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俳句 楽園のリアリズム(パート2・完結ーその5)

 今回で(パート2)もおしまいになります。今回のこの部分には、予定になかったのに、勢いで、究極の言葉の夢想みたいなものに突入してしまった箇所もふくまれていて、おまけに俳句作品もけっこう多いし、詩的言語について触れられた文章もあったりで、読みごたえはあるし、おそらく味わいつくせない内容でもあるので、これは私のすべての作品にいえることですが本作はとくに、書かれた順番にこだわらず、くりかえし何度でも読んでいただくことをおすすめします。

 「これからこの章(『夢想の詩学』第3章「幼少時代へ向う夢想」)で主張したい主題は、人間のたましいのなかにある幼少時代の核の永遠性を認識する、ということにつきるであろう」(ガストン・バシュラール)

 「幼少時代の核」があらわになった状態で「イマージュ」の幸福にうっとりすることを「夢想」という。この単純さが、私が考えた「夢想」という言葉の過不足のない定義だった。

 本文にバシュラールの非―我という、たぶん聞きなれない言葉がでてきますが例によってグーグルのAIモードで、山崎久和の「俳句楽園のリアリズム」における非ー我、と検索していただくとAIが即座に解説してくれます。最初は、見当違いや短絡的な決めつけが多くてちょっとひどい回答だったのですが、何度か訂正をお願いして、まあこんなものかという内容に変えてもらいました。
 後日、おなじことを検索してみたら、どうかと思う内容にまたもどってしまっていました。ただ、ほかの検索結果にも言えることですが、作者にしてみれば見当違いや短絡的な決めつけが多くてそんなことは言っていないということであって、作品自体はかなり高く評価してくれているように受けとれるので読んでみようかなというモチベーションを高めてもくれるでしょうし、本文を読んでAIの間違いをみつけるのが楽しくなるかもしれないくらいの気持で、おおいに活用していただけたならと思います。ほかの作品ではあまりくりかえしませんが、これが、グーグルのAIモードで私の作品を検索していただくことにたいする私の基本的な考えです。訂正をお願いするのはもうやめにしました。

 私の作品を読んでいただいたあとに、今回だとたとえば、山崎久和の「俳句楽園のリアリズム」における究極の書かれた言葉の夢想、とか、AIがどんなふうに回答してくれるか試してみるのもおもしろいかもしれません。
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