第二十話 もう一度、あなたの隣で
王太子の帰還から、数週間。
王都はすっかり落ち着きを取り戻していた。
北方から届く報告も、日に日に良いものへ変わっている。
魔物の活動は大幅に減少。
封印も安定している。
王国を覆っていた不安は、ようやく薄れ始めていた。
そして今日。
王宮では、重要な発表が行われることになっていた。
私は兄とともに謁見の間へ向かう。
「緊張していますか?」
兄が尋ねた。
「少しだけ」
「王太子殿下が何を仰るか、気になるか?」
「……はい」
レオンが帰還してから。
私たちは何度も話をした。
けれど、あの日以来。
まだ二人きりで、きちんと話す機会はなかった。
王太子としての責務。
邪龍の封印。
そして、左腕を失ったこと。
レオンの周囲には、話すべきことが山ほどあった。
やがて。
大扉が開いた。
「王太子殿下、入場!」
レオンが姿を現す。
右手に杖を持っている。
左袖は、以前とは違う。
それでも。
堂々とした姿だった。
王の前まで進み、レオンは一礼する。
「父上」
「うむ」
王は静かにレオンを見つめた。
「改めて言う。邪龍の再封印、見事であった」
「ありがとうございます」
「そなたが王国を救ったことを、余は誇りに思う」
レオンは一瞬だけ目を伏せた。
「……もったいないお言葉です」
王は立ち上がった。
「だが」
謁見の間が静まり返る。
「そなたの左腕について、王国中から多くの声が届いている」
レオンは黙っている。
「そなたが王太子として、今後も王位を継ぐことに不安を抱く者もいる」
私は思わず息を呑んだ。
レオンはそれを聞いても、表情を変えなかった。
「分かっています」
「……そうか」
「だからこそ」
レオンは一歩前へ出る。
「私は、王位継承権を返上したいと思っています」
ざわめきが広がった。
「レオン!」
王の声が響く。
「考え直すつもりはないのか?」
「ありません」
レオンははっきりと答えた。
「邪龍との戦いで、私は多くのものを失いました」
左肩を見る。
「ですが、命は残った」
そして。
「王太子という立場を失ったとしても、私にはまだできることがあります」
「……何をするつもりだ?」
「北方へ行きます」
私は驚いてレオンを見る。
「邪龍の封印が安定するまで、北方の防衛を担いたい」
「王太子でなくとも、か?」
「はい」
レオンは微笑んだ。
「王国を守る方法は、一つではありませんから」
王は長い間、レオンを見つめていた。
やがて。
「……分かった」
静かな声だった。
「そなたの意思を尊重しよう」
レオンは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
◇
謁見が終わった後。
私は王宮の庭園にいた。
昔から、レオンとよく歩いた場所。
花壇の間を抜ける。
すると。
「エレノア」
後ろから声がした。
振り返る。
「レオン」
レオンが一人で立っていた。
「少し、話せるか?」
「もちろんです」
二人で庭園を歩く。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
やがて。
「驚いたか?」
「王位継承権のことですか?」
「ああ」
「少し」
私はレオンを見る。
「でも、あなたらしいと思いました」
「……そうか?」
「はい」
私は微笑んだ。
「昔から、レオンは自分より誰かを優先する人でしたから」
「それは……」
レオンは困ったように笑った。
「褒められているのか?」
「もちろん」
「そうか」
レオンも笑った。
けれど。
しばらく歩いたところで、足を止める。
「エレノア」
「はい」
「もう一度、聞きたい」
「何を?」
「俺と一緒にいることを、本当に後悔していないのか」
私は目を見開いた。
「……まだそんなことを言うのですか?」
「ああ」
「どうして?」
「俺はもう、以前のようにはなれない」
レオンは左肩を見る。
「剣を握ることもできない」
「……」
「王太子でもなくなる」
「はい」
「それでも――」
レオンは私を見る。
「俺の隣にいてくれるか?」
私はすぐには答えなかった。
レオンが不安そうに私を見ている。
その顔が。
卒業パーティーの日と重なった。
婚約破棄を告げた時。
あの時も。
レオンは泣きそうな顔をしていた。
きっと。
あの時からずっと、怖かったのだ。
私を失うことが。
「レオン」
「……何だ?」
「私は、あなたの隣にいたいからいるんです」
「……」
「王太子だからでもありません」
一歩、近づく。
「強いからでもありません」
さらに一歩。
「左腕があるからでも、ないからでもありません」
私は微笑んだ。
「あなたが、レオンだからです」
レオンの目が揺れた。
「だから――」
私はそっと手を差し出す。
「今度こそ、一緒に未来を決めましょう」
レオンは差し出された手を見る。
そして。
右手で、私の手を取った。
「……ああ」
その顔には。
もう、あの日の悲しそうな笑顔はなかった。
ただ。
嬉しそうに笑っていた。
◇
それから数か月。
レオンハルトは王位継承権を正式に返上した。
代わって、第二王子が次代の王位継承者として指名されることになった。
レオンは北方の防衛と、邪龍の封印監視を担う役目を与えられた。
そして。
その傍には、いつもエレオノーラがいた。
かつて婚約破棄を告げられた侯爵令嬢。
けれど。
彼女は一度も、その権利を行使しなかった。
王太子ではなくなったレオンと。
侯爵令嬢であるエレオノーラ。
二人はもう一度、婚約を結び直すことになった。
今度は。
誰かに決められた未来ではない。
二人自身が選んだ未来だった。
◇
北方の砦。
雪の降る朝。
レオンは城壁の上から、遠くの山脈を眺めていた。
「寒いですね」
隣から声がする。
「そうだな」
「王都に戻りたいとは思いませんか?」
「思うことはある」
「ふふ」
「でも」
レオンは右手で、隣に立つエレオノーラの手を握った。
「ここも悪くない」
「そうですね」
二人で北の山脈を見る。
その奥には。
邪龍が封じられている。
けれど。
もう恐怖だけを感じることはなかった。
自分たちが守るものが、ここにある。
「エレノア」
「はい?」
「これからも、俺の隣にいてくれるか?」
「もちろんです」
エレオノーラは笑った。
「今度は、私から離れませんから」
「……それは心強いな」
二人は笑い合う。
雪が静かに降り続けている。
かつて。
王太子は、愛する人に婚約破棄を告げた。
彼女を自由にするために。
自分が帰れないかもしれないと思ったから。
けれど。
その選択が、二人の心をすれ違わせた。
それでも。
離れて初めて分かったことがある。
誰かの未来を勝手に決めることは、優しさではない。
共に歩きたいと願うなら。
その未来も、二人で選ばなければならない。
「レオン」
「何だ?」
「帰りましょう」
「ああ」
二人は並んで歩き出す。
その先に待っているのは。
誰かに決められた未来ではない。
二人が自分たちで選んだ、これからの人生だった。
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