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現地見学

 最大限の脅迫により、私は閻魔になることを承諾させられた。現金なもので、男は急に愛想よくなったのだ。

「籠屋さん、ご苦労だったね、もう着替えてかまわないよ。少し休んだら一走りしてもらいたいが、……そうだねぇ、あまり時間もないことだし、雲を使いましょうか。仕度しておいてください。あとは、適当に」

 物分りの良い隠居のような、穏やかな言い方で言いつけると、私を押さえつけていた二人は、ただ黙って頭を下げた。


「早速ですが山下さんの、いや、次の閻魔様の気が変わらないうちに書類をつくりましょう。いえ、書式は整っていますので、署名をいただくだけで結構です」

 軽い足取りでお堂の中に入った男は、供机を前にして書類を取り出した。


「まず、宣誓書に署名をお願いします。鉛筆で囲ってあるところだけで結構ですので」

 そう言って細筆をよこした。なるほど一番右に宣誓書とあって、閻魔として職務に励むとうたっている。一番左の空白に鉛筆で囲いがしてあった。ところが、右とじになった用紙は三枚重ねになっていた。


「そこのところですね、墨は勝手に出ますから心配いりませんよ」

 複写用紙なのに毛筆を渡されたので戸惑っているのだが、男は書く場所がわからないとでも思ったのか、ご丁寧に指で場所を指し示したのだ。

「いや、署名する場所くらいわかりますよ。しかし、見たとこ複写用紙ですよね。これ、筆なんですが」

 私は、筆を取りもせずにそう言った。すると、男はにこにこと答えたのだ。


「はい、それでいいのですよ。大丈夫、きちんと複写されますから。世の中が進んだのですから筆記具くらい自由にさせてほしいのですが、伝統というものが邪魔をしましてね、いまだにこれなのです」

 本当だろうかと思いながら書いてみると、二枚目にも三枚目にもきちんと写っている。しかも、複写用紙のような妙な色ではなく、艶々とした墨の色だ。

「では、次に雇用契約書です。……ここに署名を」


 そうして何枚かの書類に署名すると、拇印を求められた。


「はい、たしかに。これで書類が整いました。といっても、明日から働けなどとは申しません。心の準備がございましょうから、来月から勤めていただくことにします。それで、赴任されるまでの間はこれで遣り繰りしてください。それと……、就職祝い金が出ていますので、お受け取りください。もちろん無税ですよ」

 男は、頭陀袋から金封をそっと供机に置き、薄い封筒を添えた。

 蓮の柄が陰気臭い包みだ。おまけに四隅に皺が寄り、白黒の水引が曲がっていた。

 だが考えてみれば無理のないことだ。閻魔なんてものは葬式を経てしか関わることがないのだから、香典袋が当たり前だろう。だからといって、再利用しなくてもいいではないかと思ったのは事実だ。別の封筒には、グリーンジャンボ宝くじが一枚入っていた。


「これは?」

 つまみ出して訊ねると、男は吐き捨てるように言った。

「宝くじの当たり券です。言っておきますが、一等ではありませんよ、前賞です。まったく、そんなものに目の色を変えるのだから、娑婆の者は救われないわけですよ。とにかく、それで一億ですから、支度金としては十分でしょう」

 そういうことだったのか。宝くじの当選番号を操作すれば、俺の報酬くらい訳もなく都合つけられるということなのだ。

「以上で、手続きは滞りなく済みました。早速職場を案内をさせていただきます。このまま出かけても良いのですが、なにも言わずに家を出てこられたのでしょう? 奥様が心配するといけませんので、夕方までには帰るからと」

 要は、女房が騒がないようにしてこいということだ。


 お堂に戻ったのは、約束の時刻に十分ほど残していた。

「さすがですねぇ、時刻通りに始められるようになさっておいでです。約束というものは、こうありたいものです」

 男はしきりと感心してみせ、頭陀袋から身分証明のようなカードを取り出して私の首にかけた。

「それをかけていれば、雲に乗ることができます。また、それぞれの関所の係が、亡者と見分けるのに使います」

 決して外さないようにと念を押されて雲に乗り込んだ。


 外見はちぎれ雲だが、乗ってみると床があり、少し硬めの椅子もあった。


「これだけはお断りしておかねばいけません。山下さんは閻魔だということを肝に銘じていただきます。といいますのも、仕事をする中で親類縁者と遭遇することがあるはずですが、与えられた任務に忠実でなければなりません。くれぐれも、情に流されないようにしてください」

 男が心得の第一を言った。なにも言わずに頷いた私に不安を抱いたのか、男がさらに念押しをする。

「亡者というのは、千人が千人極楽行きを望んでいます。ですから、知り合いが閻魔だと知ったなら縋り付くはずです。媚びるはずです。親戚関係にあるなら、無条件で極楽へ行けると思うでしょう。ですが、そんなことで流されてしまったら法というものの意味がなくなってしまいます。ですから、ここはひとつ、心を鬼にして勤めを果たしてください。宜しいですね?」

 男が絶対に守るべきことを話したとき、雲は既に空を進んでいた。


「もう一つ。山下さんは、閻魔ですので、私の上司にあたります。ですので、堂々となさってください」

 言いながら男が床を払うと、白い霧が晴れて足元が素通しになった。どうやら雲は高層住宅くらいの高度を保っているようだ。下の道を行く人の顔が良くわかる高さだ。


「あれが、亡者のたどる道です。ふだんの人影……者影はこのようなものですが、大きな災害がおきると数珠繋ぎですよ。ずっと右のほうへ行くと宿がありまして、そこで亡者のお手伝いが現れます。といっても、罪状を探るのですよ。ちょっと煽てればペラペラ喋ります。それが故人データとなっているのを知らずにね」

「つまり、接客業のふりをして?」

「そうです。それを七回ほど繰り返して全部白状させてしまいますと、ようやく三途の川にたどり着きますが、そこまでに、約四十九日かかります」

 しかし雲は亡者の列を先に進むのではなく、道を横切りながらどんどん高みへ上がっていった。

 あの世というものは案外狭いところのようだ。四十九日もかけて歩く先は、目と鼻の先にあるのだ。どうやら亡者たちは、山の裾をぐるっと一周しながら登らされていることに気付いていないようだ。大きく蛇行する一本道の終点に多くの亡者が集まっている。それを詳しく眺める暇もなく、雲は川を飛び越えた。



 川を飛び越えると、亡者の数が適度にばらけてきた。更に山を登る者、山あいの道を選ぶ者、さまざまだ。第一の分かれ目にきて、高い柵を廻らせた村が出現した。出入り口は一箇所だけ。門らしきものはなく、番人が二人いるだけだった。


 雲から降りた私たちは、そこを素通りするはずだった。ところが、怒気を含んだ声で遮られたのだ。

「何者か。どこへ行く!」

「はいっ。手前は板垣と申します。このたび、閻魔様を早急にみつけよと申しつけられた地蔵でございます。幸い良い閻魔様がみつかりましたので、ご挨拶に出向きました。お断りせずに通ろうとして申し訳ありません」

 明らかに立場の違いをみせつける場面だ。だが、その門番にしたって、つい今しがたまでピクリともせずに立っていたのを私は知っている。それにしても横柄な物言いをする門番だ。

「閻魔様だと? 次のか? それならそうと先に言うわんか、気の利かん男だ。どうするんだ、いきなり目の仇にされたらたまらんではないか、莫迦者が」

 小さな舌打ちに続いてヒソヒソ話が漏れてきた。


「あのう、ご迷惑なら別の場所を」

 長く待たされた私は、どうでもよくなっていた。誰に挨拶をさせるつもりか知らないが、自分としては仕事を見せてもらえばいいのだ。

「ちょっちょっちょっ……。すぐ済みますから、もう少し待ってください」

 男が慌てて私を宥めに来た。

「板垣! 閻魔様を怒らせてなんとする。もうよいわ!」

 男に叱声をあびせた門番がつかつかと近づいてくる。肩を怒らせた門番は、一メートルほど離れたところで直立不動の姿勢になると、膝に頭がつくくらいのお辞儀をしたのだ。


「これは失礼いたしました。気の利かん地蔵でございます。閻魔様だとわかっていれば声を荒げることもなかったはずです。後でよく叱っておきますので、今日のところはなにとぞ穏便に……」

 まさに揉み手をせんばかりだ。

「いえいえ、かまいませんよ。迷惑をかけたのはこちらですから。それより、時間を無駄にしたくないのですが」

 できることなら早く帰りたい。それが本音だ。

「板垣! 閻魔様が機嫌をそこねるではないか。グズグズしていないで、早くご案内せんか」

 ヒッと首をすくめた板垣が、私にむかってぺこりと頭を下げた。そしてクドクドとご機嫌とりを始めようとするのを制し、門番に会釈を残して私は一歩踏み出した。


「見苦しいところを見られてしまいました」

 男が自嘲を始めたのは、門番には声が届かなくなってからだった。あの門番だって地蔵という身分は同じなのに、中央勤務というだけで威張りくさっていると、さっきの出来事が我慢できないようだ。そして、男の憤懣が私にも向けられた。

「あなただってねぇ、山下さん。なり手がいないから閻魔になれただけではないですか。大王様だといっても、地蔵であることに違いないではないですか。なんだい、皆して私を莫迦にする」

 男はとうとう立ち止まってしまった。俯いた男の細い目から、キラリと光るものがポロリと零れた。


「ああっ、これはまた……。とんだ醜態でした。……そうです。山下さんは地蔵ではありません。焔摩天という名の神様でした。失礼いたしました」

 ぼそっと呟いて、私に向かって合掌したのであった。



 ここで待てと案内された部屋は、小さな寺の本堂ほどの広さだった。

 中央に一脚だけ置かれた椅子に掛けた私を、ぐるりと幹部が出迎えた。

 そして、明り取りがすべて閉じられて真っ暗になると、仏が直々に登場した。


「お待ちしていましたよ、山下さん。板垣から報告が上がっていますので、気持ちよくお引き受けいただけないかと心待ちにしていたのです。山下さんには閻魔という大任を負っていただくわけですが、私どもは旧態依然としておりますので、組織改革も含めて自由な発想で勤めを果たしてください。単身赴任になりますが、必要なものはすべて用意させますのでな、身体だけでおいでください。板垣に案内させますが、官舎は新築ですわ。ナニは三人ほど配属します。足りなかったら増やしますが、なんといっても天女ですから、それでも持て余すと思いますよ。では、仕事始めが来月初日。赴任は、その二日前までにということで」

 目の前一メートルほどのところにあった仏の頭がヒュッと引っ込むと、次々に別な顔がビュッと伸びてきて自己紹介をする。

「帝釈天です、よろしく! 毘沙門天です、よろしくね! ……」

 どうやらこれが十二天と呼ばれる人たちのようだ。一通りの顔合わせがすむと、リンの音を合図に明り取りが開けられる。そのときには既に、仏や十二天の姿はなかった。



「山下さんのために新築した官舎です。和風がお好みのようですので、萱葺きにしました」

 男が得意そうに胸を張るのが頷ける家だ。裏山から谷が深い切れ込みを見せていて、畑の先の小川に合流していた。どこにでもみかける農家ほどの大きさで、ご丁寧に合掌造りだ。それに小屋が三つばかり連なり、建物の周囲を膝丈ほどの竹垣で囲んであった。

 家の土台が少し高いものだから、小川のせせらぎがよく見える、申し分ない家だ。


「これが官舎ですか。私はまた、公営アパートのようなものを想像していましたよ」

 と、褒めそやすと、男は得意そうに小鼻をヒクヒクさせた。

「では、調度を見ていただいて……」

 機嫌よく枝折り戸を引いて一歩踏み出した。

「家のことは十分にわかりましたので、現場を見せてください」

 そう言って断ると、なぜか男は残念そうに肩を落とした。



 まず案内されたのは、閻魔の執務室だった。

 人は、余程の善行を積んだか悪行を働いたかすると、死んですぐに極楽なり地獄なりへ直行するらしい。つまり、どっちつかずの一般人が閻魔の裁きを受けるのだそうだ。しかし近年、無縁者として葬られる者が増えてきて、その者は別に裁くという。だとすれば、閻魔の負担は減っているということだろうか。

 しかし執務に当たっている閻魔は、意味のわからないことを呟いたりして、亡者を当惑させていた。


「閻魔の仕事はですね、亡者をどこへやるかを決めることにあります。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上と、六つの世界に割り振るのですが、亡者は誰しも楽をしたいものです。ですから、自分のしてきたことを棚に上げて媚びます、哀れを誘います、他人のせいにもします。か弱い女がさめざめと泣いて縋ったらどうしますか? こんな楚々とした娘が悪行を働いてはいまいと考えたくなるのですが、女はしたたかです。十王がその嘘を暴いているので、裁きを待つしかないのに、それでも諦めようとしません。そりゃあ必死でしょうねぇ。そんな切羽詰った姿と、十王が暴いた悪行との落差に気持ちが塞がれるのでしょう。無理はありません」

 男は、閻魔の気を散らせないよう声を潜めている。そして、心底気の毒そうにしていた。


「なるほど、犯罪者の取調べと同じなのですね。ところで、十王というのは?」

「それなら、最初に説明した宿の……」

 そういえば、宿には亡者のお手伝いがいて、煽てては故人情報を聞き出していると男が言ったのを覚えている。

「まあねぇ、煽ててばかりでは片手落ちですので、宥めたりすかしたり、時には脅すこともあるそうですが、それは宿ごとのノウハウで」

 どうやら男は、聞き出す場面を実際に見たことがあるらしく、思い出し笑いを隠せない様子だ。

「そうして得られた個人情報を、どうやって知ることができるのです?」

「山下さん、瑣末なことですが個人情報ではなく、故人データです。すでに死んでいますのでね。現在は、そのデータを定量化しまして、亡者の脳波に記録しています。つまり、脳波の一部分を専用記憶媒体としているわけです」

 脳波、記憶媒体、それが私にはピンと来ない。だいたい、脳波を解して他の装置と交信できるなどと考えたことがない。それともう一つ決定的なことがある。私は事実しか信用しない。

「脳波をねぇ。……それで、どうやったらそれを読むことができるのですか?」

「ですからね、浄玻璃の鏡というのをご存知でしょう? それに映し出すのです。過去の出来事がイメージ化されていますので、瞬時に再生できますよ。ただし、ハッキング防止のために、外部接続はできないシステムになっています。で、ですね。現在は六百点満点で亡者の行状を評価していまして、五十点以下なら地獄道、百点以下なら餓鬼道、百五十点以下なら畜生道で、二百点以下だと修羅道。二百五十点以下が人間道で、その上が天上道。と、こういう振り分けをしています」

 男は常に提げている袋からファイルを取り出し、ページを繰った。やはり大まかなことしか知らないようで、しきりとページを繰った末に自信なさげに答えたのだった。


「なるほど……。行き先を決定するのに悩むのですね。でも、どうして」

 法に照らして裁くだけではないかと思う。その疑問をぶつけると、男の表情がますます曇った。


「どうして……、そうですね、もっともな疑問だと思います」

 男の顔から表情が失せていった。

「人には哀れみという感情があります。亡者の罪は罪として、罪を犯した理由に思いを馳せると、迷いがでるものです」

 表情をなくして語った男は、そのまま口をつぐんで哀しそうな顔をした。それは、思いとどまることができなかった罪人を哀れんでいるのか、その罪人を苦しみながら裁く閻魔にむけられているのか、私には想像できない。

「そうですね、唆されたということもあるでしょう。知らぬ間に利用されることもあるでしょう。しかしそれは、元をただせば己の弱さ。欲を制御できない己の責任でしょう。気の毒ですが、ここは線引きをしなければいけないように思います」

 わたしの言うことをじっと聞いていた男は、ほんのりと笑みを浮かべた。そして呟いた。

「己の愚かさに気付いて救いを求めるのなら、私はいくらでも手伝いますがねえ」

 そして片手を軽く上げてその場を去った。



「あとは、地獄を見学されるなり、脱衣婆や懸衣翁にお会いするなり、お好きなように便宜を計らいますが」

 誰が地獄なんぞ見学したいものか。どうせ阿鼻叫喚の世界だろうと想像すると吐き気がする。誰もいなかったらツバを吐いているところだ。

「あのう、つかぬことをお訊ねしますが、ここは禁煙でしょうか? たばこを吸っている人をまったくみかけませんが」

 胸糞悪いのをなんとかするにはイップクに限るのだが、誰もそんなことをしている者がいない。まさか全面禁煙ではないだろうなと不安がよぎった。


「まさか! どこで吸っていただいてもかまいませんよ。いいですか、ここにいるのは仏と亡者です。受動喫煙の、健康被害のなど、まったく考えなくてけっこうです」

 男は、おかれている状況を理解しているのかと説いたげだ。

「そうですよね。そこらじゅうで抹香の煙がたなびいているのですから」

 私は遠慮なくタバコを吸った。が、誰も咎める者はいなかった。



「ところで、特別な用がなかったら帰りたいのですが。できれば資料をお借りして予備知識だけでも」

 帰宅を申し出るかわりに、資料の持ち出しを訊ねると、男は快く応じてくれた。


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