第7話:隠す理由
「……あれ?」
天井が見える。さっきまでフィールドを走っていたはずなのに……。濡羽色の短髪に翡翠のような瞳の少女が、アルキュオネの顔を覗き込んでいた。違う。エレクトラじゃなかった。ロージェと一緒にいたはずだけど……
「気が付いた?」
しかし、落ち着いたトーンは、やはりエレクトラの声だった。身を起こそうと力を入れた途端、頭の芯に痛みが走った。彼女の手がアルキュオネの額を押さえる。額には濡れたタオルが載っていた。視線だけを動かしてみる。それでも頭は疼く。彼女がいるのは、医務室のベッドの上だった。
「なんでここに?」
一度目を閉じて、アルキュオネは尋ねた。
「ロージェとぶつかって、頭を打ったのよ。暫く安静にしとけって」
そうだ! ロージェとハンザ・ミルの試合に出ていたんだった!
「え?! じゃあ試合は?!」
慌てて目を開けた途端、エレクトラの手に力がこもって、アルキュオネは頭を枕に押し付けられた。
「あんたの代わりにマイアが出てる」
「そう……」
よかった。不戦敗にならなくて……。安堵と共に、額のタオルから冷たさが沁み込んでくるのを感じた。頭の痛みが少しずつ縮んでいくような気がする。
アルキュオネがベッドに身を預けたのを確認すると、エレクトラは額から手を離した。息をつくと腕を組む。
「ねえ、ロージェ、張り切ってるけど、何かあったの?」
アルキュオネを見ずに、エレクトラは尋ねた。やっぱり、みんな気付いてるか……。睡蓮池での件があるからね……。
「まあ、ちょっとね……」
「ふ~ん」
曖昧な答えに鼻を鳴らすと、不意に、大きめの翡翠の瞳がアルキュオネに向けられた。
「あんたも何かあったよね?」
「え?」
エレクトラは露骨に顔を顰めた。
「ロージェとの息、全然合ってない」
痛いところを突かれて、アルキュオネは思わず目を逸らした。エレクトラは分かっていたのか。いや、彼女だけではないかも知れない……
「……ごめん……」
しおらしい答えに、エレクトラは肩をすくめた。半目でアルキュオネを見る。
「無様ね。優勝候補じゃなかったっけ?」
彼女お得意の皮肉に、アルキュオネは口を尖らせた。
「……私が言ったわけじゃない……」
「あ、そ。……で?」
「何?」
「何があったの?」
アルキュオネは言葉に詰まった。確かに、悩みはある。でも、チームメイトに相談するつもりはなかった。ムードメーカーにあるまじき行為だ。ただ、頭痛が少しだけ心を弱気にさせていたのかも知れない。
目を閉じた彼女は、一度ゆっくり息をつくと、再び目を開けた。エレクトラからは視線を逸らしたまま、慎重に言葉を紡ぎ出す。
「……ある人に、ちょっと気になることがあって……何か隠しているみたいなんだけど、私は本当のことが知りたくて……」
そこで、アルキュオネは一瞬躊躇った。悩みはそれで全部ではなかった。その先を言うには、もう少しだけ勇気が要った。だが、ここまできてそれを隠しても仕方がない。
目を閉じると、彼女は言葉を継いだ。
「……でも、知りたくない自分もいて。それで、何かもやもやと……」
言い終わると、アルキュオネは小さく唇を噛んだ。
「ふ~ん」
再び軽い感じで鼻を鳴らすと、腕を組んだエレクトラは椅子の背に寄り掛かった。それなりの覚悟を持った告白のつもりだったが、気のないような彼女の反応に、アルキュオネは眉を顰めた。
「何?」
微かな苛立ちを孕んだ彼女の問いに、エレクトラは大きく息をついた。半目でアルキュオネを見下ろす。
「じゃあ、ロージェが、本当はあんたのこと嫌いだったらどうする?」
「え?」
エレクトラは少しだけアルキュオネに顔を近付けた。
「どうするの?」
アルキュオネは苦笑した。
「そんなことない! だって、彼女、色々相談してくれるし、相談にも乗ってくれるし、それに、レポートだって見せてくれるし」
「それは……あんたのことを、嫌いじゃないってこと?」
「ええ!」
力強く頷くアルキュオネに、エレクトラは身を起こした。
「あんたはそう思う訳ね」
「ええ!」
そこで、腕組みを止めたエレクトラは、先刻よりもグッとアルキュオネに顔を近付けた。
「じゃあ、それが本当のことよ」
そう言うと、彼女の額からタオルを取る。
「え?」
「ロージェが、本当はあんたのことを嫌いだったとしても、あんたがそうは思えないように振舞っているのだとしたら、それは本当のことでしょう?」
枕元に置かれた水の入ったたらいにタオルを浸しながら、エレクトラは言った。
「それは違うわ!」
「どうして違うの? あんたが嫌いなようには見えないんでしょ? じゃあ、あんたにとっても、ロージェにとっても、それは本当のことじゃない」
「いや、でも……」
身を起そうとするアルキュオネの額に、エレクトラは絞ったタオルを強く押し当てた。
「大体、本当のことって何? どうなったら、それが本当だって分かるの? 実はそれには裏があって、でもその裏にも裏があって……そんなこと言ってたらキリがないでしょ。今見えているものが本当のこと。そう思う以外にないじゃない」
彼女に負けて枕に頭を戻すアルキュオネを見ていたエレクトラは、不意に目を逸らした。
「隠してあることには、ちゃんとした理由がある。ばらすとロクでもないことになるからよ。そんなものを暴いたら、ショックを受けるに決まってるでしょ……」
沈黙があった。
観客の歓声が、遠くに聞こえていた。
それは……そうかも知れない……
遠い目をするエレクトラに、アルキュオネは再び唇を噛んだ。
……でも……
「……取り繕っている自覚があるなら、それは本当のことじゃない」
どれくらい時間が経ったのだろう。アルキュオネは呟いていた。彼女の言葉に、エレクトラは眉を顰めた。
「は? だから! ロクでもないことにならないように……」
「少なくとも、私はロージェが自分に嘘をつくことで苦しんで欲しくない」
アルキュオネは、真剣な眼差しでエレクトラを見つめた。エレクトラは苦笑した。
「それは相手がロージェだからでしょ?」
「違うわ!」
強い否定の言葉に、エレクトラはハッとした。
「……エレクトラ、あなただって同じよ」
そう言われて目を瞠ったエレクトラは、顔を顰めて俯いた。
「……あんた馬鹿なの? それで傷付くのはあんたの方なのよ」
アルキュオネは寝返りを打って、エレクトラに背を向けた。額からタオルが落ちる。
「……知らずに傷付けるより、知って傷付いた方がいいわ……」
アルキュオネの呟きに、エレクトラは大きく溜息をついた。身を乗り出すと、タオルを手に取って、それをアルキュオネの額に押し当てる。
「あんたって……本当に馬鹿ね」
アルキュオネは毛布の中から手を出すと、それを額のエレクトラの手にそっと添えた。
「ほんと……そうなのよね」




