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「――というわけで、明日のお昼までに、隣国である『美食教国フランセル』の特命全権大使を唸らせる、完璧なフルコースを用意してくれ!!」
その日の午後。
私の城(厨房)に駆け込んできたクラウス様は、過去最高に酷い顔色をしていた。文字通り、灰色というやつだ。
「……はい? 明日のお昼ですか?」
「そうだ! 今からきっかり二十時間後だ!」
私は仕込み中の鍋から顔を上げ、持っていたお玉をピタリと止めた。
前世の記憶が蘇る。金曜日の夕方に「月曜の朝イチまでにこの新機能実装して」と無茶振りをしてくるクソクライアントの顔が。
「クラウス様。プロジェクト……いえ、料理には『仕込み』という絶対に必要な時間があります。特に、国賓を歓待するレベルのフルコースとなれば、数日前からメニューを決め、素材の調達から始めるのが常識です。それを前日って……いくらなんでも仕様変更のレベルを超えてますよ」
「わ、わかっている! 私だって陛下をお止めしたのだ! だが、あの美食教国のヴァランタン公爵が、急に予定を前倒しして帝都に到着してしまったのだ!」
クラウス様の話を要約するとこうだ。
美食教国フランセルは、その名の通り『食』を芸術の域まで高めた国であり、この大陸における食文化の最高峰。彼らは常に自国の料理が世界一だと自負しており、他国の料理を見下している。
今回、我がグランツ帝国とフランセル国の間で、重要な『魔石の輸出入に関する通商条約』の最終合意が結ばれる予定だった。
しかし、交渉の全権を握るヴァランタン公爵は、異常なまでの美食家(というか食のクレーマー)として有名で、「グランツ帝国のエサのような飯など食えたものではない。私の舌を満足させる食事が用意できないなら、この条約は白紙にする」と豪語しているらしい。
本来なら、前の料理長が数ヶ月前から準備を進めていたはずだった。しかし、彼は陛下のお小言に耐えかねてフライパンを投げて逃亡済み。
そこへ公爵が予定を早めてやってきたため、宮廷は現在、大パニックに陥っているというわけだ。
「……なるほど。納期は明日のお昼で絶対厳守。失敗すれば国益に関わる特大のペナルティあり。しかも相手は、粗探しをする気満々の超絶クレーマー、と」
「そ、そうだ……。ルミナ、君だけが頼りなんだ! 失敗すれば、条約は破棄。最悪の場合、陛下に恥をかかせたとして、私と君の首が物理的に飛ぶ!」
「安心してください、クラウス様」
私はエプロンの紐をギュッと結び直し、不敵な笑みを浮かべた。
「私、前世から『炎上案件』の火消しには自信があるんです。必ず成功させてみせますよ。……ただし、人員と予算は私の好きにさせてもらいます」
「もちろんだ! 帝国国庫を開放する! なんなりと申し付けてくれ!」
よし。言質は取った。
私は厨房の壁に立てかけてあった巨大な黒板(メニューを書くためのもの)の前に立ち、チョークの代わりの白墨を手に取った。
「これより、対ヴァランタン公爵・美食外交プロジェクトを開始します!」
私はまず、黒板に大きく横線を何本も引き、ガントチャート(工程表)を書き殴り始めた。
「現在時刻、午後三時。明日の正午がデッドライン(提供開始)。逆算すると、タイムリミットまで残り二十一時間。圧倒的に時間が足りません。そこで、宮廷内の全人員を動員します」
私は厨房の外に待機していた近衛騎士団とメイドたち――昨日、私のカレーによって完全に餌付けされ、忠誠を誓った腹ペコ軍団――を呼び入れた。
「ジャイルズ団長! 騎士団の皆さんには、これより私の指揮下に入っていただきます! 力仕事と、単純かつ正確な作業をお願いします!」
「おおっ! 任せてくれ、ルミナ殿! 我が剣は今日、包丁となる!」
「マーサ長! メイドの皆さんには、ダイニングルームの完璧なセッティングと、私が指示したタイミングでの配膳の徹底をお願いします!」
「ええ、任せてちょうだい。私たちの完璧なサービスを見せつけてやりましょう!」
カレーの恩義に報いるため、全員の士気は最高潮だ。
これこそが、事前の根回し(賄い)の力である。
「メニューのコンセプトは『伝統的フレンチとグランツ帝国の最高級食材の融合』です。公爵は美食教国の人間。小手先の奇をてらった料理では『邪道』と一蹴される可能性があります。だからこそ、王道のコース料理の枠組みの中で、暴力的なまでの旨味を叩きつけ、ぐうの音も出ないほど圧倒します」
私は黒板に次々とメニューを書き込んでいく。
一品目・アミューズ(突き出し)。
二品目・冷前菜。
三品目・スープ。
四品目・ポワソン(魚料理)。
五品目・ヴィアンド(肉料理)。
六品目・デセール(デザート)。
「全六品のフルコース。……さあ、徹夜作業の始まりよ。各自、死ぬ気で手を動かして!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
私の号令とともに、宮廷厨房は巨大な戦場へと変貌した。
私はプロジェクトマネージャー兼総料理長として、全体の進捗を管理しながら、自身も最も難易度の高い調理に没頭する。
ジャイルズ団長率いる屈強な騎士たちは、私が指示したミリ単位の正確さで、山のような野菜をみじん切りにしていく。(剣術の達人だけあって、包丁さばきは異常なほど早かった)
メイドたちは、銀器を顔が映るほどに磨き上げ、グラスの曇りを一つ残らず拭き取っていく。
深夜。静まり返った宮殿の中で、厨房だけが煌々と魔道ランプに照らされ、熱気に包まれていた。
「ルミナ。……進捗はどうだ」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、レオンハルト様が腕を組んで立っていた。相変わらずの美貌だが、眉間には深い皺が寄り、その瞳には焦りの色が濃く滲んでいる。
国賓の対応、しかも自国の命運を握る条約の行方が、平民の小娘一人の腕にかかっているのだから、彼が眠れないのも無理はない。
「順調ですよ、陛下。スープの仕込みが終わり、これからメインのお肉の下処理に入るところです」
「……本当に、大丈夫なのか。ヴァランタン公爵の舌は悪魔だと言われている。自国の優秀な料理人ですら、少しでも気に入らなければその場で解雇するような男だぞ」
レオンハルト様の声は、どこか自信なさげに揺れていた。
私は作業の手を止め、彼に向き直った。
「陛下。私の料理を信じられませんか?」
「っ……! そ、そういうわけではない! 私はただ……お前が万が一失敗して、公爵から侮辱されるようなことになれば……」
彼は言葉を濁し、ふいっと顔を逸らした。
どうやら、条約のことだけでなく、私自身が酷い目に遭うことを心配してくれているらしい。相変わらず、素直じゃないというか、不器用な皇帝陛下だ。
私はフフッと笑い、彼に近づいて、こっそりと小皿を差し出した。
「なんですか、つまみ食いに来たんでしょう?」
「なっ! ち、違う! 私は皇帝だぞ、厨房でつまみ食いなどという下品な真似を……」
「いいから、あーん、して」
私が小皿に乗せた一口大の肉片を、箸でつまんで彼の口元に持っていくと、レオンハルト様は条件反射のようにパクリとそれに食いついた。
「っ……!!?」
目を見開くレオンハルト様。
彼が食べたのは、メインディッシュに使う予定の『炎牛のヒレ肉』を低温調理で極限まで柔らかくし、表面だけをサッと香ばしく焼き上げたものだ。まだソースはかかっていないが、肉そのものの強烈な旨味と、とろけるような食感が口いっぱいに広がったはずだ。
「……美味い。なんだこれは……噛む必要がないほど柔らかいのに、肉の旨味が信じられないほど濃い……」
「当日のソースは、さらに極上になりますよ。安心してください。私が、陛下の顔に泥を塗るような真似をするわけがないでしょう?」
「……ふん。まぁ、これなら……少しは期待してやってもいい」
耳の先をほんのりと赤く染めながら、彼は顔を背けた。
「……無理はするなよ。お前が倒れたら、誰が私の明日の朝食を作るのだ」
そう捨て台詞のように残して、レオンハルト様は足早に厨房から去っていった。
(本当に、ツンデレの教科書みたいな人ね)
私は苦笑しながら、再び包丁を握り直した。
「さて。うちの可愛い社長を安心させるためにも、絶対に負けられないわね」
◇ ◇ ◇
翌日、正午。
帝国の粋を集めた豪華絢爛な迎賓のダイニングルーム。
長大なテーブルの片側には、皇帝レオンハルトが威風堂々と座り、その対面には、豪奢なベルベットの服に身を包んだ、恰幅の良い中年男性がふんぞり返っていた。
彼こそが、美食教国フランセルの特命全権大使、ヴァランタン公爵である。
彼は片眼鏡の奥の鋭い目で、テーブルに置かれたカトラリーやグラスを品定めするようにねめつけ、わざとらしく大きなため息をついた。
「いやはや。グランツ帝国の宮殿は、相変わらず無骨で野蛮な作りですな。我が国の洗練された芸術性とは雲泥の差だ」
「……長旅の疲れでお目が濁っておいでか、公爵。我が帝国の質実剛健な美しさを理解するには、貴国のような華美に溺れた感性では難しいのかもしれんな」
レオンハルト様も負けじと冷ややかな笑みを浮かべて応戦しているが、テーブルの下で彼の手が微かに握り締められているのを、扉の陰から控えている私は見逃さなかった。
バチバチと火花が散る外交戦。しかし、胃袋の戦場は私の領域だ。
「さあ、食事にしようではないか。我が国が誇る最高の料理人が、公爵のために腕によりをかけた」
レオンハルト様の合図とともに、マーサ長率いるメイドたちが、一糸乱れぬ動きでダイニングルームへと入場した。
「一品目、アミューズ・ブーシュにございます」
供されたのは、純白の皿の上に鎮座する、宝石のような一品。
『海竜のキャビアと、星屑ポテトのブリニ』だ。
ヴァランタン公爵は眉をひそめた。
「ほう……キャビアですか。素材に頼るだけの単調な料理が出てこないことを祈りますがね」
彼は銀の匙でそれをすくい、気怠げに口に運んだ。
その瞬間。公爵の顎の動きがピタリと止まった。
「……っ!?」
公爵の目が、片眼鏡が落ちそうになるほど見開かれる。
ただのキャビアではない。私が前世の分子ガストロノミーの知識を応用し、キャビアの塩気を引き立たせるために、ブリニ(小さなパンケーキ)の生地に『甘雪林檎』の果汁を極微量練り込んであるのだ。
海の濃厚な塩気と磯の香りが弾けた直後、生地からほんのりとした上品な甘さが追いかけてくる。計算し尽くされた「甘味と塩味の無限ループ」が、一口サイズの芸術の中に凝縮されていた。




