1-24 「姉達」
保健室にて。テーピングされた脚をぶらつかせながら、段々と暗くなっていく窓の外を見つめていた。
スマホで時間を確認して、ため息をつく。お姉ちゃん、色々心配してるだろうな。
「電話しても桐生さんのお父さんに繋がらなかったんだけど、どうする? 桐生さん、その足じゃ歩いて帰れないでしょう」
保健室の先生に、困ったように言われた。
「家近いですし頑張ります」
おとうさんは家に帰ってこれないし、歩くしかない。
諦めて立ち上がろうとすると、ふいにスマホの着信音が鳴った。蓮月からだ。
「もしもし」
『桐生、まだ学校? 桐生の親単身赴任って言ってたよな。それでなんだけど――』
◆◇◆
学校の駐車場にグレーの自動車が入ってくると、目の前で停車した。
ドアを開けてセカンドシートに座ると、きつくないアクア系の香水の匂いが漂ってくる。
「ありがとうございます」
「どうしたしまして」
運転席の女の人がこっちを振り返って微笑んだ。
「あの、本当にすみません」
「全然気にしないで。蓮月から話を聞いて、私が迎えに行こうって思ったから」
ウルフカットの、綺麗なネイビーブラックの髪が、窓からの光に反射されて輝く。
この女の人――蓮月のお姉さんこと、美月さん。
電話ごしで聞いた声より、若干トーンが低い気がする。
「桐生ちゃん、だよね。いつも蓮月と遊んでくれてありがとう」
「こ、こちらこそ……」
落ち着いていて、すごく綺麗な人だ。耳に付けてる金のスタッドピアスが、大人っぽさを強調させている。
……この人が、蓮月のお姉さん。な、なんか緊張する。
「それにしても、蓮月にこんな可愛いお友達がいたなんて驚いたな」
穏やかな物言いに、なんとなく蓮月の面影を感じた。
「あの……今日は蓮月に、すごく助けてもらって、すごく感謝してて……あ、そこ左です」
「ああ、うん。聞いた時驚いたよ。あの蓮月が? って。まさか私の弟がヒーローになるなんてね」
ヒーロー。本当に、今日の蓮月はそうだった。
慣れた手つきで、美月さんがハンドルを切る。
車だと学校から一瞬で、5分もしないうちに家についた。
いつもならほっとするけど、何故か美月さんと話すのは苦じゃなくて、少し残念な気持ちになる。
「あの、本当にありがとうございました」
「いえいえ。じゃあお大事にね。これからも蓮月とよろしく」
そう言い残して、美月さんは車を走らせていった。
……素敵な人だったな。やっぱり姉弟って似るものなんだ。
…………いいな。
玄関のドアを開けた瞬間、ドタバタと階段からお姉ちゃんが駆け下りてきた。
「静紅!! 心配したんだからっ!」
お姉ちゃんは言うなり、ひしっと抱きついてきた。ぶんぶん動いているお姉ちゃんの長いしっぽがぺちぺち足に当たる。
「学校から連絡あって、本当に不安だったんだよ! まさか静紅が、怪我を負わされるなんてっ……」
「……ごめんお姉ちゃん、でも転んだだけだし、大したことないよ」
「ちょっと見せてみて」
右脚のほうのズボンを捲ってみせると、お姉ちゃんは安堵したのかほっと息を吐いた。
「よかった、きちんと手当されてるし、匂いからしてそこまで出血してないみたいだね」
「うん。あと軽く捻っただけ。保健室の先生から、安静してれば数日で治るって言われた」
「そう……というか私、静紅が杉本樹と西田 誠也に怪我を負わされたとしかまだ聞いてないんだけど、詳しいこと教えてよ」
玄関からリビングに移動し、しずく達はソファーに腰を下ろす。
「…………放課後、ちょっと遅くまで残ってたの。そしたら、ひとりでいるところを2人に見つかって。……ほら、しずく古田と仲良くなったでしょ? あいつら、そのことについて怒ってて、問い詰められたというか……」
お姉ちゃんは険しい顔で聞いている。
「そしたら、暴力されそうになって」
「抵抗したの?」
いや、と言ってしずくは微笑んだ。
「蓮月がね、助けてくれたの」
「……蓮月くんが?」
「うん。2人に絡まれてるのを見つけてくれてね。2人の気を逸らしてくれたの」
あの時の、怯えた顔をしながらも、手を差し伸べてくれた蓮月を思い出す。
「でもあの人達しつこくって。追いかけてきちゃって」
「ああ、それは先生から聞いたよ。追い回されたんだってね。逃げ切ったわけ?」
「ううん」
不思議そうな顔で見つめてくるお姉ちゃんに、しずくは笑顔で言った。
「それを古田が助けてくれたの! 捕まりそうになったところをね!」
お姉ちゃんがそれを聞いて目を丸くしたかと思うと、急にニヤニヤし始めた。気持ち悪い。
すると、お姉ちゃんが顎に指を添え、何かを考え始めた。
「ふ〜ん……そうだ。静紅、2人にお礼、したくない?」
◆◇◆
ガチャ、と玄関が開いた音がして、俺は課題をしている手を止めた。
「ただいま」
リビングに入ってきた姉ちゃんに、おかえり、と声をかける。
「桐生、どうだった」
「すごく良い子だった、怖がらせてないといいけど」
姉ちゃんは黒の鞄を下ろして、髪を手ぐししながら言った。
姉ちゃんに限って怖がらせてないと思うけど、という言葉を飲み込む。
「お母さんとお父さんは?」
「買い物」
俺が答えると、姉ちゃんが少し目を細めて笑った。
「学校から電話来たとき、2人驚いてたよね。蓮月が人助けした、って聞いて」
そう言って姉ちゃんは俺のそばまで来ると、椅子に座っている俺と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「成長したね。偉いよ、蓮月」
そう優しく微笑みかけて、俺の頭を撫でた。
「別に……友達、見捨てるわけにはいかないでしょ」
頭を撫でている手を払い除けながら言う。19歳の姉ちゃんは、5個下の俺をまだ子供だと思っている節がある。
そう、と姉ちゃんは立ち上がった。黒いレイヤースカートワンピースが揺れる。
「私、ちょっとしたら友達の家に飲みに行くから。お母さん達が帰ってくるまで留守番よろしくね」
姉ちゃんは深堀することなく、リビングから出て行った。俺はそれを黙って見送る。
宙は夏南さんと仲が悪いけど、俺は姉ちゃんのことが嫌いじゃない。時々子供扱いしてくるけど、どんな時も俺を責めたりしたことは1度もなかった。相談に乗ってくれるし、俺は姉ちゃんを尊敬してるし、信頼している。
正直、俺には勿体ない姉だ。
再び課題に向き直ろうとすると、ウーッ、とスマホが振動した。
画面に表示された文字を見て、思わず顔をしかめる。
「……何」
『聞いてくれ津野!! あのなっ、今静紅から連絡がきてよ!』
馬鹿うるさい声で叫ばれて、俺は反射で『キリヤ』と表示されたスマホを耳から遠ざけた。
「静かに喋って」
『そんなこと言ってる場合じゃねーんだよ! 静紅から連絡きて、家に来ないかって! 今日の礼にもてなすって!』
興奮した口調で、相当喜んでいるらしい。
『すごくないか!? 俺1人で桐生んち行くんだぞ!? 氷華さんもいるっつってたけどワンチャン2人きりなるってことだろ!?』
「はぁ」
つまり浮かれて俺に電話してきたってわけか。……へぇ。ふーん。
………………桐生と古田が、2人きり?
思春期真っ盛りな中学生男子と、桐生が?
「…………おいおいおい待て!! 聞け、もし2人きりになったとしても、絶ッ対手を出すなよ!? 桐生まだ14だから!!」
『お、おま何考えてんだ! するかボケ!』
慌てたような照れたような声に、今すぐ電話を切ってやりたくなる。
『あーっそれにしても土産何持ってこーかな、やばい、楽しみ』
惚気話を聞き流し、無心でシャーペンを動かしていると、画面の上部にメールアプリの通知のバーが出てきた。
タップしてメールを確認し、俺は思わず苦笑する。
「…………あー、あの、古田さん?」
『それで――……ん、何でさん付け? あ、もしかして嫉妬かぁ?』
「違くって、その……」
気まずくて口ごもったが、隠すわけにはいかないので、俺は苦笑しながら正直に答えた。
「その、俺に、桐生からあんたと同じメールが……俺と古田、2人で、桐生の家に来てくれって……」
『…………はぁ!?』
予想通りの反応に、一生懸命笑いを堪える。
『なっ、いや、テメェも来んのかよ! 舞い上がってた俺が馬鹿みたいじゃねーか!』
「そりゃあまあ、俺も桐生のこと助けたから……それに桐生の家に行けることには変わりないんだから落ち込むなよ」
『クソが!! ったく……お、お前、桐生とイチャつくなよ!?』
「しないって」
それにしても、人って恋するとここまで変わるのか。あの古田が、こんなふうになるなんて。
…………じゃあ、俺が少し変われたのって……
恋、のおかげ、なんだろうか。
きっと、報われないだろうけど。
次回 「友達vs親友?」
よろしくお願いします!




