第7節:家督相続式
聖暦三一三一年辛の月三日、父の死からちょうど百日が経ち、その喪が明けることとなった。
我が家には、大勢の貴族が詰めかけていた。五大貴族のダイロンバール、ブリザルディア、リーカルガッセ、エッセンニーカはもちろんのこと、カウスメディアに屋敷を構えるすべての貴族が、我が家に招待されることになっていた。家督相続の儀式が行われるためであった。前当主の魂が天界に辿り着いたのを確かめた後に、新しい当主を集まった賓客に会わせ、彼が次の当主にふさわしい人物であるか否かを採決するのである。もちろん、異議を唱える者など一人もいない。それはあくまでも形式的なものであり、新しい当主のお披露目というのが、実質的な儀式の目的であった。
祖父も袖を通したいう、金と赤に彩られたきらびやかな礼服を着せられた私は、次々と挨拶にやってくる貴族達の前に、既に二時間も立ちっ放しであった。彼らは一、二分私と言葉を交わすと、傍らに立った爺やが持つ黄金製の壺に賛否の宝玉を入れるのである。賛成は『紅閃』、反対は『蒼輝』、いずれも屋敷の入口で手渡され、使わなかった方は、そのまま持ち帰ってもらうというのが長年のしきたりになっており、その二つの宝玉の大きさが、その家の財の豊かさを物語ることになっていた。
出は平民だったが、数々の事業で成功し、貴族の称を与えられたフルド=キタルファ男爵などは、初めての儀式のことに、十分間も話し込んだ揚げ句、壷の前であからさまに『紅閃』の宝玉を見せてしまったため、他の貴族達の顰蹙を買っていた。
ようやく、すべての貴族の挨拶と採決が終わると、壷は大司教の手に渡され、別室で中の宝玉の数が数えられることになった。その後の宝玉の運命はと言うと、布施として聖摂院に納められるのであった。
私は何とか棒立ちの刑から解放され、貴族で溢れる大広間からバルコニーへと出た。外は既に秋の風が吹いていた。
「どうだ、新しい当主になる感想は?」
後ろから声をかけたのはザウテルだった。髭を剃り、金の肩章がついた鮮やかな青の礼服を身に纏った彼は、普段にも増して凛々しく見えた。
「疲れるだけですよ」
私は肩をすくめた。ザウテルは笑った。
「我慢することだな。貴族なら誰もが一度は経験することだ」
手擦りに寄りかかりつつ、我々は風を浴びた。
「……なあ、ラスティ……」
「はい?」
「やっぱり……あれは続けるのか?……」
「ええ……」
「……そうか……」
ザウテルは呟いた。中庭にあるカミルの枝がざわめいていた。
「ここにいたの」
アルキュオネが、長い裾をつまみ上げながらやってきた。明るい山吹色のドレスに身を包み、柔らかく波打った金髪に銀の花飾りを挿した彼女は、見違えるほど輝いて見えた。女性とはこれほどまでに変われるものなのだろうか?
「お二人にご紹介するわ。こちら、私のお友達のロージェスタ=ラテシア=ブリザルディア。エリリア修学院のミス・エスメーラよ」
アルキュオネに言われて、彼女の後ろから姿を現した令嬢に、我々は息を呑んだ。ロージェスタの名の通り、燃え上がるような赤いドレスに、長く美しい銀の髪が映えるその令嬢は、伏し目がちに頭を下げた。透き通るような白い肩先を長い後れ毛が流れていった。端麗な顔立ちと、恥じらいに潤む澄んだ琉拍色の瞳は、まるで清楚という言葉をそのままに体現したようであった。
「……こちらは、私の従兄で今日の主役のラスティリアード=ヴァリス=クロネッカと、そのお友達のザウテル=フィルノア=エッセンニーカ」
「ようこそ、我がクロネッカ家へ」
呆然としていた私は、慌てて頭を下げた。
「そう、こちらがブリザルディア家の御令嬢ですか。いや、噂に違わず何とお美しい……」
ザウテルは溜め息を漏らした。
「……ありがとうございます……」
ロージェスタ嬢は頬を染めてはにかんだ。
「ザウテル様、あちらに十五年ものの葡萄酒が用意してありますの。参りましょう!」
強引にザウテルの腕を取ると、アルキュオネは彼を広間へと引き入れた。
「ロージェ、後はよろしくね!」
去り際にそう言って、アルキュオネは私にウインクした。どうやら彼女が何か仕組んだようであった。私は、風の吹くバルコニーに、ミス・エスメーラのロージェスタ嬢と取り残された。
「……継承、おめでとうございます……」
俯いたままで、ロージェスタ嬢は言った。
「ありがとうございます」
私は答えた。いえ、と小さく呟くと、ロージェスタ嬢はそれっきり口を噤んでしまった。彼女の腰まである髪が秋風に揺らいだ。艶やかな銀髪は、風にそよぐ度に、まるで光の砂を振り撒いているように、私に錯覚させた。
「修学院の方はどうですか? もう慣れました?」
沈黙に耐えられなくなって、私は尋ねた。
「……ええ。アーネが……いえ、アルキュオネがよくしてくれるので……」
彼女は囁くように言った。
「そうですか。でも、彼女は昔から世話を焼き過ぎるところがありますから……」
私が言うと、彼女は初めて、私にその美しい琥珀色の瞳を向けた。
「そんなことはありません。父にかわいがられて世間知らずな私に、色々なことを教えてくれます……」
「しかし、彼女は余計なことまで知っていますからね。ハンザ・ミルなどでも教えたのではありませんか?」
「どうしてご存じなのですか?」
彼女は驚いて目を瞠った。やはり、と思いながら私は笑った。
「あの球技は、彼女の得意中の得意ですから。中等院の時には、女の子だけのチームもつくって、よく私達と競技したものです。私は彼女に勝った試しがなかった。私の叔父もアルキュオネのお転婆振りにはよく嘆いていました。うら若い娘が、太腿を人前に曝け出して駆け回るものではないと」
「……そうですね……」
掠れそうな声で言うと、ロージェスタ嬢は顔を伏せた。その時、細い首筋が淡い薔薇色に染まったのを、私は不思議に思った。
「旦那様、採決が出ました。お早くお戻り下さい」
爺やだった。
「では失礼します、ミス・ブリザルディア」
頭を下げて、私はバルコニーを後にした。
* * *
私の前で、大司教のアールマカク=シントール卿が、別室で確かめた採決の結果を書いた紙を広げた。私の脇に座った叔父は、居住まいを正した。招かれた貴族達はしんと静まり返っていた。
「結果を申し上げる……」
シントール卿は咳払いをした。
「『紅閃』……百五十八個、『蒼輝』……一個!」
?! 聴衆からざわめきが起こった。
叔父の顔はみるみる蒼ざめていった。隣のアルキュオネが、動揺と困惑のまなざしを私に投げかけた。
大司教は再び咳払いをした。
「……よってここに、百五十八名の賛同の多数を以て、故スプレッツァード=ロイル=クロネッカより、ラスティリアード=ヴァリス=クロネッカに家督が譲られたことを承認する。 新しき主に主の祝福を!」
大広間はざわついたままだった。
「……新しき主に主の祝福を!」
二度目の卿の言葉に、ようやくパラパラと拍手が起こり、やがてそれは広間全体へと広がっていった。
この日、クロネッカ家の新しい当主は、カウスメディアの貴族百五十九名全員の賛同を得ることができなかったのである。




