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その手紙は私のものではありませんよ?

作者: にゃみ3
掲載日:2026/08/08


「突然呼び出して悪いな、ロレッタ嬢」


「いえ……皇太子殿下が私一人をお呼びになるのは初めてのことですから少し驚きましたが……」


 目元を細め、冷ややかな眼差しで私を見据えるアルフレッド皇太子へ穏やかな笑みを向ける。


 彼はこの国の皇太子であり、そして私の婚約者イヴァンの幼馴染だった。


「この件については、一度きちんと話をしておくべきだと思ったのだ。互いの立場もある。人前で話すような内容ではないからな」


 そう言ってアルフレッド皇太子が差し出してきたのは、数枚の便箋だった。


「これは……」


 華やかな装飾が施された便箋には、隙間なく文字が綴られている。


 驚くことに、それは恋文だった。

 手紙主は執拗に、いかに自分が皇太子を愛しているのかを丁寧に書き記していた。


 どうして皇太子がこんなものを私に見せてくるのかと困惑したが、その疑念は手紙の文字に目を通す度に強まった。


 これは、まるで……。


「まるで、私が皇太子に送った手紙のように見えますわね」


『どうしてもっと早くあなた様に想いを伝えなかったのか、自分の愚かさを恥じるばかり』


『彼が隣国から戻ってくることを思うと、今にも泣いてしまいそうなの。だって私の心は、とっくの昔にあなた様のものとなっているのだから』


『イヴァンのことなど本当は好きではないの。だからお願い、私を迎えにきて。私だけの皇太子さま――』


 見覚えのないその手紙は、信じられないことにまるで私が書いたような内容だった。


「何? これは君の書いた文章ではないというのか」


 私が顔を上げると、アルフレッド皇太子は腕を組んだまま片眉を上げた。


「これは一体何なのです? 近頃平民の間で流行している、貴族や皇族を題材にした演劇の小道具か何かでしょうか」


「親友の婚約者と不貞を働くような醜聞を、演劇だと笑って見過ごせるほど私の心は広くない」


 低く言い放たれた声音に、私は思わずため息をつきそうになり、慌てて飲み込む。


 では、これは何だと言うのだろう?


 手紙を見れば見るほど私の処遇によく似ているけれど、私がアルフレッド皇太子をお慕いしているなどありえない。


 イヴァンという、私が十歳の頃からの婚約者がいるにもかかわらず、他の殿方へ浮ついた気持ちを持つなどあり得ない。


「見てみろ。この便箋が入っていた封筒だ」


「まあ、私の名前だわ」


「この手紙は間違いなく、シャルリア公爵家の従者から受け取ったもの。皇太子と公子の婚約者が内密に文通をしていることを知られないために、レアという名の直属の侍女を使って送ってきている」


「レア、確かにシャルリア家のメイドですね。……本当に徹底しているのね、すごいわ」


 頬へ手を添え、思わず感心の声が零れてしてしまう。


 ここまで揃っていたら、誰が見ても私が皇太子を慕い、婚約者の目を盗んで密会を重ねているようにしか見えない。


「もう一度聞こう。ロレッタ・ダンヴェール嬢。この手紙は本当に君のものではないのだな」


 私は一瞬だけ考え込み、そしてすぐに微笑んだ。


「どう答えるべきか、私には分かりませんわ」


「何だと?」


 皇太子の端正な眉がぴくりと動く。


「確かに、この手紙に書かれている内容は私のことだとしか思えませんし、筆跡も私の字とよく似ています。さらには封筒にはシャルリア公爵家の金印まで押されている……ここまで揃えられてしまえば、私ではないと言い切ることなど、どうしてできるでしょう」


 アルフレッド皇太子は眉間に深い皺を刻んだ。

 苛立ちを押し殺すように指先で机を叩き、大きく息を吐き出す。


「もういい、下がれ。突然呼び出して悪かったな」


「はい、皇太子殿下」


 私は椅子から立ち上がると、ドレスの裾を摘まみ上げて礼を取る。

 そしてすぐ背を向けて部屋を出ようとした、その時だった。


「ロレッタ嬢」


「はい?」


「また近いうちに会うことになるだろう。その時は君の喜ぶプレゼントでも用意しておこう」


 近いうちに会う。

 つまり、それまでにこの件の真相を突き止めておけ、ということね。


「それは楽しみですね」


 ……はあ、まったく。

 本当に面倒なことになってしまったわ。


 城の長い廊下を歩きながら顎へ手を添え、ゆっくりと思考を巡らせる。


 シャルリア公爵家の金印が押された手紙。

 シャルリア公爵家とは現在私が住んでいる屋敷であり、婚約者イヴァンの実家。


 そして彼が隣国の貴族学院から戻ってくるまでの間、花嫁修業という名目で家の運営を任されている場所。


 シャルリア公爵家は他の名家たちとは少し変わっていた。公爵が2年前に急死し、跡継ぎのイヴァンが成人するまでの間、代理として公爵夫人が当主の座についている。


 公爵家の金印を持っているのは、イヴァンから預けられている私。そしてイヴァンの母と妹の合計三人。


 つまり、あの手紙を送り出せる人物はその中にいるということになる。


 もっとも、公爵夫人を疑う気にはなれなかった。箱入り娘として育ったあの方は人を疑うことを知らないほど純粋無垢。


 彼女は親戚に騙されかけたことが一度や二度ではない。人を陥れるような細工ができるとは、とても思えなかった。


 となれば、残るは一人。


 イヴァンのただ一人の妹アリス。

 公爵を誰よりも慕っていた彼女は、父を亡くした悲しみに耐えきれず、まだ12歳という幼さで心を閉ざしてしまった。


 最後に姿を見たのは、確か……。


『彼女は私のお友達よ。何があっても、誰であっても、皆エリゼの命に従うように』


 一度も会ったことのない、文通でのやり取りをしていたラヴィア家の娘を屋敷へ呼び寄せるよう、家臣たちへ命じた幼い公爵家の姫君の姿を、私はもう二年も見ていない。


 引きこもりとなった公爵家の大切な姫君が唯一心を許した存在。エリゼ・ラヴィア嬢。アリスの家庭教師という名目で公爵家に迎えられた彼女は、いつしかこの屋敷を自分のものとでも思っているかのように振る舞い始めた。


『私にそんな口を利いていいと思っているの? 私に無礼を働いたら、アリス様が黙っていないわよ』


 その言葉を免罪符に、未来の公爵夫人である私以上に威張り散らし、使用人たちを顎で使う姿も今では見慣れた光景になっている。


 イヴァンからシャルリア公爵家のお金は自由に使っていいと言われているし、心を塞ぎ込んだ引きこもりの義妹の心を一時的にでも癒すための、手のかかるペットを買ったと思えば安いものだった。


 だけど、飼い主に噛みつく犬を放置しておくわけにはいかない。


「……ふむ」


 ついに、重たい腰を持ち上げなくてはならない時がきたみたい。




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




「エリゼ嬢、少しいいかしら」


「……ロレッタ様?」


 屋敷へ戻った私は早速エリゼ嬢のもとを訪ねた。


 一瞬だけ混乱したように目を見開いたものの、彼女はすぐにいつもの余裕たっぷりな笑みを浮かべる。


「ロレッタ様が私にご用とは珍しいですね」


 エリゼ嬢は微塵も動揺を見せなかった。

 わざとらしいほど余裕を装った笑みを浮かべる彼女を、私もまた笑みを絶やすことなく見つめ返す。


 直接問い詰めて大人しくさせようかと思ったけど……やっぱり、あなたは私の世界に必要ないみたいね。


「アリスの様子はどうかと思って」


「アリス様でしたら相変わらずです。私と専属メイドの一人以外は徹底的に寄せ付けず、部屋にも入れません」


「そう。でも元気そうなら安心したわ。たまには部屋から出て、庭園を散歩させるのもどうかと提案してみたいと思ったのだけれど」


「それは難しいお話でしょうね。彼女は公爵夫人とイヴァン様、そしてこの私以外の人間には心をゆるしておりませんから」


「そうね、頼りにしているわ。エリゼ嬢」


 穏やかに微笑んでそう告げると、エリゼ嬢の警戒が解けてきたのか、わずかに肩の力が抜けるのが分かった。


「随分とアリス様を気にかけておられるのですね」


「当たり前じゃない。あなたにとってあの子が大切な友人であるように、私にとってあの子は大切な義妹だから」


「義妹、ですか」


「イヴァンと私が結婚すれば、必然的にそうなるでしょう?」


「確かにそうですわね。ですが本当にそうなのでしょうか?」


「……それはどういうこと?」


「いえ……失言でした。そろそろ失礼してもよろしいでしょうか?私を本物の姉のように慕ってくださるアリス様との約束がありますので」


「わかったわ。引き止めてしまってごめんなさい、エリゼ嬢」


 エリゼ嬢はわざとらしく鼻をならすと、長く伸びた髪をなびかせ、私の隣を横切っていった。


「ロレッタ様に向かってあのような……彼女は自分がこの屋敷の女主人だと勘違いされているのでしょうか!」


 エリゼ嬢の姿が見えなくなったと同時に、背後に控えていた私の侍女が口を開いた。


 彼女は私が公爵家に足を踏み入れるずっと前からシャルリア公爵家に仕えているメイドで、エリゼ嬢にかなりの憤りを感じているようだった。


 顔をしかめて怒りを露わにする侍女に、私は笑って返事をする。


「そうねえ」


「ロレッタ様ももう少しお怒りになってくださいませ! 本来、一介の子爵家の娘が伯爵家の令嬢であり、次期公爵の婚約者であられるロレッタ様とお話しできるだけで光栄なことだというのに……! あの女、一体どうやってアリスお嬢様を懐柔したかは知りませんが、私たちは――」


 怒りが収まらない様子の侍女の口に指を添えて黙らせる。


「あなたたちには苦労させたかもしれないわね、ごめんなさい。だけどそう怒らないで。直にすべてが終わるわ」


「ロレッタ、さま……」


「この屋敷の新たな公爵が隣国から戻る前に、きちんと掃除しておかないといけないの。だから、手伝ってちょうだいね」




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




 それから、さほど時間が経たないうちに、王宮でパーティーが開かれた。


 主催者は、アルフレッド皇太子。


 騒がしいものをこの世で最も嫌うあの皇太子が、これまで公式行事以外で宴会を主催したことは一度もない。

 そのため、招待状を受け取った大勢の貴族たちは皆一様に困惑していた。


 一体、皇太子は何を仕出かすつもりなのか、と。


 私もこのパーティーに招待された。

 当然だ。これは私のために開かれたようなものなのだから……。


 この二年間、公爵様が亡くなってからというもの、次期公爵夫人としてシャルリア公爵家を支えることに追われていたため、社交界へ顔を出すのは随分と久しぶりのことだった。


 華やかなドレスに身を包み、久しぶりに王宮の大広間へ足を踏み入れると、そこには既に大勢の人が集まっていた。


 その中でも、表向きには友人として親しくしている数名の令嬢たちが私を見つけるなり、あっという間に取り囲んできた。


「ロレッタ様、お久しぶりです。社交界でお見掛けするのは随分と久しぶりですわね」


「シャルリア公爵家で花嫁修業を受けていらっしゃるとか。公爵様の急死もあり、公爵夫人のお手伝いをされているのですよね? さぞかしお忙しいでしょう」


「本当に久しぶりですね。皆さんにお会いするのを、ずっと楽しみにしていました。ええ、そうなんです。何せシャルリア公爵家は歴史ある家門ですから、すべきことがあまりに多く、社交界に出る余裕がなかったのです」


「まあ、ご謙遜を。他の誰でもないロレッタ様に限って、そのようなはずないでしょう。ですが、本日お目にかかれたということは社交界に復帰されるのですね?」


「はい、そのつもりです。皆さん、ぜひまた仲良くしてくださいね」


 穏やかな笑みを向けながらそう答えると、先ほどまで漂っていたわずかな緊張感が、ふっとほどけていくのが分かった。


 やっぱり、笑みというのは本当に便利なもの。

 相手の心を打ち解けさせる笑顔。

 それは私の最も得意とするものの一つであり、社交界という戦場を生き抜くための武器であり、何より私自身の処世術でもあった。


「その……実は、お伺いしたいことがあるのですが」


 さっきまで楽しげに笑っていた令嬢の表情が少し硬くなる。

 周囲にいた者たちも、聞き耳を立てるようにこちらへ意識を向けているのが分かった。


「まあ、何でしょう?」


 私は何も気づいていないフリをして、穏やかに首を傾げる。

 すると、令嬢たちは互いに顔を見合わせ、恐る恐る口を開いた。


「実は近頃、皇太子殿下とロレッタ様が恋仲だという噂が社交界に流れているのです」


「……まあ、そんなことが」


「ですが、わたくしたちにはそれが真実とは到底思えなくて。ロレッタ様に直接真実をお伺いしたかったのですが、中々お目にかかれず……」


 無数の瞳が私を見つめている。

 今にもこの場から逃げ出したくなるほど、心地悪い視線の数々。


 アルフレッド皇太子ほどではないけれど、私も、この気色の悪い人々が集う社交の場が大嫌いだった。


 私は幼い頃から両親の言葉に従って数え切れないほどの社交界に参加してきた。

 次期公爵の婚約者として、いつだって数多の人々の注目の的にされてきた。

 笑顔を浮かべ、相手の言葉に耳を傾け、求められた答えを返す。

 その裏で何を考えているのかなど、いちいち気にしてはいられない。


「私の知らぬ間に、そんなことが起きていたなんて……」


 口元へ手を添え、下唇を噛んで目を伏せる。

 そして頭の中で、とにかく悲しいことを思い浮かべているうちに目尻に溜まった涙が頬を伝った。

 

「一体、誰がそのようなことを……婚約者がいる身で他の殿方と恋仲になどなるはずがありません」


 できる限り声を震わせ、悲しげにそう訴える。

 その瞬間だった。背後から、聞き慣れた甲高い声が響いた。


「あら? ですが、これはアリス様が仰っていたことでもありますのに」


「……エリゼ嬢」


 振り返れば、そこには予想通りの人物が立っていた。

 彼女がこの場にいることは、もちろん最初から分かっていた。

 あえて彼女よりも遅く馬車を走らせ、ここへ来たのだから。


 エリゼ嬢と私が顔を合わせた途端、周囲の人々の目の色がガラリと変わった。


 好奇心に満ちていた視線に、沢山の感情が入り混じる。


 まだ公子の婚約者でしかない私と、公爵令嬢であるアリス。

 身分だけを比べれば、誰の言葉に重みがあるのかは明白だ。


 そしてエリゼ嬢自身はただの子爵令嬢だというのに。

 まったく、素晴らしい免罪符を手に入れたものね。


「てっきり、私はこの宴会アルフレッド皇太子が社交界へ復帰されるロレッタ様のために開かれたのかと思っておりました」


「エリゼ嬢、私にはあなたの言っている意味が……」


「ご安心ください。私は毎晩のように皇太子殿下へ恋文を書かれているロレッタ様の想いは本物だと思いますわよ?」


 エリゼ嬢の言葉に、無数の視線が一斉に私から離れていく。

 そして今度は、少し離れた場所で家臣と何やら話をしていたアルフレッド皇太子へと向けられた。


 皇太子本人の口から、その噂について何か語られることを期待しているのだろう。

 誰もが息を潜めるようにして、食い入るようにアルフレッド皇太子を見つめた。


 その視線に気づいた皇太子はこちらを見つめ、そして悪戯気に口角を吊り上げた。


「近頃、ロレッタ嬢から恋文が届いているのは事実だ」


 その一声で、会場中に大きなどよめきが広がった。

 さっきまで私を信じると言っていた令嬢たちまでもが、互いの顔を見合わせている。


 はあ、回りくどいやり方をさせるわね……。

 本当に性格が悪いんだから。


「では、ロレッタ様が一方的に皇太子殿下を?」


「ロレッタ様にはイヴァン様という婚約者がいらっしゃるのに。それもイヴァン様とアルフレッド皇太子はご友人……そんなことがありえるのでしょうか」


「イヴァン様は隣国の貴族学院におられますし、あり得ない話でもないわよね?」


 先ほどまで私を信じていると口にしていた令嬢たちまで、今では疑念を滲ませた表情で私を見つめている。


 その様子を眺めながら、エリゼ嬢は満足そうに口元を吊り上げた。


「この国の偉大なる皇太子殿下は素敵なお方ですもの。心揺らぐのも仕方がありませんわ」


 まるで私を慰めるかのような優しい声だった。

 私は眉尻を下げると、動揺を隠せないように視線を泳がせ、困惑したように唇を震わせた。


「エリゼ嬢、どうしてそのようなことを……。言いがかりが過ぎるわ。私が皇太子殿下に手紙を書いたことなど……」


「では、こちらは何です?」


 私の言葉を遮るように、エリゼ嬢が声を上げる。


「ロレッタ様が王宮から帰ってきた後、こんなものを見つけましたの。てっきり皇太子殿下に頂いたのかと思いましたが、まさかお盗みになられたのですか?」


 今こそ好機だと言わんばかりに、エリゼ嬢は懐へ手を入れた。

 そして、取り出したそれを大勢の人々に見せつけるように高々と掲げる。


 彼女の手に握られていたのは、ペリドットのアミュレットだった。


「それは……」


「そうです、皇太子殿下。皆さんも何度もお目にしたことがあるでしょう。皇太子殿下が公式行事に参加される際、必ず身につけられるアミュレットです。帝国にただひとつの品……それがなぜ、ロレッタ様の寝室にあったのでしょう」


 アルフレッド皇太子の声を遮り、エリゼ嬢は高らかに言い放つ。

 その顔には、もはや隠しきれない勝ち誇った笑みが浮かんでいた。

 周囲からも今度こそ決定的な証拠だと言わんばかりのざわめきが広がっていく。

 

「さあ、お答えくだ――」


「それは皇太子殿下のものではありませんよ?」


「……は」


 エリゼ嬢が恐ろしくてたまらない。

 どうしてこんなにも間抜けで、私の理想通りの動きを繰り広げてくれるのか。本当に恐ろしくてたまらなかった。


 アリスの友人だと言い張り、彼女の言葉を盾にして好き勝手に振る舞っているエリゼ嬢。

 けれど、そんな彼女の言うことに従うシャルリア公爵家の使用人たちが、なぜ次期公爵夫人である私の命令を聞かないと思ったのだろう。


 暫くの間、面倒でほったらかしにしていたことを、私が歯向かえないのだと勘違いしたのかしら?


 あなたの前で慎ましく振舞っていたのは、感謝していたということもあったのよ。

 私を見ると手当たり次第に物を投げつけてくる不安定なアリスのペットになってくれて。


「それに、正確にはこの帝国に二つです。私の婚約者であるイヴァンと皇太子のお揃いで造られたものですね。彼が貴族学院に入学する前に私に預かってほしいと渡されまして」


「はっ? いや、だって……」


 不安げに視線を泳がせ、エリゼ嬢は助けを求めるようにアルフレッド皇太子へ視線を向けた。


 アルフレッド皇太子は何の躊躇いもなく上着の裾を捲り上げる。

 その内側から現れたのは、見慣れた彼のアミュレット。

 そこには確かに、もう一つのアミュレットがあった。


「ロレッタ嬢の言うとおりだ。私のはここにある」


「そ、そんな……だって、だってメイドたちが……!」


「ところで、エリゼ嬢。私の寝室に何の御用があったのでしょうか」


 面倒なことを口走る前に黙らせておかなければ。

 にっこりと微笑みを浮かべて彼女の言葉を遮ると、エリゼ嬢の顔色がみるみるうちに青ざめていく。


「ロレッタ嬢の名で私の元に送られた恋文は、誰かが偽装したものだと発覚している。私の旧友であり、聡明なる公爵夫人には、それが一体誰の仕業なのか分かるか?」


「さあ、皇太子様。私にはまるで分かりませんわ。だけど……あら? エリゼ嬢、顔色が悪いわよ。大丈夫?」


「わ、私……」


「もう何も喋らなくていいわ、あなたがどうしてこんなことを言い出したのかは分からないけれど……あなたは義妹の大切な友人。許してあげる」


 そう言って、私はニコッと笑った。


「皆さん、このふざけた噂がデタラメだということは分かっていただけましたね」


 もちろん、最初からこの場に私を裁ける人間など皇太子以外いない。

 先ほどまで散々好奇の視線を向けていた人々も、今では気まずそうに目を逸らしている。


 私はそんな彼らを追及することなく、ふらつくエリゼ嬢を介抱するように近づいた。

 彼女の耳元へそっと顔を寄せて、囁く。


「私が一番嫌いなことは、面倒ごとを起こされること。今までのように屋敷の中で騒ぐだけだったら見逃してあげたのに、本当に頭が悪いのね」


 エリゼ嬢は勢いよく顔を上げ、弱々しく私を睨みつけた。

 何かを言おうと口を開いたが、彼女が何かを発する前に私を取り囲んでいた令嬢たちが私に代わってエリゼ嬢を別室へ連れて行くと申し出た。


 決して善意からではないことは、彼女たちがエリゼ嬢へ向ける冷ややかな眼差しを見れば一目瞭然だった。つい先ほどまで私へ向けられていた好奇と疑念の視線が、今度はすべてエリゼ嬢へ向けられていた。




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




 すべてが、驚くほど簡単なことだった。


 普段、歳を重ねるたびに知恵をつけ、こちらの思惑を先回りしてくる面倒な年寄りの貴人たちを相手にしていることと比べれば、赤子の手をひねるようなもの。


 まず、私は手紙を皇太子のもとへ手紙を運んでいたというメイドのレアを呼び出した。


 彼女は震えながらも、驚くほど素直にすべてを明かしてくれた。

 元から不満があったものの、『私に従わないと、アリス様に言いつけるわよ』と言われてしまえば、一介のメイドであるレアに逆らう術はなかったのだろう。


 エリゼ嬢が私に成りすまして手紙を書いていたこと。

 その手紙を皇太子へ届けるため、レアを使っていたこと。

 そしてアリスに頼み込み、シャルリア公爵家の金印まで借りていたこと。


 そこまで分かってしまえば、あとは簡単だった。

 私はレアを使って、いくつかの情報を流した。

 もちろん、エリゼ嬢が食いつきそうなものを選んで。


『ロレッタ様の寝室を清掃している際に、皇太子殿下のアミュレットを見つけたと報告しました。そうしたら、ロレッタ様が外出されている隙に、エリゼ嬢がこっそり寝室へ忍び込んでおりました』


 先日、そうレアから報告を受けた時はまさかと思ったけど……エリゼ嬢が頭の悪い子で助かった。


 結局のところ、エリゼ嬢の狙いは私の座を奪うことだったのだろう。

 レアの話によれば、エリゼ嬢は私を悪者に仕立て上げ、婚約者の親友である皇太子殿下と不貞を働いていると思わせることで、イヴァンとの婚約を破談に持ち込むことを企んでいたらしい。


 そうして私がいなくなったところで、傷ついたアリスの心を支え続けてきた優しいお姉様として、今度は自分がイヴァンに近づく。


 随分と都合のいい筋書きを考えたものだ。


 もっとも、エリゼ嬢が勘違いするのも無理もないのかもしれない。

 公爵令嬢をたった一通の手紙から懐柔してみせたのだ。

 自分には人の心を操る才能がある。公爵家の一人娘であるアリスさえ味方につけられるのなら、いずれこの屋敷のすべてを手に入れられる。


 そんなふうに思い上がってしまったのだろう。


 まったく、思い違いも甚だしいわね。


「わざわざこんな舞台を用意してくださるとは、皇太子というのは暇なのですね」


 王宮主催のパーティーは、予定よりも早々にお開きとなった。

 もともと私のために――いや、正確には私がエリゼ嬢を裁くために開かれたようなものだ。目的を果たした以上、これ以上続けても意味もない。


 その後、今日のことについて話し合うために、と使用人たちを通して私を呼び出したアルフレッド皇太子はどこか満足げな顔をしていた。


 まるで久しぶりに面白いものでも見られたと言わんばかりだ。


「そこは優しいと称えるべきだと思うのだが?」


「ごめんなさい、心の声が出てしまいましたわ。とってもお優しい皇太子殿下なら許してくださりますね」


「相変わらず生意気だな。せっかく君のためにプレゼントを用意したというのに」


「はい? プレゼントって……」


 一体何なのよ。

 そう問おうとした瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「アルフレッド!」


 そこから姿を現したのは、私の婚約者イヴァンだった。


「イヴァン……? どうして、今は学院にいるはず……」


「ロレッタ、それはこっちのセリフだ。お前、アルフレッドのことをいつから……」


「ま、まって、何を言ってるの?」


 完璧な紳士である彼が、髪を乱し、息を切らしている。

 それだけでも信じられないというのに、彼の口から飛び出す言葉は何一つとして理解できなかった。


「私がイヴァンに報を出したのだ。今回の件についてな」


「イヴァンになんと伝えたのですか?」


「特に何も。ただあの手紙を送りつけただけさ」


「手紙って、エリゼ嬢が作り上げたあれを?」


 何の説明もなくあの手紙だけを送りつければ、イヴァンから見れば本当に私が皇太子に恋文を送ったように見えるじゃない!


「それが君へのプレゼントを用意する最も早い方法だったからな」


 悪戯気に口角を上げたアルフレッド皇太子がこの上なく憎たらしい。


「何年の付き合いだと思っている? 生意気で高貴ぶっているお前が一番嫌がることくらい簡単に分かるさ」


「……ええ、そうね。私たちは長年の仲だもの。だから分かっていたでしょう? アルフレッド、この私があんたみたいな男を好きになるはずないって!」


 眉をひそめた私がアルフレッド皇太子の足を思い切り踏みつけると、彼はくぐもった声を漏らした。


「行きましょう、イヴァン!」


 痛む足を抱えるアルフレッド皇太子を睨みつけ、すべてを察して楽しげに笑っているイヴァンの手を引いてその場を去った。




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




「私としたことが、感情的になってしまったわね」


 先ほどのことを思い出し、恥ずかしさのあまり頬が赤くなっていないかと不安になりながら、私は預かっていたアミュレットを彼の胸元へ留めた。


 ペリドットが放つ輝きが、馬車の揺れに合わせて揺れる。

 これは、幼い日の私がイヴァンとアルフレッド皇太子に贈ったものだった。

 あの頃は三人でいることが当たり前で、こんなふうに面倒な事件に巻き込まれる日が来るなんて考えもしなかった。


「それより、本当にどうして突然帰ってきたの?」


「僕に帰ってきてほしくなかったような言い草をするんだな」


「……そんなはずないでしょ」


 反発する代わりに、私は隣に座るイヴァンの肩へそっと頭を傾けた。

 久しぶりに触れる彼の温もりに、張り詰めていたものが少しずつ解けていく。


 本当は、もっと言いたいことがあった。

 学院での生活はどう? 何か困ったことはない?

 私はちゃんとあなたとの約束を守って、頑張っているわよ――と。


 それなのに今頭に浮かぶのは、今回の件だった。


 アルフレッド……どうしてイヴァンに知らせたりしたのよ。

 せめて、すべてが片付いてから私の口で説明したかった。

 彼に余計な心配を彼にさせたくなかったのに。


 そう思うと、胸の奥が落ち着かなくなってくる。

 不安に駆られて下唇を噛んだ、そのときだった。

 イヴァンが手を伸ばし、美しく伸びたその指で私の唇に優しく触れた。


「アルフレッドはああいっていたけど、アイツなりにお前を心配していたんだよ」


「……イヴァン」


「大丈夫、あとは僕に任せて」


 本当なら、帰ってきたばかりのあなたにこんな面倒をかけさせるわけにはいかないと、拒むべきなのに。


 私のことを心配してくれたの? 私が皇太子に恋文を送ったと思って慌てて帰ってきてくれたの?


 久しぶりに会えたことがこの上なく嬉しくて、彼の前だとどうしても弱くなる私は、素直にうなずいた。




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




「は、離して! 何をしてるのよ! 私に触らないで!」


「公子様のご命令です。どうか従ってくださいませ、アリスお嬢様」


 二人のメイドに両腕を抱えられ、二階の部屋から引きずり出されたアリスは、数年前に見たときと変わらず、天使のように可愛らしかった。


 私の姿を目にした瞬間、アリスが叫ぶ。


「で、でたわね、このクソ女!」


 天使とは程遠い言動に、思わず苦笑が浮かんでしまう。


「エリゼはどこ? どこなのよ! すぐに私の前に連れてきて!」


 最愛の父親を亡くした悲しみから心を病み、部屋に閉じこもってしまったアリス。

 あまりに辛そうに泣き喚く彼女を心から憐れみ、私は今まで彼女の願いをすべて叶え、そして腫れ物に触るように丁重に扱ってきた。


 しかし今、目の前で繰り広げられている公爵令嬢らしからぬ暴れっぷりは何?

 アリスって、こんな子だったかしら?

 まさか、エリゼ嬢の影響で性格まで変わってしまったというのだろうか……。


「エリゼ嬢でしたら、ご自分の家に帰られましたわよ。どうやら突然ご両親が病に伏せられたようで……」


「う、嘘よ! 分かったわ。あんたでしょ? あんたがエリゼを追い出したのね! エリゼが言っていたもの。いつもあんたに虐められるって!」


 まあ、確かにエリゼ嬢の両親が病に伏せたという話は嘘だけど。

 それでも彼女が自宅に戻ったという話は本当なのよ。


「いい加減にするんだ、アリス」


「お、お兄様……? どうして、だってお兄様は学院に……」


 冷たい声が落ちると、アリスは怯えたように兄を見上げた。


「お前がいつまでも皆に迷惑をかけていると聞いたから、わざわざ帰ってきたんじゃないか。令嬢を屋敷に招くくらい、我儘を言うくらい、それでお前の傷が癒えるならと思っていたが……いつからそんなに物の分別の付かない人間に成り下がった?」


 背筋が凍るほど冷たい声だった。

 誰に対しても礼儀正しく、紳士的なイヴァンからは想像もつかないほど厳しい声音。

 心の底から愛する妹のために、あえて厳しく振舞っているのだろう。


「お前を明日、すぐにセレビアへ送る。家庭教師として有名な貴婦人を送るから、自分の考えと令嬢としての振る舞いを一から勉強し直すんだ」


「なっ……セレビアなんて田舎、絶対に嫌よ! 絶対に行かないんだから!」


 地方にある公爵領の名前が出た途端、アリスは手足をばたばたと動かし始めた。


「嫌よ、絶対に嫌! 私はこの場所から一歩も動かないわ! この手を離しなさいよ、このクズ! 使用人も騎士も何をしているの? あんたたちは私のために存在しているのよ、さっさと言うことを聞きなさい!」


「いい加減にしろ。人に散々迷惑をかけ、貴族令嬢としての役目も果たさない。それどころか公爵家の使用人たちを顎で使い、悪だくみばかり働くお前に、この屋敷にいる資格はない」


 その言葉に、アリスは大きく目を見開いた。

 反論する言葉すら思いつかないのか、すぐにまた泣き始める。

 そんな娘を心配そうに見つめていた公爵夫人が、たまらず口を開いた。


「イヴァン? こんなに嫌がっているじゃないの。セレビアなんて遠くに行かせるのは、あまりにアリスがかわいそうだわ……」


「母上がそんなことだからいけないのです。父上が死んでから、もう二年です。いつまでも甘やかしてはいられません」


「だけど……」


「公爵夫人のお気持ち、とてもよく理解できますわ」


「ロレッタ! あなたならそう言うと思っていたわ。ねえ、イヴァン。彼女もそう言っていることだし、アリスを許してあげてちょうだい。あの子はまだ子供じゃないの。一人きりで地方の領地へ行くなどあまりに可哀想だわ」


 公爵夫人の説得に、イヴァンは私へと視線を向けた。

 ……私が決めろ、ということだろうか。

 私は少しだけ考えるフリをしてから口を開いた。


「公爵夫人の言う通りです。アリスはまだ子供。ですから、保護者の同行が必要だと思いませんか? 公爵夫人がご一緒に行かれたら、きっとアリスは喜びますわ」


「えっ? そ、そうね……それは、そうだけれど……コホンッ。やはり次期当主であるイヴァンの言葉に従うべきね。いいわね、アリス」



 保護者として同行することになれば、当然、公爵夫人自身もセレビアへ行かなければならない。いくら娘が心配とはいえ、この王都から離れたくはないのだろう。


 そして、「話は終わりだ」と言ってその場を収めたイヴァンは、どうにかして息子の機嫌を戻そうとする公爵夫人に連れられてその場を後にした。


 私はあえて彼について行かなかった。


 廊下に残されたのは、床に寝転がったまま駄々をこねる子供のように泣きじゃくるアリスと、どうしたものかと困り果てたメイドたち。


 エリゼ嬢を連れてこいと騒ぎ続ける姿を見るに、アリスにとって彼女は相当大切な存在だったらしい。

 幼いお嬢様は、自分が利用されていたとは夢にも思っていないようだ。


 私はゆっくりとアリスへ近づくと、しゃがみ込んで彼女と視線を合わせた。


「そんなに彼女が大切だったなら、きちんと手綱を握っておかないと」


 アリスは顔を上げると、私を力強く睨みつけた。

 その大きな瞳からは、絶え間なく涙が流れ落ちていた。


 イヴァンと同じ瞳の色。


 私はアリスの頬に両手を添え、いつものように穏やかに微笑んだ。


「可愛い私の義妹がこんなに愚かなんて許されないことじゃない。反省して、いい子にしていなさいね」




・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・




 それから、あっという間に一年の月日が流れた。


 てっきり、すぐに音を上げて帰ってくるものだと思っていたけれど、案外アリスは田舎での暮らしを気に入ったらしい。


 一年後に迎えるデビュタントを前に、こちらへ戻ってくるという知らせが届いたのは、つい先日のことだった。


 届いた手紙には、これまでのことへの謝罪が何度も綴られていた。

 まだ幼い彼女が、たった一年でどれほど変わったのかは分からない。

 少なくとも以前のように誰かを傷つけることしか考えられない少女ではなくなったのだろう。

 そして今日。長い学院生活を終えたイヴァンが、ついに正式にこの屋敷へ帰ってくる。


 今日から彼は、正式にシャルリア公爵となる。

 そして私は、そんな彼の妻になる。


 思えば、公爵様が亡くなられてから、私がこの屋敷に足を踏み入れてから、本当にいろいろなことがあった。


 厄介な義妹に、面倒な令嬢。

 身に覚えのない恋文に、皇太子殿下まで巻き込んだ騒動。


 そのすべてが終わった。

 これからは静かな日々が――いや、公爵夫人というものは、きっとこれからも大変なことの連続なのだろう。


 私はこれからも、大嫌いな面倒ごとを見つけては、それを片付けながら生きていくことになる。


 でも、私が心から恋焦がれた男と過ごす日々ならば、それもきっと悪くない。


 そんなことを考えながら、私は屋敷の窓から遠くを眺めた。

 やがて聞こえてきた馬車の音に思わず口元が緩みながら、急いで階段を駆け降りた。


「おかえりなさい、イヴァン」


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リハビリ作品です、早く感覚を取り戻したい₍ . ̫. ₎

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>「可愛い私の義妹がこんなに愚かなんて許されないことじゃない。 否定の『じゃない』で捉えてしまうと、二重否定で『許される』に意味が変わってしまう。 だけど、同意や共感を求める感じなので『じゃない?』…
しかし子爵令嬢による公爵家の印の無断使用は処刑モノなのでは?
アリスはてっきり魔物に八つ当たりして逞しい脳筋令嬢になっているのかと。
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