第6節:黒眼鏡の男とその主人
車はアルバリの森を抜けて、カウスメディアの西のはずれを走っていた。遠くに、不浄の地を囲むメサルティムの山々が見え始めていた。
我々を捕らえた黒マントの一団は、車内でも全く口をきかなかった。我々を挟み込むように座った男達は、一様に凍えるようなまなざしを持っている。一体何者なのだろうか。
彼らの黒い風貌は、どうやら救世団でもないようであった。ほかに考えられるものといえば……まさか、魔王を崇拝するという噂の暗黒教団か?……
「一体どこへ連れていくつもりだ?」
返事がないだろうことを承知の上で、私は、正面に座ったリーダー格の黒眼鏡の男へと問いただした。
「どうか御心配なく。悪いようには致しません」
男は微かに微笑んだ。思ってもみなかったその表情に、私は眉をひそめた。
「こんなことをされて、どう心配をするなというのだ!」
声を強めた私の腕を取ったのは、ラムであった。彼女は、特に怯えた様子も、かといって気を張った様子もなく、普段の顔で私を見つめると、小さく首を横に振った。先刻の張りつめたような光は、彼女の黒い瞳にはなかった。……一体どういうことなのだろうか?
やがて車が止まったのは、廃屋となった製材所の前であった。我々は車を降りた。
「どうぞ中へ。主人がお待ち兼ねです」
黒眼鏡の男が、扉板の外れた入り口を示した。……主人?
私はラムの肩を取ると、ナブラが膝の辺りまで生い茂った敷地を横切って、屋根の朽ちかけた製材所の中へと足を踏み入れた。
「これはクロネッカ公爵。遠いところ、ようこそいらっしゃいました」
唐突な、しかも飛び抜けて明るい声が響いた。それは、外の黒づくめの男達の主人のものにしては、あまりにも不似合いな声音に思われた。だがしかし、不似合いなのはそれだけではなかった。
廃屋の中で、私を迎えるように両手を広げていたのは、恐ろしく恰幅のいい中年の紳士であった。そのふくよかな顔のなまず髭に、私は自分の目を疑った。
「キタルファ卿?!」
そう、それは、ザウテルがタヌキ親父と呼んでいた、フルド=キタルファ男爵に間違いなかった!
言うべき言葉が見付からずに、私は呆然と立ち尽くしていた。何が起こったのか、全く理解できなかった。
やがて入ってきた黒眼鏡の男は、キタルファ卿の隣りへと立った。
「手荒な御招待だったことは御詫び致します。これは、グレーハルト=バウシンガー。まだ若いですが、うちの有能な執事です」
卿は、混乱する私に追い討ちをかけるように、衝撃の事実を口にした。バウシンガーなる人物は、眼鏡をはずすと頭を下げた。黒いレンズの下には、穏やかな碧色の瞳があった。
ようやく事態を飲み込め始めた私の胸には、緊張に代わって怒りが湧き上がった。
「これは一体どういうことですか?! 冗談にしては戯れが過ぎますよ!」
憤然たる私の言葉を、キタルファ卿はかわすことなく受け止めた。
「お怒りはごもっともです。ですが、こちらも表立って御助力差し上げる訳には参りませんでしたので……申し訳ございません」
私は、剥いたばかりの牙を一気に抜かれた。
「助力?!……いや、しかし御社のロアンスキン常務は……」
その時、私はかなり愚かしい表情をしていたのかも知れない。卿の思いもかけない弁解は、私の勢いを削ぐには十分過ぎる力を持っていた。
彼は苦笑した。
「軽蔑されても仕方のないことですが、我々も自分の身はかわいいのです。監察局や環座会に正面から逆らっては、この先無事にやってなど行けません。ロアンスキンも、表向ききついことを申し上げたとは思いますが、それが我々の本意ではないことを、どうかおわかり下さい」
頭を下げるキタルファ卿のやや薄くなったつむじを、私は眉をたわませて見つめた。どうにも納得がいかなかった。卿は一体何をしようというのだ?
「その証として、どうかこれをお受け取り頂きたいのです」
卿の合図と共に、製材所の奥から一台のトラックが現れた。新式のトルコロルⅡ型であった。無蓋の荷台には、木材が山のように積まれていた。
卿に招かれて、私はトラックへと近付いた。彼が言うのは、どうやら南洋高木トゥシャラの合板のようであった。
「これを?」
訝る私に、キタルファ卿は微笑んだ。
「中をご覧下さい」
黒服の使用人の一人が、手にしたバールで一枚の合板の表面を引き剥がした。
白い木材の中からは、思いがけない金属の光沢が現れた。その眩い銀色の光は、我々が求めて止まなかった鋼銀の輝きに間違いなかった!
「これは?!……」
私は驚いて卿を振り返った。ラムもトラックの間近へと駆け寄っていた。
「監察局でも鋼銀には目をつけているようです。見付かったりしては厄介ですから、このような小細工をする羽目になりまして……」
苦笑した卿は頭を掻いた。私とラムとは、ただ唖然とするしかなかった。
「キタルファ卿……」
「これが、我々にできる精一杯のことです。少しでも公爵のお役に立てたなら、幸いでございます」
その笑みには、日ごろから貴族達の間でまことしやかに話されている、狐狸のようなずる賢さも、成り上がり者の下品さも、もちろん下心からのおもねりもなかった。ただ、蝋燭の柔らかい炎のような、そんな温かさを私は卿のふくよかな顔に見た。
「……しかし……しかし、どうして?!……」
驚嘆の色を隠せずにいる瞳を向けられて、キタルファ卿は少年のようにはにかんだ。
「……私は、たった一代で今の地位を手に入れた、文字通り成り上がり者です。ほかから見れば大したことはないかも知れませんが、私にとっては、ここまでの道のりは苦難の連続でした」
遠い過去を思い返す、わずかな沈黙があった。
「それでも私が諦めなかったのは、自分の夢を捨てられなかったからなのです」
「夢?」
「ええ。お恥ずかしい話ですが、金持ちになりたい、それが私の若い頃からの望みでした。公爵のような崇高な夢では決してありませんが、それでも、私にとっては、苦しい時の大きな支えとなりました。そして、ある時わかったのです。私が成功することができたのは、『金持ちになりたい』と願ったからではなく、そうなりたいと『願った』からなのだと……」
卿は、自分の裡にあるその思いを確かめると、一人頷いた。
「公爵をお連れしたのは、グレーハルトを含めて、私が爵位を戴く前から使っている者達でして、以前は貧民街の愚連隊だった連中です。まだその頃の口振りや態度が抜けなくて、手を焼いているのですが、根は優しい者ばかりです」
キタルファ卿に見つめられたバウシンガー氏は、むずがゆそうに鼻をこすった。話題に上った黒マントの男達も、それぞれに恥じらいを見せた。
「昔の彼らには一片の夢も希望もありませんでした。ただ、己れの不幸な境遇を呪い、世の中に逆らって、破滅的な生活を送っていました。私は、そんな彼らに夢を与えられたならと思ったのです。ほんの些細なことでもいい、何か自分が目指すものを持てるなら、それだけでも意味のある前向きな人生を送れるはずだと。今、彼らはそれぞれに夢を持ち、それを実現しようと頑張っています」
卿は私へと向き直った。
「公爵にも、夢を諦めて頂きたくはないんです。偉そうなことを言うようですが、公爵は、私が初めて『紅閃』を入れさせて頂いた方ですから……私が見込んだ方には、是非とも夢を果たして頂きたいと」
「……キタルファ卿……」
お披露目での『紅閃』――それは、家督相続に対する賛成の意味を持ってはいたが、既に単なる形式と化してしまったものである。それを、卿は自分の重大な意志表示と考え、紅閃を入れた責任を果たそうとしているのだった。それは、卿の無知がさせるのではなく、彼の本心がそうすることを求めているに違いなかった。
思ってもみなかった協力者の出現に、私の心は湧き出す感情を処理し切れないでいた。
「ありがとうございます」
神妙な顔で、私は右手を差し出した。しっかりと握手が交わされた。
卿は私の気持ちをわかってくれたのだろうか。しかし、卿が浮かべた満面の笑みは、そんな私を包み込むような寛容さに溢れていた。
* * *
トゥシャラの中に隠された鋼銀を満載したトルコロルを、不浄の地へと走らせるラムに、隣りに座った私はふと思い出して尋ねた。
「ラムさんが気付いていたというのは、彼らのことだったんでしょうか?」
「いえ」
悪路のために車体が上げる悲鳴に混じって、はっきりとした否定の言葉が返ってきた。
「彼らの持っていた空気は、それとは違いました。ですから、敢えて抵抗はしませんでした」
空気……彼女の顔をあれほどまでに険しくさせた空気とは……
「さっき感じたのは、どんな空気だったんですか?」
正面を見据えたまま、忌まわしい感覚をもう一度肌に思い浮かべると、彼女は堪えられぬように眉根を寄せた。
「……強烈な殺意です……」




