第8節:救世団と女戦士と黒き龍王
救世団が、何故不浄の地に?!……しかし、救世団の目的と言えば――
彼らの発する雰囲気には、尋常ならざるものがあった。無数の針を孕んだかのように、風が鋭く肌を刺して、私の本能的な警戒の鐘を激しく打ち鳴らしていた。
「咎人ラスティリアード=ヴァリス=クロネッカ!」
中央の一人が、一歩進み出してそう叫んだ。私はたじろいだ。
「……いや、魔王ダイリット・サール! 貴様の主に対する反逆は、火を見るよりも明らかだ。もはや、主の裁きを待つまでもない。世界を破滅から救済するため、主の御名に於いて、貴様を処刑する!」
言い終わると同時に、彼らは一斉に短剣を抜いた。強烈な殺気が、矢となって私を襲った。
「待て! 法廷での判決を聞かなかったのか?! 私には、処刑までに一ヶ月の猶予が……」
後退りながら、私は空しい反論を試みようとしていた。
「我が声は主の御声、我が裁きは主の御裁断、我こそは正義。魔王よ、天誅を受けるがいい!」
言葉と共に振り上げられた刃が、凶悪な銀の光を放った。リーダー格の人物がじりじりと間合いを詰めると、両端の二人が私の背後へと回って退路を断っていた。
絶望的な冷気が背筋を伝って、肌を冷たく濡らした。……これで終わりか……ここまで来て、私の夢は潰えてしまうのか……。刃物を持った五人を相手に、この危機を無事に切り抜けられるはずがなかった。しかし、それでも私は身構えた。
「俺は、昔から貴様が気に入らなかった……」
中央の人物は、血生臭い嗜虐の色を帯びた声で呟いた。この声、どこかで……
彼はゆっくりとスカーフを取った。刈り上げられた萌黄色の髪と浅黒い肌が現れた。
「貴公は、リーデンブロイ卿?!」
そう、彼は裁判で監察局側の証人に立った、ハイスミネア=ザカール=リーデンブロイ伯爵であった。初等院での餓鬼大将『ハイス』――その翠色の瞳は、以前よりも陰惨たる色彩を増して、獲物を狙う獣のように鋭く光っていた。口元に張り付く乾いた笑みが、卿の狂気を臭わせた。
「貴公……救世団に入っていたのか?」
私の驚きが面白くて堪まらないという風に、卿は高らかに笑った。神経を逆撫でするような、厭わしい笑い声であった。
「どうだ。主に逆らった気分は? これだけ世間を引っ掻き回したんだ。もう思い残すこともないだろう?」
蔑みと嘲りとをあからさまに声に含んで、卿は私を睨んだ。
「貴様は昔からそうだった。何の力も持たぬくせに、格好だけは一端の正義漢ぶって、いかにももっともらしく説教を垂れる。だがな、言葉だけでは何事も変えることはできんのだ。教えてやろう、力こそが世界を動かすのだということを!」
両手を広げる卿の瞳には、危うい陶酔の光が浮かんでいた。
「貴様とエッセンニーカが死ねば、アルキュオネは俺のものだ。あいつも目を覚ますだろう。幸せは、力ある者だけが手に入れられるのだとな!」
利己主義に醜く歪められた彼の狂笑に、私は歯軋りした。
「そんなことをしても、アルキュオネの心は動くものか! 彼女は真の幸福の何たるかを知っている!」
「黙れ! 貴様のきれいごとには反吐が出るわ。女とは所詮庇護されたい生き物なのだ。それに応えるのに、エッセンニーカでは器が小さすぎる。俺を見よ! 俺には主がついている。俺は無敵だ。誰も俺の道を阻むことはできない! 貴様は死ね! 後でエッセンニーカも送ってやる!」
言葉を吐き捨て、リーデンブロイ卿は切りかかった。
左上から振り下ろされる青白い円弧を、私は跳び下がってかわした。続けざまに五本の凶刃が振り下ろされた。
それをどうかわしたのかは、もうわからなかった。ただ、耳元で、刃が空を切る無気味な音が聞こえていた。
右肩に、火箸を押し付けられたような激しい熱さを感じた。火箸は左足にも突き立てられた。熱さが鋭い痛みに変わり、その周りが生温かく湿った時、私は、狂信者達の前に膝を落としている自分に気付いた。足元の砂が赤く染まっていた。
「これで終わりだ」
嘲笑と共に、血に濡れた短剣が天高く掲げられた。私は奥歯を噛み締めた。まだだ! まだ……!
大気を切り裂いて、銀の刃は私に襲いかかった。
しかし、血を求める剣の鋭い稜線は、空しく虚空を切った。
「うっ!」
呻いたのはリーデンブロイ卿であった。短剣は彼の手を離れて、乾いた砂に突き刺さった。そのそばに、激しく回転しながら、黒いスパナが落ちた。
「クロネッカ様!」
救い主の声に、私は振り返った。
ラムであった。二リルほどの長さの鉄パイプを手にした彼女は、思わぬ奇襲に怯んだ刺客達を鋭く睨みつけた。
ラムさん、そう呼びかけようとした私の声は、喉元で凍りついた。彼女の黒い瞳の中に、紫色の炎が見えたような気がしたからであった。
「貴様ら、何者か?!」
彼女の詰問の言葉は、広大な砂の大地に凛然と響いた。
「……女か……」
リーデンブロイ卿は呟いた。その声は、侮蔑の色に塗り尽くされていた。
「邪魔をするな。我らは主の使い、法の行使者だ。我らに逆らうことは、主に背くことに等しいのだぞ。貴様も天誅を受けたいのか?」
四本の刃が、彼女へと向けられた。
「……愚かな考えだ……」
憐れむように、彼女は静かに言った。
「魔王を倒せば、すべてが解決するとでも思っているのか。本当の『魔』は、己が裡にあることを知れ!」
その声音には、普段の彼女からは想像もつかない竣烈な力が込められていた。
刺客達の間に、彼女への凶悪な殺意が沸き起こるのがわかった。空気が電化したように、チリチリと音を立てた。
「この売女め! 地獄へ堕ちるがいい!」
白装束の刺客は、短剣を振りかざして彼女へと飛びかかった。
「ラムさん、逃げるんだ!」
私が叫んだのと、彼女が鉄パイプを異様な形に構えたのは、ほとんど同時だった。
突き出された刃をその中央で跳ね退けると、黒い鉄管の端は、空気との鈍い擦過音を立てて、短剣の握られた右腕へと叩きつけられていた。
弾け飛んだ剣が地面に落ちるよりも速く、パイプの逆の端が大きく弧を描いた。
鉄管の一撃は、相手の首筋に打ち込まれた。奇妙な呻き声を上げて、刺客はその場にくずおれた。
残りの者が怯む隙も与えずに、ラムは跳んだ。黒い矢のように突き出された鉄パイプは、赤い龍の頭に深々とめり込んだ。再び黒い円弧が空を裂き、もう一人の脇腹へ、そして膝へと打ち込まれ、態勢の崩れたところへ、彼女の回し蹴りが炸裂した。
四人目が私の足元に転がってくるまでに、ものの十秒とかからなかった。その、幻のような一瞬の格闘を、私は唖然として見ているだけだった。
始めと同じように鉄パイプを構えると、ラムは息をついた。
「……後はお前だけだ……」
一人残ったリーデンブロイ卿へと、彼女は顔を向けた。
彼は、思ってもみなかったラムに立ち回りに、呆然と立ち尽くしていた。
「……奇妙な杖術を使うようだな……女にしてはなかなかやる……」
しかし、その声音にはまだ余裕があった。彼は、ゆっくりと落ちた短剣を拾い上げると、それを逆手に握った。
「だが、そこまでだ!」
言葉が終わる前に、彼はラムへと襲いかかった。
下から振り上げられる刃を、ラムは同じようにパイプで受け止めた。火花が散った次の瞬間、卿の拳が彼女の顔めがけて打ち出されていた。
これを辛うじて払ったラムだったが、次に繰り出された蹴りにはついていけなかった。みぞおちにそれを受けた彼女は、思わず身を屈めた。
彼はすかさず彼女の顎を蹴り上げた。
「ラムさん!」
砂の上にもんどり打つ彼女に、私は声を上げた。
彼女はすぐさま姿勢を立て直した。唇の端から、血が筋を引いていた。
「どうした? この程度か?」
卿の声音には、悦虐の響きがあった。
「ヤア!」
掛け声と共に、ラムは鉄管で殴りかかった。
パイプの両端が交互に次々と繰り出され、剣とぶつかり合って鋭い金属音を発した。次の瞬間、鉄管が描く黒い円弧を、リーデンブロイ卿は素手でしっかりと受け止めた。反対の端が捻りを上げる前に、彼はそれを思い切り外へ払った。
ラムは体勢を崩した――かに見えた。
砂に突き刺さった鉄管の端を軸に、彼女の体は宙に躍っていた。彼女の背中の陰から、旋風のような左足が卿へと襲いかかった。左腕で慌てて受け身を取った卿は、それでもたまらずに跪いた。
ラムの足が地に着くか着かないかのうちに、パイプは虚空に大円を描いた。砂煙を上げ、リーデンブロイ卿目がけて――
だが、それは不意に目標を見失った。
卿の投げ付けた一握りの砂のために、ラムは視界を塞がれた。
身をかすめる鉄管をかわしながら、卿は顔を背ける彼女の懐へと飛び込んだ。数発の拳が、ラムの胸、腹、そして顔に打ち込まれた。
よろめくラムの背後へ、彼は易々と回り込んだ。彼女の悲鳴が上がった。
刃の欠けた短剣は、彼女の右肩に深々と突き立てられていた。
「所詮はこんなものだ……」
左腕で彼女の体を締め上げながら、卿は傷口を抉るように柄を回した。激痛に、ラムは歯を食いしばって呻いた。額に脂汗がにじんだ。
「やめろ!」
私が叫んだ時だった。彼女は、ポケットから取り出したドライバーを卿の太腿に深々と突き刺していた。卿が悲鳴を上げて身を屈めたすきに、彼女は彼を突き飛ばした。剣が肉を引き裂いて、鮮血が迸る。しかし、ラムは振り向きざまに鉄管を振り下ろした。間髪を入れない二つの黒い閃光は、卿の左肩と右の脇腹に叩き込まれた。リーデンブロイ卿は地面に倒れ伏した。
力尽きてくずおれるラムに、私は切られた足を引きずって駆け寄った。
「クロネッカ様、御無事で?」
抱き起こすと、肩で息をつきながら、蒼ざめた唇で彼女は尋ねた。
「僕は大丈夫だ。それよりラムさんが!」
彼女の肩先は、服の外に染み出すほどの血で真っ赤に染まっていた。私は上着を脱ぐと、それを大きく裂けた彼女の傷口に押し当てた。ラムは細い眉を折り曲げて、込みあげる痛みに耐えていた。
隣でリーデンブロイ卿が震える身を起こした。
「おのれ、このアマ……」
翠色の瞳にどす黒い憎悪をたぎらせて凄む卿に、再び身構えようとするラムを制して、私は天を指した。
「もういい、ラムさん。早く避難するんだ。風の龍が、『黒鱗』がやってくる!」
天蓋の底は激しく渦を巻き、その中心が、四方に稲妻を走らせながらみるみると膨れ上がりつつあった。砂塵が巻き上がり、我々の肌を切り裂かんと襲いかかった。
「……『黒鱗』が?!……」
愕然とした表情で天を見上げるリーデンブロイ卿に構わず、私はラムの肩を取って抱え起こした。天蓋から伸び始めた『黒鱗』の鎌首が、大気を捻らせて我々の頭上へと闇のように暗く覆いかぶさった。
「岩場に!」
胸腔を震わせる龍の咆哮は、すぐそこまで迫っていた。私はラムの腕をつかんで、岩場へと走った。
百リルほど後ろで、『黒鱗』は巨大な体を大地に下ろした。地面が激しく揺らいだ。空気の電化する異臭が、吹き荒れる凶風となって我々を襲った。風は刃となり、砂は矢となった。
「こっちだ!」
確か、東側に小さな窪みがあったはずだ! 格納洞に較べたら、とても安全とは言えなかったが、とにかく身を隠さなければ、死は免れなかった!
「ラムさん、急いで!」
彼女の手を引いて岩場に回り込もうとした、その時だった。据え付けられていた風車が、風圧に耐えられなくなってちぎれ飛んだ。回転する羽根は、恐ろしい力を秘めてラムへと襲いかかった。彼女は悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「ラムさん?!」
驚いて振り返った時、風車のちぎれた金属片が、地面に突き刺さった羽根を軸にして、私へと降りかかった。とっさに両手をかざした私は、次の瞬間、激痛に苦悶の声を上げた。尖った金属端が、振り下ろされた勢いで私の掌の肉をそいでいったのである。噴き出した血が、激しくなる風に舞った。
「ラムさん! 大丈夫か?!」
痛みを堪えて、私は彼女に駆け寄った。ラムは苦痛に身悶えていた。
「どこに当たったんです?!」
「あ、足に……骨が折れたみたいです……」
何ということだ!
「捕まって! 立てますか?!」
私の差し出した血まみれの手に、彼女は顔色を変えた。
「クロネッカ様?!」
「手首を掴んで下さい! 早く!」
『黒鱗』は間近に迫っていた。ラムの体を引きずって、私は岩場の窪みへと急いだ。彼女の袖口は、私の流す血でみるみる赤く染まっていった。
凶暴な青銅の牙が岩場に噛みつく寸前、私は、ラムを抱きかかえるようにして窪みへと転がり込んだ。
「た、助けてくれ!」
大気の悲鳴に混じって、声が聞こえた。
背後の砂の上に、リーデンブロイ卿が倒れ込んでいた。ラムによって足に傷を負った卿は歩くのもままならず、恐怖に色をなくした顔で必死に叫んでいた。
「早くつかまれ!」
窪みの中から、私が手を差し延べた瞬間だった。断末魔すら残さず、まるで虚空に飲み込まれるかように卿は姿を消した。耳をつんざく『黒鱗』の絶叫が轟き、岩場が軋んだ。砂を孕んだ大旋風が、巨大な下ろし金のように岩の表面を削り取り、天へと吸い上げた。私はラムをきつく抱き締めていた。彼女を守ろうとしたのではない。そうしなければ、恐怖が胸を食い破りそうだったからである。それは、私にしがみつくラムにしても同じであった。黒き怒りの使者、『黒鱗』。その狂える龍王の前には、人はあまりにも無力であった。そして、その怒りは、やはり私に向けられたものなのだろうか? 岩の窪みで震える私は、ダイリット・サールにしては、例えようもなく矮小で、非力な存在でしかなかった。
荒れ狂う風の中に、私は主の嘲笑う声を聞いたような気がした……




