を震わせ、クルッとこちらを振り向いた。
その顔は――耳の先まで、いや、首の根元まで真っ赤に染まっていた。
自分が先ほど、公爵に対してどれほど「独占欲」むき出しの恥ずかしい発言をしたか、冷静になって気づいたらしい。
「き、貴様! 聞いていたのか!!」
「ええ、バッチリと。『あれは私のものだ!』って、大声で。なんだか、子供がお気に入りのおもちゃを取られそうになって駄々をこねているみたいでしたね」
私がニヤニヤしながらからかうと、レオンハルト様は顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。
「……くそっ……忘却の魔法は使えないのか……」
「残念ながら、私は料理しかできませんので」
しばらく床で悶絶していた皇帝陛下は、やがて諦めたように立ち上がり、私を真っ直ぐに見下ろした。
先ほどの赤面はまだ残っているが、その碧眼には、真剣な光が宿っている。
「……ルミナ」
「はい」
「……我が国に、留まってくれるな。お前がいなくなったら、私はもう生きていけない。……あの退屈な食事には、二度と戻れないんだ」
それは、帝国を統べる皇帝としてではなく、ただの不器用な一人の青年としての、あまりにも情けない、しかし最高に真摯なプロポーズ(胃袋的な意味で)だった。
私は思わず吹き出しそうになるのを堪え、優雅にカーテシー(淑女の礼)をして微笑んだ。
「ご心配なく、陛下。このブラック……いえ、やりがいのある宮廷(職場)の改革は、まだ始まったばかりですから」
そして私は、顔を上げてとびきりの営業スマイルを浮かべた。
「とりあえず、今日の残業代と、見事プロジェクトを成功させた特別ボーナスは、しっかり弾んでいただきますからね?」
「……あ、ああ。国庫の鍵ごとくれてやる……」
こうして、美食教国との外交戦は私の完全勝利(と皇帝陛下の完全降伏)で幕を閉じた。
私の異世界厨房無双は、さらにスケールアップしながら、これからも続いていくのだ。
明日の朝ごはんは、彼が一番好きな「極厚カツ丼」にしてあげよう。胃もたれするかもしれないけれど、たまにはご褒美ということで。




