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神保町の片隅にある古書店。シノユキとニーナは、ユキヒトに連れられて古書の山々の間を抜け、店の奥にあるエレベーターへと乗り込んだ。店主の老人は一瞥しただけでなにも言わなかった。
シノユキはエレベーター内に貼られた買取強化のチラシをぼんやりと見ながら、先刻ユキヒトに見せられたコロンシリーズについて考えていた。
未来の記録。そんなものが存在するはずがない。文字通りの予言書か、それとも偽物か。様々な考えが脳裏をよぎるも、どれも憶測の域を出なかった。
「そんなに悩まなくても、もう少ししたら話すんだから」
「……考えを読まないでください」
「シノユキ君は冷静そうに見えて結構顔に出るからね。わかりやすいんだよ」
言われてむっとしているシノユキを見て、ニーナは顔をそむけて小さく息を漏らした。
「ですが、本当に私たちが知ってもいいのですか?」
「どうせ今隠したとしても、ヨミヒトから君に伝わるさ。それにアンがいない今、協力してくれるというなら、ありがたいというのが正直なところでもある。君は彼女に匹敵する能力の持ち主だからね」
そんな話をしていると、間の抜けた金属音とともにエレベーターが停止する。開いた先に現れたのは、地下鉄の駅のホームだった。
「ここは……」
「ニーナはこのルートを使うのは初めてか。機構は廃線になった地下鉄を、丸ごと買い取って使用している。ここはその駅の一つだ」
定期的に手入れがされているようではあったが、壁に使用されているパステルカラーのタイルや、足元に書かれた乗車口を示す文字のデザインが時代を感じさせる。
ユキヒトは懐中時計を取り出すと、悩まし気に顎を撫でた。
「電車が来るまで少し時間がありそうだ。他に人もいないし、今のうちに話せることを話しておこう」
そう言って、古びた木製のベンチに腰かける。
「君たちは、この世界がどうやってできたのかを知っているかな?」
突如投げかけられた漠然とした質問に、二人は沈黙する。
「そんなに深刻に考えなくても……」
「いや、深刻に考えていたわけではないんですが……。その質問と、暦史書管理機構が戦争をしようとしていることになにか関係があるんですか?」
「あるんだ。暦史書管理機構の真の役割を説明するためには、この世界の始まりから語る必要がある」
暦史書管理機構の役割。古より書き記されてきたコロンシリーズを収集・管理し、世界の歴史が歪まないよう、異端の事象に対応する。ユキヒトの発言は、それ以外の役割があるということを意味していた。
「この世界は原初、質量を持たない量子のゆらぎだったとされている。その質量のないゼロの状態から、どうやって実在する世界が生まれたか。考えてみれば簡単なことだ。同じ量のマイナスも同時に生み出せばいい」
シノユキもニーナも、まだ話の意図が読めないままでいた。
「ここで問題になるのが、なぜプラスとマイナスに分かれたこの宇宙は、相殺されずに広がり続けているのかという点。そこにはある意思が介在している」
「神の意思……とでも言うんじゃないでしょうね?」
訝し気なシノユキを見て、ユキヒトは口元に笑みを浮かべた。
「君は、神を信じているかな?」
「いいえ。もしそんなものがいるとしたら、この世界がこんなに不完全なわけがない」
近くを別の路線が通っているのか、わずかな振動と音が近づいてきて、遠ざかっていった。
「そう、神様は全知全能。どんな奇跡も起こせる。宗教では、そういう風に伝えられてきた。だけどもし神が、僕たち人間となんら変わらない意思を持っていたら? この不完全な世界をより良くするために、もがき苦しんでいるとしたら?」
ついにここまで来たのかと、シノユキは思っていた。
自分の能力に気づいた時。異端書の力に触れた時。アンの力を知った時。バミューダトライアングルで、異世界の存在を知った時。決して小さくない驚きがあった。どれも普通に生きていれば、現実離れした嘘みたいな話ばかりだ。
この世界は思った以上に不可思議なことで溢れていると、充分にわかっていた。だからこれから、目の前の男が語る話も事実なのだと、受け入れるしかなった。
遠くから、電車が近づいてくる地響きが聞こえてくる。
「人類の歴史は、この星で初めて生まれたわけじゃない。“神は永遠に幾何学する”とプラトンが言ったように、この広い宇宙のフラクタル構造の中で、神は何度も人類の歴史を紡いでは、失敗してきたんだ」
「まさか……あの未来のコロンシリーズは……」
ユキヒトはもう一度、懐からあの黒い本を取り出す。
「ああ。これは一つ前の、もう終わってしまった地球からもたらされたもの。そして暦史書管理機構とは、この星の暦史書を管理すると同時に、先人たちがもたらした暦史書にしたがって、この星の歴史を管理する機構のことだ」




