[5-18]
一週間後。シノユキとニーナは都内にある病院に来ていた。駅から少し離れた位置にあり、平日の昼ということもあってか、待合室に人は少ない。受付でヨミヒトが入院している病室を確認し、エレベーターで三階へと向かう。
「ここも気遣い無用の建物でしょうか」
「一般人もいる。話は病室に入ってからだ」
エレベーターを降りて、西側一番奥の病室へ。ノックをすると、聞き馴染みのある凛とした声が返ってきた。シノユキがドアを開けると、リリィが花瓶の水を変えようとしているところだった。泣いていたのか、少し目元が赤くなっている。
「怪我の調子はどうだ?」
「私はもう大丈夫です。でもヨミヒトは、まだ……」
ベッドに横たわるヨミヒトは、静かに一定のリズムで呼吸をしていた。ただ眠っているように見える。しかし、もう一週間以上目を覚ましていない。
「原因もわからないままか」
「はい。でもおそらく……」
「深すぎました。イデアへの干渉が」
ニーナがリリィの言葉を引き継ぐ。
「あなたを傷つけられたことで余程腹が立ったのでしょう。明らかに必要以上の力を使っていました」
「……馬鹿ね」
リリィはヨミヒトの頬に手で触れ、瞼を親指で優しく撫でた。
「キスでもしてみては」
「す、するわけないでしょ!」
「おや、興味深いね」
「わっ」
突然背後から声がして、ニーナが驚きの声を上げる。振り向くと、丸い眼鏡をかけた白髪交じりの男が立っていた。着物を違和感なく着こなすその姿は、どこか文豪のような風格がある。
ニーナ同様驚いていたリリィは、胸に手を当て、自分の動悸を感じていた。
「ユキヒトさん、いつの間に……」
「え、ずっといたんだけど……」
「ずっと? わ、私が来るよりも前にですか?」
「うん。シノユキ君、僕ってそんなに存在感薄い?」
「そういう問題では……ん? どうしたリリィ、顔が赤いぞ」
「なんでもありません!」
腹立たしげなリリィを見て、触らぬ神に祟りなしといった様子でユキヒトに向き直る。
「マシューさんからの話、聞いていますか」
「うん、聞いたよ。ラスリウネスク家の当主とも話した」
「では、レナードという少年が何者かも?」
「聞いたよ。でもごめんね、言うことはできない」
教師が子供を優しく諭すように、ユキヒトはそう言った。
「……それでは、アンの捜索の手がかりも途絶えてしまいます」
「そうだね。申し訳ないけど、また一から探してほしい」
当然のことのようにそう続けるが、「そうですか」と納得できるわけがなかった。
「レナードの正体が、例のオペレーションに関わってくるからですか?」
室内が静寂に包まれ、窓の外の風の音や鳥のさえずりが大きく聞こえる。シノユキはこのタイミングで仕掛けることを決めた。
「例えば、戦争を始めようとしているとか」
それまでユキヒトが口元に浮かべていた笑みが、ふっと消えた。
「戦争? 一体どこからそんな話が――なんて白を切るのは無理があるか。アンから、なんらかの方法で聞いたんだね」
「はい。申し訳ありませんが、調べさせてもらいました。多額の資金を投入して、潜水艦を建造していますよね。名前はアーク・イヴ」
「……これは驚いた」
「認めるんですね?」
ユキヒトは顎の無精髭を手で撫でながら、少しの間思案していた。
「僕の態度から、それらが事実であることは察していると思う。でも僕からはなにも言えない、と言わざるを得ない」
「なぜです? もしなにか正当な理由があるのだとしたら、私もそのオペレーションに加えてもらってもいい。機構の利益のためでも、世界を混乱に陥れるためでもないはず。なぜ戦争を始める必要があるんですか?」
「すまない、言えないんだ。君には知る権利がない」
「……俺たちには、知る権利があるんじゃないか」
突如割って入ったか細い声に、一同はベッドへと目を向ける。ヨミヒトが薄く、目を開いていた。久しぶりの陽の光を眩しく感じているようだった。
「ヨミヒト……!」
リリィがヨミヒトの手を握ると、弱々しくはあったがしっかりと握り返してきた。
「……俺は有栖川家の、リリィはアダムズ家の次期当主だ。父さんが知ることのできる情報なら、いずれ俺たちも知る必要がある……そうだろ?」
ユキヒトは目を丸くして、それから小さく噴き出した。どこか満足そうに何度か頷いたあと、四人を見据えた。
「報告は受けていたが、君たちは僕が思っている以上に、強い力で結びついているらしい。あの泣き虫が……いやはや、時の流れとは恐ろしいものだ」
「……余計な事を……言わないでくれ」
ヨミヒトの声はすぐにかすれてしまっていた。
「看護師の方を呼んできます」
ニーナが足早に病室を出ていく。それを見送って、ユキヒトは窓際まで歩いていき、カーテンを閉めた。
「わかった、君たちには情報を開示しよう。ただし、これははっきり言って君たちを巻き込むことになるということだ。アンのように逃げ出したくなるかもしれないが、それはやめてほしい。執行部が動くことになる。彼女は止められなかったけど、君たちなら対処できてしまうだろうから」
「我々がどうするかは、内容を聞いてから決めます」
「……いいだろう。詳しい話は場所を変えてからするとして、先にこれを見せておくよ」
ユキヒトは着物の懐から、一冊の本を取り出した。それをベッドの上に置く。黒い表紙のハードカバー。見慣れたコロンシリーズの装丁。
しかし、シノユキはすぐにその本の異常に気がついた。
「どういうことです、このタイトル」
“NOX:2045”
表紙にはそう書かれていた。




