第13節:決別
山が一つ、なくなりかけていた。これが人のなせる技なのだろうか。岩盤を切り崩し、莫大な量の土砂の中からわずかな鉱石を探し出し、更にそれをかき集めて精錬する。すべては、我々のより豊かな生活のためであった。主は一日かけて大地を作ったが、人は三十年かけてその山の形を変えようとしている。人が手にした『知』のおかげなのだろうか。それとも、人の持つ『欲』の果てしなさ故なのだろうか。
ギアンサル鉱山の、高さ五百リルはあろうかと思われる、地層の剥き出しになった大断崖に、博士やクリスはもちろんのこと、同行した叔父までもが驚嘆の声を上げた。かつて、ザムレアの国民が築き上げた、天に届いたというザレムの架け橋も、あながち神節典の中だけの存在ではないような気がした。
一面は赤茶けた土の色であった。他には何もない。一本の草木も……。時々坑道に出入りするトロッコの黒い鉄の色でも、ここでは慰めになった。
鉱夫達が忙しなく動き回る中、鉱山の管理官相手に、我々は既に三十分も押し問答を続けていた。
「ですから、何と申されましでも、旦那様のお許しがなければ、お譲りする訳には参りません」
管理官のシェアト=マローブラン氏は、穏やかな物腰ながら一歩も譲らなかった。
「鉄鉱石や石炭をくれと言っているのではありません。赤岩を分けて欲しいとお願いしているのです。お手数はかけません。こちらで運びますから……」
私の言葉に、後ろにいたジャバ達は頷いた。
「いえ。問題なのは、『何を』お譲りするかではなく、『誰に』お譲りするかなのです」
笑顔のままでマローブラン氏は言った。
「では、私ならばよろしいのかな?」
叔父が進み出た。
「いえ、それが……」
「シェアト! こんなところで何をしている?!」
一人の青年が近付いてきた。
「これは、坊っちゃま!」
ヘルメットを脱いだ彼は、美しい銀髪をしていた。どうやらブリザルディア家の人間らしかった。
「こちら、ブラキウムのクロネッカ伯爵に……元公爵様です」
マローブラン氏の紹介を受けて、我々は頭を下げた。
「私はここの管理主任のリーンゼルト=ランディ=ブリザルディアです。遠いところ、わざわざようこそ」
我々は握手を交わした。リーンゼルト公は、チラリと私に褐色の瞳を向けた。冷ややかな視線であった。
「それで、我が鉱山にどのような御用件でしょうか?」
「はい。実は赤岩を譲って頂きたくて、こうして伺いました」
「なるほど……それで鋼銀を作られるおつもりですか?」
「え?……ええ、そうです」
リーンゼルト公は腕を組んだ。
「残念ですが、お譲りすることはできませんね」
「何故です? お金が必要とあればお支払いします」
公は私の顔を見つめた。
「……我々の結束を乱した者には、いかなる協力もして差し上げることはできません。カウスメディア百五十八の貴族にも、環座会の方から同様の通告があったはずです」
私を完全に閉め出そうというのか……私は奥歯を噛み締めた。
「私ならどうなのです? お譲り頂けないのですか?」
叔父は食い下がった。リーンゼルト公は肩をすくめた。
「甥御さんに渡されないというのでしたら、お譲りしましょう。ただ、そんなことはないでしょうが……。それに、できれば伯爵殿とのお付き合いは避けたいと父も申しております。そちらの御息女と知り合ってから、うちの妹は品位に欠けるようになりましてね……」
「何?!」
叔父は顔色を変えた。
「どうしても御必要とあれば、キタルファ新興社の方からお買い求め下さい。来年には、鋼銀の量産を開始するそうですから」
公は笑った。
「ふざけるな! 鋼銀は昇空機の製作に必要なのだ。一年も待っていられるか!」
掴みかかろうとする叔父を私は押さえた。
「それは、私の関知することではありませんね。……しかし、父親がこうでは、娘の無軌道振りも窺えるというものです」
息をつくリーンゼルト公に、叔父は体を震わした。
「黙れ! 青二才が!」
「叔父上!……」
「では、私は仕事がありますので……シェアト!」
もみ合う我々を尻目に、公は踵を返した。
「伯爵に謝ってください、兄上!」
突然の声であった。その場にいた誰もが、その玲瓏たる声音に振り返った。
ザウラクの作業員達の後ろには、長い銀髪の輝く美しい令嬢が立っていた。この殺風景な中に、その姿は、闇夜に閃めいた雷光のような眩しさを放っていた。毅然と進み出た彼女に、作業員達は我知らず道を開けた。
「ロージェ?!」
ロージェスタ嬢の出現は、リーンゼルト公にとってもかなりの驚きであるらしかった。
「兄上、伯爵に謝罪を!」
それは、私が聞いたことのない厳しい口調であった。彼女は私の横を通り過ぎた。
「何故こんなところに来るのだ?! 後で父に叱られるのは私なのだぞ!」
狼狽する公の前で、彼女は向き直った。
「兄の無礼、どうかお許し下さい」
「ああ、いや……」
頭を下げた彼女に、叔父は、怒りのやり場を失って戸惑っていた。
彼女は私を見た。琥珀色の瞳は、以前にも増して、研ぎ澄まされたような鮮烈な美しさを持っていた。そこには、何かしらの決意が宿っているように思えた。
「シェアト、クロネッカ様に赤岩を……」
「お嬢様?!」
管理官は飛び上がらんばかりに驚いた。
「ロージェ! 一体何を言い出すんだ?!」
ロージェスタ嬢は、慌てるリーンゼルト公を振り返りはしなかった。
「シェアト、早くなさい!」
「いや、しかし!……」
「そんなことは、この私が許さんぞ!」
「私が許します」
「ロージェ!」
リーンゼルト公は彼女の肩をつかんだ。
「一体どうしたというんだ?!」
彼女は瞳を伏せた。
「……クロネッカ様のお力になりたいのです……」
「馬鹿な?! 罪人に手を貸すことはない!」
彼女は公の手を払い退けた。
「何故です?! 私達は永遠の盟約を交わした間柄ではありませんか?!」
「クロネッカは、我ら五大貴族の名誉に泥を塗ったのだ! そんな奴相手に盟約を果たす必要はない!」
怒鳴る公の顔を、ロージェスタ嬢は鋭く睨んだ。
「いついかなる時でも、庇い合い、助け合うのが真の盟友ではないのですか?! 我が宗主レザリオ様もそれを望んでおられたはずです。罪を着せられた者を排除し、我関せずの顔で澄ましている兄上は……偽善者です!」
彼女の強い語気に、リーンゼルト公はよろめいた。
「ロージェ……お前は何ということを……」
血の気が失せるほど大きく動揺する公から、彼女は顔をそらした。
「シェアト、父には私から話しておきます。早くお譲りしなさい!」
「は、はい、ただ今!」
彼女の思いがけない剣幕に、管理官は慌てふためいて、作業員達をボタ山へと案内していった。
「……お見苦しいところをお見せしました 」
ロージェスタ嬢は頭を下げた。
「い、いえ、そんな……」
「……時に公爵様、少しお時間を頂けないでしょうか?」
私は博士達を振り返った。
「構わんよ。我々も積み込みを手伝ってくるとしよう」
博士、クリス、ラム、それに叔父は立ち去った。
「申し訳ありません。ではこちらへ……」
彼女は手招いた。
「ロージェ……お前……悪魔が取り付いたのか?!……」
立ち尽くしていたリーンゼルト公は呻くように言った。彼女は眉恨を寄せた。
「兄上、私は置物の人形ではありません。他人と同じように考え、話すことができるのです……」
この時、私は初めて、ロージェスタ嬢という女性が、淑やかで美しいだけではなく、強い人なのだということを知った――
* * *
私には、残された時間があまりなかった。しかし、ロージェスタ嬢の誠意に礼で答えない訳には行かず、私は、鉱山にあるブリザルディア家専用の休憩所へと足を踏み入れた。
邸宅の中は、粉塵と騒音が大気を濁らせる外の現場とは別世界であった。白を基調とした部屋には観葉植物が置かれ、棚には、この鉱山で採れたらしい様々な宝玉が飾ってあった。そして、壁の一面には、ロージェスタ嬢の大きな肖像画が掛けられていた。
「先程は本当に助かりました。感謝しています」
白いカップに紫茶を注ぐ彼女に、私は切り出した。長居は避けたかった。
「いえ、アルキュオネから聞いたものですから……。兄の無礼、どうかお許し下さい」
「そんな、私は構いません。兄上のおっしゃることももっともです」
「いいえ。本当にわかっていないのは兄や父の方なのです……」
俯きがちに彼女は言った。
「どうぞ」
湯気の漂う熱い紫茶が、私の前に差し出された。彼女は私の前に腰を下ろした。私が紫茶を飲む間、部屋の中は重苦しい沈黙で満たされていた。
「……どうしても、天を目指されるのですか?……」
伏し目がちだった彼女は、やがて意を決したように、閉ざされた口を開いた。私はカップを置いた。
「ええ。それが、私の幼い頃からの夢でしたから……」
私の言葉に、ロージェスタ嬢の瞳は深い翳りを見せた。
「ですが、それでは主に背くことに……」
彼女は、私と目を合わそうとはしなかった。
「わかっています。しかし、それでも私は、天を目指さない訳には行かないのです」
彼女の長い睫毛が震えた。
「何故……何故そうまでして……」
私は苦笑した。
「わかりません。ただ、そうすることが、私が私であることの証のような気がして……ここで諦めてしまったら、十数年間、ただ空を飛ぶことを夢見てきた自分は、一体何だったのだろうかと……」
「そうですか……」
眉宇を曇らせたロージェスタ嬢は、耐えられぬように席を立った。彼女は、私の背後にある、赤茶けた断崖の見える窓辺へと歩み寄った。
「いつだったか、あなたはおっしゃいましたね。私の瞳は、現実を超えた何かを見ていると……これが私の見ていた何かなのです。確かに現実ではない。しかしその正体は、決して他人には認められることのない、愚かな夢なのです。……幻滅されたことでしょうね?」
私は、彼女に背を向けたまま話していた。その言葉を、彼女がどんな表情で聞いたのかはわからなかった。
「……では、やはりどうあっても?」
「はい」
「そうですか……」
彼女は震えるように息をついた。背中を通して、彼女の深い嘆きが伝わった。
「夢を追われる殿方を、私如きでは止められはしないのですね……女とは無力なものです」
悲しみを振り払うように、彼女は努めて明るく言った。
「申し訳ありません……」
「クロネッカ様が謝られることではございません。……実験の御成功をお祈り申し上げております」
「ありがとうございます」
潮時だった。私は立ち上がった。
「では、私はこれで……」
その時だった。
「クロネッカ様!」
振り向いた私の胸に、ロージェスタ嬢は飛び込んでいた。柔らかな肢体が、腕の中になだれ込んだ。長い銀髪が流れるようにその後を追い、彼女の小さな背中をゆっくりと滑り落ちていった。
「……想いを寄せる方の死が免れないのなら、せめて……」
震える肩で、彼女は言った。
細い腕で必死にしがみつく姿はいじらしかった。艶やかな銀の髪が、胸を揺さぶるような甘い香りを放った。私は込み上げる衝動に必死で抗った。彼女を抱き締めたい――しかしそれは、私に許されることではなかった。
私は長い息をついた。心が鎮まるように――いや、本能が鎮まるように。
静かに私は言った。
「……御自分のおっしゃっている意味がおわかりになっているのですか? あなたには、カイゼルリュート公という、将来を約束された方がおられるではありませんか」
彼女は顔を上げた。柳眉が悩ましくたわめられ、琉拍色の瞳に暗い影を落とした。乱れた後れ毛が濡れた頬になまめかしく張り付いていた。
「あれは親同士が決めたこと! 私が本当にお慕い申し上げているのは……」
「ミス・ブリザルディア!」
彼女が言いかけるのを、私は遮った。
「……あなたのためにも、その先は言わない方がいい。今の私には、それを聞く資格がありません」
宝石のように澄んだ瞳が見開かれた。そこに映る私の顔が揺らいだ。私は奥歯を噛み締めた。彼女に対して何もしてやれぬ自分がもどかしかった。ロージェスタ嬢はゆっくりと瞳を閉じた。それが彼女の望むことなのか……しかし、応える訳には行かなかった。その艶やかな唇は、私のものではなかった。例えどんなに胸を締め付けられようとも……彼女の白い額に、私はそっと唇を触れた。それが、わたしにできる精一杯のことであった。淡い吐息が漏れた。開かれた彼女の瞳には、失望と悲嘆の色が溢れていた。私は目をそらした。
「どうか忘れて下さい」
乱暴にそう言って、私は部屋を出た。
これでいいのだ……しかし、胸の中は引きつるように痛んでいた――
博士とラムが嬉しそうに話している帰りの馬車の中で、私は一人、窓の外を眺めていた。ロージェスタ嬢の涙に潤む瞳が、頭から離れなかった。何故、それは私に向けられてしまったのだろう。私には――私には何もないというのに……
隣りに座ったクリスが、心配そうに私に顔色を窺った。彼女は察しているようだった。
「……綺麗な方でしたね……」
「うん?……ああ、そうだね……」
頬杖を突いたまま、私は微笑んでみせた。
「だが、もう二度と会うことはないだろうな……」
馬車は、ギアンサル鉱山を後にした。




