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あなたなんて願い下げ

作者: 黒須 夜雨子
掲載日:2026/08/13

「姉上に比べてお前はなんというか、そう、華がないな」


 値踏みするような視線が横から向けられて、そして視線はゆっくりと前に戻っていく。

 横にいるのは私の婚約者。そして、彼の視線の先にはいるのは、この瞬間だけは誰よりも一番幸せである美しい花嫁。

 純白のドレスに銀の刺繍が、清廉な美しさを伝えてくれる。ドレスで飾り立てた花嫁も儚げな印象で、大きなエメラルドの瞳と優しそうな笑顔の美しい女性だった。


「このめでたい場に、そんな地味なドレスでくるなんて。平民では貴族のマナーなど難しいのだろうな」


 そう言った後に舌打ちが一つ響いた。


「ああ、金が無かったか。これだから平民は嫌なんだ」


 めでたい場で途切れず嫌味を言い続ける婚約者の言葉に、そっと自身へと視線を下す。

 私が着ているのは紺のドレスだ。全体的にボリュームを抑えたスカートに、それでも華やかな場であることを忘れぬようにと随所にあしらわれたレース。イヤリングとネックレスは真珠であって、普段使うフェイクガラスなどは身に着けていない。


「あちらのご婦人ですら新緑色のドレスを着ている。隣にいるご令嬢は清純さが表れた白色だ」


 白はどうなのか、という言葉は吞み込んだ。花嫁と同じ色を着るなんて失礼だというのに。新郎側の人間が皆、花嫁を侮っているのだということが理解できるドレスだ。

 この男は全く理解していない。

 私が言い返さないのはここで反論すると面倒だからだが、彼はそれを正論過ぎて言い返せないと思ったらしい。


「他にも目を楽しませる色がいくらだってあるだろう。君は本当にセンスというものがないな」


 今度こそ言葉が出そうになったが、喉元まで出かかったそれは、ギリギリで呑み込まれてくれた。

 確かに結婚式への参列、それも婚約者の姉の結婚式なのだから、相応のドレスを着てくるべきだろう。実際に着るつもりで仕立ててさえいた。

 着るのを諦めたのは、参列者と座ることになったのが家族席だからに他ならない。元々は婚約者の二人目の姉が座る予定だったが、嫁ぎ先で体調を崩したらしくて不参加となったのだと聞いている。

 いわば穴埋めという役割だ。

 そして、この国では結婚式に参列する家族は、控えめな礼装を心掛けなければならないのが暗黙の了解とされている。

 私が年若いとかも関係なく、華やかすぎるドレスを避けるのは当然のこと。なにより一つ前の席に座る、婚約者の母親も黒にも見える濃紺のドレスに、同じく真珠で飾り立てているだけ。

 それを何も言わないのだから、婚約者のしていることは「言いがかり」に他ならない。


「姉上は本当に幸せそうだ。男爵家から伯爵家に嫁ぐのだから当然だろう」


 一瞬の間。きっと横で顔を歪めているだろう。この話をするときの彼はいつだってそうだから。


「それに比べて俺は、どうして平民の何も持たない女と結婚しなければならないんだ」


 おかしいだろうと、今にも喚き出しそうな危うい空気を孕んだ言葉が続く。

 僅かながらに酒気が漂い始める。婚約者が喋り続けることで仄かな匂いがするのだから、彼が飲んでいるので間違いない。

 控室には酒など置かれていなかったから、先日知り合った人から贈られたというスキットルに、好きな酒でも入れて携帯していたのだろう。

 事前に注意はしていたが、聞く気にならなかったようだった。

 緊張するから少しだけと口にしたという想像は容易で。そこからズルズルと二口、三口と続けたのだと察した。空にしたのかまではわからないが。


 間もなく誓いの言葉を交わすだろう粛々と荘厳な空気の中で、彼だけが抱えた不満をここぞとばかりに垂れ流しているのは、いっそ哀れなほどだった。

 男爵家の四男に渡されるものなど僅かばかり。金銭然り、伝手然り。ほとんどのものは嫡男に。そしてスペアとして貢献した次の息子に幾ばくか。

 大きな利益をもたらす娘には多めの持参金を。残りの子らも立身出世のためだと言って、上から順に可能な限りで優秀な教師を付けられる。

 運の良いことに婚約者の兄たちは、地方の役人としての仕事が約束されているのだと聞いた。

 だが、上から順に可能な限りにお金をかけると、どうしたって貧乏くじを引かされるのが末の子になるのだろう。四男に残るものなど無いのが現状だ。


「もっと他にマシなのがいたはずだ。お前みたいな女と結婚しなければならない、こちらの身になってみろ」


 怒りが増したのか、少し声が大きくなる。よくもまあ同じことで怒れるものだと思いながらも、それでも沈黙を守って前を向いていたが、聞こえてきたらしい前列にいた彼の家族たちが僅かに顔だけ動かして、彼を睨みつけてきた。

 黙れ、ということだろうが、彼がどんな表情をしているかはわからない。


「いつだって俺は後回し。父上も母上も俺のことなんてどうなろうと気にしていない」


 視界の端で彼の服の袖が見えた気がする。多分爪を噛もうとしているのだろう。イライラしているときの癖だ。

 式は間もなく終わる。後少しと思う私は相手の言葉を聞き流しながら、ただ時を待つだけ。


「良い相手を見つけてきたと言って連れてきたのが、金も権力もない、子に残す財産として店すら持っていないような下っ端役人の娘ときた」


 追い払うような素振りで振られた手。その動きは酷くだらしがない。思っていたよりも飲酒量は多いのかもしれない。


「お前なんて願い下げなんだよ」


 戻そうとした手が前の座席にぶつかって音を立て、もう一度彼の両親が振り返った。

 新郎新婦の視線が一瞬だけこちらに向けられた気がした。


「その娘だって何の取柄もない。可愛くもなければ愛想もない。今年の役人試験に合格したというが大したことではないし、どうせ役人たちに媚でも売って合格したのだろうに。それとも肌でも見せたか」


 聞こえたのは嘲笑だった。いつもならこれで八つ当たりじみた嫌味は終わる。

 目の前で幸せな二人が唇を重ねようとしている。

 私は目を瞑り、喉元で堰き止めていた言葉から一つだけ選ぶ。そっと目を開いた。


「その試験に過去最低点で落ちたのは、一体誰かしらね」


 瞬間、獣じみた叫び声と共に、私の体はヴァージンロードに突き飛ばされた。

 床へとしたたかに体を打ち付け、思わずうめき声が出る。


「おま、お、おまえ! お前が合格したから!」


 周囲で広がる悲鳴を浴びながら、私は倒れた上半身を起こして婚約者を見上げる。怒りで顔を真っ赤にした彼は、ブルブルと震えながら呂律の回らなくなった口をなお働かせようとしていた。

 その行動の対価が「醜態」だとしても。


「お、お前が合格したせいで、私が不合格だ! わかるか、このみじめな気持ちが! 女のくせに、その貧相な体でも使って色仕掛けしたんだろう!」


 泡立つ唾を飛ばしながら喚く姿に、新郎側と新婦側の参列者達が眉を顰め、一部は軽蔑を露わにし、ようやく我に返ったらしい彼らの兄弟が慌てて取り押さえようとする。

 私は近くにいた男性従業員に手を差し出され、冷たい床から立ち上がった。


「見ろ! 今だって男に色目を使っていやがる!」


 取り押さえようとする腕を振り払って、なお声を上げる婚約者の近くにいる彼の両親たちの顔は真っ青だ。

 もっとも彼らが表情を変えた理由は、彼が私に暴力を振るったことではなく、娘が嫁ぐ先である格上の相手に対する大失態に対してだが。

 まあ、私としては別に何でもよいのだけど。

 駆け付けたスタッフ達も加わって取り押さえられた婚約者に、新婦の縋る腕を振りほどいた新郎がこちらに近づいてくる。

その表情は険しく、荘厳な式を荒らす愚か者を許さないだろうと感じさせた。


「これはどういうことか」


 薄青の瞳が凍てつかんばかりの寒々しさを宿して、婚約者と彼の両親を見た。

 圧倒的な強者の態度に、水でも浴びせられたかのように婚約者の表情が変わる。


「この場で狼藉を働いたそれは、私達がこれから縁を持つかもしれない貴方達の子息だろうか」


 その言葉は問いかけでありながら、その実、問いかけではない。

 言葉では何一つ語っていないのに、隠す気の無い意図が明白だった。


「い、いえ、このように姉の幸せを邪魔する者など、当家の息子ではありません!」


 容易く権力に屈した回答は、貴族らしい切り捨てだ。その決断には、いざとなれば切り捨てた息子を私の家に頼らせればよいという、他人任せの安心感からかもしれないが。

 婚約者の顔がみるみる蒼褪めていくが、取り押さえた手が緩まることもなければ、誰かが擁護することもない。近い内に家から除籍される未来が決まった相手など、何の利益にもならないからだ。

 彼らの兄弟だって仕事を失いたくない。

 新郎の父親までもがこちらに近寄り、婚約者と私を見てから静かに口を開く。


「その頭の悪い男が伯爵家に寄生したらと思ったが、なに、いらぬ心配だったな。

それにしても彼がこれほどまでに不満とあれば、結婚も難しいだろう。何より貴族の家は信頼と互いの利を大切にする。

婚約の継続を望まぬなら、当家で婚約解消の証人となろう」


 まさか、自身の婚約にまで口を挟まれると思っていなかったらしい。婚約者の蒼褪めていた顔には絶望が広がり、縋るような眼が私に向けられる。

横にも同じ表情が並んでいたが、どれも見ないふりをした。

 今さらだ。


「それでは遠慮なくお願いいたします」


 私が頭を下げたのを皮切りに、少ししたら元婚約者になるだろう彼が引きずられていく。


「嫌だ、待ってくれ! このままだと俺は家も金も無い!」


 髪が乱れ、礼装は汚れ、泣き出しそうな顔が私に向けられる。踏みとどまろうとして足を真っ直ぐに伸ばす姿は、母親に欲しいものをねだって泣く子供を彷彿させた。


「いつもと変わらない会話だろう! お前もそれぐらい流せよ!」

「毎回言われていたのは確かだけど、私は許容もしていなければ、許したこともないから」


 これでお別れだ。


「あなたなんて願い下げよ」


 嘘だ、この俺を捨てるのか薄情者、と散々に叫ぶ彼が容赦なく運び出されていき、新郎側から一人、そして婚約者の家の嫡男が同行を求められ、後ろに座っていた私の両親も真っ青な顔で彼らを追っていった。

 一度こちらを見たが、すぐに目を逸らして出ていく。

 ずっと相手が最低だから婚約解消したいと言っていたのに、善意の上澄みだけ掬ったような顔をして、あなたの為だからと聞き分けの無い子どもを諭す気になっていた結果である。

 これは両親の中に在る幸せの定義が絶対だと思ったツケだ。


「大丈夫ですか? 空いている控室で休まれますか?」


 手を差し出してくれた従業員が心配そうに顔を覗き込む。


「ええ、ありがとう」


 エスコートを受けて会場を出る。背後からは彼の姉が両親を罵る泣き声が響いていた。

 あの調子では彼女の婚姻もなくなるかもしれない。伯爵夫人として求められる器を、ここにきて放り出してしまったのだから。

 落ち着きを取り戻せないままの場所から離れ、大きく息を吐く。


「とんだ結婚式になったわね」


 私の指先を、エスコートする手が優しく握った。


「本当に。でもこれで君の婚約は破棄されるし、伯爵家も反対していた娘を迎えなくて済む」


 言葉を切って数秒。従業員は微笑みながら、歩く速度を少しだけ早めた。


「これで君も私と一緒に行ける」


 恋人がいるのだと何度言っても、勝手に決められた婚約。

 私を大事にしてくれる人とは別れることになったけれど、せめて人として尊敬できるのならば、きちんと向き合おうとは思っていたのに。

 けれど始まったのは、苦行を強いるだけの交流。並べられた数々の侮辱の言葉。

 そのくせ軽率に手を出そうとする婚約者を躱すのに、どれだけ苦労したか。それなのに両親ときたら、純潔は守りながらも彼の望むようにしてあげなさいという、そんな矛盾した一言だけ。

 大人になったら婚約者の起こす若気の至りも許せるなんて言っていたけれど、どこにも許せる要素なんてなかった。


「これで一緒に逃げることができるわ」


 もっと早くに手と手を取り合って逃げることもできたが、そうなると我が家の有責で婚約解消となる。

 両親には心を痛めることなどないが、兄妹達が後々困ることをしたくない。

 そうして彼による有責でどうにかできないかと思っていたところで、声をかけてきたのが伯爵家の関係者だった。

 聞けば、婚約者の姉は随分と自由奔放なサクセスストーリーを歩んでおり、伯爵家は息子の望む娘がそれほどまでに優良とは思えなかったらしい。

 華やかで愛らしい、令息たちの心を惑わす花。貴族の通う学園では、それはもう数多くの浮名を流していたとか。


 彼女の厄介なところは、決して自分から手を出さないところ。相手に誤解を与えるような曖昧な言い方をしては気を持たせて、多くの贈り物を受け取っては次々とターゲットを替えていたらしい。

 だが伯爵が何度となく息子を説得しても考え直そうとしないことから、荒療治が一番だと結論付けたのだ。

 幸い、婚約者の姉は学園時代に起こしたトラブルで、それなりに厄介事に芽吹く種を抱えたままだったし、彼女の家族にも足を引っ張りそうなのがいた。

 ならば伯爵家は、どんな醜態が起きてもいいように、人を使ってお膳立てするだけでよい。

 彼女に魅了されたままの男には遠回しに攫うよう唆したりや、男爵が隠している子持ちの愛人に新しくできた友人が相談に乗ってやり、どちらも式場の従業員として雇用されるように手を回していた。

 それに男爵家は揃って大酒飲みなことから、嫡男にはツケで飲める酒場を教えてやっている。今では多額の借金が積み上がっているのを、飲みすぎて覚えていない婚約者の兄は気づいていないだろう。


 問題児である婚約者からどう逃げようかと悩む私達が、伯爵家の関係者に会ったのもそんなときだった。

 犯罪に手を染めないという約束で、逃げるための資金目的で協力した。

 私達がしたことはどれも背を押す程度のことだ。

 ここの従業員として働き始めた恋人は、婚約者とは酒場で偶然知り合ったふりをして酒をたらふく奢ってやり、金の無い若い青年が興味を持つだろう酒を飲ませるために、スキットルと度の強いお酒をくれてやった。

 普段から平民を馬鹿にしている婚約者だが、男爵家の四男は同じところに落ちるだけの存在だ。

そんな彼に何かを贈る者は少ないことからスキットルを手放すことはなく、そして私は彼がスキットルを持つことに反対したら、面白いように反発して酒を飲み始めるようになった。


 婚約者は傲慢で軽率だ。それが劣等感や、金も才能も無いことによる将来の不安からであるのは、横にいればすぐに気付いた。

 だから、わざと同じ試験を受けたし、試験対策だって山を外した問題を熱心に繰り返している話をして油断させた。

 彼の試験勉強が進もうとも進まなかろうとも、注意だけ続けてストレスと不安を蓄積させ、父親に頼まれて買ったという名目の酒をわざと置き忘れて帰る。

 全ては作為的に見えないよう、ほんの少しだけ。どれもこれも、些細なことでしかない。

 程なくして酒浸りの怠惰な生活を送っていたが、飲み終わった酒瓶は押し付けてくるので回収していたから、家族は気づかない様子だったし。


 でも、そんなことは今やどうでもいい話だ。

 控室ではなく従業員口へと向かう足取りは軽い。途中にあった従業員室で制服を着替えてもらい、二人分の荷物を持ち出してもらう。

 両親が全ての話を終わらせた頃には、娘が一人いなくなっているだけ。ただそれだけだ。

 貴族との婚約も無くなった、期待外れの娘など不要だろう。

 従業員口の扉はあっさりと開かれる。

 差し込む日差しが行く末を明るく照らしてくれるかのようだ。


「行きましょうか」


 餞別代りにと伯爵家が用意してくれた馬車に向かい、私達は真っすぐに歩き始めた。

 振り向くことない背後の建物の中に潜む、多くの厄介事を残したまま。




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主人公逃げれて良かったー 新郎は何処で目が覚めたんでしょう? 式までは盲目的だったのに、誓のキスの時にトラブル発生で台無しにされた➝こんな家族がいる嫁は要らんと突然の覚醒ですか?愛より貴族の矜持、気づ…
え 合格した役人試験は? 職を棒に振るの?
拝読させていただきました。 劣等感だけならまだしも、発散のために当たり散らし、挙句の果てに酒に溺れるようでは、早晩没落したでしょうね。
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