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サークル・シエスタ課題

潮の香

作者:齋藤 一明
 眩い陽の光に溢れた世界があるという。
 とりどりの花が咲き乱れ、生き物が満ちみちた世界があるという。
 それは遠い世界ではなく、ほんの先。見知らぬ辻を曲がった先に広がっているそうだ。

 しかしこの町にたむろする者共は知っている。すぐそこの辻を曲がっても、やっぱり薄暗い世界でしかないことを……



 この世界から光が失われて、いったいどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
 いや、元々薄日しか射さない世界としてできたのかもしれない。
 次の辻くらいの距離なら、行き交う者をぼんやりとでも見分けられる。しかし、その少し先の家から出てきたのが誰かを見定めるのは難しい。
 そして、鮮やかな色などどこにも見当たらない。町からは特に赤い色が奪われている。これでも強い光で照らしたなら鮮やかに本来の色が再現できるのだろうが、そんなものがどこにあるというのだ。光を求めるのは、なにも自分だけではあるまい。多くの者が願っていることだろう。しかし自然は底意地の悪い仕打ちを平然としてのける。藍の色に似た、茄子の色に似た大気を満たした世界を、こうして作っているのだから。
 とにかく、今日も薄暗い一日が始まっていた。

 昼間ですらこんなに薄暗いのだから、夜ともなれば漆黒だ。真の闇が支配するといっても良いだろう。不気味なほどに暗さの対比が際立っている世界だ。しかし、そこで暮らす者にとってはそれが当たり前なので、さして苦にはしていない。それどころか、暗いのを良いことに仕事をしようとしないのだ。
 というのも、朝な夕なに食べ物が案外容易に得られるからだった。
 いずれにしても、目の前にかざす指すら見分けられない夜も、毎日必ず明けるのだ。天上から差し込むぼんやりとした光で、朝の到来に気付かされるくらいのことだが。
 それほどに光を、色を奪われた世界のくせに、食べ物には事欠かない豊かな土地でもある。

 毎日必ず風が吹く。
 方角を見定めにくい土地のことだから、北風とも西風とも説明に困るのだが、必ず二度、風が吹く。風が止んで暫くすると、今度は逆の風が吹く。 
 吹いている時間はほぼ一定だが、行って帰る都合四度の風と、同じ回数の無風状態を合計すると、一日には一時間ほど足りないだろうか。だからというわけではないが、風の吹き始めでおおよその時刻が知れた。
 そして何よりありがたいのは、風が恵みをもたらしてくれることだ。

 ここの住民は朝が早い。まだ周囲が真っ暗なうちから、すぐに食事の支度を始める。どういうわけか、天上がほの白くなる時分に新鮮な食べ物が捕れるのだ。しかも、夜明けと風が重なると、それは豊富な実りを期待できる。このように肥沃な土地なので、住民は手を汚してまで栽培するということをしない。

 光が失せ、色をなくした世界。ただ暗いだけではなく賑やかで、豊かである。



 ここに村ができたのは、そう古いことではない。
 ある日、いきなり天から家が降ってきたのでそうだ。大荒れに荒れた嵐が去った後で、突然に天からふってきたのだそうだ。
 こんなことを言っても、誰も真に受ける者などいまい。神話でもあるまいに、誰が天地創造などを信じるというのだ。が、それは紛れもない事実だった。

 それは一軒や二軒ではなかった。もうもうとした土ぼこりが収まったとき、むきだしの岩だらけだった土地は、建物に埋め尽くされてしまっていた。
 土地の者の多くが実際に見、そして逃げ惑ったものだ。
 大岩の隙間や陰で夜を明かすことが常だった住民には、それが何のためのものなのか、最初はまったくわからなかった。それでも、様子を窺ってみると意外に身を隠し易いことがわかり、今では多くの住民が夜を明かすのに重宝している。昼寝をするときだって身を守ることができるので、いつしか多くの住民が居ついてしまった。
 ところで、この家の元の持ち主は最初からいなかった。持ち主が使ったであろう道具類や調度は残っているというのに、持ち主はいなかった。ただ稀に、大きな肉の塊が置き去りにされているだけだった。今ではそれも住民の胃袋におさまり、すっかり骨だけになっているが……。
 家が出現して五年、ここは今では大きな街になっている。



 今、一軒の家に怪しげな影が忍び入ってきた。
 周囲の色に融けこむように迷彩を施し、這うように忍び入ってくる。
 目敏くそれに気付いた者は、十分な間を空けて様子を窺っていた。
 戸棚を開けて中を探り、目ぼしいものが見つからないと知るや片端から引き出しを開ける。そして手当たりしだいに中味を放り出した。とたんに埃が立ちこめた。
 ササッと動くものを見つけた闖入者(ちんにゅうしゃ)がそれを追う。しかし影は、家具のうらに逃げ込んでしまった。
 闖入者は影を捕まえようと懸命に腕を伸ばすのだが、空しく諦めるしかなかったようだ。
 箪笥の隣に、大きく傾いたままの木箱があり、その一番上にあたる隅に一つの木片がひっかかっていた。周囲の暗さに溶け込むような、黒い色をしている。その木片が一部始終を見ていたのだ。

 これだけ埃が舞ったら何も見えないだろう。いい加減に諦めたらどうだ。
 木片は、闖入者の執念深さに呆れていた。それほどに賊はしつこく家捜しを続けたのだった。
 しかし、どうにも諦めきれない賊は、視線を上へ這わせはじめたのだ。

 あっ、まずい……
 木片は逃げたかった。しかし、体が挟まれたままで動くことなどできはしない。南無三……。瞑れるものなら目をしっかりと閉じただろう。しかし、木片には閉じるべき目蓋がない。
 視線を上に這わせていた賊が、するすると近寄るや、ついと手を伸ばした。荒んだ生活のためか腕の内側全体があばたになっている。が、意外なまでにしなやかな動きだ。
 木片の上からなにやら四角いものを下ろした賊は、しきりと値踏みをした後に開いたままの入り口からそれを外へ投げ捨てた。またも同じようなものを投げ捨てる。そのうち、木片の下に転がっているものに手を伸ばした。見た目は小さな湯呑みである。が、長い間に積った埃の下から、きらりとした地肌が見えていた。
 そして賊の目が木片で止まった。黒い色をしているので分かり難かったのだろう。が、黒い肌の上にキラッとした装飾を施されているので気付いたのである。
 木片は賊の手に掴まれ、無造作に引き抜かれた。
 ところが、装飾と見えたのに木片から引き剥がすことができない事を知り、賊は木片も家の外に放り出してしまった。

 哀しいかな、手足のない木片は勢い余って向かいの家の軒先に引っかかって止まった。ふと見ると、先に放り出された四角いものも雨どいに挟まっていた。

 家の中では、賊が目につくものを引っ張り出している。モウモウと埃を撒き散らせながら、某弱無人にふるまっているのが、木片にもはっきりと見えた。

 ブルブルッ、地面がかすかに震えた。しばらくたってグラグラ揺れ始めた。このところ回数が減ってきてはいるが、かなり強い揺れだ。軒先に積った埃が振動で宙を漂い、雨どいに挟まっていた四角いものがコロンと転がるのを木片は見た。そして木片も同じように挟まった軒先から自由になるのを感じた。

 はるか天上からは柔らかい光が射している。その光に導かれるように、木片は天をめがけて駆け上がっていった。縦に揺れ、横に揺れ、先に天界を目指していた四角いものをみるみる引き離してまっしぐらに上がっていった。



 眩しい、時がたつにつれ眩しくてたまらない。木片は天へ昇る間、ずっと暗い方を見ようとした。だが、自分がどこへ運ばれようとしているのかが気がかりで、どうしても目を逸らせない。
 木片に生き物のような目などあるわけがない。にもかかわらず、周囲を見る機能が具わっている。また、それを不思議とも思わない。不思議と感じられること自体が不思議なのだが、木片は当たり前のことだと思っている。
 自分は、光に導かれて天に昇っている。ふわーっと昇るにつれ光が強くなる。周囲が明るくなる。もうじゅうぶん明るいというのに、それでも天はもっともっと強い光を放っている。


 青い世界から色が抜けてゆく。青味がどんどん薄くなってゆく。
 さっきまで辺りは水色だった。しかし上を見ると色がなくなっている。そこをめがけて昇っているのだ。
 も、もうだめだ。眩しくて見ることなんかできない。それでもなお木片は昇っていった。

 チャプンという音がしただろうか。木片は、ずっと包まれていた世界から飛び出たような感じがした。常に抑えつけられている感覚が失せ、そのかわり急に寒くなった。
 それより、この眩しさはどうしたことだろう。眩しすぎて、目を閉じていても視界が真っ白だ。天とは、こんなに刺々しい光に満ちている場所だったのか。
 木片は憂鬱になった。もっと穏やかな光に満ちているのではなかったのかと、不満でしかたなかった。それに、絶えず揺られるのはどうしてだ。静かにさせてほしかったからだ。それが見事に裏切られている。こんなはずではない。こんな落ち着かないところは天ではない。
 が、口をもたぬ身、手足をもたぬ身だから不満の捌け口がない。一方で、縛めを解かれたような高揚感を感じている。あのまま朽ち果てるのが定めだろうと諦めていたのに、どうしてそんなことを思うのだろう。
 理由は未だに思いつかない。

 やがて、あれほど眩しかった光が和らいできた。
 タプンタプンと揺れるたびに今まで見えなかった様子が見えるようになると、天ははるかに高いところにあることが知れた。はるか、遥かに高いところが水色になっている。白いアブクを集めたようなものが、その下をゆっくり横切ってゆく。そしてうんと近くを忙しく動くものが群れをなして横切っていった。
 今のは何なんだろう。あのアブクのようなものはいったい何なんだろう。それに、どうして色が変わるのだろう。白かったアブクが赤く染まってきたのはどういうことだろう。

 木片は、見える世界が豊かな色に満ちていることを知った。
 目が眩むほどの眩しさ、鮮やかな水色、刷毛で掃いたような朱。やがて裾からうす闇に包まれ、そして真っ暗になった。ただ、真っ暗なところに小さな輝きがあり、瞬きながらゆっくり動いてゆく。
 そんな光景を見たことはなかった。ぼぉっと明るくなれば朝、夜になれば何も見えない真っ暗闇が当たり前だった。ところがどうだ。きっと今は夜なのだろう。なのにキラキラした光に埋め尽くされている。背景が真っ暗なだけだ。

 ずいぶん長い間、木片は小さな煌めきを追い続けていた。やがて視界の下の方が紫になり、朱に変わり、白くなった。その白が追い払われると、眩い光が見る間に天上に満ちた。
 青い背景の中に千切れた綿のようなものが浮かび上がった。これは、この世界の朝なのだろうか。だとすれば、昼と夜の明るさが違いすぎる。天はそんなに激しい世界ではないと、木片はなんの根拠もなくそう思った。

 それにしても静かな世界ではある。何百という昼と、何百という夜を経てなお、木片に悪戯をしかけるモノはなく、天を巡る煌めきのほかには何も見えない世界だ。ただ、昼となく夜となく、天が降らせる水があるだけだった。

 木片は気付いていない。風に流され、水に流されながら陸地の近くをウロウロしていることを。もう少し陸から離れれば、水に運ばれてはるかな旅をしなければならないというのに、まるで磁石で引き寄せられるかのようにじりじりと岸に近づいていることを。
 広い世界に自分だけ放り出されたと観念した木片のすぐ近くに、闖入者に放り出された四角いものが同じように漂っていたことを。さらに離れたところにもう一つプカプカしていることを。


 水面を風が渡る。その風に圧されて右に左に流されるうちに、木片と二つの物体は、うねりにのせられてしまった。

 チャプチャプ、ピチャピチャ漂いながら、木片は同じ場所を行ったり来たりしていた。百の昼が過ぎ、百の夜が明け、更に百の夕を迎えた。その間にギラギラ暑い日が続き、激しい嵐に弄ばれ、半ば固まった水が何度も降った。

 ググーッと押し出され、ササーッと引き戻される毎日。いったいどこへ運ばれているのか、物体にわかるはずがない。
 ただ、行く先が定まってはいないようだが、明けても暮れても薄暗い世界ではないのにに癒されていた。
 暗黒の時が過ぎれば眩い時がやってくるだろう。
 頭上で眩い閃光が明滅することもあるが、それはそれで美しい出来事だ。激しい勢いで水が降るし、ただ水だけが降るときもあった。どれもさらさらとした水の粒だが、時には飛礫のように硬かったり、泡のように柔らかかったこともあった。


 コツンと何かに当たった。天しか見えないのだから周囲に何があるのか木片には判らない。ただ、その時ばかりは常にない力が働いていることを感じていた。
 何かに当たったのは、空が赤くなる頃だった。それ以来ずっと何かに圧しつけられているように感じていたのだ。
 ふっとその力が治まると、またしても波にググーッと押し出される。



「あっ、何かあります。これは遺品でしょうか」
 ミゾレの降る浜で大きな熊手を使っていた警察官が、緊張した声を上げた。風に吹きつけられての捜索活動は想像できないほど厳しい。しかし、こうして手掛りらしきものを発見すると、たとえ一瞬とはいえ寒さを忘れてしまう。

「お位牌さんだな。こんなもの捨てる罰当たりはいないからな、きっと持ち主がいるぞ」
 年嵩の警察官は、浜に打ち上げられていたそれを大事そうに拾いあげた。
「気の毒に、ヌルヌルになってしまって……。ちゃんと綺麗にしてあげる、まかせてくれよ。きっと家へ帰してあげるからね、」
 呟きながら、プラスチックコンテナにそっと収めた。


「係長、写真が流れ着いていますよ」
 別の場所を見回っていた若手が盛んに手を振っている。
 年嵩の警察官は、声のした方に視線を向けた。今日は幸先がいいなとコンテナを抱える。だけど、本当は人を発見してやりたいとも思っている。

「どれどれ、おっ、これは遺影かもしれん。いや、きっと遺影に間違いない。帰ってきたんだな」
 カラー写真であることから、比較的新しい仏さんだと推察できた。この写真が誰なのかは、僧侶に訊ねれば判明するだろう。震災から五年、帰りを待ちわびている家族にたどり着けるだろう。


「係長! かかりちょう!」
 ずいぶん遠くで叫び声が上がった。警察官はコンテナを抱えると、ぎっしりと締った砂浜を小走りでむかった。
 警察官の顔は、ミゾレでぐっしょりだ。そこへ冷たい風が吹きつけるから感覚がなくなってきていたのに、こうして遺品がみつかると元気が湧いてきた。

「こんどは肖像画のようだな。……まてよ、この写真に似てないか?」
 垂れてくる洟を啜りあげながら誰にともなく呟いたのだが、得心いかぬげに絵と拾ったばかりの写真を見比べてみた。
 一目で似ていると判る絵だ。写真と絵が同じ家族のものだったとしたら、ひょっとすると位牌も関係があるかもしれない。これは、なんとしても僧侶に見てもらわねばいけないと彼は思った。



 浜で発見された遺影が誰であるか。警察官が考えたとおり、僧侶の一人が覚えていた。信仰心の深い土地柄であることがこういう時には幸いする。月参りを欠かさぬものだから、檀家のことをよく覚えているのだ。肖像画は、その祖父にあたる人であったし、位牌は遺影の人物のものだった。その位牌は故人だけのものではなく、先祖の戒名も収められていた。すべて墨で書かれていたために滲むこともなく読み取れるものだった。しかし、報せを聞いて受け取りに現れた男は、残酷な事実を告げた。


「先祖の位牌を見つけていただいて、ありがとうございます。親父もようやく家へ帰ってこれました。でも、おふくろはこの震災で……」
 男は、タオルにくるんだ真新しい位牌を差し出した。

「外出していたから助かったのですが、位牌を流されたことを気に病んだまま去年……。ようやく会えたなぁ……」
 せめてその手に持たせてやりたかったという言葉をのみこんで、潮の香りが抜けきらない位牌の横にそっと並べたのだった。
誤字がありましたら、お報せいただけると幸いです。

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