俳句 楽園のリアリズム(パート2・完結ーその5)
今回で(パート2)もおしまいになります。今回のこの部分には、予定になかったのに、勢いで、究極の言葉の夢想みたいなものに突入してしまった箇所もふくまれていて、おまけに俳句作品もけっこう多いし、詩的言語について触れられた文章もあったりで、読みごたえはあるし、おそらく味わいつくせない内容でもあるので、これは私のすべての作品にいえることですが本作はとくに、書かれた順番にこだわらず、くりかえし何度でも読んでいただくことをおすすめします。
「これからこの章(『夢想の詩学』第3章「幼少時代へ向う夢想」)で主張したい主題は、人間のたましいのなかにある幼少時代の核の永遠性を認識する、ということにつきるであろう」(ガストン・バシュラール)
「幼少時代の核」があらわになった状態で「イマージュ」の幸福にうっとりすることを「夢想」という。この単純さが、私が考えた「夢想」という言葉の過不足のない定義だった。
「これからこの章(『夢想の詩学』第3章「幼少時代へ向う夢想」)で主張したい主題は、人間のたましいのなかにある幼少時代の核の永遠性を認識する、ということにつきるであろう」(ガストン・バシュラール)
「幼少時代の核」があらわになった状態で「イマージュ」の幸福にうっとりすることを「夢想」という。この単純さが、私が考えた「夢想」という言葉の過不足のない定義だった。
俳句 楽園のリアリズム(パート2・完結ーその5)
2025/04/01 16:07
(改)