お誘いはお断りいたしますわ。喪に服しておりますので
病弱な従妹を大切にする婚約者に蔑ろにされる令嬢の話ですが、ヒロインだけでなく従妹も切ない、シリアスな話です。
「どうなさったのですか? そんな不機嫌なお顔をされて」
ドナティアが婚約者であるマードックに声をかけると、彼は物凄い怒りの形相をして彼女を睨みつけた。
「不機嫌? 当たり前だろう? こんなときに誕生日パーティーをするなんて、信じられないよ」
「こんなときと言われても、今日が私の誕生日ですわ。今日以外にいつやればいいとおっしゃるのですか?」
「来年やればいいだろう?」
「この国では十七歳で成人します。その成人の祝を兼ねた誕生日会を来年やれば良かったとおっしゃるのですか?」
「そうだ。一年ずらしたからといってどうということもないだろう?」
(本気でそんなことを言っているのかしら? 成人するのを遅らせたら、それだけ社交界に出られなくなり、当然他のご令嬢方から遅れをとるということなのですよ? スタートから躓くということです。
なぜ私がそんな目に遭わないといけないのかしら?)
「そんな不機嫌なお顔をされたのでは、他のお客様に失礼ですわ。私を祝う気がないのでしたら、なぜお見えになったのですか? 欠席されたら良かったではないですか!」
「婚約者の主催するパーティーに不参加など、そんなことができるわけがないだろう」
マードックはさらに目を吊り上げて怒鳴った。
(ご両親に叱られて仕方なく来たわけね。ええ。あの方達が我が家と縁を切りたいと思っているわけがないもの。
邪魔な三男を格下だけれど裕福な伯爵家の婿にして、うまい汁を吸う気満々なのだから。それならばもう少し息子の行動を把握すべきだったのにね。
あなたの方の息子は、婚約者の誕生日、それも特別な成人の祝いの席に、贈り物一つ持たずにやってきたのよ。
まあ、それはこれまでもそうだったから今さらだけれど、婚約者のエスコートもお客様への挨拶もしないで、会場の隅っこで不貞腐れているのよ、人前で。もちろんダンスの相手もしようともせずに)
「こんなときに、のんきにダンスなんてできるわけがないだろう。君はよくそんなに笑っていられるものだな。喪も明けてないというのに。普通は亡くなって一年は慎ましく過ごすべきだろう」
「喪中は慎ましく過ごすのは当然ですわね。でも、成人を迎える催しは別ですわ。そんなこともご存知ないの?」
ドナティアはため息をこぼした。
「別?」
「たとえ身内に不幸があったとしても、成人のパーティーは開くものなのですよ」
「そんな馬鹿な決まりがあるわけないだろう。作り話をするな!」
マードックが声を荒げたので、離れた場所にいた他の客達も一斉に二人の方に向けた。
本来主催者側なのだから、事を穏便に済ませるべきだったが、ドナティアはこの会話でついに彼に見切りをつけた。
婚約して二年、ずっと蔑ろにされ、無視されてきたけれど、彼の大切な身内が亡くなったことで、これからその態度が変わるのではないかと僅かに期待していたのだ。
しかし、それは無駄だということが今日はっきりした。
それでも、格下の伯爵家から侯爵家に婚約解消を認めさせるのは難しい。それならば、多くの証人を得て、こちらに有利に持っていかなければ、と彼女は思った。
そこで彼女はそのまま会話を続けた。
「作り話? 冗談でしょう。そんな常識さえご存知ないなんて信じられませんわ。
もし、ご当主が突然亡くなられて、後継予定の方がまだ成人されていなかったらどうなります? 後見人が付いて当主にはなれるでしょうが、実権は握れませんわ。未成年ですから。
悪くすれば家を乗っ取られかねませんのよ。
ですから、ある程度年齢がいっていれば、できるだけ早く後継者は成人式を開いて、世間にそれを認知させようとするのです。
そしてそれは後継者だけの話ではありません。家のために役に立ちたいと考えるのなら、成人していなければ、それが難しいのですから」
バートン伯爵家には長女のドナティアを筆頭に三人の娘がいる。
母親は三番目の娘を産んだ後、産後の肥立ちが悪くて寝込みがちになり、七年ほど前に亡くなっていた。
しかも父親も二年ほど前に重い病を患ってベッドの住人になってしまった。
そんな状態のバートン伯爵家を心配した親類の者達が、嫡女のドナティアの後ろ盾になってもらいたいと、ルーファット侯爵家に申し入れをした。そして三男であるマードックとの婚約が結ばれたのだ。
それは二人が学園に入学した少し後だった。教室が別棟だったため、同じ学年だったが互いに顔を知らなかった。
そして、はっきり言ってその婚約は失敗だった。
ルーファット侯爵家は侯爵家というのは名前だけのハリボテだったのだ。先代当主が投資で失敗をしていたのだ。
しかもマードックはたしかに評判は良かった。濃い茶色の髪に濃い紫色の瞳。色合いは地味だったが、顔立ちは整っていて、すらっと背が高い美丈夫だった。
生活態度がとても真面目な上に、いつも上位の成績をとる優等生だと評判が高かった。
しかし成績が良いからといって必ずしも地頭がいいとは限らない。その上彼は一般常識に欠けていて、思い込みが激しかった。
父親が病で倒れた後、ドナティアは必死に執務を覚え、家令や執事達と協力して何とか仕事を熟してきた。
婿に入るマードックには婚姻後すぐに仕事を手伝えるように、学生時代から少しずつでいいから、無理をしない程度で仕事を学んでいってほしいと考えていた。
ところが
「学業に忙しい僕にまだ結婚もしていないうちから、家の仕事を手伝えだなんて、ずいぶんと厚かましいことを平気で言うのだね。その図々しさに心底驚くよ。しかも格下の伯爵令嬢であるというのに」
とマードックに言われてしまったのだ。それ以降、彼が伯爵家を訪れることはなかった。そう、伯爵の見舞いにさえ来ることはなかった。
最初のうち、自分が非常識で、婚約者を思いやれない人間なのだと、ドナティアは非常に落ち込んだ。
だから、彼から侯爵家に呼ばれず、贈り物を一切もらえなくても、彼への贈り物の礼状が届かなくても仕方のないことだと思い込んでいた。
だから友人からパーティーに招待されたときに彼からエスコートされなくても、彼女は文句を言わなかった。
しかしいつも一人で行動していたために、マードックとの関係が友人達に知られることになった。
友人達と話をしたことで、ドナティアはようやく自分には非がなかったことを認識できるようになった。
「いくら侯爵家の息子とはいえ、三男では婿入りできなければ平民になるだけよ。婿入りできる者は幸せなのよ。
それなのに気に入られる努力をするどころか、上から目線で失礼な事を言い、歩み寄ろうともしない婚約者なんて、何も婿にする必要はありませんわ。
女性の方だって婚約が決まれば、定期的に婚約者の元を訪問し、嫁ぎ先の家風やしきたりを少しずつ教えていただくのですよ。結婚してすぐに家政を任せられても困らないように。それが当然のことなのです。
それを放棄していることは、婚約を解消する立派な原因となりますよ」
親友のランス侯爵令嬢のシャルラ様にこう言われてハッとした。
ドナティアはこれまで父親に心配をかけまいと誰にもマードックの不満を漏らすことはなかったし、相談をすることもなかった。
しかしこのまま彼と結婚しても、家のためにはならない。却って迷惑をかけてしまうことに気付いた。
父親の体調も大分回復してきていたこともあり、ドナティアは正直に今の状況を説明した。
すると父親から辛い思いをさせてすまなかったと謝られて、婚約を解消するように話を進めると言われた。
ところがそう簡単にはいかなかった。
侯爵はまさか息子がバートン伯爵家へ行くと言って出かけていたのに、途中で予定を変えていたことを知らなかったのだ。
侍従はマードックの行為を慈愛に満ちた紳士的な善行ととらえていたので、本人に注意もしなければ、主人に報告もしていなかったからだ。
ドナティアを侯爵家に招待しなかったのも、父親の体調が思わしくない中、呼び出すのは不憫だと思っていたからであり、伯爵家を蔑ろにするつもりなど一切なかったのだ。
ルーファット侯爵から息子に常識足らずの点があったこと、使用人教育が不備だったことを真摯に謝罪された。
その上で、成長過程の過ちとして今回は大目に見て欲しいと懇願されてしまった。息子にはこれからきちんと教育し直すからと、頭を下げられてしまったのだ。
たしかに侯爵夫妻からは時折きちんと見舞いの品が届けられていた。
そのため、バートン伯爵家はそれ以上相手方を責めることができなくなってしまった。
ただし、バートン伯爵は婚約契約書に一項追加したのだ。
ドナティアが成人の儀を迎えるまでに、マードックが伯爵家の仕事を担える人物だと当主並びに家門の当主達から判断されなかったら、この婚約を無効にすると。
するとルーファット侯爵は
「こう言ってはなんですが、うちの息子はそこそこ頭がいいので、問題はありませんよ」
そう言って余裕の笑顔を浮かべながらサインしたのだった。
(しかし、学園の成績が良いからと言って、頭がいいとは限らないのですよ。学園は貴族のしきたりや、常識までは教えてくれません。きちんとご両親が指導をなさってくださいね)
そう心の中で思ったドナティアだった。
そして彼女が懸念したとおり、その後もマードックがバートン伯爵家を訪れることはなかった。
ただし以前と少しだけ違うのは、月に二回ほど訪問するという先触れだけは届いていたことだ。ただし、毎回当日になるとそれをキャンセルするという知らせが届いたのだが。
その理由は、彼の母方の従妹であるルルエールが体調を崩したので、見舞いに行かなくてはいけなくなったから……だった。
そのキャンセルが五回を続いた後、ドナティアはマードックへ手紙を認めた。
「一度、あなたの従妹であるケルトナン子爵令嬢のルルエール様のお見舞いにご一緒させていただけませんか?」
と。するとすぐに返事が届いた。
「わざわざ健康で幸せそうな自分の姿をルルエールに見せて、優越感にでも浸りたいのか?
なんて心の卑しい人間なのだろう。
ルルエールは生まれたときから滅多に外へ出られない可哀想な子だというのに。君には病人に対する思い遣りがないのか。見舞いなど結構だ」
見舞いに行きたいと申し出ただけなのに、なぜこんなに責められ、罵られなければならないのか、ドナティアには分からなかった。
学園で顔を合わすたびに彼は
「ルルエールは自分にとってとても大切な従妹で、実の妹のような存在だから、大切にしたい。
いずれ君の親戚にもなるのだから、彼女を優先することも分かって欲しい。彼女は本当に今弱っているのだから」
と言っていた。彼女は君の親戚になるのだから大切にして欲しいと。だからこそお見舞いに行きたいと言ったのに。
しかしそれがだめだというのなら仕方ない。ドナティアはマードックが見舞いに行くと聞く度に、お花や菓子、ちょっとした小物などを彼の従僕に手渡して、ルルエールへ届けて欲しいとお願いした。
彼女や彼女の家族からも礼状は届かなかったけれど、あちらも大変なのだろう。
病人を抱えている大変さが身にしみているドナティアは、そんなふうに思っていた。
そして……婚約してから一年経ったある日、ルルエールの病状が急変して突然亡くなった。彼女は本当に体調が良くなかったのだ。
葬儀に参列すると、憔悴しきった婚約者が呆然としていて、ドナティアの存在にも気付かなかった。
美しい花で飾られたお棺の中で横たわっていたルルエールは、黒い髪をしたドナティアとは正反対の淡い金髪のまるでお人形のように愛らしい少女だった。
ふと、彼女が可愛らしい花柄の櫛を手に握りしめていることに気が付いた。ドナティアがその櫛をじっと見ていると、ルルエールのすぐ上の兄であるアランが
「この櫛は妹の大のお気に入りだったのですよ」
と言ったので、彼女は思わず
「まあ、気に入ってくださっていたのですね。良かったですわ」
と言ってしまった。
するとアランは大きく目を見開いて彼女を凝視した。
そしてしめやかに葬儀が済んで、墓地へ向かう道すがら、彼は一人で心細い様子で歩いているドナティアの姿を見つけた。そして彼女の横を並んで歩きながら、こんな質問をした。
「櫛だけでなく、可愛らしい人形が踊るオルゴールや、軽くて持ちやすい花柄の手鏡、愛らしい小鳥の刺繍の入ったハンカチ、美しい画集……それらを贈ってくださったのは、バートン伯爵令嬢だったのですか?」
「はい。お見舞いに伺いたかったのですが、マードック様に迷惑だからと止められてしまったので、せめてお見舞いの品だけでもお贈りしたかったのです。
でも、どんな物をお好きなのか、マードック様にお訊ねしても要領を得られなかったので、自分で可愛いと思う物ばかり選んでしまったのです。
気に入らぬ物ばかりお贈りして、もしかして気を悪くなさっているのではないかと、心配しておりました。
ですので、一つだけでも喜んでいただけていたのなら嬉しいですわ」
「一つだけではありません。貴女より贈られた品を全て妹は喜んでおりました。
やはり母親や私達男兄弟からの贈り物では、若い女性の感性には合わなかったのでしょう。義姉も年が離れていましたし。
マードックは真面目過ぎて遊びもしないと聞かされていたので、よく女性の流行りの品を分かっているものだと感心していたのですよ」
「えっ?」
「すみません。マードックから貴女の贈り物だとは聞かされていなかったのです」
(道理でケルトナン子爵家から礼状が届かなかったはずだわ)
ようやくドナティアは納得した。子爵家は決して礼儀知らずではなかったのだ。誤解したままにならなくて良かったと思った。
ケルトナン子爵夫妻はともかく、ご子息方は本当に何も知らなかったみたいだし。
アランからは何度も頭を下げられてしまった。
「妹はあの贈り物を選んだのがマードックではないことに気付いていたのでしょうね。
いつかこんな素敵な品を贈ってくださった方にお礼が言いたいと、亡くなる数日前に言っていたのです。
従兄なのだから恥ずかしがらずにちゃんとお礼を言わないといけないよ、と諭したのですが、的外れだったのですね」
自分が一生懸命に考えて選んで贈った品を、ルルエールは気にいってくれていたのだ。
しかも感謝してくれていたと知って、ドナティアの心の中にしこりとなっていたものが、一気に流れ出した気がした。
マードックが姉を蔑ろにしているのは、ルルエールと恋仲だからに違いない。彼女の妹達はそう言って、二人に酷く腹を立てていた。
しかも贈り物を受け取っていながら礼状の一つも寄越さないなんて、ケルトナン子爵家は非常識過ぎる。とても貴族とは思えない。周りに言いふらしてやると息巻いていた。
それをドナティアが必死で抑えていたのだ。
「あの方は、病弱な従妹の面倒をみている優しい令息だと評判なのよ。そのことに私が不満を抱いていることになったら、私の方が悪く言われるのよ。心の狭い冷たい令嬢だと。それでもいいの?」
そう説明して。
(ルルエール様は私の誠意をちゃんと分かってくれていたのね。しかも喜んでいらして、お礼も言ってくれるつもりだったのだわ。悪い噂なんて流さなくて良かった)
ホッとしたと同時に、彼女はこうも思った。
実際に自分がお見舞いに行けていたら、彼女と友人になれたのかもしれない。
そして同世代の女性として、誰にも話せない彼女の悩みを少しでも聞いてあげられたのではないか。
そう思うと、切ない気持ちにもなったドナティアだった。
ルルエールが死んだ後のマードックの消沈ぶりは、それはもうひどいものだった。
声を掛ける度に不機嫌になるので、ドナティアはただ黙って見守ることしかできなかった。
そして半年が経ち、ついに彼女は待ち望んでいた成人となる誕生日を迎えたのだった。
可愛がっていた従妹が亡くなったのだから、悲しい思いをしていることは分かる。
しかし、もう幼い子供ではないのだから、辛さは心の中に押し込めて、表面的には平然としていなければならない。
それは貴族でも平民も同じだ。日々の生活が続く限り、それぞれの役目を果たしていかなければいけないからだ。
それなのにマードックは、婚約の契約を破り続けた。しかも、大切なパーティー会場でただ一人、まるで悲劇の主人公のような顔をして現れた。
そして、その日の主役であるドナティアをまるで非常識で冷酷な人間であるかのように責めたてたのだ。
そんな婚約者を目の当たりして、とうとう彼女はようやく決意をしたのだ。
この人と結婚することは我が家のためにならないと。
成人になった翌日から、ドナティアは一切マードックには関わらなくなった。元々彼女が努力して接触しようとしなければ、滅多に顔を合わせることもなかったので、それは簡単なことだった。
そして例のパーティーから三か月程経ったある日、マードックは周りの友人達が浮き足だっていることに気付いた。
ダンスの練習に急に熱心になり、それまで蔑ろにしていた婚約者に媚を売るようになった。
それまでは放課後は仲間内で過ごしていた者達が、婚約者と帰宅し、その途中で彼女とデートしたり、贈り物をしたりしているという。
急にどうしたんだと友人達に訊ねると、みんなから呆れられた。
「お前、間もなく開かれるランス侯爵家のシャルラ嬢のパーティーのことを知らないのか?」
「知らない。招待状なんて届いていないからな」
「当たり前だろう。招待状はご令嬢方にだけ届けられたのだから。僕達は婚約者のエスコート役として参加するんだよ」
「なんでそんなことで浮き足だっているんだよ。普段婚約者の付き合いなんて面倒だとか散々ぼやいていたじゃないか」
マードックが不思議そうにそう言うと、友人達は信じられないような顔をした。
「お前知らないのか? シャルラ嬢がフランシス第二王子殿下の婚約者に決まったことを。
殿下は優秀な方で、これからも臣籍降下せずに王太子殿下を補佐されることが決まっている。
だから、殿下の目に留まることができれば、側近になれるチャンスもあるだろう。
たとえそれが無理でも名前を知っていただけて、顔繋ぎができれば今後有利になるだろう?
シャルラ嬢主催のパーティーには必ずフランシス第二王子殿下もおいでになるはず。だから、みんなエスコート役としてでも参加したいと、そりゃあ必死なのさ。
普段婚約者を粗雑に扱っている者ほど、彼女達の機嫌を取るのに必死なのさ」
「それを知らないってことは、お前、婚約者にエスコート役を頼まれていないんだな?」
「そりゃあそうだろう。普段から彼女を無視し続けているようなやつになんて、エスコートを頼まないよ」
「そうそう。半年前のバートン伯爵家のパーティーの話聞いたぜ。招待客の前で不機嫌な顔して悪態をついたのだって?
そんなパートナーに、大切なエスコートを頼むはずがないよな」
初めて知る情報にマードックは喫驚した。
フランシス第二王子殿下の婚約のこと。婚約者から連絡が来なかったこと。
半年前の婚約者の誕生日パーティーのことを周りからどう見られていたかということを。
「君さ、ドナティア嬢がシャルラ嬢とかなり仲が良いということにも、気付いていないだろう?
おそらく殿下にもよく思われていない可能性が高い。これからは婚約者に対する態度を改めた方がいいぞ。婚約を続けたいのか、解消するつもりなのかは知らないが」
これまでもマードックに色々と忠告してくれていた伯爵令息は、これが最後だと言わんばかりに、吐き捨てるように言った。
マードックは真っ青になって教室を飛び出して、婚約者の元へ向かおうとした。
しかし足はピタッと止まった。なぜなら彼女のいる教室が分からなかったからだ。
恥やプライドをかなぐり捨ててまで、それを友人達に教えもらう勇気はさすがに持ち合わせていなかった。
仕方なく放課後に彼女を捕まえようとしたが、それも叶わなかった。そのため、慌ててバートン伯爵家へ向かった。
しかし先触れがない方に門を開けるわけにはいかないと突っぱねられた。婚約者に対して失礼だろうと強気に出たが、門番からは冷たい目で一瞥されただけで無視された。
「婚約者? 婚約してから間もなく二年経とうとするのに、屋敷には片手で余るほどしか来訪したことのないくせに」
門番の心の声が聞こえたような気がして、マードックは身震いした。
それでも自分は決して間違ったことなどしていないと思った。浮気をしたこともないし、将来婿に入ったら、ちゃんと伯爵家のために働こうと考えていた。
だから何も学生時代くらい格下令嬢の機嫌取りのような真似をしなくてもいいじゃないかと思っていただけだ。
それにルルエールはなぜか男ばかりいる一族の、唯一の女の子だった。そして自分を慕ってくれる(言いなりになる)年下の子だった。だから大切だったのだ。
可愛く、しかも病弱な妹のような従妹を大切にし、優先することがなぜ悪いのか、彼は納得がいかなかった。
最初はなんだかんだと言ってきたから、なんて心の狭い冷たい令嬢だと思っていた。
しかし、そのうち何も言ってこなくなったから、ようやく寛容になったのかと安心していたのだ。
これならこのまま婚約を続けて結婚してやってもいいと。
それなのにルルエールが亡くなって半年も経たないうちに誕生日パーティーを開いて招待状を送ってくるから、腹を立てただけだ。当然なことだ。
いや、当然だと思ってきた。しかし、友人達はそう思っていなかった。もしかして間違っていたのだろうか?
自分の屋敷に戻る馬車の中で、そういえば数か月前に嫡男である兄から言われた言葉をマードックは思い出した。
「お前、未だにバートン伯爵家へは行っていないみたいだな。お前がそのつもりなら、せめて勉強に励んで官吏試験に合格しろよ。うちにはお前の面倒までみる余裕はないからな」
そのつもりとはどんな意味なのかあの時は考えもしなかった。それは婿入りするつもりがない、という意味だったのかと、ようやく気が付いた。
サーッと血の気が引いた。
この婚約がなくなる可能性があるのか? もし婿入りできなくなるとすれば、次の婿入り先が見つからないと平民になってしまう。
そうなったら仕事を見つけなければならない。社交的ではない自分ではどこかの商会で働くのは無理だろう。当然商売を興す能力も資金もない。
とすれば城や役所勤めしかない。おそらく試験には合格するだろう。
しかし、王族に目を付けられたのでは、その後の将来に響く。
最悪婚約解消になるとしても、円満に別れなくてはいけない。そのためにも、シャルラ嬢のパーティーには何が何でも参加させてもらわないとまずい。高位貴族の令息のそのほとんどが、婚約者のパートナーとして参加するみたいだから。
屋敷に戻ると、マードックはすぐさま訪問させてもらいたいという手紙を認めて、従者に届けさせた。
しかし、返信は一向になかった。なんて無礼な!と腹を立てて、両親にそれを訴えたが、急に老けた父親は、無表情な顔で淡々と言った。
「一年前にあれほど態度を改めろと言ったのに、お前は反省しなかった。
ルルエールのことがあったから、強く言わなかったが、半年経ってもお前は変わらなかったのだな。
バートン伯爵に伺うまで知らなかったよ。だから、ドナティア嬢の誕生日パーティーが最後のやり直しのチャンスだったのだ。それなのに、それをお前はぶち壊した。
私達はあの後、何度も彼女をパーティーやお茶会に招待したが、その都度
『申し訳ございませんがお断りさせていただきますわ。身内に不幸がありまして、喪に服しておりますので』
と言われて断られるようになった。どなたが亡くなったのかと調べてみると、ご高齢の大伯父とか、大叔母だとか、普通なら喪に服す必要のない方々ばかりだった。
しかも、他所のパーティーには参加していることを知って苦言を呈したら、こう言い返されたよ。
『ルーファット侯爵家の喪に服す考えは特別だとお聞きしたので、当家も失礼に当たらないように、それに準じているだけですよ』
すっかり回復したバートン伯爵にそう言われて赤っ恥をかいたよ。
近頃我が家の招待を辞退する家が増えた理由がそれでようやく分かった。お前が例のパーティーでやらかしたのが原因だったのだ。
お前の兄達も周りから嫌味や皮肉を言われているらしい。
ああ、それはケルトナン子爵家も同じらしい。弟に散々泣き事を言われたよ」
何故叔父上が文句を付けてきたのだと、マードックが疑問に思った。
「だが、私こそ文句を言ってやったよ。甥に婚約者がいると分かっていながら、その婚約者をほったらかしにして、頻繁に自分の娘の見舞いにやってくることに何の注意もしないなんて、どういうことだと。
たしかに私達に礼は言っていたが、まさかそんなに頻繁に行っているとは思っていなかったのだからな。
それにあいつは、お前の持ってきた見舞いの品が、ドナティア嬢からの品だと薄々勘付いていたにも関わらず、それを確かめず、彼女に礼状も出さなかったというのだから呆れたよ。
長男は領地、次男は隣国に留学していたからその事実を知らなかったらしい。
貴族家として信じられない非礼をしたと息子達に責められて、弟は隠居に追い込まれたよ。
バートン伯爵家は幅広く貿易をしていて、付き合いのある貴族から交際を避けられているらしいからな。
我が家と同じだな」
「えっ?」
「私も、お前の兄達に早く当主の座を譲れと言われたのだ。息子一人満足に管理できないようでは、侯爵家の再建もできないだろうとな」
父親が隠居などしたら、自分はすぐに兄に追い出されてしまうだろう。新しい婚約者だって探してくれるわけがない。とマードックは思った。
だから言った。バートン伯爵家へ謝罪に行きたいと。
それを聞いた父親はようやく息子のことを理解したのだ。
病弱の従妹を思いやる優しい男を演じてはいたが、本当は人の心を思い遣ることのできない人間だったのだと。
「伯父上。妹の日記が見つかったのです。
『マードックお兄様から手渡される贈り物はどれも素敵だった。
けれど、あれはお兄様の婚約者だというドナティア嬢からの贈り物に違いないわ。
お兄様は婚約していることも秘密にしているけれど。
だって病人の私を思いやってくださるものばかりで、私の好みなんて一切興味のない人が、あんな素晴らしい品を選べるわけがないもの。
一度お逢いしたい。そして直接お礼を言いたい。だから、早く元気になりたい』
そう書かれてありました。
ドナティア嬢も直接見舞いに来てくださるつもりだったらしいのですが、マードックに拒否されたそうです。しかもかなり辛辣な言葉で。
妹はほとんど外へは出られず、同世代の同性と接触する機会がほとんどありませんでした。
義姉とは年が離れていた上に、兄と共に領地にいましたし。
ですから、もしドナティア嬢と親しくさせていただけていたら、それがたとえわずかな時間だったとしても、ルルエールはもっと幸せな楽しい時間を過ごせたのではないか。そう考えると、兄としては切ないのです」
次男のアランがそう言って涙ぐんでいた。彼は妹の病気を治してやりたくて隣国へ留学していたのだから、さぞかし無念だっただろう。
彼は自分の両親だけでなく、遠回しにマードックを批判していた。
マードックのしていたことは、従妹のルルエールの気持ちを慮ることもせずに、ただの慈善を装った独りよがりに過ぎなかった。つまり自己満足だったのだ。
ルーファット侯爵は深くため息を吐いた後で、息子にこう告げた。
「お前達が婚約を結んだとき、ドナティア嬢はとても辛い状況だった。
母親はすでに亡くなっていた上に、父君が重い病に倒れたのだからな。
彼女はまだ幼い妹達の母親代わりをしながら、父親の看病や、家の仕事を覚えなければならなかった。いくらしっかりした使用人がいても、かなり大変だったろう。肉体的にも精神的にも。
だから親戚筋の者達が彼女を支えてくれるような婚約者を探した。彼らのお眼鏡にかなったのがお前だった。
お前が病弱な従妹の面倒をみる優しい令息だと世間で評判だったからだ。
私もお前なら頭もいいし、優しい子だからドナティア嬢を助けていけるだろうと思ってその話を受けたのだ。
もちろん綺麗事だけではなかった。バートン伯爵家の事業は魅力的だったから、姻戚関係になれば、我が家にも益があるとも考えた。
ところが、お前は彼女の何の助けにもならなかった。
いや、むしろ精神的負荷を与え続けた。彼女が親交を深めようと努力してくれていたのに、お前はそれを完全に無視し続けた。
しかも彼女の大切な成人の祝いの席までぶち壊そうとした。
なあ、お前は婚約をなんだと思っていたのだ? なぜ彼女の気持ちを考えなかった? なぜ寄り添ってやろうとしなかった?
彼女のために何一つしてこなかったのに、どうして自分のためにエスコート役をやらせて欲しいなどと、図々しいお願いができるのだ?
お前の母親は、心のない化け物を産んでしまったと、部屋に閉じこもって泣き続けているぞ」
ルーファット侯爵の心からの問に、マードックは真剣に向き合わなかった。
その証拠に、休み明けに学園へ行った彼は出入り口でドナティアを待ち伏せした。
そして、ランス侯爵家で催されるシャルラ嬢のパーティーにエスコート役をさせて欲しいと頼み込んだのだから。
しかし、彼のその望みが叶うことはなかった。
なぜならそのパーティーはその前日に催されてしまっていたのだから。
「なぜ誘ってくれなかったんだ!」
そう訊ねたマードックに対して、ドナティアは申し訳なさそうな顔をしてこう答えた。
「だって、喪に服し、慎みながら過ごされているあなたに、おめでたい席のエスコートなんてお願いするわけにはいかないでしょう?」
「そ、それは君だって同じだろう?」
すると、彼女は顔を上げ、まっすぐな目で彼を見つめてこう言った。
「妙なことをおっしゃらないでください。婚約者は妻ではありません。他人です。あなたが喪に服しているからといって、なぜ私まであなたに合わせなければなりませんの?
一度も私に寄り添ってくれたことのなかった人のために」
彼女のその澄んだ目を見て、自分の婚約者はこんなに深くて美しい緑色の瞳をしていたのかと、初めて気が付いたマードックだった……
その後間もなくして、二人の婚約は解消された。
「ドナティアが成人の儀を迎えるまでに、マードックが伯爵家の仕事を担える人物だと当主並びに家門の当主達から判断されなかった場合は、この婚約は解消される」
という文章が婚約誓約書に添付されてあったからだ。
ルーファット侯爵は息子の有責で婚約破棄されても仕方ないと覚悟していた。
しかし
「そもそも最初から婚約の体を成していなかったのですから、両家のためにも事を大げさにせず、穏便に済ませましょう」
バートン伯爵にそう言われたのだ。ただし
「今後は次期ルーファット侯爵当主夫妻、ケルトナン子爵夫妻とお付き合いをさせてもらいます。
もちろんマードック卿とは今後一切接点を持つつもりはありません。それをよくご理解ください」
と念を押された。当然だと侯爵夫妻は思った。感謝しかなかった。
やがて学園の卒業式を迎えた。
マードックは官吏試験に無事に合格して、勤務地も決まっていた。そこは国境沿いにある野戦病院付属のリハビリ施設の管理者だった。
優秀な成績で合格した者が赴任させられるような仕事場ではなかった。
やはり第二王子に目を付けられたせいなのか、とマードックは諦めの境地になった。
しかし、人事部の役人に
「君はかなり優秀な人間だと聞いている。ただし、人の気持ちを察し、寄り添おうとする配慮に欠けていると耳にした。それでは重要な仕事は任せられない。
それ故に、まず、人に対する思いやりの心とは何なのか、まずそれを学んでほしいと考えた人事だ。
腐らず、まずは真摯になんでも謙虚に人の言葉を受け入れて頑張ってくれ。期待しているぞ」
と言われて、彼は初めて人前で涙を流したのだった。
そんな彼は、卒業式後に開かれていたパーティー会場で、必死に元婚約者の姿を探した。
直接彼女に謝罪したかったが、父親や新たに当主となった兄から、厳しい接近禁止命令を受けていたので、近付くつもりはなかった。
ただ最後にもう一目だけ、彼女の凛とした姿を見ておきたかった。
そしてそんな彼の目に焼き付いたのは、自分の従兄弟であるケルトナン子爵家次男アランと、幸せそうに微笑み合いながら踊るドナティアだった。
彼がこれまで一度も見たことのない、それはもう美しい、幸せそうな姿だった。
ルルエールの葬儀が済んだ後、ケルトナン子爵家の兄弟は、バートン伯爵家へ謝罪に向かった。心のこもった贈り物を頂きながら、一切礼状を送らなかった無礼に、深々と頭を下げた。
もちろん伯爵は、君達は知らなかったのだから仕方がない。とすぐに彼らを許したのだ。そして大切な妹を亡くしたことに対する悔みの言葉を述べたのだった。
アランはその訪問の際、お礼をさせてほしいといって、伯爵を診察した。その結果、伯爵の病は隣国で開発された新薬でなら、完治することが判明した。
ちょうどそのときバートン伯爵家では、掛かり付けの医師が老齢を理由に隠居することになっていた。
そのため、彼の後任になってくれるように懇願され、アランはそれを受けたのだ。
その結果、半年経たずに、伯爵は以前のような健康体に戻ることができたのだ。
そしてそのころには、ドナティアとマードックの婚約解消は秒読みとなっていた。
だから伯爵は、アランに婿入りしてくれないかと打診したのだ。医師の仕事を続けてくれて構わない。自分も大分回復したし、家の仕事は娘と使用人で回すつもりだ。
君にはただ、娘の精神的支柱になってくれたら、それでいいからと。
アランは初対面のときからドナティアに好意を抱いていた。それゆえにもちろんその場で受け入れたのだ。
医師の仕事を辞める気はなかったが、それでも何かしらの形で、伯爵家の役に立ちたいとそう思ったからだった。
もちろんドナティアも異論はなかった。彼は父親を治してくれただけでなく、マードックと違って、いつも彼女に寄り添い、支えてくれていたのだから。




