第6節:叔父と従妹
「お久し振りです、叔父上。お元気そうで何より……」
応接室に入った私は頭を下げた。祖父の大きな肖像画の下に腰掛けた叔父は、ジロリと私を睨んだ。傍らには爺やが立っていた。
「……今までどこに行っていた?」
低い声で叔父は言った。
「おいでになるのは二、三日後だとお聞きしておりましたが……」
私が言うと、爺やは慌てて目で諌めた。
「私は、どこに行っていたかと訊いておるのだ!」
叔父の金髪が揺れた。
「……風が肌に心地よかったもので、逮出をしておりました」
「何だと?!」
腰を浮かした叔父に、爺やは頭を下げた。
「申し訳ございません! 私が至らぬばかりに……」
「お前は黙っていろ、ボルツ! ラスティリアードはもう二十三だ。自分の事ぐらい、自分で面倒見られぬようでは話にならん!」
いつになく激しい剣幕で、叔父は怒鳴った。
「ラスティリアード! お前という奴は、兄上の喪も明けていないというのに、いつまでも学生気分でフラフラと……しかも、王立院の各庁からの就職勧誘をことごとく断わっているそうではないか! あのエッセンニーカの放蕩息子でさえも職に就いているというのに……お前は一体何を考えているのだ!」
どうやら叔父は、爺やに私の近況を聞いたようであった。
「私は、父上に、修学院卒業後一年間は、自分が何を為すべきなのか考える時間が欲しいとお願いし、承諾を得ました。ですから……」
私の言葉に、叔父はテーブルを叩きつけた。
「まだそんなことを言っておるのか?! 死んだ者との約束など、ないに等しい! あと十日もすれば、お前は由緒正しき五大貴族クロネッカ家の当主になるのだぞ。それがわからん訳ではあるまい?! そのお前が、今のような有り様で何とする!」
こうなっては、もうどうしようもない。私はしおらしく顔を伏せているしかなかった。
叔父は息を荒らげながら、再び椅子に腰を下ろした。
「……とにかく、私は、お披露目の日までここに泊まる。お前に、一家の主としての心構えをみっちり叩き込んでやらなくてはならない。いいかラスティリアード、その間、屋敷から出ることは一歩も許さんぞ! いいな?」
「わかりました」
私は、俯いたままで低く答えた。
「本当にわかっているのかどうか……もうよい、下がれ」
叔父は溜め息混じりに言った。私は一礼をすると、応接室を後にした。
* * *
……まずいことになった……
私は、自室の窓辺にたたずみながら考えていた。叔父の監視の目の厳しさは、爺やのそれの比ではない。この分だと、十日間は確実に屋敷に閉じ込められるだろう。博士に断わっておかなくては……しかし、いつ断わる?……
私は部屋のドアへと向かった。できるとすれば今日しかなかった。
しかし、ノブに手をかける前にドアがノックされ、私はギクリとした。
「どうぞ」
入ってきたのは、従妹のアルキュオネだった。
「アーネか……」
私は息をついた。彼女はいたずらっぽく笑った。
「あなたもやるわね。こんな時間まで遊び歩いているなんて……」
「今日は特別さ」
彼女は窓際へと歩み寄った。私はドアを閉めた。
「……じゃあ謝っとくわね。ここに今日来るように父に頼んだのは、私なの」
アルキュオネは髪を掻きあげた。夜風に、彼女の金色の巻き毛が揺らいだ。
「あれ、その髪形?……」
私が言いかけると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「そう、変えてみたの。どう、似合ってる?」
ああ、そう言おうとして、私は気付いた。
「……何よ?」
私の笑みを、彼女は不審に思ったらしかった。
「わかったよ。どうして今日ここに来たのか。明日はザウテルが帰って来るからだろう?」
「……まあね……」
彼女ははにかんだ。
「ラスティはどう思う? 彼、気に入ってくれるかしら?」
「さあね。中身が中身だけに、どうかな?」
私がからかうと、アルキュオネは顔をしかめた。
「失礼ね。私はこれでも、修学院で準ミス・エスメーラに選ばれたんだから!」
「へえ、あのお転婆なアーネがねえ……世も末だな」
私は笑った。アルキュオネは私より二つ年下だが、幼い頃には、彼女に泣かされたこともしばしばあった。『クロネッカの女帝』の仇名は、昔はかなり有名だったのである。
「いいわよ、もう!」
彼女は膨れっ面で私に背を向けた。
「……アーネ、ザウテルならもう帰ってるよ」
「えっ?!」
アルキュオネは驚いて振り返った。
「嘘じゃない。今朝、港に着いたんだ。今日は、ずっと彼と一緒だったから……」
私の言葉に、彼女は失望の色を露わにした。
「なんだ、せっかく港まで迎えに行こうと思ってたのに……」
「明日でも行ってくればいいじゃないか。彼なら、その髪、きっと気に入るよ」
私が慰めると、彼女の顔はパッと明るくなった。
「そう? ありがとう!」
私は、彼女のいる窓際へと立った。
「……いい風ね……」
目を細めて、彼女は呟いた。
「……ねえ、ラスティ……」
「うん?」
「父のこと、悪く思わないでほしいの……。うちは男の子がいないから、どうしてもあなたに期待してしまうのよ。あなたがローゼンブラッド修学院に合格した時、父は我が事のように喜んでいたもの……だから……」
心配そうに私の顔を窺うアルキュオネに、私は微笑んだ。
「……大丈夫だよ。僕はわかっているから……」
「……ありがとう……」
私は、安堵した表情の彼女の肩にそっと手をかけた。
* * *
「ラスティ君?! どうしたんだね、こんな時間に?」
私が博士の家のドアを叩いたのは、九時をまわってからであった。
「夜分遅くすみません。……実は、家の事情で、明日から十日間ほど講義を休ませて頂きたいんです」
「……そうか、お披露目の準備があるんだったな。わかった」
「すみません」
「君が謝ることはない」
博士は笑った。
「もう講義も十分だろう。そろそろ実験にかからないと、君の言う『龍の眠る日』に間に合わなくなってしまうからな。君がいない間に、いろいろと準備をしておくよ。……まあ、ここじゃあ何だから、中に入らんかね?」
「いえ、叔父の目を盗んで抜け出してきたものですから、見つからないうちに帰らないと……」
「それは大変だな」
博士は肩をすくめた。
「博士、今日は本当にすみませんでした。断わりもなしに友人を連れてきて、あんなことを言わせたうえに、ラムさんのことまで引き受けさせてしまって……」
「なあに、構わんよ。ザウテル君が君のことを心配する気持ちはよくわかる。ラム君のことも気にすることはない。彼女のためにも、こうするのが一番良かったのだよ。異教徒の彼女にはね……彼女が来てくれたおかげで、この寂れた家にもパッと花が咲いたようだ」
頭を下げた私の肩を、博士は軽く叩いた。
「……じゃあ、私はこれで失礼します。お休みなさい」
「ああ、お休み。十日後を楽しみにしていたまえ。君にとっておきのプレゼントを用意しておこう。家督相続のプレゼントをね……」
笑顔で見送る博士を背に、私はその最後の言葉を気にしつつ、家路を急いだ。
この日、聖暦三一三一年庚の月、時は三十五日に変わろうとしていた。運命は、まだ浅いまどろみの中にあった――




