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 俺の目論見はまんまと成功した。こうして自分のものになってしまえば、あんなにドキドキして駆けずり回ることなどなかったのかもしれないと思えてくるが、もう終わったことだから考えるのはよそう。それよりも、心配なのは女房だ。腰、抜かすだろうな。いや、問題はそんなことではないぞ。女だ、女房は。世間の女と較べれば口数は少ない部類に入るだろうが、それでもよく喋る。口の開け閉めと、舌の回転を競い合うような種族は、無駄口ばかり叩くものだ。大金を拾ったというビッグニュースを黙っていられるだろうか。驚きと嬉しさで有頂天になりはしないだろうか。

 家路をたどる道すがら、気付けばアクセルを踏む足がついついお留守になって、後続から警笛を鳴らされる俺だった。


「なあ、大事な話があるから、コーヒーいれてくれ」

 普段ならビールを飲んで転がる俺が異様に思えるのか、女房は怪しむ素振りをかくさない。

「「今まで黙っていたんだけど、驚かないで聞いてくれ」

「店、閉める?」

「みせ?」

「売り上げが落ちてきて、どうにもならないんじゃないの?」

「違う。黙って聞けって。実はな」

「だめだよ、もうヘソクリなんかないからね」

「黙れっていうの。その口が心配なんだよな、まったく」

「悪かったね。いっつも悪者は私なんだから。いいよ、もう口開かないから」

「実はな、カネ拾ったんだ」

「おカネ? ネコババしたの?」

「莫迦! ちゃんと届けて、持ち主が現れなかった」

「ふぅん。いくら拾ったの?」

 上着の内ポケットから受け取り証を取り出して渡した。

「へぇえ、こういう書類にするんだ。それはわかったけど、いくら拾ったのよ」

「書いてあるだろ」

「一から九まで数字が並んでいるだけで、金額かんか書いてないけど」

「莫迦。数字の後ろに円て書いてあるだろうが。それだけ拾ったんだよ」

「うそ。いち、じゅう、ひゃく、せん……、おく……。お、億……」

「それでな、俺のことを黙っていてもらう約束で、警察に二百ばかり寄付してきた」

 寄付の受け取り証を渡した。

「どうして? そんなことしなくてもいいじゃないの。警察はそれが仕事でしょ?」

「そうだけど、俺が金を拾ったことが知れてみろ、寄付だなんだでワンさと集まってくるぞ。それくらいなら祝儀だと思って内緒にしてもらうにかぎる」

 とはいっても、女房は釈然としない様子だった。が、もう寄付した後だから取り戻すとは言わないだろう。


 俺は、ソファーの後ろに隠しておいたバッグを女房の前に置いた。

「開けてみろよ。ああ、待て待て、先に水を一口飲んでおけ」

 俺の言葉を冗談半分に受け取ったのか、女房は俺の目を見ながらファスナーを引いた。


 チィーーーーー


 バッグが大きく口を開けると、女房の目が真ん丸になった。そして、そのまま息すら止めている。

 ヒィーーーー

 引き攣るような音をさせて女房が息を吸った。そのままじっと息を止め、ホォーーーーーッ。絞りきるように吐いた。

「こ、これ全部拾った……」

「おお。それでだ、ずっと考えてたんだけど、これで食いつないだら何年生活できるかってな」

「何年って、お父さん。派手な生活さえしなけりゃ、死ぬまであるよ」

「だからな、来年になったら店じまいしようかってな」

「そうだよ、商売なんかやめたらいいよ。そうしようよ、何年かしたら年金も下りることだし」

「だけど、こんなものを見ると旅行にでも行きたくなるだろう?」

「いいよ、無駄なことしなくたって」


 そして全部テーブルに並べ、夫婦して生まれて初めて現金のつかみ取りをしたのだった。

 こうして現実に現金を手にすると、泥棒に入られる惧れが膨れ上がってきた。どこへ隠すか二人で頭を寄せ合い、床に就いたのは深夜になっていた。


 そして一年がすぎた。

 ぼつぼつと入金を繰り返し、一年がかりでそれを預金しつくした俺は、何食わぬ顔で商売を続け、またも確定申告の時期になった。

 大手スーパーの攻勢に喘いでいたこともあり、商売ははかばかしくない。去年だって五万円ほどの税金を納めただけだったが、今年は商売に身が入らないこともあって僅か一万円しか税金がかからない。消費税の額が落ち込んでいるのだから税金が掛かること自体が不思議なのだ。だけど、税金が掛からないでは仕入れに不利だ。みせかけだけでも体裁を整えるために、俺は必要経費の計上を抑えたりした。そうして課税されるようにしたのだ。


 ところが、梅雨になって税務署から呼び出しを受けたのだ。

「計上されていない収入がありますね」

 恰幅が良く、脂ぎった署員だ。嫌味を言われ慣れているのだろうか、俺の気を損ねないよう気配りしながら話す男だ。

「収入は全部計上しましたよ、何を言ってるのですか。消費税の額を見ればわかるでしょう?」

 突然何を言い出すのやらと、俺はむかっ腹が立った。そういうことを言われないために一円の誤魔化しもしていないのだ。

「いえ、未計上の分があります」

 職員は俺の抗議をにこやかに否定し、印字された紙を机の上に示した。

「昨年、拾得物がありましたね? それが未計上になっています」

「ええっ、拾得物にも税金がかかるって?」

「はい。所得には違いないですから、当然課税対象です」

 机の上にあるのは、警察に提出した受け取りのコピーだった。それに、預金通帳の取引履歴も添えられている。

「どうしてだよ、拾得物だよ。落とした人が誰かは知らないけど、これって個人が落としたものじゃないの? だってそうだろ、会社が落としたのなら取り戻すはずだ。個人だって、俺が落としたなら取り戻すよ。だけど、そうじゃなかったってことはだ、廃棄したと考えられるじゃないか」

「まあ、そういうことも否定はできませんね」

「ということはだ、個人資産なら税引き後の金じゃないか。落としましたからって必要経費に計上するわけないんだぞ。税収が減ることはないんだぞ」

「確かにその通りです。私もそう思います」

「だったら税金を掛けることがおかしいじゃないか」

「気持ちは十分に理解できます。私も齋藤さんの立場になれば同じように言うでしょう。でも、法律に定めてありますから、納めていただかねばいけません」

 何度も頷きながら、それでも職員は笑みを絶やさず納税を迫ってくる。


 暫く見解を闘わせていたが、むこうは法律を盾に実力行使できる立場だ。そう考えると、つまらないことで時間をつぶすことがバカバカしくなってきた。

「わかったよ。払えばいいんだろうが」

「はい、納めていただけないと私も困りますので。それでは、具体的な話をさせていただきますが……」

 職員は、真新しい紙に取得額を書いた。

「話をするときだけ、大雑把な金額で言わせていただきます」

 片頬を少し吊り上げて微笑む顔は、金魚鉢を見つけた猫を連想させる。

「ざっと一億二千三百四十万とすると、税率が四十五パーセントですので五千五百五十三万の税額になります。でも、税額控除が四百八十万ありますので、五千七十三万となります。細かい数字はまた後で計算するとして、ザックリこの額です」

 サラサラとペンを走らせると、修正申告用紙に記載を始めた。

「おっ、おい! 何を考えてるんだ! どうしてそんな額になるんだ!」

 俺は腰を抜かしそうになって叫んだ。声が裏返ろうが、鼻水が噴出そうが構ってなどいられなかった。

「ですから、課税対象額によって税率が違いますから。課税対象所得が四千万を超えると、最高税率となります」

 笑みが冷たくなっているように思うが、気のせいだろうか。

「それなら、必要経費を……、寄付だってしたんだからな」

「必要経費ですか? 確定申告で全部計上したのではないのですか? 寄付ねぇ……、証明するものがあれば認められますが、額はどれだけでした?」

「に、二百万だ。警察に寄付したんだ、受け取りもあるぞ」

「なるほど、二百万ですね? ただし、全額は控除できなくて、二千円は齋藤さんに負担していただかねばなりません。とすると……」

 職員は、軽やかな指さばきで電卓を叩き始めた。その動きを見つめながら俺は考えた。こういう場合、収入はどういう性質の所得だろうか。性質が違えば取り扱いも変ってくるはずではないか。

「なあ、ちょっと質問するんだけど」

「なんでしょうか?」

 職員は、書き込む手を止めずに応えた。

「あんた、この金をどういう種類と考えてるんだ?」

「どんなって、事業所得ですが」

 当然のことを聞くなとでも言いたげである。

「おい、拾得物だぞ、どうして事業所得なんだよ」

「どうしてって……」

 ペンを止めた彼は、両肘を突いて手を組んだ。

「齋藤さんは、配達の途中に落し物を見つけたのですよね。それを届け出るのに事業用の車を使った。つまり、仕事の途中で得たものではないですか」

「だけど、商売で得た儲けじゃないんだぞ、別の名目もあっただろう?」

「一時所得ですね。競馬で勝ったとか、株で儲けたというような。だけど、齋藤さんの場合はそうではないですから」

「仕事をさぼって競馬へ行く奴だっているだろ? 株なんか、仕事しながら電話一本で売り買いできるじゃないか」

「実際、否定はしませんよ。だけど、齋藤さんの場合は業務中の出来事です。だったら事業所得以外には考えられません」

「……そうか、わかったよ。そのかわり、申告用紙の空白欄に一筆書いてもらおうか。事業所得であることに間違いないと。あんたの記名と押印もしてくれ。納得できん。裁判で決着をつけてやる」

 俺は腕を組んだまま相手に毒づいてやった。すると、組み合わせた手を額に当て、しばらく俺の目を睨みつけやがった。そして、短く息をついて手を打ち鳴らしたのだ。

「なるほど、裁判ですか。しかしねぇ、裁判となると費用もかかりますし、面倒な手続きも必要になりますよ」

 一瞬だが能面のような無機質な表情を見せたかとおもうと、取ってつけたかのような愛想笑いを貼り付けた。

「税務署にも、異議申し立て制度というのがありまして、そちらなら費用がかかりませんが」

 感情を押し殺したような話し方だ。

「断る。税額を決めるのは税務署だろう? そんなとこへ異議申し立てしてなんになる?  こういう揉め事は裁判所で裁いてもらうのが一番だ、俺はそうする。その用紙、早く仕上げてくれよ。そいつを証拠に裁判所へ駆け込んでやる」

 絞り出すように言ってやった。すると、奴は額に手を当てて暫く黙った。


「……ではね、こうしましょう。そのかわり、これは特例ですから部外者に言ってもらっては困ります。どうしますか?」

 やれやれといった表情である。根負けしたとでも言いたげだが、詳しい中味を言おうとしない。

「どういう内容か、聞いてからでなきゃ返事はできん」

 俺も剥きになっていた。裁判で決着をつけると決心した以上、慌てることはないのだ。

「この所得についてですが、特例として一時所得を認めましょう。それでどうですか?」

「だから、どういう内容なのかはっきり言えよ」

「一時所得の場合、課税対象は所得の半額です。つまり、税額が半分になるということです」

 奴の顔から愛想笑いが消えていた。公務員然とした事務的な態度をむきだしにしている。ところが、そうなると次々に疑問が湧いてくる。

「半分なぁ……。そりゃあ有難いけどさ、どうしていきなり半額になるんだ?」

「一時所得は課税のしかたが違いまして、所得の半額に対して課税するとされています」

「ところで、どうして一時所得にするんだ?」

「それは……、税率を変更できないのだから、名目を替えるしかないと」

「そんなことをする権限があるってことだな? だとするとだぞ、あんた達の胸先三寸でどうにでもなるわけだ、税金ってのは」

「いえ、事前に上司と打ち合わせをしてあります。けっして独断ではありませんから」

 早口で弁解すると、新しい用紙に必要事項を書き始めた。

「ふぅん、事業所得だと脅してみて、相手の出方しだいで一時所得を認めるってことか。そりゃあなぁ、いっぺんに半分になったら嬉しいわな。二つ返事で判子を押すだろうよ、普通だったら。けどなぁ、どうにも合点がいかんのだよな、こういうやりかた。といって、こんなことで暇つぶしする気なんて更々ないんだ。だから、早く書類作ってくれよ。それでなあ、余白に書いてもらおうか。上司との協議により、特例で一時所得にすると。所属と記名をするんだぞ。判子も押してくれよ」

 奴の手が止まった。なんとも不満そうに眉をしかめている。


「早くしてくれよ。払わなきゃいけないんだったら払うからよ。暇じゃないんだ、こう見えても」

「余白に不要なことを書き込むと無効になりますので、それはご理解いただ……」

「阿呆か、あんた。別の紙に書けばいいだけのことだ。嫌だってぇのなら、上役に掛け合って書いてもらうからいいぞ。それより早く書いてくれよ」

 たたみかけると、奴の顔色が白くなってきた。


「では、すべて撤回して、一時所得として課税します」

「まてよ、それは特例なんだろ? いいよ、特例は断る。事業所得で計算してくれ」

「いえ、私の……、勘違いでした。一時所得です」

「だめだって、誤魔化しては。事業所得なんだろ? そう言い切ったよな。いいよ、払うから」

「……いえ、一時所得でやらしてもらいます」

「もう遅い。悪いけど、全部録音してるんだ。なぁ、個人所得税課の大槻司郎さん。いいよ、俺が書くから」

 用心のために忍ばせていたレコーダーを見せてやると奴がうろたえ始めた。

「最初から録音してるんだよ。適当に誤魔化されたら嫌だからな。だけど、法に従って話してるんなら心配いらないよ、すぐに消してしまうから」

 奴は用もないのに手の汗をしきりと拭った。手の平だけでなく、額や耳の下にも忙しなくハンカチで拭う。右手はペンを持たずに、白くなるほど握り締めていた。


 奴から用紙をひったくった俺は、収入欄に数字を書き込んだ。そして、寄付金控除額を記入する。残額を計算して別欄に転記した。それが課税対象額だ。税率欄に四十五と記入し、税額を算出する。端数を切り捨て、五千四百六十五万六千だ。そして税額控除を四百七十九万六千として、収めるべき税額を算出した。四千九百八十六万円ということになった。復興特別税が百四万七千。ついでに消費税も算出すると、九百八十七万六千円となった。総合計が六千七十八万三千円である。

 実に半分が税金で消えることになった。


「ほら、修正申告するから、受け付けた印をくれよ。税金は今日のうちに振り込むから心配すんな」

 これが正しいかどうか、俺にはわからない。しかし、用紙をつきつけても奴は席を立とうとしない。

「おい、素直に申告に応じてるんだぞ、早く受付印を押せよ。忙しいんだからよ」

 しかし奴は青い顔をしたまま、声すら立てられない。


「もういい。署長に印をもらう」

 俺は用紙を掴むと立ち上がった。入り口にある案内板で署長室の場所を確認すると一気に階段を駆け上がった。


 ダンダンダンダン

 激しいノックに驚いた署長にわけを話し、受け付けをすませるよう求めると、署長は皮肉な笑みを浮かべて担当者を呼んだ。担当者というのは、俺が置き去りにした奴と、課長、それに係長もいた。

 事情を知ってか知らずか署長は手続きをすますように命じ、課長の説明を鷹揚に頷いている。


「受け付け印を押したな。じゃあ写しをもらおうか」

 俺は無造作に手を出した。

 おずおずと差し出されたそれを受け取るともう用はない。俺はそのまま署長室を後にした。



「待って、待ってください!」

 俺が車に乗り込むと同時に玄関から人が駆け出してきた。こっちは別に悪いことをしたわけじゃないのだから待つ必要はない。遠慮なくキーを刺し込み、エンジンをかけてやった。すると、大槻が車の正面で両手を広げて立ちやがった。

「危ないから退いてくれよ。もう用はないはずだろ、俺は帰るんだよ」

 細く開けた窓ごしに怒鳴ると、ガバッとドアが開けられ、エンジンを止められてしまった。

「何するんだ。そっちの言い分を認めて修正申告も済ませたんだ。こんな無茶をする権限はないはずだぞ。いい加減にしないと警察を呼ぶぞ」

 鍵を取り返そうとするのだが、奪った課長を庇うように、署長がしっかりドアを押さえている。

「もう一度戻っていただくわけにはいきませんか。私もまだ詳しい事情がわからないので、言い分をよく伺って判断したいのですが」

 署長は嘘をついている、事情を知らないわけはないだろう。さっき見せた皮肉な笑みは何だったのだ。では、この慌てようは何なのだ。


「そもそもは、拾得物を申告しなかった俺が悪いんだよ。けどな、拾得物なのに事業所得にされたんだ。ところがだ、反論したら一時所得にしてやるだ。えぇっ、してやるだぞ。特例措置だそうだ。どうやら税金が半分になるらしいな。こんな下っ端にそんな権限を与えているのか? 簡単に決められるのか? おまけに、上司と相談できているって言ったんだぞ。そんな莫迦な話があるか。だったら受けて立とうというんで、事業所得として修正申告に応じたということだ。これでわかったろう? 鍵返してくれよ」

 署長は、俺の言い分を聞くと車の正面に立つ奴を見つめた。その視線に脅えたか、奴は激しくかぶりを振った。

「拾得物なら一時所得ですが、そうは説明しなかったですか?」

 訝しげに訊ねた。さも、自分は関知していないと印象づけようとしているようだ。

「だからねぇ、あいつの顔を立てて事業所得として申告したんだ。けどな、こっちは素人だ、資料だって手元にないんだからな。こうだと言われたら従うしかないだろう。けど、どうしても腑に落ちないから、家へ帰って調べるんだ。ただな、断っておくが、そいつ個人にだけ罪を背負わせることはしないからな。これは税務署が仕組んだことだ。署長のあんたが最高責任者だ」

 署長は容易ならざることと感じ取ったのか、俺を、そして奴を見た。忙しなく見比べてワナワナと唇を震わせ始めた。

「も、もしご不満なら異議の申し立てができますが」

「そうらしいな、そいつが言ってたよ。けどな、税金についてのことだぞ、それを税務署に申し立てるのか? 莫迦じゃないのか、あんた。身びいきするに決まってるだろうが。法律のことは裁判所で裁いてもらうのが一番だ。もし税務署が嘘をついているとわかったら、絶対に裁判にするからな」

「裁判……」

 署長の顔色が変った。戸惑いから狼狽へ、劇的に表情が変化した。

「裁判って、どうしてですか? そんな、事を荒立てなくても」

「あんた、拾得物は一時所得だって言ったよな。状況なんか聞きもしないで一時所得だって言い切った。それをな、あいつは事業所得だって言い張った。特例措置として一時所得にしてやると言った。本当はどうなのか、はっきりさせたいんだ」

 俺ははっきり示してやった。誰が言ったかをしっかり指差してやった。

「そ、そんなことを言ったのか?」

 署長が詰問すると、奴は力なく首を横に振った。否定とも、自責ともとれるしぐさだ。

「と、とにかく落ち着いてください。裁判だなんて喧嘩腰にならずに。それに、提訴するには証拠が必要ですから、ここは穏やかに……」

「証拠はな、この写しと、録音だ」

 胸ポケットからレコーダーを出してみせた。

「本当は一時所得なのに、嘘を言って事業所得として申告させた。つまり、俺に不法な損害を与えたわけだ。上司と相談した上のことらしいな、惚けたってだめだぞ。あいつがはっきり言ったんだからな、ちゃんと録音してあるんだ。無知な納税者を騙して違法な税金を搾り取るつもりなんだろ? 国税庁の通達か? 財務大臣の命令か? 気の毒だと思うよ、上からの通達に逆らうことはできないだろうからな。だけど人の道を踏み外すってことを奨励してるのか? 悪意のかたまりじゃないか、ヤクザと同じだ。言い返せるか? そうでなくても、俺たちにとって、職員イコール税務署だ。最高責任者のあんたが一番の悪人ってことだ。ついでだがな、公務員特別なんとかって罪があったよな。俺がされたことって、きっちりそれに当てはまる。あれって罰金も執行猶予もなかったのじゃないかな。覚悟しておけ、依願退職したって無駄だぞ。警察に告発してやるからな。人生設計を狂わせることになっても俺のせいにするなよな。とにかく家へ帰してくれよ。今日のうちに振り込まなきゃ、意地でも振り込まなきゃ」

 蒼白になって呆然としている課長から鍵をひったくると、俺はエンジンをかけた。が、そうすると尚、奴は進路に立ちはだかった。泣きそうな顔を酷くゆがめていた。



 すったもんだの挙句、家へ帰って資料を調べてみると、間違いなく一時所得であることがわかった。わかったうえで時計を見ると、あと三十分で銀行が閉まる時刻である。まだ怒りが収まらない俺は、すぐに銀行へ走って手続きを済ませ、ついでに本屋へ立ち寄った。

 そして帰宅してみると、店の前に車が駐まっていた。


「誰が入っていいと言ったか知らんが、帰ってくれ。犯罪者に用はない」

 店の中で待っている男たちに俺が厳しく言い放つと、安物のパイプ椅子に腰掛けていた男たちが弾かれたように立ち上がった。

「齋藤さん、まことに申し訳ないことをしてしまいました。お詫びのしようもない不手際でした。どうかご勘弁いただきたく、こうしてお詫びにきました」

 署長が深々と頭を下げるにあわせ、他の三人も折れそうなくらい頭を下げた。

「所得税、消費税、復興特別税。税務署の言い分通り振り込んできた。意味わかるか? 貴様たちの目論見は未遂じゃなくなったんだよ。詐欺未遂じゃなくて、詐欺の実行犯になったんだよ。騙したのだから詐欺には違いないだろ。だけど、業務上詐欺なんて、聞いたことがない。きっちり調べたよ、拾得物の取り扱い。一時所得だなぁ。一時所得なら半額に対して課税することになっている。ちゃんと載っていたぞ」

 確定申告の手引きという小冊子をビールの箱の上にポイと投げてやった。

「よくも騙してくれたな」

「で、ですから勘違い」

 詐欺の実行犯と名指しされ、署長の膝がブルブル震えている。

「ありえない! そんなことすら知らない奴に窓口対応させるはずがない。作為だ、悪意だ」

「と、とにかく計算し直しま」

「さっき言っただろ、もう振り込んだって」

「で、ではすぐに還付手続きをと……」

「莫迦か! 還付ってのは払いすぎた税金を返すことだぞ。騙し取った金を返すときは言い方が違うだろうが。被害弁済っていうんだよ」

「ですから、それは勘違いでして」

「ありえないって。訴状ってやつを準備しなきゃならんのだ。警察にも届けにゃいかんのだし、猶更忙しい。さっさと帰れ」

 そう言って、レジ袋から訴訟の手引き本を取り出した。すると、署長の顔色がサッと変った。

「そう短気をおこさず、商売に励んでいただ……」

「生憎だなぁ。今月で廃業することに決めたんだ。だから、予定納税なんて受付ないからな。商売なんか続けてみろ、貴様らが仇を討とうとするに決まってる。貴様らを葬ったら関わりなしだ。特におまえ!」

 全部を言わせずに遠慮のない言葉を浴びせてやる。そして、大きな図体を縮こめて蒼白になっている大槻を指差した。

「そもそもの元凶はお前だ。今になって事の重大さがわかったか、震えたって遅いんだ。手錠は冷たいらしいぞ、立ってられるか? 納税者には嘘をつくなと偉そうにしやがって、お前は詐欺の実行犯だ。くだらんことをするから一生を棒に振ることになるんだ。せいぜい脅えるんだな」


「お父さん、そんなに大声出さなくても。それに失礼でしょう」

 経緯を何も知らない女房が、接待用にコーヒーを配んできた。水の一杯でさえ饗する必要のない相手に、わざわざ豆を挽いた本式のコーヒーだ。

「朝から税務署に行ってきたんだがな、そこで何があったと思う? 腰抜かすようなことがあったんだぞ、だからなぁ」

 猛り狂っている理由を説明しかけるのを制し、女房は奴らに椅子を勧めた。そして俺にも椅子を持ってきた。それをひったくるように、俺は店の出入り口をふさぐかっこうで腰をすえた。

「そんなとこにいないで、こっちへ……」

「ここでいい。俺は、逃げも暴れもしないのに、狭い部屋へ入れられたんだ。出入り口を塞がれて、まるで取り調べ室みたいでなあ。こうすりゃ、ちったぁ相手の気持ちがわかるだろうよ」

 女房は、呆れたようにビールの空き樽を台にしてコーヒーを置いた。

「最初っから説明してよ。端折られたら何がなにやらさっぱりわからないから」

 客の手前という意識からか、袖をツンツン引いて小声だった。

「だからな、……」


「……。それでだ、銀行から帰ったらこいつらがいたというわけだ」

「ちょっと……、それって詐欺じゃない。犯罪じゃない。なんなの、それ。税務署ぐるみで詐欺をしたってこと? それで、言う通りに振り込んだの?」

「おお、振り込んでやった。もう未遂じゃないんだ、詐欺の実行犯なんだ」

「それで、振り込んだのはいくら?」

「見たらわかる。ちゃんと項目ごとに印字してあるから」

 預金通帳を受け取った女房は、すさまじい勢いでページを繰った。

「所得税、四千九百八十六万……、震災復興特別税、百五万? 消費税、九百七十一万……。えーっと、全部で六千六十万……。どういうこと……」

 通帳を開いたまま、女房はガタガタ震えだした。

「本当ならな、二千二百万くらいで良かったんだ。えぇ、二千八百万からの金を奪ったんだぞ、こいつら。一億から拾ってもな、半分奪っちまうんだ。自分たちは何もしないでよぅ」


「ろ、六千万? 立派な一戸建てが買えるよ。そんなに税金とるの? 二千八百万ってどういうこと? マンションでも買うつもり?」

 蒼白だった顔に血の気が戻ってきた。ところが、それくらいで落ち着くどころか、首筋まで朱に染めて女房が猛りだした。

「ちょっと、どういうことよ。重箱の隅つつくようなことして、やれ重加算だの課徴金だの取って、えらそうに……。それが悪党の本性かい。面白いか、そんなことして。いいかい、千円のお金が足りなくても不渡りになるんだよ。千円がないから自殺する人がいるんだよ。二千八百万って……、何人殺すつもりなんだ」

「まあ落ち着け。裁判にかけて取り戻すから。こいつら、残らず警察に突き出してやる」

「なにを甘っちょろいこと言ってるの。三千もあったら何年暮らせるんだよ。くっそう、ただでは帰さないからね!」

 言うなり女房は手近な一升瓶を掴んだ。

「莫迦! 値の張るものを粗末にするな。ビール瓶でやれ」

 女房の剣幕に驚いた男たちは、一斉に逃げて行った。


 翌日、男たちは揃って丸刈りになって表れた。それでも怒鳴って追い返すと、翌日には頭を剃ってきた。だが、そんなことで怒りが収まるはずはなく、ついには眉毛まで剃り落して侘びに来た。

 そういう日が続く中で、とうとう店じまいの日がやってきた。

 商店街の仲間がぞろぞろと帰った夕方、いつものように税務署がやってきた。うっすら伸びてきた髪を丁寧に剃り、きちんとネクタイを締め、そして、バッグを提げていた。

 徴収しすぎた分の返還だといって、テーブルに札束を並べた。

 所得税の過徴収分として二千八百万二千六百円。復興特別税分の五十八万八千円。そして、消費税分の九百七十一万六千六百四十円。合計、三千八百三十万七千二百四十円だ。そして、迷惑料として百万円の束が二つ入った封筒をテーブルに並べたのだ。

 最初の怒りは徐々に鎮まっていたこともあり、毎日詫びに訪れる誠意にほだされ、俺は許してやることにした。当然のことながら、予定納税の通知などなく、その年の申告も無税ということで決着したのだ。


 がらんとした店内を見ると物足りなくもあるが、遊んで暮らすに十分な資金がある。俺は、初めて気楽な春を迎えた。


 五月の連休を少しずらして、行楽客が落ち着いた観光地を気侭に夫婦で旅行し、帰宅してみると、役所から通知が届いていた。何気なく開けてみれば、住民税の通知と、健康保険の保険料通知だった。

 合計すると七百三十七万円。

 結局俺は、税務署や役所に三千万もの金を毟り取られてしまった。それだけあれば、少なくとも五年は生活できるはずで、一番得な役回りは国ではないかとがっくりする。


 そして、追い討ちをかけるように来訪者があった。

「お楽しみのところを申し訳ないのですが、警察の者です……」

 見たことのない顔だが、身分証を提示したから本物だろう。しかし、どうして警察が来るのか不可解である。もしや、俺の誤魔化しが露見したのだろうか。

「隣町の警察で耳にしたのですが、大金を拾われたとか。うちの署に届けていただいたら、いくらか寄付を協力願えたのに」

 良かったった。俺のしたことがばれたわけではなかった。しかし、相手はいつ狂犬にならんとも限らないではないか。気前良く出さねば仕方ないだろう。そう思って応諾すると、外に幾組かが順番待ちをしている。

 もし断れば、もし発覚すれば、占有離脱物横領というかわいい罪では済まないだろう。横領罪に問われ、金は全額没収されるだろう。そして、税金を含め、使った金は返済しなければならないだろう。そう考えると、突っぱねるなんてできるわけがない。

 この後何度たかられることか。負い目の辛さに、俺は声もなく泣き崩れた。


 読み終えた貴方、小細工せずに届けたほうがいいよ。

 おわり


 付録

 所得    123,456,789  61,728,395

 寄付金控除   1,998,000   1,998,000

 特別控除                50,0000

 課税所得  121,458,000  59,230,000

 算定税額   54,656,100  26,653,500

 税額控除額   4,796,000   4,796,000

 確定税額   49,860,100  21,857,500

 復興特別税   1,047,000     459,000

 消費税     9,716,640   

 住民税    12,145,800   5,923,000

 事業税     6,072,900   

 総合計    78,842,440  28,239,500

 残      44,614,349  95,217,289


 所得税率         45%

 復興特別税率        2.1

 消費税率          8

 事業税率          5

 住民税率         10

 健康保険料    1447644


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